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混沌なりしは京の都(まち) ⑥

「……絢十はさ、夏奈深雪のこと好きなん……?」


 うつむき、上目遣いになって尋ねられた言葉に、僕は一瞬脳内が真っ白になった。


「はえ?」

「いや、その……言葉通りの質問やねんけど……異性として……」


 彼女は、なんだか両手をわたわたと振ってから長い赤髪をつかんで、それを顔の前に持ってきて必死で表情を隠そうとしている。なんか可愛い。


「い、嫌やったら別にこたえんでもええんよ。二人のことは、うちには関係ないし。ただの純然たる興味。そう、ただの興味やから」


 別に知られて困るようなことじゃない。


「ナツユキはさ、親が決めた許嫁だったんだ。ていっても、もともと僕らの関係にそんなことはまったくどうでもいいことだったけど。男とか女とかを意識し始めるより前、物心ついた頃には、もう手を繋いで遊んでいたから」


 言葉にすると、今でも思い出せてしまう。


「あいつ、鈍くさいやつでさ、何をするにもみんなから一歩遅れるような子だった。だから僕が手を放すと不安になるのか、凄く寂しそうな顔をするんだよ。友達とやる隠れんぼや鬼ごっこでさえ僕についてくるから、ずいぶん不利な思いをしたな」

「ええ? それで手ぇ放したん?」

「そんなことじゃ放さないよ」


 そんなことじゃあ、なかった。

 冬乃が少し瞳を細めて僕を指さし、悪戯な笑みを浮かべた。


「まるで絢十が頼りになるみたいに聞こえるわー」

「う……。ま、まあ確かに、京の街じゃ何にもできそうにないけどさ」

「あはは、嘘嘘。いちいちヘコみな、鬱陶しいから」


 関西人ってのは、語尾に文句をつける習性でもあるんだろうか。


「そやけど、許嫁って今どき珍しいな」

「ナツユキの家はさ、なぜか母親しかいなかったんだよ。理由は知らないけど。だからうちの両親が、僕をナツユキに近づけることで、彼女とそのお母さんの支えになるつもりだって言ってた。いつか、ナツユキや彼女の母親が困らないようにって」

「……ごめん。失礼なこと言うてしまうけど、それ、あんたと夏奈深雪が異母兄妹ってことはないの?」


 正直、疑ったことはある。けれど僕は、首を左右に振った。


「僕とナツユキが異母兄妹じゃないのは、うちの母親が証明してる。詳しくは話してくれなかったけど、ナツユキの母親は生まれたばかりのナツユキを連れて、何かから逃げてきたらしいんだ」


 冬乃が首を傾げた。


「それが何かわかったのは、彼女が十歳になったくらいだったかな。ナツユキが政府によって“京流し”されたんだ」


 京流し。手に負えない怪を隔離するための、現代に蘇った流刑。ナツユキは、半分人間じゃなかったということだ。


「僕は流刑が決まった夜に、ナツユキを連れて逃げた。でもしょせんは子供のする家出だ。あっという間に大人に捕まって、どうしようもなくなって、繋いでいた手を引き剥がされてしまったんだ」


 手を、放してしまった。今でも夢に見る。その瞬間の、彼女の寂しげな表情を。強い力で引き剥がされてゆく手。最後まで触れていたのは、小指だ。


「もう十年も前のことなのに、鮮明に思い出せるんだ。頭に焼きついて離れない」


 そうして僕の手は、繋ぐものを失った。


「以来、彼女には逢っていない。京に流されてしまったから。メールのやりとりが始まったのは、それからしばらくしてのことだよ」


 冬乃がゆっくりと目を見開く。


「ちょっと待って。……あんたまさか、ほんまにただの人間なんか? 絢十自身は流されたんやなくて、夏奈深雪を追って自分から京に入ったんか!?」


 僕はこたえない。そのこたえは墓場まで持って行くつもりだ。なぜならそれは、深い罪悪感をナツユキに刻みつけることになるだろうから。

 つまり僕は、ナツユキにはメールで「流された」ことにして、自ら京へとやってきた。


「アホタレ!」


 冬乃が、まるで我が事のように怒りに満ちた表情で叱責した。そのあまりの剣幕に面食らい、僕は阿呆のように口をポカンと開ける。


「あんた、そんなことして夏奈深雪が喜ぶとでも思っとんのかっ! ここは魔都や! そんな理由で……その……い、いちばん好きな人を引きずり込んだって知ったら、夏奈深雪かて苦しむことになんねんぞ!」

