混沌なりしは京の都(まち) ⑦
「こいつはな、人間の生命力、すなわち精神を撃ち出す拳銃だ。命中させても人間相手にゃ、せいぜいがショックを与えて気絶させるとか、小便チビらすくらいびびらせる程度のことしかできねえが、怪を相手にしたときにゃ絶大な効果が期待できる」
手首を振って回転式弾倉を閉じ、課長が手の中で拳銃を一回転させて銃口を自らに向け、絢十に差し出した。
「持ってろ。正式名称は“レンの弓”だ。原材料と技術は異界のもんだが、製造は信頼のメイド・イン・ジャパンだ」
「異界……ですか……」
絢十が少し躊躇いながら、それを受け取った。
わたしは課長の言葉を補足する。
「絢十、気ぃつけて使いや。それはあんたの生命を切り取って撃ち出す銃や。考えなしに使ったら、あっという間に生命力が尽きて死ぬで」
「え……」
課長が無精髭を指で撫でながら、事も無げに呟く。
「回転式弾倉の装弾数は六発だが、そいつはまあ飾りだ。引き金を絞りゃ、好きなだけ何発でも撃てる。ただし、おまえさんが一日で撃てそうなのは一発だけだな。二発目を撃てば気絶、もののはずみで三発目が発射されりゃ、お陀仏ってところか」
課長は深くタバコを吸って、唇の端から紫煙を横へと吐き出した。
「それと、あまり軽々しく使うなよ。おまえさんの生命もそうだが、怪にとっちゃ、人間の精神力ってのは猛毒だ。先日、人狼と揉めたそうだが、その程度の怪であれば掠めるだけで全身が吹っ飛ぶ。“殺すしかない”と判断したときにだけ、躊躇わずに撃て」
「は、はあ……」
なんだかピンときていない顔だ。
撃てそうにないな、この人。そういうところが魅力的なのだけれど。でも京では、その優しさが危うい。うん。危ういよ。
わたしは絢十の肩に軽く手を置いて、言葉をかける。
「大丈夫や。絢十はうちが守ったる。もしうちがやられたら、そんときは逃げたらええ」
「そうそう。赤鬼っつーのは怪ン中でも、かなり上位に位置する存在だ。だから鬼っこが簡単に負けるこたぁねえよ。拳銃(レンの弓)は御守り程度に考えとけ」
「あ、はい」
絢十はうなずくと、ジーンズの背に拳銃(レンの弓)を挟んだ。
なんだかボーッとした顔をしている。大丈夫かな、この人。
「あの、使った生命力ってのは戻らないんですか? 撃つたびに寿命が縮むと考えたら、持つのも怖いんだけど」
あら、以外と冷静に考えていたみたい。
課長がタバコを指先でつまんで、あくび混じりに返す。
「心配しなさんな。た~くさんうめえもん食って、いっぱい寝りゃ戻る。寿命じゃなくて、あくまでも生命力だからな。じゃなきゃ、俺ァもうとっくの昔にシワシワんなってくたばってるぜ」
わたしはわざとらしく額に指先をあて、あきれ顔で呟いた。
「課長、あくび混じりに言うても説得力ないで。また寝てへんやろ。ええ加減倒れるで」
「そう言うなよ。しょうがねえだろ。手が足りねえんだから。睡眠時間なんてあって無きようなもんだ。ま、食うのは食ってるよ」
「……どうせまた、アパートにどこぞの女連れ込んで楽しんでたんちゃうん」
「アホ抜かせ。さすがにこの状況で、ンなことまでしてりゃ、真っ最中にくたばっちまっても不思議じゃねえ。ま、死に方としちゃあ上々だがな」
冗談を言って笑っているけど、眼窩の隈は定着している。たまには休ませてあげたいけれど、怪であるわたしにだって、それほどの余裕はない。安機は激務だ。
暁時人。わたしが京に入るよりずっと以前から戦い続けてきた、人間の男。
ヒトの身でありながら、彼がそこまで京の治安のために戦い続けるのには、何かしらの事情があるのだろうけれど、わたしは知らない。
それを話す気は、さらさらなさそうだ。
「さーてと」
課長が立ち上がり、コート掛けから黒のコートと帽子を外した。わたしも同じくコート掛けから白のコートを外し、身に纏う。
「あ、あれ? パトロール?」
絢十が当然の疑問を口にした。
「うちらにそんな業務はあれへんよ。警察さんやないねんから」
「そうそう。そういうのこそ警察の仕事。そこまでやってたら、さすがに過労死しちまうぜ。我々はあくまでも解決専門だ」
「だって、依頼はまだ――」
絢十がそう呟いた瞬間、時代錯誤な鳩時計が呑気な音を鳴らした。プラスチックの白鳩が観音開きの扉から何度も顔を出し、そのたびにポッポーと鳴いている。その行動は九回。
