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魂魄欲する異界の女神 ②

「仮死者だ。この八時間で、第一級閉鎖指定地区面積のおよそ半分が、こうなった。無事なのは、建物の中で窓を閉めてエアコンを止めていた人たちだけだ。死神姫が練り歩いただけで、京の街はこうなってしまった。どうやら喰らった魂の数に比例して、あいつの瘴気は肥大化するらしい」

「――そんなッ!?」

「人数的に不可能だけれど、仮死者は回収はしないほうがいいと、キミを診てくれた医者は言っていた。体温を下げさせて生命活動を限界まで抑えたほうが、死に至るまでの時間を引き延ばすことができるらしい。それも、もって二日らしいけれど」


 冬の冷たい空気に晒されながらも、じわりと汗が滲む。


「ちなみに課長は帰ってこなかった。連絡も取れない。電話をかけても出ないんだ」


 やられたのか、それとも瘴気に感染してどこかに転がっているのか。いや、あの暁時人に限ってそれはない。わたしが唯一、恐怖を抱いた人間なのだから。

 きっと何か裏で動いているはず。


「……それに、さっきナツユキにメールを送ったんだけど、彼女からも返事がこない」


 絢十が妙に落ち着いていた理由がようやくわかった。

 覚悟を決めたんだ。絢十は夏奈深雪と再会するためだけに、一方通行であることを知りながら魔都京都を訪れた。夏奈深雪までもが死神姫の瘴気にやられて魂を奪われたのだとしたら、彼はここへ来た理由のすべてを失ってしまう。

 力の差なんて関係ない。一条絢十には、死神姫に立ち向かう以外に選択肢などない。けれどもし、夏奈深雪からメールの返事が届いたとするなら、絢十だけでも危険から遠ざけることができるだろうか。

 わたしはポケットの中の携帯電話を握りしめ……放した。

 きっとだめ。この人は、そういう人じゃないから。いくら夏奈深雪に止められたところで、一条絢十は日向冬乃を見捨てることを、してくれそうにない。


「はあ、どうにも厄介なやつ……」

「そうだね」


 わたしの気持ちになどまるで気づかず、絢十は険しい表情で外を見ながら呟いた。わたしは少しだけ、ほんの少しだけ赤くなったと思う。


「そうだ、冬乃。事務所に何か食べるものってあるの?」

「……? 備蓄ならあるけど」


 この状況で? 臆病なのか剛胆なのか、考えていることがさっぱりわからない。

 よほど奇妙な顔をしてしまったのか、絢十がわたしを見て苦笑いを浮かべた。


「ああ、キミが気絶したあとなんだけど、あのとき生命力を使う拳銃(レンの弓)を二発撃ったんだ。課長は、撃ったら生命力を戻すために食って寝ろって言ってたから。睡眠はもう十分だよ」

「撃ったんか!? 死神姫に二発も!?」


 まさか本当に使うなんて。課長だってそんなつもりで渡したわけではないだろう。実際問題、一条絢十の生命力の最大値など暁時人の適当な目測だ。稀なケースだけど、人によっては一発撃っただけで昇天なんてこともあり得る代物なのに。


 危なっかしい。ホント、危なっかしいよ。


 頭を抱え込んだわたしの様子に、絢十があわててつけ加えた。


「うん。腕を吹っ飛ばすことはできたんだけど、すぐに元通りになっちゃって。そのうえ、二発撃っただけで気を失ったんだ。少女狐が小箱を咥えて逃げてくれなかったら、僕らはたぶん二人して殺されていたと思う」


 そうだ、少女狐!


「ちょ、ちょっと待って。少女狐って炎狐のことやんな? 死神姫は、魂の詰まった小箱を持って逃げた炎狐を追いかけてったってこと?」

「そうだよ。僕らはあの子に助けられたんだ」


 妙だ。死神姫の瘴気はかなり強力な部類で、たとえ怪といえども下級や中級生物では魂を抜かれてしまう。炎狐ごときが抗えるとは到底思えない。

 あの炎狐、何者なの?