「大丈夫だよ。心配しなくてもナツユキにはメールで、流されたって言ってあるから。それに、一番好きな人って、どうしてキミがそんなこと言えるのさ。彼女はもう二十歳だ。僕に言えなかっただけで、この街に誰かいい相手がいたって不思議じゃないよ」


 それでも、僕は彼女に逢ってみるつもりだ。それだけでいい。

 冬乃の表情が、苦虫を噛みつぶしたかのように歪む。


「ま、まあ、それもそうか。うちには関係ないもんな。……そやけどあんた、正気の沙汰やないで。なんで女の子一人のために、そんなことができんの……」


 僕は少しだけ考えて、静かに呟く。


「わからない。でも、十年だ。ナツユキの手を放したその日から、僕は十年、後悔し続けてる。あのとき手を放さなければ、或いは僕がもっと大人だったら、彼女をこんな目に遭わせることはなかったのにって」

「アホンダラ! そんなもん、どうしようもないやろ!」


 もうそれが恋愛感情なのか、救えなかった罪悪感からなのか、わからなくなっていた。そのこたえを求めて、僕は彼女の棲む魔都京都にやってきたんだ。

 冬乃が突然、僕の胸ぐらを両手でつかんで引き寄せた。


「わかっとんのか、絢十!? たとえあんたが京で夏奈深雪に逢えたとしても、カーテンの外側に彼女を連れて帰ることはでけへんねんで! 人間も怪も、一度入ったらもう二度と出られへんのが京の街や! ここは巨大な監獄も同然や!」


 また少し面食らって、僕は苦笑いでこたえた。


「最初から帰るつもりなんてないよ。ナツユキとの関係の結果がどうあれ、僕はこの街に残るつもりだ。それが手を放した罰だよ」


 胸ぐらをつかんだ冬乃の手を両手で包み、そっと押し下げる。


「冬乃は優しいなあ。ナツユキ本人でもないのに、そんなに真っ赤になって僕を怒ってくれるんだから。……ありがとう」


 冬乃が、ギョッとしたかのように目を見開いて咳払いをした。


「お、怒ってるんちゃうわ! あんたのアホな熱血行動(恋バナ)があんまりにもハズいから、ちょっと赤なっただけや! ……大体、うちが夏奈深雪なわけないやろ。残念ながら、うちの知り合いには絢十みたいな恥ずかしいやつは一人もおらんわボケェ」

「そうだよね。いやあ、もう十年も逢ってないから昔の顔しかわからなくてさ。もしかしたらって思ったけど、よ~く考えたら、ナツユキは冬乃と違って全然乱暴者じゃなかったし、もっと無邪気だったもんなあ。容姿も全然別だし、メールの文面も乙女チックで可愛いし、まったくもってキミとは似ても似つかな――」