九時だ。
一秒と経たず、黒電話が鳴った。
課長がすかさず受話器を取る。
「はいよ。こちら有限会社京都多種族安全機構、暁だ。要件と場所を簡潔に述べてくれ。…………了解。では今からすぐに向かう。現場に通達、なるべく刺激しないように時間を稼いどいてくれ」
受話器を置くと同時にデスクの引き出しから、やけに古びた拳銃(レンの弓)を取り出して、課長は長いコートの裏のホルスターに差し込んだ。
「警察からだ。怪による強盗人質事件だとよ。ちょっくら説得してくるわ。――おい、初日でくたばんじゃねえぞ、絢十」
真新しいタバコに火を点けて、眠そうな表情で笑えない冗談を飛ばし、課長が事務所のドアの前で背中越しに手を振った。
「いってらっさ~い」
「が、頑張ります」
ドアをくぐって振り返り、課長が苦笑いで絢十を指さす。
「いやいや、あんま頑張んなよって言ってんの。張り切り過ぎると死ぬぞ~? うはは!」
笑えないって、課長。ほら、絢十ったらもう不安そうな顔してるじゃない。
わたしはいつも通りそれを見送って、ソファに掛けられていた絢十のコートを手に取った。洗濯したての洗剤の香りと絢十の匂いが混ざって、なんだかたまらない。
「絢十」
「わっ」
わたしが放り投げると、絢十はそれを受け取って怪訝な表情をした。
「着といて。業務として開けている九時~五時の依頼はすぐくるから。特に九時台前半はそれこそ、五分おきに――」
言い終わるより先に、黒電話が鳴った。
「――ね?」
「う、うん。新宿の交番より忙しそうだ」
わたしは受話器を取る。
「はい、こちら京都多種族安全機構、日向です。用件と場所を簡潔にお願いします。…………は!?」
心臓が跳ね上がった。よりによって、そんな事件が起ころうとは。
「え、ちょっと待っ……いえ、はい、すぐに向かいます。……その前に、すぐに付近住民を誘導しといてください! 露店主を含め、現場には怪もヒトも近づけんように! ………………はあ? やかましい、ごちゃごちゃ抜かすな警察! 無理でもやらんかいっ!」
わたしは受話器を叩きつけるように電話を切って、頭を抱え込む。
「このタイミングでくるか……」
最悪だ。せめて課長がまだ出て行く前であるなら、どうにか作戦も立てられたかもしれないけれど。
わたしは声を絞り出す。
「絢十、四条河原町で仮死者が複数名出たらしい」
「仮死者って……さっき話してたような、瘴気を出す上位の怪が出たってこと?」
「それはまだ何とも言えん。そやけどヒトを仮死状態にする怪なんて、そうそうおらん。最悪の場合も考えといたほうがええかもしれん」
絢十の喉が大きく動く。緊張がこっちにまで伝わってくる。
「安心し。絢十はここで待機や」
どうする? どうすればいい? こんなことは安機に入って以来、初めてのことだ。安全を重視して、ある程度、住民に被害が出るのを覚悟しながら避難誘導を優先するか、それとも危険を承知で原因となっている怪を叩くべきか。
いずれにせよ、課長の戻りを待っている暇はない。
「待って。そんなに危険なの?」
「わからん言うてるやろっ!! 考えがまとまらんからちょっと黙っといて! 最悪の予感があたってたら、うちより上位の怪が出てるかもしれんねん!」
わたしは苛立ち紛れに、思わず怒鳴ってしまった。
一瞬で空間が張り詰める。絢十が神妙な表情でうなずいた。
「ごめん」
わたしは額に手をあてて、長く息を吐いた。
落ち着け、自分。絢十に八つ当たりしたってどうにもならない。
わたしは両手で頬を挟み込み、頬を強く揉みほぐした。表情の硬さを半ば強引に消し、かろうじて苦い笑みを浮かべる。
「……いや、うちのほうこそ大声出してごめん。恥ずかしい。ちょっと焦ってしもた」
「課長さんに連絡はつかないの?」
「あかん。うちもやけど、課長は任務中、携帯電話の電源はほとんどオフにしとる。そやないと、仕事にならんくらい依頼の電話が転送されてくんねん」
言ってる間に、黒電話が鳴り出した。受話器に伸ばした絢十の手をつかみ、わたしは首を左右に振る。
「出ても何もしてやられへん。ええか、絢十。今は安機も手が足らん。京都市の住民全員を救うんは無理や。その件については問答する気はない」
