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GUNMAN GEORGE  作者: 根井
7/21

第4話 ペチカ編(前編)

ジョージとヨーナス、この2人の上司であるウェッブの親友、

アーサー・ベリャーエフ国会下院議員。


今日は彼が主人公の話である。


ある日、議長選挙を控えた大事な誕生パーティで、背後に現れた「死神」に悩まされるアーサー議員。その正体も分からないまま、行われたパーティーでも、突然「死神」が現れ原因不明の発作で苦しめられる。


何故、「死神」は自分を陥れるのか、そして一体何者なのか。


ジョージと共にそれを探っていく内に、それにはパーティ会場の「この家」で起こった「ある事」が関わっていた。



アーサーは一度そこで「死んでいた」。


NYブロンクスに佇む1人の男の、不思議で悲しい物語。


今回のGANMANGEORGE(以下略してGG)第4話は、メインのジョージ、ヨーナスを差し引いて、脇役だったアーサー・ベリャーエフ氏を主人公としている。


「死神」と仇名される通りの顔色の悪さ、人間味の無さは不気味かつ、近寄りがたい雰囲気を感じ取るが、それに伴いそのミステリアスな風貌と、物言わぬ故に醸し出される影に、実は結構彼を「好み」としている女性陣もいるという事は、男性陣もとい本人も把握していないのではなかろうか。


そのアーサー氏の謎めく人物像を知りたい方、B級のアクションばかりに飽きた方、ちょっとした息抜きが欲しい方に、この4話を是非読んでいただきたい。


また今回は、途中でジェームズ氏、そして私も登場している。どこの誰がそうなのかを予測しながら、読み進めていくのも楽しいであろう。

                  



              

ブルックリンのロウハウスを眺めながらの散歩道

イゾルデ・エリザ




 

1、再会


 騒がしかった正月もようやく終わり、NYのイルミネーションも大体片付いた頃合である。

が、しかしここ、7番街ビルの最上階にある高級レストラン、「leaden eyes」だけは例外であった。


アールデコ様式の机と椅子、その上に敷かれた真っ白なシート、薄暗い演出を醸し出すための赤いキャンドル。フランスの葡萄畑を模したという天井には、造り物のツルハシが垂れ下がり、その葉の間から葡萄を模したランプが各々の席を照らしている。


真夜中のNYを映し出すテラスに生える茂みの上でも、色とりどりのイルミネーションが広がり、その悪趣味一歩手前ともいえる輝きを放つ店に入った俺はその一見様お断りという、俺にとって不釣り合いな堅苦しい雰囲気に、一瞬のぞけってしまった。


「うう…乗り気じゃねぇなぁ…。」


乗り気じゃないのは、内装のせいだけじゃない。


「たとえ店はどうとでも、相手が彼女であらば…」


しかし店に入った俺を見、にこやかに立ち上がったのは女ではない。

茶色い髪を軽く七三分けにした、高身長の美丈夫だ。


「いや、たとえ男であっても、ああいうタイプだったら良いんだ…良い…。」


ふと美丈夫がその横、テラス側の席に座って外を眺める男に腰をかがめて何かを呟く。

それに応じて振り向いたのは―、大学時代から親友のアーサー。


その灰色の髪と、同じ色をした血の気のない顔は、キャンドルに照らされ更に無気味に映し出される。


「十五分の遅刻だ。」


低い声でアーサーは言う。


「はぁぁあ…久しぶりの再会で言う事はそれかよー…。」


俺は深いため息をついた。


***

 ジョージの尋問でアーサーと再会した日、良い酒が飲めそうだと意気揚々としていたのも今は昔。

あれから早3ヶ月、お互いNYPD教導委員長・アメリカ国会下院議員と、立場が変わった俺たちがこうして落ち合うにはそれ位の月日が必要だった。


しかし、ようやく誘おうとしたその矢先、「最近アーサーの様子がおかしい」と、美丈夫、ダニエル第一秘書から連絡を受けたのはその1ヶ月前の事だ。


電話の向こうで彼はこう切り出した。


「いえ、別に会えないという訳ではありません。でも今会った所で、昔話に華を咲かせるというような事は出来ないかもしれませんよ。」


と俺たちに気を遣う第一秘書は、遠慮がちに呟く。


「あぁ、あれか。もうすぐ下院議長選挙が近いから、ピリピリしてってか。」


俺は携帯片手にキャブに乗り込みながら、推察する。


「えぇ…まぁそうなんですけど、それに伴ってあの…根本的な問題を今突き詰められして…。」


俺はああと呟く。


「顔か。」

「顔です。」


即答だった。


「ご周知の通り、アーサー氏は議員としての実績も経歴も至極輝かしいものでありますのに、顔色が悪い、というだけであまり良い印象を持たれていないのが現実です。現にその他議員スタッフを含めたアンケートをとってみた所、アーサー氏に対する印象の回答として「主に顔色が悪い」「主に身体つきが悪い」「どう見ても死神」「どうあがいても絶望」「アーサー氏は猫耳が似合うと思う」「アーサー氏の生足&ニーハイwwwぺろぺろ(^ω^)」と、あまり良い印象を持たれていません。」


