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混沌なりしは京の都(まち) ①

12/20

今さらですが、更新日を跨いだ際の視点変化時に限り、冒頭に◇マークを入れました。

今回の修正で、シーンの切り替えが少しだけわかりやすくなったかと思います。


1/11

これまた今さらですが、背景色と文字サイズを変更。

読みにくければ指摘してください。

 えぐい渋いも味のうち、とはよくぞ言ったものだ。


「いや、この場合、腐っても鯛か……」


 大丈夫。僕はまだ大丈夫だ。これに手を出したって、きっと人間でいられる。見てくれ、この豪華なフルコースを。

 一部腐って液状化しただけの京野菜、身が残っていないだけの焼き魚、カピカピに乾いて生返(なまがえ)っただけのおむすびに、干からびて黒ずんだ納豆の食べ残し。出汁を取ったあとの鰹節なんて、まるで高級なお吸い物のように魅惑的じゃないか。


 音を立てて唾液を飲み下す。


 心の葛藤は、欲望がやや優勢だ。ひっきりなしに鳴き続ける腹の虫が、萎縮した理性をさらに端へと追い詰めてゆく。

 硝子窓すら失い廃墟と化した雑居ビルと、そのビルと比べてなおオンボロと言わざるを得ない雑居ビルの間。つまりは路地裏のゴミ置き場。

 意を決し、路地裏に堆く積まれたポリ袋に手をかけて、ゆっくりと左右に引き破る。熟成された芳醇な生ゴミ臭が広がり、一瞬仰け反った。


「お、おおう……」


 しかし背に腹は代えられない。いざ、合掌。


「一週間ぶりのご馳走、いただきまぁす!」


 ポリ袋に手を入れた瞬間。


「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょい待ちぃや! さっきから見てたら、何やあんたっ!?」

「ひっ!? だ、誰だっ!?」


 驚いて振り返ると、まるで生ゴミかそれ以下のものでも見るかのような視線で、路地裏の入口から少女がこちらを見ていた。

 十代後半といったところだろうか。雪のように白いコートの背に流れる、溶岩のように輝く赤髪。それにあつらえたかのような赤の瞳。間違っても八重歯などとは呼べない鋭さを持つ牙は、まるで獣のようだ。一歩も動いていないのに、洗練された野生の躍動感がある。

 ヒトではないとすら思えるほどの美しさ。完成された、完全なる生物。


 背筋に冷たい緊張が走った。

 彼女はヒトか、それとも――。


 その美しい少女は、声を上擦らせながら僕を指さした。


「いや、それはこっちの台詞やし! うちの事務所のゴミ勝手に漁んなやっ!! そもそも生ゴミをご馳走て、腹減りすぎて必死のパッチか! それに、うち女の子やで!? 色々見られたら嫌なもんとかも入っとんねん! 使用済みの――って言わせんな、こんなこと! ……あっ、喰うんか? おまえ、それも喰うんか、このド偏食のド変態が! なんぼ京都が魔都になったからって、宇宙船地球号の知的生命体としてやってエエこととアカンことがあんねんぞ!?」


 ひ、必死のパッチってなに……?


 およそ麗人から発せられた言葉とは思えぬほどの、どぎつい関西弁が響く。むしろ彼女のほうが、かなり必死でパッチな表情だ。

 だけどどうやら、彼女はヒトのようだ。

 僕は全身の力を抜いて、安堵の息を吐いた。


「こらあ! 何をため息ついとんねん! こっちがつきたいわ!」

「あ……あの……ご……ごめ……」


 ロングブーツの靴音も高らかに、ゴミ置き場で腰を抜かしたままの僕へと、赤毛の少女は無遠慮に近づいてきた。

 そうして僕の前に座り込み、顔を近づける。生ゴミ臭に混じって、わずかに甘い体臭がした。恐ろしいほどに整った顔だ。眉間に縦皺さえ寄っていなければ。


「何黙っとんねん。ちょっと来い」

「ま、待っ――警察だけは、警察に突き出すのだけはぁぁぁ!」


 こんなところで捕まるわけにはいかない。僕はまだ、この街にきた目的を果たしていない。


「アホか。この魔都京都はなぁ、殺しも悪行も、善行でさえも線引きのなくなった、泣く子も黙る第一級閉鎖指定地区やぞ。警察みたいな無能の代名詞が何の役に立つねん。引き渡すくらいやったら解体して犬の餌にしたほうがマシや。犬飼うてへんけども」


 じょ、冗談じゃない! いくらここが京都だからって、たかがゴミ漁りくらいで!

