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魂魄欲する異界の女神 ③



    ◇          ◇



 事務所のビルから出ると、冬の冷気が真新しいコートを貫いて肌を刺してきた。

 出発前に冬乃に手渡された、京都多種族安全機構の紋様入りのロングコートだ。背負う白と黒の翼が重なり合った紋様は、この魔都の混沌とした種族の有り様を的確に示している。

 蜘蛛型の怪から抽出された糸でできた防刃防弾繊維は、あらゆる衝撃から身を守ってくれる。もっとも、昨日の冬乃を見る限り、死神姫の一撃の前では効果は期待できそうにない。


「似合うとるやん」

「へへ、そうかな」


 僕も少しは認められたということだろうか。

 二人して七条通を歩く。

 残り時間は少ないが、急ぐ必要はない。六時間ぶっ通しで戦い続けるわけじゃないし、死神姫が相手では、この戦いに次などないからだ。

 生か死か。二択だ。

 いつもは露店で賑わう道も、今は仮死者が転がっているだけで、静まり返っている。

 僕は隣を歩く冬乃を盗み見て、少し頭を搔いた。

 どうにも調子が狂う。冬乃が気絶から目を覚まして以降、僕は彼女に対して、奇妙な感覚に陥っていた。うまくは説明できないけれど、なんだか懐かしく感じてしまう。

 だけど冬乃はナツユキではない。髪や瞳の色はもちろん、顔つきも違う。体型は、十年あれば変わってしまうからアテにはならないけれど、ナツユキはもっと華奢で、弱々しさを感じさせていた。冬乃はとても女性的で、健康体を意識させる。

 それに、ナツユキは僕と同い年だ。個人差があるとはいえ、冬乃はそれより少し若く見える。


「う~ん」

「なんやねん、さっきから。怖じ気づいたんか?」


 冬乃が挑発的な視線を僕に向けた。


「いや、怖じ気づいてるのは最初からだし、今さらだよ。だからといって行くのや~めた、とはならないし」

「ほな、なんやねんな」


 僕はこたえのない疑問を考えるのをやめることにした。


「いや、鬼だけに縞々だったのかなって思って」


 冬乃が眉をひそめた。


「は? なに……が……?」


 僕の視線を追って自らのスカートに目をやり、冬乃が般若の笑みを浮かべる。マズいと思った瞬間には、冬乃は僕の頬と肩に手を伸ばし、首をぐぐっと回していた。


「……いっぺんその首、曲がらんほうに曲げたろか……」


 だめえ! そんな怪力でやられたら折れる、折れちゃうぅぅ!

 数秒後、道路に四つん這いになっている僕と、ヤンキー座りで僕に視線を合わせている般若がいた。


「あのな? うちかてもう子供ちゃうし、故意じゃないんやったら、パンツくらい見られても別に怒らんよ? そやけどな、そういうこと口に出すんはあかんと思わん? デリカシーないと思わん? 小さい頃、お口チャックとか口は災いの元って教わらんかった?」