彼はうなずかない。理解はできても共感はできないといったところか。けれど、反論を言い出す気配はなさそうだ。それはおそらく、自らの無力さを知っているからだ。
「現状では仮死者の出てる事件こそが、京で最も防ぐべき最優先事項にあたる。これは、殺人事件よりも上や。殺人はそこで終了してるけど、仮死者の事件ってのは最悪の場合、これから明日にかけて何千もの人が死ぬ事件に発展する可能性が高い」
絢十が少し目を見開き、今度はうなずいた。
「うちはこれから四条通まで行ってくるけど、絢十はここで待機。電話には出んな。その代わり、課長が帰ってきたらすぐに事情を伝えてこっちに来るように言うてほしい」
黒電話が鳴り止んだ。絢十が躊躇いがちに口を開く。
「…………いや、そんなことは置き手紙で十分だ。人を残す必要はないよ」
絢十は少し考える素振りを見せたあと、電話横のメモにボールペンで「仮死者複数名・四条通」と書いて、課長のデスクに置いた。
そうして青ざめた顔を上げ、弱々しく声を震わせながら、わたしにこう言った。
「危険な現場なら僕も一緒に行くよ。僕みたいな普通の人間じゃ、何ができるってわけでもないけど、避難誘導くらいなら手伝えるかもしれないから」
ああ、もう。ああ。こんなときなのに、ほら、ニヤけてしまうじゃない。
けれど、この人のこの優しさは、わたしにだけ向けられるものじゃなくって、世界中の人に向けられるものなんだろうなって、わかってる。
そして、特別な優しさは、きっと夏奈深雪だけに。
そんな考えなどお構いなしに、絢十は無理矢理な笑みを浮かべた。
「たぶん平気だよ。ほら、今回は拳銃(レンの弓)もあるし」
けれど、けれども。どうしてあなたはそんなに危機感がないの? やっぱり危うい。置いて行っても、あとからこっそりついてきてしまいそう。
「あのなあ、そんなん超至近距離からドタマぶち抜くくらいせんと、最上位の怪にはほとんどあたらんし効かんって! そもそも、ただのヒトやったら、近づくだけで瘴気にやられるから!」
「安全圏から狙ってあたるってこともあるかもしれないだろ。瘴気って決まったわけでもないし。それに、女の子一人をそんな危険なところに行かせられないよ」
数秒間の沈黙。
女の子! 誰のことを言っているの? 何を言っているの? 正気ですか? 狂気ですか?
彼の言葉の意味がゆっくりと自分の中に染み込んでゆくと、わたしは急激に発熱し始めた顔を背け、長い赤毛で表情を隠して吐き捨てた。
「ア、アホか! な、なな何が女の子や! う、うう、うちは泣く子も泣き叫ぶ赤鬼様やで? ニンゲンの女の子と同じ扱いされても……そ、そんなん困るし……」
ああ、もう、なんでそういうことを平気で言えるの? いいことも悪いことも、いつも一言多いのよ。
心臓が高鳴る。耳の血管が脈打つ度に熱い。
だめ、もう言葉を止められない。
固く目を閉じ、わたしは喉の奥から、か細い声で言葉を絞り出す。
「……でも、その……ほんまは……あ、絢十にそういうこと言われたら、凄く……嬉しい……けども……」
とか言いつつ誘惑したくて、必殺の上目遣いでチラっと視線を向けると、絢十はもう背中を向けて入口のドアを開けていた。
「何してんの。早く行くよ。急ぎなんだろ?」
わたしの拙い必殺技は、見事なくらいに空振りしていた。先ほどまでとは別の意味で、わたしの顔は真っ赤に染まってゆく。
「な、何もしてへんわ! ってゆーか聞けや、人の話を! 余所様の話はちゃんと最後まで聞きなさいって、お母ちゃんに教わらんかったんかっ!? ――ちょ、待ちぃや!」
「なんだよ、もう。移動しながらじゃだめなの?」
絢十が廊下に出てから振り返り、わたしは思わず叫んでいた。
「こ、このドアホ! そ、そそそんなこと何回も言えるかッ、アホォッ!!」
「いくらなんでも、アホって言い過ぎだ。これだから関西人ってのは――」
「関西をバカにすんな! アホは親愛の情や! 愛しとるんや!」
わりと本気で、なんだけど。
「はいはい。わかったから」
「適当にあしらうな! 傷つく!」
わたしは足早に絢十の横をすり抜けて、薄暗い廊下を走り出した。背後でオートロックのかかる音が響いたあと、絢十の足音が響きだした。
「なんでそんなに怒ってるのさ」
「うっさい! 黙って走れや、もおぉぉ!」
我ながらヒドい言い様だったと思う。
――ホンマいっぺん跳び蹴りかましたろか。