 逃げだそうと踵を返した僕の首根っこを背後から鷲づかみにして、少女は静かに笑った。


「逃げんな。冗談やから」

「う、うわっ、あ……ぐ……っ」


 持ち上げられる。僕の腕よりもずっと華奢なはずの片腕で、軽々と。

 信じられないほどの力だ。まるで万力で締められているかのように、呼吸ができない。それどころか血流が止まり、首の骨が軋んでいる。

 殺される。


「か……っ、く…………っ」


 迂闊だった。この魔都京都では、他者の外見など何の判断材料にもなりはしないと、わかっていたはずなのに。

 視界が、外側から徐々に黒く狭まってゆく。

 意識……が……。……落ち……る……。

 彼女は僕を持ち上げたまま、廃ビルではないほうのボロビルへと歩き出した。


「外から来たんやったら覚えときやー。この街でそういうことしてたら、三分後にはおまえが生ゴミにされるか、フルコースの一品に組み込まれるか、二つに一つや。まあ、うちの使用済みをオカズにしようとした罰やな」


 色んな意味で否定したいところだけれど、このときの僕は、とても反論などできる状況じゃなかった。

 雪交じりの風が、ボロビルに掛けられた看板を、音を立てて大きく揺らした。片側の留め金が外れ、看板が斜めにズレ落ちる。

 錆びついた看板には、こう記されていた。

 ――京都多種族安全機構。



     ◇          ◇



 かつて古都と呼ばれた頃の京の街は、もう存在しない。


 二十年前、原初の“(アヤシ)”と呼ばれるものが、京都駅ビルと新幹線の線路を貫いて、一夜にして顕現した。それは、見るからに巨大な樹木だった。

 特筆すべきことは、幹の太さが直径で約一〇〇メートルもあったことだ。これは、およそ人類がこれまで遭遇したことのない規模の大きさの生物だった。

 各都市とのパイプラインである線路を貫いた大樹を、当初は排除しようとするものもいたが、その試みは悉く失敗に終わった。刃は通さず、炎は宿さず、雷に打たれてすら、大樹には傷一つつかなかったのだ。


 人々はその事実に恐れ戦き、やがてそれを神樹として祀ることにした。

 だが、出現年の翌年。青々と繁る神樹は、その葉の隙間に数百もの実をつけたのだ。

 その実より生まれ落ちた生物たちこそが、のちにオリジナルと呼ばれることとなる怪だった。


 人々は目撃する。太古の伝承が、神話が、お伽噺が、現実となる瞬間を。

 数百もの怪。すなわち天使が、悪魔が、妖怪が、魔物が、妖精が、そして極めて稀ながら、神までもが誕生する瞬間を。


 京都の街は、パニックに陥った。


 怪には、人類の暮らしに積極的に溶け込もうとするものと、人類に仇為す活動をするものの二種類が存在したのだ。

 当然、問題となったのは後者だ。

 京都の治安は怪らの生命活動により崩壊し、一夜にして魑魅魍魎の跋扈(ばっこ)する混沌の都と化した。のちに語られる“大崩壊の夜”である。


 以降、人々は息を潜めて夜を過ごすも、この年の京都市での死者・不明者は、五桁にも達したと言われている。

 そして、年を追うごとに増殖する怪は、人類に対する脅威として日本各地に散らばってゆき、列島の夜を恐怖と不安に陥れた。政府は住民らに京都からの退去を奨励する。これが奨励であり、強制ではなかった理由は、政府に受け皿(予算)の用意がなかったからだ。

 当時の内閣府の調査報告書に拠れば、彼らの出現に関しては、被害各地より生まれ出たものではなく、あくまでも京都の神樹に産み落とされてから、各地へ移動している、と記されている。

 そうして十三年前、政府はついに京都の中心部を第一級閉鎖指定地区と定め、住民らの脱出を強制する一方で、自衛隊の力をふんだんに使って各地に散らばっていた怪らを善悪の境なく捕らえ、京都へと封じ込めるという強硬手段に出た。


