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混沌なりしは京の都(まち) ③

 西洋の魔物と東洋の妖怪が、目の前で対峙している。ものすごい光景だ。

 憐れなのは、彼らの間に立って必死で両手を突っ張っている人間の警察官だ。


「お、落ち着いてください! ケンカはだめですよぉ!」


 事務所横の堆く積まれていたポリ袋といい、この警察官といい、役に立つ立たないはさておき、魔都京都でも一応行政やインフラらしきものは存在している。

 もっとも、存在はしていても、この警察官は機能していないように見えるけれど。


「ふーん、人狼に猫娘か。――よう見ときや、絢十」

「へ?」


 冬乃は堂々と野次馬の間を歩き、円の外で立ち止まったままの僕を振り返る。


「へ? じゃないやろ。行くで。あれを止めんのが、うちらの仕事や」

「はっ? え? 観光事業ってさっき……」


 冬乃が小首を傾げて、コクっとうなずいた。


「一応観光事務所ってのはホンマやねんけど、入ったら二度と出られへんのに、魔都に観光に来るような人間がいると思う?」


 思わない……。なんでこんなことに気づかなかったんだ……。

 ここは魔都京都だ。ただの人間同士のケンカであるならば、いや、それであっても近づきたくなどないが、ましてや怪同士のケンカに人間が首を突っ込むなど自殺行為だ。彼らの爪や牙は、ヒトにとっては立派な剣や刀も同然だから。

 娯楽を邪魔された野次馬の剣呑な視線が、冬乃のみならず僕にも絡みつく。


「なんじゃ、ワレ。おどりゃ、安全機構の新入りけ?」


 恐ろしく低い声。覗き込んでくる悪魔のような生物。悪魔型オリジナルだ。

 筋骨隆々のその全身は黒光りしていて、体毛はなく、背中に巨大な黒の翼を持っている。服は着ているが、今にもシャツが弾け飛びそうだ。


「あ、ぼ、僕は……その……」


 背筋に冷たい汗が伝った。猛獣の檻に入った気分だ。正直泣きたい。

 マジかよ、これ……。

 周囲の視線と舌打ちが怖い。稀にあることだが、怪がその気になって人体を破壊しようとした場合、大抵の人間は逃げることすら適わない。それほどまでに、両者の肉体には力、速度、強靱さにおいて差がある。


「なんじゃい? 何をオドオドしとんなら、小僧?」


 言葉遣い怖っ! ただでさえ姿もアレなのに!


「あーやーと! 野次馬とか放っといたらええて。(はよ)うおいで。特等席で見せたるわ」


 冬乃が振り返り、焦れたように僕を手招きしている。


「おう、呼んどんぞ小僧。鬼っこちゃんをあんま困らすなや」

「は、はははい」


 ヤバい、彼女から離れたら肉片にされそうだ。


「ま、待ってよ、冬乃さん!」


 僕はあわてて冬乃を追いかけ、そのうしろについた。

 目の前では、ただの人間と思われる警察官が、あからさまにそうではない二体の怪の間で押し合いされている。拳銃でも抜かない限り、人間はあまりに無力だ。

 体毛を逆立てて、猫娘が「フーッ」と牙を剥いた。


「さっさと払いなよ! 食い逃げなんてみっともない真似してないでさ!」

「あぁ? てめえんとこの生臭え魚を、俺が食ったって証拠はあんのか?」


 対する人狼は、余裕の表情でニヤケている。


「だ、だめですって! ケ、ケンカはやめましょうよ! 万事平和的に解決を――」


 足を縺れさせながらも、警察官はどうにか二体を接触させまいとして、半泣きで両腕を突っ張っている。見るからに弱々しい。

 そりゃそうだ。巨体の人狼はもちろん、あの小さな猫娘の爪だって、刃渡り十センチのナイフも同然。ちょいと首筋を引っかかれれば、それでお陀仏だ。


 うん。止めるなんて無理。


 無意識に唾液を飲み下す。先週、京に入って以来、今が最大のピンチだ。

 そんな僕らの様子には気づかず、小柄な猫娘は物怖じすることなく突っかかる。


「とぼっけんなっ! あんたの口から、うちの魚の臭いがプンプンしてんだよ! 金もない貧乏人なら、惨めったらしく無様に生ゴミでも漁って食ってろバァ~カ! この惨めな野良犬ぅ! ゴミ漁りィ!」


