知らずの猫は迷い込む⑤
番外編最終話です。
あたしはボロ布のなかでもぞもぞ動いて、涙を全部拭き取った。そうして口角を上げて、勢いよく顔を出す。
「ねえ、絢十ちん」
「んー?」
絢十ちんはさっきと同じ場所で、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あたしに名前くんない?」
「え? 僕が?」
「んー。だって、この身体の女の子、一度も自分の名前言わなかったんさ。猫のほうも小さいからおチビちゃんって呼んでたし、どう考えたってそれは名前じゃないっしょー。てかさ、この身体でおチビちゃんなんて名前付けられたら、あたしグレるよ? それもうキラキラネームっしょ」
「まあ、確かに……」
「今すぐってわけじゃにゃいさ? ゆ~っくり考えてくれりゃいいよん。そしたらあたし、これから頑張って生きていけそうな気がするんさ」
そう言って、あたしは身を起こして絢十ちんの頬をひと舐めした。
「わっ!? え、ちょ――」
「にへへ」
瞬間、ドアを開けて固まった鬼っこちゃんが、手にしていたお椀をなかのお粥ごと拳で握り潰した。
熱くないの!?
あたしは何度か瞬きをして、愛想笑いなんかを浮かべてみる。
「え~……、これはですにゃ……ただのちょっとした火遊び……」
「さ・か・な・やぁーーーーーッ!!」
猫人が反応できないほど凄まじい速度で距離を詰められ、あたしはソファの背もたれまで追いやられる。
「あわ、あわわわわ……」
鬼神がその気になれば、デコピンの一発で猫人なんて首が七周ほど回転すると思うのにゃ。
「ご、ごごごめごめごごめんにゃさ――」
生きた心地がしなくて、ひたすら謝ろうとしたあたしに向かって、鬼っこちゃんがものすごい勢いで涙を流し始めた。
「うちから絢十のこと取らんとってよぉぉぉ! 言うとくけどうち、絢十に捨てられたらもう嫁のもらい手が一生ないんやからな!? 最後のチャンスやねんからな!? うちみたいな半分鬼の怪力女もろてくれる物好き、もう他には絶対おれへんねんからぁ! お願いやから絢十を誘惑せんとってよぉぉぉ!」
わ、わあ、なんかめっちゃ頼まれてる……。
「何言ってんの。僕はナツユキと離れる気はもうないから。この十年で十分それは味わったしね。それに、さっきのは魚屋が転びそうになって、たまたま口元があたっただけだよ」
ああ、そう取られちゃったか~。絢十ちんのことだから、本気でそう思ってんだろなあ~。
「うう、ほんま~?」
「あたりまえだろ。そうだよね、魚屋?」
「も、もちろんですともにゃ! 猫の誇りにかけて泥棒猫にはなりませんともにゃ!」
「うう、ほんならええねん。びっくりさせてごめんなあ、魚屋」
いえいえ、こちらこそ。
「絢十も疑ってごめんなあ。うち、嫉妬深いんかもしれん……」
ありゃりゃ、泣きそうな顔を伏せちゃったよ。可愛らしいこと。
「大丈夫だよ、ナツユキ。嫌いになることなんてないから、そんなに心配しないで」
「ほんま……?」
鬼っこちゃんが不安そうな顔を上げた。
「僕はナツユキに嘘をついたことはないよ。つかれたことはあってもね」
「うぐ、もうそれ言わんとってよぉぉぉ……」
「あはは、ごめんね」
ありゃ~。今度はなんかあたしのこと放っぽってイチャイチャし始めた。
「料理、やり直しだろ。僕も手伝うよ」
「うん! お粥さんやし、すぐやけどなっ」
キッチンに消えてく二人をげんなりした気分で見送って、あたしはふと、事務所の隅に視線を向け――驚きのあまり、体毛を逆立てた。
「にゃあ!?」
いつの間にやら、赤い着物姿のパツキンオッパイオバケがいる! こいつ、絢十ちんと歩いてたアブノーマル女にゃ!
女は着崩れた着物の胸で腕を組み、あたしに視線を向けた。
「にゃ、にゃ、だ、誰ですにゃ? い、いつから?」
「……妾と似た境遇にこそ同情すれど、おぬし、なかなかの悪よのう……」
金色の長い髪の上には、見覚えのある狐耳。
「も、もしかして、伊都ニャン……?」
「うむ」
よ、よ、妖弧だったのかにゃ! くあぁ、不覚! ぜ~んぶ聞かせちまったさ! 炎狐にしては知能が高いと思っていたけど、まさか妖弧だったとは!
「忠告じゃ。あやつらの邪魔はするでないぞ、猫よ。片割れが転べば双方共倒れの二人よ。やるならば愛人か捌け口程度に抑えておけ。よいな?」
あまりの威圧感に、あたしは敬礼する。
妖弧にちょいとデコピンでもされたら、猫人なんて一瞬で黒焦げにされてしまうのにゃ!
「最初からそのつもりですともにゃ!」
あ、言っちゃった。
だがそこに引っかかることはなく、伊都ニャンはあたしをビシィっと指さす。
「それと、飼い主様の愛玩の座は妾のものじゃ! 猫になど渡さぬぞ! 見知りおけィ!」
「あ、それはいらにゃい……」
「ならば良し! では、妾は先に帰るゆえ、ゆるりと休めよ」
それだけを告げると、伊都ニャンはさっさと事務所のドアを開けて出て行ってしまった。
んー……。色~んな意味で、安機って半端ないね……。
そしてあたしは笑った。
大きな声で笑った。何事かと、絢十ちんと鬼っこちゃんが心配して覗きに来たけれど、笑いは収まらなかった。
あたしは猫人である。名前はもうすぐ――……。
こういう少し物悲しい感じのする物語というのはお好きでしょうか。
やはり自分は楽しいほうが好きとか、こういうのも悪くないとか、こうしたほうがいいとか、何味のラーメンが好きとか、きたねえ花火だとか、なんでもいいので忌憚なき感想をもらえると嬉しいです。
今後の参考にしたいです。
今後の『京都多種族安全機構』につきましては、まったくの未定です。
時間があればまた短編をWEBに載せてみたいとは思っていますので、時々覗いていただけると幸いです。
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書籍には本編の他に、「知らずの猫は迷い込む」とは別の、また少し物悲しい感じの短編「散らずの桜は京を視る」も収録されております。
そちらのほうもよろしくお願いいたします。
また、『拝啓ニンゲンども、魔王城より』という自分でもよくわからん内容の物語を趣味の範囲で連載しております。
気が向いたら覗いてやってください。
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