「あ……い……ズビバゼン……」


 決戦前に殺されるかと思った。迂闊にからかうこともできやしない。


「ち、ちなみに、故意に見た場合、僕はどうなるんでしょうか」

「関節を曲がらんほうに曲げる。あと、夏奈深雪を先に見つけ出して密告(チク)る」


 肉体のみならず、社会的尊厳まで粉砕されるのか。それはかなり割に合わない。

 冬乃が視線を外して横を向き、赤髪で表情を隠しながら呟く。


「ま、まあ、それでも? 絢十がど~うしても、うちのを見たいって言うんやったら、い、一枚くらいは……あげてもええけど……?」


 本体なしの布きれだけを貰ってもしょうがないし、何よりこれはきっと誘導尋問ってやつだ。釣られた魚はいつだって料理されるものだ。騙されてたまるものか。

 僕は首を全力で左右に振った。


「いらないっ、超いらない!」

「なんっっでやねんっ!! もうちょい乙女心とか考えてからこたえ出せやっ!! まるで無価値みたいやんけっ!!」


 冬乃がハッと気づいたように視線を戻して立ち上がり、スカートをぱたぱたと叩いた。


「……いや、まあ、うん。もうこの話題やめとこか……。うちもだいぶおかしくなってるみたいや……」

「そ、そうだね」


 歩き出した冬乃に追いついて、僕は別の話題を持ち出した。


「そういや、なんで今日の移動は原付じゃないの? 原付のほうが体力温存できて楽じゃない?」

「背後からこっそり近づいて不意打ちできればって思ったんよ。わかってるとは思うけど、正々堂々とか言うてる場合とちゃうからな」

「うん」


 同感だ。僕ら二人に、第一級閉鎖指定地区に棲む怪と人類の生命が懸かっている。綺麗事なんて最初から言うつもりはない。むしろ力のない僕は、どうやって死神姫の虚を衝いて拳銃(レンの弓)を命中させるかを考えていた。

 二条城横での戦い同様、半径十メートル以上では回避される。可能であれば五メートルまで近づきたい。


「それに、こんだけ仮死者がごろごろ転がってたら、夜は轢き殺しかねん。旧京都駅なら距離も遠くないしな。ウォーミングアップにはちょうどいいやろ」


 冬乃の言葉にうなずきながら、僕は場違いなものを見つけて指さした。


「あ……。あれ、魚屋の屋台じゃない?」

「ホンマや。あのアホ、こんな状況で店出しとんのか。……ったくもう。ちょっとは危機感持てっちゅーねん」


 ぷんすかぴーと怒りながら、冬乃がため息混じりに屋台へと近づいてゆく。


「こんな真夜中でも屋台ってやってるんだね」

「まあ、太陽が苦手で夜にしか出歩けん怪も、少なからずおるからな。そういうやつらにもちゃんと食料届けたろって思っとんねんやろ」

「そりゃあ、いい猫だ」

「うん。魚屋は基本的にお人好しやから。万引きした人狼を雇ってまうくらいにはな」


 吐き捨てる口調ほど嫌がる様子もなく、冬乃は笑顔で屋台の暖簾をめくった。


「邪魔するで、魚屋」

「へい、らっしゃ――あ?」


 野太い声。聞き覚えのある声に、僕は冬乃に続いて暖簾を上げた。

 魚屋じゃない。人狼ラルだ。


「ぬお、鬼っこッ!? ……と、確か……絢十っつったか?」

「ああ、うん。名前覚えてくれてたんだ。この前は消火活動ありがとう、ラル」


 ラルが指先で頬を搔いて吐き捨てる。


「別に安機のためにやったわけじゃねえ。社長に言われたから仕事としてやっただけだ。特に絢十は社長のお気に入りだからな。そこんとこ勘違いすんな」


 冬乃がムッとした表情で僕の脇腹を肘でつついた。


「なんやねん、お気に入りって。うちの知らん間に魚屋に手ぇ出したんちゃうやろな」

「あ、いや、僕にも何がなんだか……」

「あんまり変なことしてたら、うちが夏奈深雪を先に見つけて密告(チク)ったるからなっ。猫だけにニャンニャンしてました~言うてなっ」


 笑えない。

 唇を尖らせ、目を半眼にして、なぜか冬乃は僕を睨む。


「それは勘弁して欲しいな。ナツユキはこの件に関係ないし、冬乃が怒るようなことでもないだろ」


 冬乃が両手を腰にあて、胸を張った。


「ふん! うちは浮気とかする男が嫌いやねん!」


 してないから……。てゆーか、ナツユキともそんな関係――そんな関係……か。まがりなりにも婚約者だったのだから。

 いずれにせよ風向きが悪いので、僕は話題を変えることにした。


「ところでラル、魚屋はどうしたの? 姿が見えないみたいだけど」


 ラルがわずかに瞳を伏せて、屋台裏のベンチを指さした。


「あのザマだ」


 ベンチには猫耳の少女が瞳を開けたまま、ぐったりと倒れ伏していた。申し訳程度に毛布がかけられている。微かな胸の上下は、まるで眠っているかのようにゆっくりだ。


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