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知らずの猫は迷い込む②

     ◇          ◇


 寝てた……。

 目を開けたときにはすっかり陽が落ちて、あたりは真っ暗になっていた。ここらへんはカーテンから近いためか、あまり居を構えるやつらはいない。自然と光源も限られる。

 まん丸なお月様。綺麗。


「ん~!」


 あたしが上体を起こすと、上半身から滑り落ちた大きな大きなボロ布が下半身を覆った。


「ありゃりゃ、熊爺ったらオールヌードで帰っちゃったか~」


 周囲を見回しても、熊の姿はおろか穴の空いた長靴さえなくなっていた。どうやら本当に持って帰ったらしい。

 あたしは立ち上がって大きな大きなボロ布を片手に、月へと身体をぐ~っと伸ばす。


「ヘ~ンな爺様! 帰ろっかな!」


 竿を上げると、当然のように魚はもちろん、ミミズもいなくなっていた。


「にゃはは、ミミズも帰ったかな~」

「んなわけないだろ、魚屋」

「ひょえ!?」


 突然聞こえた声に、あたしは体毛を逆立てて軽く飛び跳ねてしまった。慌てて振り返ると、そこには人の好さそうなマヌケヅラをした青年が、両手を腰にあてて立っていた。

 もう春先だというのに、京都多種族安全機構の紋様を背負った長いコートを羽織っている。


「おんやあ? 絢十ちんじゃ~ん。どったの?」

「ったく、捜したよ」

「あたしを?」

「キミを」


 あたしは少しの間だけ月を見上げて、絢十ちんに視線を戻す。


「デートでもするの?」

「ん? 誰と誰が?」

「あたしと絢十ちんが」

「なんで?」


 かぁっ、これだ! あたしはいつになったら鬼っこちゃんに一泡吹かせてやれるのやら!

 あたしは掌で顔を覆って天を仰ぐ。


「僕はただ、ラルから頼まれてキミを捜してただけだよ。社長が帰ってこないから捜してきてくれって。ああ、ラルから伝言ね。“売り上げ持って逃げんぞテメェ”」

「にゃは! 殺す」

「はいよ。伝えとく」

「自分で言う」

「それもそうか」

「うん、そう」


 あたしが笑うと、絢十ちんは無邪気な笑顔を浮かべた。

 たぶん、魔都京都でいっちばん無邪気な笑顔さ。京で生まれた赤ん坊よりもずっと。こいつはそういうヒトなんさ。騙す、騙される、喰う、喰われる、生態系最下層のニンゲンにとっては、この街はこんなに危険なのにね。


「絢十ちん、いくら安機だからっても、あ~んまし夜中に出歩かないほうがいいよ。あたしは逃げ足速いから平気だけど、ここみたく誰も棲まない地域は、ニンゲンにはちょいと危険だかんね」

「ああ、平気平気。伊都那を連れてるからさ」


 絢十ちんの後ろの影から、小さな炎狐が細い肩に跳び乗った。木屋町を焼いた炎狐ちゃんだ。どういう経緯かはわかんないけど、今は安機のペットになっているらしい。

 子狐が黄金色の胸をピっと張って、誇らしげに口を開く。


「……だー、だーじょ……いとなー……、……かーぬしさー、まもてるー……」


 たぶん声帯が十分に発達していないのだろう。炎狐ちゃんは必死に喋っているけど、言葉が辿々しい。それに炎狐ごときでは、護衛と言うにはあまりに頼りない。

 もう! ほんっとに危なっかしいな、絢十ちんは! しょうがない、あたしが送ってやるか!