確かに良い印象でないな、「良い」印象では。


「本人の性格上、勿論そんな事などおくびにも出しませんがしかし…最近アーサー氏の背中から初めて「アレ」なんです…「アレ」が出たんです…。それって結構ヤバい状況じゃぁ、ありませんか?」


「あ、ああ…そいつはヤバいな…。」


「アレ」という言葉に俺は心臓が鉛になったような気がした。


「ウェッブ様、やはり「アレ」は、アーサー氏の「本音」を象徴したものなんですかねぇ…。」


「いや、それは俺にも分からん…。どちらにせよアレが出てきた限り、ビジュアルは最悪だ。議長の座は望むべくもねぇな…。」


「そんな…どうしましょう…。」


声をごもらせ、答えを乞うダニエル。親友を誘おうとした矢先の、突然のお悩み相談に俺は目頭を押さえつつ、いつもの事だと開き直る事にする。


「仕方ねぇな。何もしないよりは、もういっその事派手な事でも起こして、「アレ」ごと認めてもらえるような手でも出さなきゃどうにもならないんじゃねえの。」


となんとなく言った事が運のつき。


途端、携帯の向こうでポンと叩く音がしたと思うと、ダニエルは急にテンション高く話し出した。


「やっぱり、そうですよね!いや~、実は私たちスタッフの間でそういうイベントを考えていたんですが、アーサー氏本人が乗り気じゃないから頓挫してたんですよ!でもやはり!もうそれしかないんですよね!」


「?何のイベントだ?」


ダニエルの口からその内容を聞いた瞬間、俺は思わずキャブの中で大声を上げた。


「なぁーっ!?駄目だぜそりゃ!アイツ、あーゆうのが一番嫌いなんだよ!どー見たって柄じゃないだろ!」


「でも!もうそれしか勝てる手段がないんです!そうだウェッブ様、再会するついでに、その事について貴方様から言付け願いませんかね!」


「えー!?そこからそうなっちゃうのー!?」


「はい!私達ではなく、親友の貴方様からなら、きっと話を聞いて下さるでしょう!どうかお願い致しますよ!それ以外の準備は、私とハニーが全力を尽くしますゆえー!」


「は、ハニーってお前、そうやって秘書同士でイチャイチャしてっから、アーサーがああなっちゃったんじゃ」


そこで電話が切れた。


***


 あからさまにウインクをするダニエルに呆れながら、俺は向かいの席に向かう

アーサーより3、4倍も幅のある椅子に腰掛けながら、そこでようやく、久しぶりの友と対面したのだった。


「あれから3ヶ月かぁ~。お互い忙しくなったもんだな~。」


「あぁ、二十六年も経てば、そうなるものなのだろう。」


黒のタイ、黒のスーツといった出で立ちは色白のアーサーにはよく似合う。が、彼が痩身である事を強調させる黒色は少々いただけない。黒の袖からのびた、細い手首と指は骨と皮だけのようだった。