 気づくと、冬乃は般若の形相でこちらを睨みつけていた。


「…………おまえ、いっぺん本気でシバいたろかィ……」


 言い過ぎた。彼女の怪力なら、僕をおむすびサイズに圧縮することも容易いだろう。

 僕は流麗な動作で素早く土下座をする。


「スミマセン」


     ◇          ◇


 わたしは不機嫌なフリをして、どすどすとコンクリート剥き出しの廊下を歩く。

 まったく。なんなの、この人は。嬉しいやら恥ずかしいやら腹立たしいやら、おかげさまで心をペースト状になるまで混ぜられたかのような、複雑な気分だ。

 けれど一つだけ確かなことがある。彼が追ってきたのは夏奈深雪の幻影であって、日向冬乃ではない。日向冬乃のためでは、京には入ってこなかっただろう。

 しょうがない。夏奈深雪と日向冬乃では、彼との歴史が違いすぎるもの。


「はあ……」

「どしたの?」


 思わずため息が出てしまった。

 呑気な顔をして、そんな問いをわたしにしないでほしい。


「別に」


 絢十を引き連れて、わたしは事務所のドアを開けた。

 瞬間に漂うタバコの臭い。あまり好きじゃない臭い。

 わたしや絢十が使うソファと硝子テーブルの向こう側、課長のデスクには、だらしなく両足を投げ出した痩身の中年男がタバコを吹かしていた。

 暁時人だ。毎日剃っているわけではないらしく、無精髭が昨日より少し伸びている。


「もう、課長! タバコ吸うんやったら換気扇つけてっていつも言うてるやろ」

「冗談じゃねえよ。寒ィだろ」


 わたしは課長の言い訳を無視して、換気扇の紐を引っ張った。ぶぅーんと低い音を立てて、換気扇が回り出す。すぐに部屋の温度が少し下がった。

 絢十がデスクに歩み寄り、課長にぺこっと頭を下げた。


「おはようございます」

「よう、逃げずにやってきたな。えーっと……」


 寝ボケ眼にも見える視線が、宙をさまよう。


「あ、一条です。一条絢十」


 右手の中指と薬指の間に挟んだタバコを持ち上げて、課長がおざなりに挨拶をした。


「そう、絢十。よろしく頼む。ま、気楽にいこうや」


 なぜか社員を下の名前やあだ名で呼ぶのだ、この人は。といっても絢十が来るまでは、わたしと課長の二人しかいなかったのだけれど。


「絢十、おまえさんはしばらく冬乃について仕事を覚えろ」


 絢十が何かを考えるように視線を彷徨わせ、苦笑いで呟いた。


「あまり参考になりそうにないです。彼女は鬼で、僕は人間だから」

「気にすんな。俺も生粋の人間だ。だが、見ての通りぴんぴんしてる。朝も夜も、あっちもこっちもな」


 わたしはため息をついて、両手を腰にあてた。


「課長、それセクハラやで」

「い~んだよ。警察も裁判所も、どうせろくに機能しやがらねえし、安機(うち)が兼ねてるみてえなもんだからよ。俺らが捕まえ、俺らが裁く。すなわち、この事務所で一番偉い俺こそが京の法律、京の掟だ。なんてな。――どうだい絢十、今の宣言?」

「い、いや、まあ、その……あはは……」


 絢十が苦笑いを浮かべているのが痛々しい。


「冗談だよ。そんなヤバい人を見るような目で見るなよ。幸いまだ脳みそは健勝だし、独裁者も柄じゃねえ」


 課長はそう言うと、足を投げ出したデスクの引き出しから一挺の拳銃を取り出して、無造作に絢十へと投げた。


「ほらよ。肌身離さず持ってろ」


 銃把(グリツプ)には、白と黒の翼が重なり合った紋様(エンブレム)が彫り込まれている。京都多種族安全機構の紋様だ。白の翼はヒトを、黒の翼は怪を表している。

 ちなみに課長とわたしは、コートの背にも紋様を背負っている。


「そいつが京でのおまえさんの身分証明になる。死んでもなくすんじゃねえぞ」


 絢十はそれを受け取ってからまじまじと見つめ、名画ムンクの叫びのような表情でデスクの上へと拳銃を投げ出した。


「う、うわっ!? ほ、本物の銃っ!?」


 課長が意地の悪い笑みを浮かべて抗議する。


「おいおい、投げるなよ。本物だったら暴発しちまうだろうが」

「へ? 偽物?」


 長い足をデスクから下ろし、課長が拳銃を手にした。


「弾は入ってねえし、こいつはそもそもが銃弾を撃ち出すもんじゃねえ。ま、実弾も込めれば撃てんこともねえが。あいにく、安機は鉛弾を扱ってねえんだ」


 回転式弾倉(マガジン)を開き、絢十の目の前に突きつける。

 わたしはもう知っているけれど、ここに入るものは鉛の弾丸なんかじゃない。もっともっと、性質(たち)の悪いものだ。

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