 絢十ちんが炎狐ちゃんの背中を撫でて、その顔に頬ずりをした。炎狐ちゃんは気持ちよさそうにきゅうきゅう鳴いている。


「伊都那がいたから、臭いを辿ってキミを見つけることができたんだ。魚屋はこんなところで何してたの?」


 あたしは両手で竹竿をひょいひょい振って、笑顔でこたえる。


「見ての通り釣りさ? 穴の空いた長靴を友だちにしたり、熊と遊んだりぃ? にゃはは!」

「……ちょっと何言ってんのかわかんないけど。まあいいや。じゃ、帰ろうか」

「あいあーい」


 あたしは敬礼を一つしてから熊爺のボロ布を肩から羽織り、ヒョイと岩から飛び降りて絢十ちんの腕に両手を絡めた。


「のわあっ」


 ひっひ、予想通り絢十ちんはあたふたしている。

 えい、胸を押しつけてやれ。あんましナイけど。猫だから仕方ない。


「え、ちょ――」

「いーじゃんいーじゃん。鬼っこちゃんには黙っててあげるからさー」


 さあ出てこい鬼っこちゃん。この衝撃の光景を見て戦くがいいさ。にゃ~んて、そんな都合良く出てくるはずもないけどさ。


「や、そういう問題じゃ――」

「よ~し、じゃあゴーゴー!」

「わっ、ちょっと、引っ張らないでよ!」


 あたしは絢十ちんの腕を引っ張りながら高野川の土手を駆け上がり、川端通の道路へと足を付けた。

 真っ暗。闇になれた目でも、ほっとんど見えない。

 そんなことを考えた瞬間、闇を斬り裂くように青白い炎があたしたちの頭上にポンと浮いた。


「おんやあ? 狐火かい?」

「……つーねび……あかーりるい……?」

「にゃはは、あんがとさん。炎狐ちゃん」

「いーい……いとーな……」


 ありゃりゃ、生意気にも名前を呼べとさ。あたしにはないのにさ。

 や~れやれ、仕方がないね。


「あんがとさん、伊都ニャン」

「きゅう」


 また誇らしげに胸を張る。

 そしてあたしたちは伊都ニャンを先頭にして、南へと向かって歩き出した。

 にしても、誰に言われるでもなく狐火を出すなんて、ただの炎狐にしちゃあずいぶんと気が回るね。知能が高いのかなー。だてに京都多種族安全機構のペットじゃないってか。

 魔人と呼ばれる暁時人に、赤鬼の夏奈深雪、変わり者(スプーキー)の一条絢十。そしてペットの伊都那。

 う~ん、やっぱ約一名だけ格好つかない人がいるね。


「びぇっくし! ……夜はやっぱまだ冷えるね」


 変わり者(スプーキー)がくしゃみをした。


「にゃははは。絢十ちんがひ弱なんさ。あたしなんてお腹出して寝てたって平気だもんね。ほれほれ、あたしの熱を持ってくがいいさ」


 絢十ちんの腕に両手を絡めたまま、あたしは身体を寄せる。


「え、うわっ! ちょ、魚屋――!?」


 絢十ちんが驚いて後退るけれど、あたしは腕を放したりはしない。だって気持ちい~んだもん。

 予想通りの反応に満足した瞬間、狐火が突然消失した。闇が周囲に落ちてきて、あたしは伊都ニャンを見失った。それだけならまだしも、腕のなかのぬくもりまで空を切って。


「ありゃ? なんこれ? 絢十ち~ん?」


 あたしは瞳孔をめいっぱい広げて周囲を見回す。


「んん?」


 どこだ、ここ? 

 確かあたしたち、川端通のアスファルトの上を歩いてたはずなのに、にゃんだか巨大な橋の上にいる。しかも絢十ちんも伊都ニャンも見当たらないときたもんだ。


「あ~りゃりゃこりゃりゃ。まずったか~」


 たぶん、怪だ。こうなってしまうと、もう自分の身のほうが危ない。

 迷い家(マヨヒガ)? でもあれは確か東北の伝承だったよーな? じゃあ何さ? 神隠し? そんなもんありふれすぎてて特定のしようがないさね。


 あたしは周囲を見回す。

 橋は広く長く続き、行きも帰りも終わりが見えない。横幅だけでも京都御所がすっぽり入りそうなくらいだ。下を覗いても川は靄がかっていて見えない。水の音が聞こえないことから、相当な高さであると推測できる。