「取りあえず、私はCコースをいただこうか。」


その手でアーサーはメニューをめくる。


「お、おうじゃぁ俺はとりあえず全コースで。」


「ええっ」と、のぞけるボーイをそのままに、俺はメニューをめくって髭をなでた。


「なんでい。Cコースってただの魚料理じゃねぇか。もっと栄養のあるやつつけねぇともたねえぞ。」


「お前は私の母親か。」


眉をひそめ淡々とした口調で話すアーサーと共に、相変わらずだと向かい合った。


「お、あぁ母親っちゃぁ、今ご両親健在か!?一度あいさつしてみたいもんだな!」


「あぁ、今は母の実家、ロシアのサンテペテルグルプに夫婦共に住んでいるが…、まだまだ健在だ。」


その息子はこの通り今にも死にそうですけどねぇ が口癖だった、母親がくれた昔懐かしいプティングの味を思い出す。


「お母様といったら、あの時の事まだしっかり謝ってなかったなぁ…ほらよ、あれ。大学卒業パーティーで俺が羽目外しちゃった奴…。」


「あぁ、あれか。『チキチキ七面鳥とんちんかん横須賀事件』。」


「あはははは!そうそうそれそれ!そんな名前だったっけな、あはははは!」


とそんなとりとめの無い話に指を差して笑う俺を、やはり無表情のままアーサーは見つめる。

が、しかし彼の背後からいよいよ現れた、「アレ」は違っていた。


「わ、笑ってやがるぜコイツ…」


俺の視線に気付いたのか、アーサーが横流しに灰色の瞳を斜め後ろに向ける。


「なんだ。また出てきたのか。」


「「なんだ。また出てきたのか」、じゃねぇよ!なんなんだよあれはぁ!この世界はいつからファンタジーになっちまったんだあぁ!?」


「声似てない。」


「るっせ!」


俺が指したアレとは、ゆらゆらとアーサーの後ろで蠢く骸骨―、いや黒いベールを羽織った「死神」の実像だ。外れた顎をカタカタと鳴らしながら笑う姿は、初めて見た時と変わらず無気味以外の何者でもない。


それに嫌悪感を表してみたら、背後にいる死神の黒い目が突然まん丸くなり、デフォルメ化して笑い出した。


「お、そうしたら意外にかわいく…?」と思いきや、途端に元に戻る。


「茶化してんのかこの野郎。」


「何をさっきからぶつくさ言っているのだ。」


「るっせぇ!」


我関せずといったアーサーの態度に思わず声を張り上げた。


「大体全部お前がこんなの出しちまったから、こうなったんじゃねぇかぁ!」


夢だ。これは夢なんだと思いたくもなったが、眼下に広がる街明かりから、突き出るように建つエンスパイアステートビルが、ここは現実なんだと容赦なく諭す。


「そんな事私に聞かれても困るな。気付いた時には既にこうしていたんだから。」


アーサーは景色を眺めながらワイングラスの水を飲んだ。痩せた首に角の如く盛り上がった喉仏が、波打つように動く。


「ん、なんだ?つまりこれは勝手に出てきたもんなのか?」


「あぁ。ダニエルらが、おそらく私の本音を表していると思っているらしいが、それは違う。」


「そうだよなぁ…もしこれがそうだとしたらあの事件に対して…。」


「そうだ。私が本音でも、笑うわけがないからだ。」


灰色の鈍い光をアーサーは俺につきつけ、キッパリと言った。


「そ、そうだよなぁ…。だってあの事件は、俺が酔っ払った勢いでお前らメンバー全員をナイアガラの滝に頭から投げ飛ばした話だもんな。本当、あれはすみませんでした。この際何か言いたかったらもう何でも言ってくれ。」


「一言だけだ。謝って済むと思うなよ。」


ぐぬぬと顎を引っ込める俺に、またケタケタと音を立てて笑う「死神」。

俺がきっと睨みつけると、風の音をたて瞬時にアーサーの背中へ引っ込んだ。確かにそういうコミカルな所も、アーサー本人には持ち合わせてないものだ。


「…つまりお前の体調や意志に関係なく、コイツが表れるってぇ事?」


「そうだ。昔から突然現れては、特に邪魔もする様子もなく、かと言って言う事も聞くことのない、ただの幻影だった。ただ、無視していれば自然に消える。特に問題はない。」


「………もうすぐ選挙近いぞ。」


「だから何だって言うんだ。」


ぴしゃりと区切った言葉には一種の威圧感が伺える。特に気にしないでいるというよりは、気にしないのが「正しい」と判断している様子だ。


ボーイがコースを持ってきた。アーサーには白身魚のグリル、俺には炭火焼のロースステーキ、テラスのNYの夜景を背景に、キャビアを振られた高級料理が並んで輝く。


「それより、私はお前に聞きたい事が幾つかある。」


アーサーが白身魚をナイフで切りながら訪ねた。俺は切り分けられたステーキを丸こどフォークに刺す。


「お前、この前のファントム事件の事についてニュースにもない詳細を教えてくれたよな。」


「あ、あぁ?それがどうかしたか?」


俺は頬にステーキを含ませ俯きながらも、目だけはアーサーに向けながら答えた。


「あれは、お前やニュースが言うように、本当にただ1人の日本人が全部やった事なのか。」


俺はステーキを噛み損ね、そのまま喉を通してしまった。


「何、俺たちを疑っているのか?」


「ああ。前々からおかしいなとは思って居たんだ。私がそこに駆けつけた時、黒い車の中にはヨーナスもいたし、ジョージも傷だらけになってそこにいた。もしかして、奴らもあの事件に関わっていたて、事はないのか。」