「とりあえず何か食べよう。僕の生命力と、キミの体力を完全に戻さないと」

「そやな。課長も戻っとるかもしれんし、事務所のキッチン行こか」

「うん。外気を取り込むエアコンは念のため使わないほうがいいだろうから、このストーブを運ぶよ。冬乃、ヤカンだけお願いしてもいい?」

「あ、うん。でも、うちのほうが力強いし、絢十がヤカン持ったら?」

「はは。ま、今は病人ってことで」


 この期に及んで、まだわたしを女の子扱いしてくれるらしい。まったく、お人好しなんだから。

 わたしたちは揃って絢十の部屋を出た。薄暗い廊下を歩き、事務所のドアを開ける。

 期待がなかったといえば嘘になる。でも、暁時人はいつものデスクに足を投げ出して座ってはいなかった。

 静かで、冷たい部屋だ。

 わたしはわざとらしく咳払いをして、ぱん、と両手を合わせた。


「よっしゃ! うちらが暗ぁなっててもしゃーない。どうせ、あのオッサンのことやし、うま~いこと、どっかで生き残っとるわ。景気づけにいっちょ、うちが料理したる。戦闘力だけやなくて、女子力もクッソ高いとこ見せたるわ」


 絢十がストーブを足下に置いて、炎を調整しながら悲観的な声をあげた。


「え~……」

「なんやの? 人がやる気なってるときに、そんな無粋な顔してからに」


 絢十が苦笑いを浮かべて、遠慮がちに呟いた。


「カ、カップラーメンでいいよ」

「なんでよ? ちゃんとしたもん作って食べんと、力出ぇへんよ?」


 あなたのために料理をしたい、女子力が大気圏より高いところを見てほしい、などと正直に言えるほど、わたしは可愛い性格をしていない。

 滅多に使わないエプロンなんかを巻いたりして、事務所から繋がるキッチンのドアを開けたわたしに、絢十が遠慮がちに呟いた。


「あ~、えっと、一応訊いときたいんだけど、……蛇とか蛙とか昆虫って使う系? 人肉とか食べたりしてないよね……?」


 わたしは瞬間的に白目を剥いた。


「……おまえ、鬼をなんやと思とんねん。いっぺん右脳と左脳引き裂いたろか……」

「ひぃ!?」


 まったくもって失礼だ。


「食いもんみたいなん、昔っから人間と変わらんわ、アホ!」

「スミマセン」


 一言どころか二言三言は多い。さっきは少し見直したというのに、極めて残念だ。

 いくら鬼でも、食べるものは大体が人間と同じだ。そもそもわたしは人間に育てられたのだから。蛇や蛙だって調理すれば食べられるのだろうけど、そりゃ牛や豚や鶏のほうがおいしいに決まってるもの。


「もうええから、ちょっと事務所のソファで座って待っときや」


 絢十を強引に追い払ってから、わたしは腕まくりをした。

 ボウルで醤油と味醂とすり下ろした生姜、大蒜を合わせて鶏肉に揉み込み、片栗粉で衣をつける。夏奈深雪の記憶では、絢十は昔から唐揚げが大好きだったから。カラっと揚げてやれば、きっと喜んでくれること間違いなしだもの。

 そしたら、胸を張って味の感想を訊き出してやるんだ。見てなさいよ。吠え面かきながら、「おいしい。冬乃って意外と女子力高かったんだね。素敵だよ。これからも僕のために作ってくれないか」って言わせてやるんだから。

 でも、その前に――。

 わたしはキッチンのドアに視線を向けて、怖い顔で睨む。こっちをこっそり覗いていた絢十が、ひゅっとドアの陰に隠れた。


「……こらぁ! 何を見張っとんねん! 心配せんでも鶏肉やし!」

「う、うん」


 まったく。信用ゼロか、わたしは。

 魔都は第一級閉鎖指定地区とはいえ、結構な広さがある。山に近いほど畜産業も盛んになっているし、京野菜は健在だ。海産物だけは行政を通じて外からの供給に頼っているけれど、川魚であれば猫娘の魚屋から買える。人口が少ないということもあるが、ちゃんと稼ぎがあるのであれば、それほど食料に困ることはない。

 どうもカーテンの外から来る人たちには、そこらへんの事情が伝わっていないようだ。

 揚げた鶏肉を京らしく和紙を敷いた皿に並べ、余分な油を吸わせる。一つ試食。

 うん、我ながらおいしい。

 あとはご飯が炊きあがるのを待って、京野菜のサラダと、お豆腐のお味噌汁を並べれば完成。

 堂々たる食卓!

 でも、絢十の反応はわたしが考えていたものとは違っていた。

 並べられた食卓を前に驚いたように口を開け、そのあと、すべての表情を消してしまった。そうしてまるで神仏にそうするように、ゆっくりと手を合わせ、箸を取った。

 一つ、唐揚げを取って口に運ぶ。


「ど、どう?」


 わたしの質問など聞こえていないかのように、また目を見開いて、今度はお味噌汁に手を伸ばした。次にご飯を一口。

 そして呆然と呟く。


「……懐かしいな。もう食べられないって思ってた味に、凄く似てる」


 ああ、そうか。

 わたしはようやく気がついた。夏奈家の味だ。絢十は幼少期、よく夏奈深雪の家に遊びに行っていた。帰る時間が遅くなったときなどは、よく夏奈深雪の母親の手料理を食べていたものだった。