 …………うぅ、なんだか身につまされる話をしている……。

 冬乃が口元を手で押さえて、「ぶふっ」と噴き出したのが一層虚しい。


「犬? 俺を犬だと? 猫ごときチビの下等生物が、その細え首筋を、この狼の牙で喰い破ってやろうかッ! ――ガアァァァッ!!」


 人狼の咆吼とともに、周囲の熱量が上がった。人狼の体毛がすべて逆立つ。

 呑み込まれそうなほどの威圧感。意識などしていないうちに、僕の足は震え出す。


 怖い、怖い、怖いです。


 この一週間、怪との接触は可能な限り避けてきたけれど、これほどまでに恐ろしい生物だとは思ってもみなかった。生物としての本能が人狼を恐れている。


「ひ……っ……だ、だめですって! そんなことをしたら、た、たた逮捕しますよ!」


 警察官が人狼に向き直り、両手を突き出して抑えようとしてはいるものの――。


「おらどけ、警察ぅ! てめえの頭から噛み砕くぞ!」


 人狼は警察官の腕を無造作につかみ上げ、あっさりと投げ捨てた。


「ひ、ぎゃあああぁぁ!」


 その悲鳴に、僕は息を呑む。

 ヒト一人が、五~六メートルはあろうかという高さまで投げ上げられたのだ。警察官は、錆びて放置されていた放置車両の屋根へと背中から勢いよく落ちた。


「~~っ!?」


 金属の(ひしゃ)げる凄まじい音が響き、放置車両が大きく沈み込み、車の硝子が割れて散乱する。野次馬から歓声がどっと湧いた。誰も彼に駆け寄るものはいない。

 モラル的にも、ここは僕の知る日本ではない。


「う、うう……、だから魔都の勤務だけは……嫌だったんだぁぁ……」


 警察官のうめき声が聞こえた。

 辛うじて生きているようだ。だけど、もし放置車両がなかったらと考えたら、果たしてどうだっただろうか。そもそも彼は、自身の左腕が珍妙な方向に曲がってしまっていることに気がついているのだろうか。

 これを止めるのが仕事だって……? できるわけがない、僕はただの人間だぞ……。


「さて、邪魔者はいなくなったぜ、猫ォ? 次はおめえだ」


 人狼が凄んだ瞬間、猫娘の爪が一瞬で倍の長さにまで伸びた。もはや短刀だ。本物の猫のように背中を丸め、短い牙を剥き出しにして呻る。


「フーーーッ!! やってみなッ、吠えるしかできない犬っころがッ! クズ肉にして二束三文で売り飛ばしてやるよッ!」

「はーい、そこまで。この界隈でのケンカは御法度やでー」


 瞬間、何の緊張感も感じられない冬乃の声が周囲に響いた。今にも飛びかからんとしていた二体の怪が、ようやく僕らに殺気の籠もった視線を向けた。


「ああッ!?」

「なにさっ!?」


 周囲に無作為に振りまかれていた威圧感が急激に自分にのしかかり、季節は完全に冬だというのに、冷や汗が止まらない。

 うう……逃げたい……。……もう顔覚えられちゃっただろうけど……。


「なんだてめえら? すっっっこんでろッ、ニンゲンッ!」

「なんや~? おまえ、うちのこと知らんのか。京都多種族安全機構や。邪魔するでー」


 凄む人狼とは対照的に、なぜか猫娘は目を丸くして引き攣った笑みを浮かべた。

 だけど何より奇妙なのは、この二体の怪に囲まれて落ち着き払っている人間、日向冬乃だ。


「うえ……っ、お、鬼っこちゃん……。……こ、これはそのぉ~、別にケンカとかじゃ……」

「久しぶりやなあ、魚屋。ええてええて。こいつが悪いんやろ? 大体の事情は聞いててわかったわ。あんたが今さら、うちに対して嘘つくわけもないしなあ?」


 冬乃が人狼を指さすと、猫娘がガクガクと首を縦に動かした。


「に、にゃあ……もも、もちろんですにゃあ……」


 なぜか半分猫語になっている。

 なぜ?