と威圧的に問い詰め、白身魚に口をつける。

俺はもう1つのステーキを噛みしめながら心の中で舌打ちをした。


「だから言ったろ。あの時2人は途中であの車に乗り込んで止めようとしていたんだって。」


「幾らあの2人でも猛スピードで走る車に乗り込めるものとは思えない。それに銃撃もあったと言うし、実は最初から奴らは乗っていたのではないか。もしそうだとたら、これは由々しき問題だぞ、それは勿論、お前もな。」


ちっ、その手の証言は放送される前に色々抑えてきてやってたというに…とぼやく俺に対し、

表には決して出さないが、「厳しい」眼差しを向けるアーサー。

しかし俺も負けじと言い返す。


「あのな、そんなのあくまでただの憶測じゃねぇか。動画もUPされた事もねぇし証拠が何もねぇ、あるのはソースのない掲示板の戯れ言ばかり。お前はそういうのを信じる器だったっけか、ん?」


俺は唇を結び、顔をあげて、けしかけてみる。


「いや、そういう訳ではないが…。」


と一旦は引くも、アーサーはまだ引き下がらない。


「動画については、お前がプラザの管制部に頼んで削除させる事だって出来るだろうが…。」


残念。正解は頼んでじゃなくて、腕っ節で「無理矢理」です。

そう茶化したくなるのを抑え、俺は両手をあげた。


「それことさぁ、証拠がねーじゃねぇのー。」


「調子に乗るな。今度プラザに行った時に確認するぞ。」


「どうぞー。その頃になってる時にゃ奴、異動されてなきゃいーけどなー。」


「な・・・・。教導委員長が人事異動に口出すなど横暴にも程があるぞ。」


「だからー、最初からいないんだってば、そんな奴。」


アーサーはついに黙ってしまった。

しかし曇天色の瞳はそのまま俺の真正面を突き刺す。

それに俺は笑いつつわざとらしく視線をそらしてみれば、視界の端でアーサーがようやく、再び白身魚を口に含んでいるのが分かった。黙々と食べるアーサーの姿を見守りながら、俺はもう一度ため息をつく。

アーサーは昔からこういう奴だ。と。


無口なように見えて正義感が強く、その事に対してならどんな相手、たとえ親友の俺でも容赦なく突きつける意志を持っている。


議員共の馴れ合いには一切関わる事なく、ただ己の意志と正義でもって下院の倦怠な政治を正してきたアーサーは、その敏腕さから政治家として尊敬される一方(それもあって一応やつは議長候補の1人とされているが)、それ以上に嫌われてもいた。


その気持ちは実は親友の俺にも分からないわけじゃない。こうした会話からふと出てくる彼の窮屈な正義感には度々僻易しているのだ。


「こんな調子じゃぁ…ダニエルの言った通り本当にやんなくちゃ駄目かもね…。」


と判断し、俺は景気づけにステーキロースをフォークに指してかぶりついた。続けて一杯のシャルドネをジュースのごとく一気に飲み込み、テーブルの上に置く。その大きなガラスの音にアーサーは俺の顔を見た。


「なぁ、アーサー。そんな事よりなぁ―」


「そんな事ではない―。」


「今度お前の誕生日パーティー開かねえ!?」


飲み干した勢いのままにだした声は、周りにいる他の客の視線を集めた。


「誕生日…?私の…?」


客を宥めるダニエルをよそに、アーサーはゆっくりとその言葉に目を開く。


「おうよ。選挙の二週間前は丁度お前の誕生日だろ。憂さ晴らしという事でぱーっとやっちまおうぜ!って事でな、な!」


「断る。」


即答だった。


「ダニエルたちにも前に言われたが、そんな事している暇はないし、憂さ晴らしという事でそういう事をする気にもおきない。」


「そうだな。俺もお前のためだけにするなら、ここまで勧めやしねぇよ。」


「どういう意味だ。」


怪訝な顔をするアーサーに対して、俺は腕を頭に交わしながら、悠々と答えた。


「お前の誕生日パーティーは今回、公開パーティーにするって事だよ。」


「公開?もしや、選挙の宣伝のためにするって事なのか。」


「ご名答!」


俺は右手で指をならした。


「大体お前仕事仕事ばっかで、他人との付き合いに全然気を遣わないからなー。この機会にお前のイメージアップを謀ろうぜって計画なんだよ、コレは。」


「…しかし私は…。」


俺の提案に突然口ごもるアーサー。しかし、その気持ちを察するように俺は続けた。


「お前がそういう柄じゃねぇってのは俺だって分かってるよ。だがな、お前の目指す議長ってのは今までの仕事とぁ違う。もっと人とのつながりじゃ重要になるんじゃないか?お前も実は薄々気付いてんだろ?脇目もふらず仕事に一心するって事こそがお前の欠点だったってことに。」