 げ~んなり。


「これさあ、たぶん間違ったほうに進んだら、イッちゃうパターンだよねー……」


 三途の川かな。たぶん。

 あたしは欄干にもたれて、ぼ~っと空を見上げた。誰かが通りかかったら、そいつが向かう方向とは逆の方向に歩いてけば間違いないんだろうけど、あいにくとだ~れも通りかからない。


「う~寒」


 あたしは熊爺のボロ布を身体に巻きつけ、仕方なく歩き出す。まあ、岸まで歩いて違うと思ったら戻って逆に歩けばいいし。

 けれど、どこまで行っても終わりが見えない。見たことないけど、もしかしたら海って言われる水たまりでも渡ってんじゃないのって思ってしまう。

 ふと気づくと、向こう側に明かりの灯った古めかしい建築物が目に入った。


「あそこで聞~こうっと!」


 鼻唄交じりに近づいてゆくと、相当広い平屋だとわかった。

 柱は古びた木でできているし、屋根は瓦だけど、壁は漆喰だ。もっとも、古都と呼ばれる京都じゃあ、大して珍しくはないさ。

 破れた提灯が冷たい風に揺れている。なかの火が消えていないのが奇跡さ。

 塀のない建物の玄関に近づき、あたしは横開きの扉を開けた。


「ごめ~んく~ださいっ」


 何度か呼んでも返事はない。呼び鈴も見当たらないし。

 おかしいにゃあ。明かりはついてるのにさ。


「おっじゃましま~っす……よ?」


 草履を脱いで玄関に上がると、板造りの廊下がギッと鳴いた。


「泥棒じゃないで~す……よ?」


 なぜか抜き足差し足忍び足。猫だから仕方ないにゃ。やましい気持ちはないのにゃ。悪いことしたら、鬼にお仕置きをされるからにゃ~。

 廊下は長く長く。襖はいっぱいあって。

 しばらく進むと少しだけ開いている襖があった。そこからは明かりが漏れている。


「のぞき魔でもないで~す……よ?」


 あたしは襖に顔を当て、そっと覗く。

 和室だ。行灯の明かりが揺れている。人の気配はない。

 襖をそっと開けて隅々まで見回しても、やはり人っ子一人いなかった。


「わあ、広い部屋だにゃ。たとえばあたしが一人、隅っこに座ってたって、誰の邪魔にもならないと思えるくらいには広い部屋だにゃ~……ですよね~……? おじゃ~ましま~す……」


 若干の不安をおぼえながらも、あたしは部屋に入って行灯に近づく。とにかく寒いから火の近くにいきたい。

 行灯の片側を開き、火皿を剥き出しにする。

 寒いけど、しないよりはましさ。熊爺のボロ布がなかったら、今頃橋の上で動けなくなっていたかもしれない。京都はもう春なのに、ここは雪がないだけで冬だ。


「いい匂い」


 火皿の菜種油だ。あたしは部屋に誰もいないことを確認してから、菜種油を指先ですくって口に入れた。


「うんみゃい!」


 化け猫と行灯の油は相性がいい。でも全部食べちゃったら火がなくなっちゃうから、ここは我慢、我慢。だからあと一杯だけ~っと。

 えっへっへ~。

 そう思って行灯に手を伸ばした瞬間、背後の襖がすぅっと開かれた。


「ンにィぁあ!?」


 あたしは驚いて跳び上がる。


「ち、違っ、違うにゃ! あた、あたしゃまだなんも盗ってないからにゃ!? あああぁ、まだじゃなくて! その、ええっとですにゃ! と、とにかくここは一つ、安機には秘密にしといて欲しいところですにゃ!」


 畳の部屋を転がって大慌てで振り返ると、そこには女の子が立っていた。これまた今の京では絶滅危惧種となったブレザー姿の女子高生だ。

 ただ――。

 あたしは固まる。必死で考えていた言い訳さえ、真っ白に消し飛んで。

 あたしだ。ううん、あたしに似ている。

 同じ顔。けれども、猫の耳や尾は生えていない。それに髪の色も違う。あたしは栗毛だけれど、このコは真っ黒の髪。


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