 日向冬乃は、どう見ても人間にしか見えない。多少力が強かったとしても、たとえプロの格闘家であったとしても、人間が怪に太刀打ちできるわけがない。


「ほんで、そっちの人狼は新顔か? ここらじゃ見たことあれへんな。この界隈で安全機構に逆らおうとするあたり、神樹から出てきたばっかりのひよっ子か?」


 冬乃の問いかけを無視して人狼が牙を剥き、脅すように顔を近づけてきた。


「いきなり出てきて何を仕切ってやがる、ニンゲン」


 僕がその生臭い息に顔を背けた瞬間、冬乃はけたたましい笑い声をあげた。


「あっははははははははっ! うちがニンゲンやって! 今の聞いた、絢十? そう見えるらしいわ! アホの子っちゅーんは、おもろいなあ!」

「ちょ、ちょっと、冬乃さ――」


 人狼が不快そうに、生臭い口で吐き捨てる。


「てめえも、あの警官と同じ目に遭わせてやろうか」


 冬乃は人狼とは視線を合わせず、笑い声を潜めて挑発的に呟く。


「あは、ふふ。へ~え? 試してみたら?」


 一瞬、きょとんとした人狼から、一切の表情が消えた。対する冬乃はようやく視線を合わせて、例の生ゴミ以下の何かを見るかのような視線で笑みを浮かべる。


「ぶん投げるんやろ? おもろいやん。ほら、抵抗せえへんで? やってみい。その代わり、でけへんかったら、おとなしくうちの言うこと聞きや」


 事ここに至って、ようやく正気を取り戻した僕は、あわてて冬乃の口を掌で塞いだ。


「ちょ、ちょっと冬乃さん、何言ってんだよ。――い、今のは彼女なりの冗談ですから」


 いくら彼女が並外れた怪力の持ち主だといっても、そもそも人狼と人間では生物としての基盤が違いすぎる。

 僕は人狼と冬乃の間に身を入れて冬乃の肩を押し、どうにか下がらせようとするが、冬乃は頑として動かない。

 あの警察官はたまたま放置車両の上に落ちたからよかったものの、こんなやつにぶん投げられたら、ほとんどの生物は即死だ。

 冬乃は僕の手を払い除けると、わざわざ人狼を指さして笑顔で言った。


「どうってことないって。ヒョロッヒョロのガキンチョやん。痩せ狼ゆーやっちゃ。うち、この倍のサイズの人狼も見たことあるで」


 冗談キツい。この人狼の腕回りは、冬乃の腰などよりよほど太い。

 冬乃はさらに罵倒する。


「早うせえや、ワン公! 非力な人間相手に粋がって、安機にナメた口利くようなボケには、この街の怪のルールってもんを叩き込んだるわ!」


 あわわわわ――な、な、なんで挑発するの!?

 人狼の表情が憤怒に変わった直後、どうにか冬乃を退かせようとして人狼と彼女の間に立っていたはずの僕は、銀色の豪腕によって薙ぎ払われていた。


「絢十!」


 頬に痛みがきたのは、吹っ飛んでいる最中だ。そのあと、背中から落ちてアスファルトを勢いよく転がり、全身がばらばらになったかのような衝撃を受けながら、野次馬の足にあたってようやく止まった。

 あ……れ……? い……今……何が……?


「絢十、大丈夫か!?」


 歪んだ視界の中で、人狼に背を向けてこっちを振り返ろうとした冬乃の頭部を、毛むくじゃらの豪腕が無造作につかむ。


「きゃっ」


 バカ、僕の心配なんてしてる場合じゃないだろ!

 冬乃の肉体は狼男の肉体の半分程度の大きさしかない。誰もが考えるだろう。少女の身体はあっさりと持ち上げられ、アスファルトに叩きつけられる、と。


「く……」


 僕は両手をアスファルトに突っ張って、痛む全身でどうにか膝を立てる。けれど、景色が歪んでいてうまく立ち上がれない。

 しかし――。

 その奇妙な様子に、僕は眉根を寄せていた。


毎日更新って、こういう感じだったんですね。

さっそく感想とかも貰えて、鋭い指摘とかいただいてビックリしています!

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