 世に言うところの、流刑“京流し”である。


 人類に溶け込むことを選んだ怪らの中には、すでに人間社会に適合し始めていた個体も存在していたため、これによって引き裂かれた家族も多く存在した。

 中でも同情を集めたのが、怪とヒトとの間にできた子、デミ・ヒューマンだ。混血であろうとも、京流しに例外はなかった。

 こうしてかつての古都京都は、神樹より生まれ出たオリジナルと、一部残った人間たちと、デミ・ヒューマンの共存する、混沌の魔都京都と呼ばれることとなったのである。



     ◇          ◇



 わたしは、今日何度目かのため息をついた。

 ゴミ漁りをしていた彼は、自分を二十歳だと言った。

 それが嘘でなければ顔つきは幼く、世間一般の同世代より身長も低い。見窄(みすぼ)らしく汚れたぼろぼろのコートにスニーカー。にもかかわらず、楽しげに細められた瞳と短めの髪は好印象。きっと、ちゃんとした服装をすれば、それなりに見られる人だとは思う。

 でも、ハッキリ言って、頭の中は少々おかしい。どこかずれている。


「いやあ、てっきり恐ろしい怪か、でなければ痴女かと思ったよ。事務所に連れ込むなりいきなり服を剥ぎ取られて、シャワールームに蹴り込まれたんだから。完っ全に、身体を洗わせて綺麗にしてから、頭からバリボリ食べられるもんだとばかり」


 叩き込んだ本人を目の前にして、失礼なことを何の躊躇いもなく言い放ち、硝子テーブルに置かれたカップ麺を啜りながら、こいつはわたしにぺこりと頭を下げた。


「ありがとう」


 ……おまえ、それがお礼の言葉になってると思っとんかい……、と思いつつも、わたしは喉元まで出かかった言葉をグッと呑んで、硝子テーブルに左肘を置いて頬杖をついた。


「あのなあ、うちのことを何やと思てんねんな。そんな間接的に生ゴミ食べるような真似せえへんよ」

「いや~、あはは。おかげさまで僕もまだ、かろうじて口にしたことはないから」


 ゴミ捨て場で声をかけるのをあと三秒遅らせていたら、今の言葉はどう変化していただろうか。実に興味深い。

 ずれてる。うん。やっぱりずれてる。皮肉は通じそうにない。

 けれど、彼の心配もわからなくもない。なぜなら魔都京都では、人間が怪に喰われるような事件は、毎日のようにどこかしらで発生している、まさに日常茶飯事なのだから。

 わたしは呆れた視線を彼に向け、尋ねてみた。


「で、あんたの名前は? その分やと京の生まれじゃないんやろ? カーテンの外側から来たん?」


 カーテン。すなわち十三年前に日本政府が区切った区画。伏見区の一部北端、東山区、下京区、中京区、上京区を第一級閉鎖指定地区として囲った、指向性マイクロ波の実体無き壁のことだ。

 実体は無いとはいえ、人間はもちろん、生半(なまなか)な怪であってもそれを通過することは容易ではない。下手に触れるだけで血液は沸騰し、肉体は水分を蒸発させて無惨に灼け爛れる。向こう側に出る頃には、立派なミイラのできあがりというわけだ。

 わたしはもちろん、そんな愚かなチャレンジはしない。まだ生きていたいもの。


「うん。名前は一条絢十っていうんだ。少し前に東京から――どうかした?」


 名前を聞いた瞬間、頬杖が崩れてしまった。


「な、なにが? ちょっと顔面が滑っただけなんですけど!?」


 無表情を装うわたしに、絢十は怪訝な表情を見せた。


「顔面って滑るもんだっけ?」

「………………う、うち、トゥルントゥルンの美肌やから!」


 うわあ、あきらかに引いている。

 ガッデム。せめてファンデをつけすぎたって言っとくべきだった。つけてないけど。

 一条絢十。確かにそう言った。聞き間違い? ううん、確かに聞いた。ただの浮浪者なら適当に食べ物を与えて追い出そうと思っていたけれど、そうもいかなくなったようだ。


「ホンマになんでもないって。ただ単に、一から始まって十で終わる、変な名前やなって思っただけやし」

「あはは、僕もそう思う」


 その瞬間、事務所の黒電話がけたたましく鳴った。

初めての試みなので緊張気味です。

楽しんで頂けたら幸いです。

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