 そっか。わたしの手や舌にも、ちゃんと残っていたんだ。


「嬉しいな、これ。あ、もちろん、おいしいよ。ありがとう、冬乃」


 かなり遅れて、絢十が無邪気に微笑んでくれた。

 吠え面とは違ったけれど、わたしはそれが嬉しくて、自分が食べるのも忘れて、食卓に両肘をついて顎を乗せ、ずっと彼を眺めていた。

 おいしい、よりも先に、嬉しい、か。悪くない感想。うん、悪くない。

 幸せって案外こんな感じなのかもしれない。わたしにはもう、夢見ることしかできないけれど。

 あ~あ、ニヤケてるだろうな、わたし。

 絢十は夢中になって頬張っている。詰め込みすぎて、頬袋にどんぐりを詰めたリスのようだ。ちょっとおもしろい。吠え面とかもう、どうでもいい。


「そんな急がんと、落ち着いて食べや」

「うん」


 午後一時。

 課長は帰ってこなかった。わたしたちは食事を食べ終え、立ち上がる。


「一応言うとく。絢十は事務所に残ってもええんよ。新人にはヘビィすぎる事件やし、夏奈深雪だってどっかに閉じこもってて無事かもしれん。無理するんはちょっと気が早いんちゃうか」

「行くよ。さっきまでと違って、多少の役には立てると思う。拳銃(レンの弓)の使い方もわかったし、自分の限界も知ったし、覚悟も決まったから」


 理由も言わずに即答だ。本当に間髪入れず。

 わかってるよ。理由を言わなかったのは、それはつまり、わたしのためでしょ。この期に及んで、鬼神であるわたしを女の子扱いした挙げ句、一人では行かせられない、なんてことを考えてる。

 恥ずかしいやつ。熱血バカ。


「冬乃。もしかしてまだ体調が完全じゃない?」


 突然、絢十がわたしの額に手をあててきた。


「ひゃ!」


 あまりに予想外の行動に、わたしはあわてて後退りをしてしまい、ソファの肘置きに蹴躓いて背中から床に、派手に転がった。

 わああぁぁ!

 あわててスカートを抑える。

 今絶対に見られた。めっちゃ下半身見てるし。あ、目を逸らした。もう遅いよ。最悪。

 見られるのは別にいい。パンツくらい。でも、もっと可愛いやつ履いとけばよかった。てゆーか今日どんなの履いてたのか自分でも思い出せない。上と下の色は合わせてないな、たぶん。それもこれも忙しすぎるのが悪い。全部課長のせいだ。あいつめ。

 わたしはこの話題を避けるため、大慌てで話を戻すことにした。


「な、な、なんでよ? ゼ、ゼゼッコーチョーに決まってんでしょ!」

「ご、ごめん。顔色が赤くなってたから、熱でもあるのかと思って。そんなに驚くとは思わなかったよ」


 あんたがわたしみたいな中途半端な鬼を、普通の女の子扱いするからでしょうが! と叫べたなら、どれだけ気楽なことか。

 少なくともわたしが夏奈深雪だったら、そう叫んでいただろう。

 わたしは咳払いをしてから極めて冷静なふりをして立ち上がり、スカートについた埃を軽く手で払った。


「……オホン。で、死神姫の居場所は捕捉できてんの?」

「山本警部たちが動いてくれてる。僕らの準備ができ次第、連絡を取って場所を聞く手筈になってるよ。距離を保って尾行しつつ、先回りでなるべく被害者を減らしてるらしい。それでも、仮死者の数は増え続けてるみたいだけどね」

「了解。すぐに連絡や。それと絢十」


 わたしは課長のデスクの引き出しを勝手に開けて、中から一枚の、聖骸布でできたフェイスマスクを取り出した。


「これ渡しとく。瘴気を八割方カットできる聖骸布のマスクや。完全にシャットアウトできるわけじゃないから、死神姫と限界まで距離詰めるときには、それでも息は止めといて」


 絢十が唾液を呑み下して、赤黒いマスクを受け取った。


「わかった。……変な肌触りだな。何でできてるの? セーガイフってなに?」

「ええ、それ訊く? 大学で習わんかったん?」


 絢十が頭を掻いて、苦笑いを浮かべた。


「へへ、あんまり真面目な学生じゃなかったから」


 まあ、だからこそ休学して京になんか来てしまったのだろうけれども。


「ん~、訊かんほうがええと思うけど?」


 知らないほうが幸せなことだってある。いくらでも。

 わたしが誤魔化すために苦笑いを浮かべると、絢十が不安そうに肩をすくめた。


「やめときます」


 仮死者が死に至るまで、残り六時間――。

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