アーサーは何も言わずにナイフとフォークを手にしたまま動かない。テラス側に移した瞳の奥には何か模索している様子がうかがえた。


「……懸念する事はまだあるぞ。公開パーティーといってもどこでするんだ。私の自宅やホテルじゃ、公開パーティーの意味なんて有りはしない。どうせ一議員の道楽と切り捨てられるだけだ。」


「確かに。俺もお前の誕生日ってだけならあんま行きたくねぇなぁ。はは。」


冗談気味に笑う。それに更に訝しげに眉を潜めたアーサーに俺はずいと身を乗り出して言った。


「でもな、アーサー。あそこなら別だ。「あの家」なら、きっとお前を知らない奴でも受けは良いぞ。絶対。」


意味ありげな口角の上げ方にアーサーは瞬時に目を見開いた。


「もしかして…「あれ」か、「あれ」でやるのか!」


アーサーにしては珍しく、語尾を強くして驚いている。


「そりゃそうだろ。「あれ」なら庭も含めたスペースを考えても、十分デカいパーティーが出来るぜ。悪くない話だろ。」


「いや……私はあそこではやりたくない…。」


「え、なんで。」


「なんとなく…やりたくないんだ。何か……嫌な予感がして…。」


「はぁ!?らしくねぇなぁおい!」


テーブルに両手をつき、もったいぶるアーサーを牽制する。しかしアーサー目をそらしたまま、手を薄い灰色の唇に添え、考えこんでしまっていた。


「取りあえずパーティーは開くって事で良いよ、な!」


考える間もなく大声をあげた俺の誘導にアーサーは、


「…ぁぁ……。」


と、かすれたような声で呟く。


この際本人の乗り気は最早関係なかった。

俯くアーサーの向こうにいるダニエルに向かって、俺はぐっと親指を突き出す。

と、ダニエルも途端に笑顔になって親指を笑顔の前に突き出す。そしてそそくさと携帯片手に店内から出て行った。


「そう浮かない顔すんなよアーサー。ダニエルも色々と人気が出るようにイベントを考えてくれてんだぜ?読み聞かせとかさ。」


「読み聞かせ?」


アーサーがそこで、ようやく顔をあげる。


「パーティーに子どもたちを呼んでよ、お前が絵本で読み聞かせするってイベントなんだって。」


「子どもたちに関わった所で、私は泣いて逃げられた事しか覚えないが。」


更に深くなっている目の下の黒いクマが、照明の演出によって澱んだ。


「いや、分かるけど。それを改善するためにやるんじゃねぇの。お前、話しをするのはうまいしな。」


「まぁそれはおいおい考慮するとしても…、何を話せば良いのか…分からないのだが…。」


「まぁピクサーでいんでね。俺はファインディング・ニモとか、ラタトゥイユ(邦題:レミーの美味しいレストラン)とか好きだなぁ。」


幼い姪っ子と見た事を思い出し俺はワイン片手に笑った。


「ファインディング…ニモ…?」


「なんでい、知らねーのか。妻と卵の子どももろとも敵に食べられたアマノクワノミの父親が、唯一生き残った息子の迷子を必死になって探し回るってぇ、冒険ものだよ。」


「変な話だな。」


「へ、変な話?」


意外な反応に思わず声が裏返った。


「アマノクワノミはペアどちらかがなくなったら、例え残った方が父でも、やがて母になるように作られている。だから父親のままでいるその話は全くおかしい。」


「何子ども相手の話に真面目にケチつけてんだよ、お前は!」


何がおかしいと言った感じの「無表情」を見た瞬間、俺は頭が痛くなり眉間に手をあてた。

いや、しかしそれにのまれて溜まるか。


「じゃぁ!ラタトゥイユにしよう!プロの腕を持つ子鼠が人間の仲間と協力し合って、料理を作って成功するという話だ!感動するぞ~?」


「不潔なだけじゃないか…。」


「もーっ!黙れし!」


これは先が思いやられそうだ。


そんなやりとりを、高見から見下ろす「死神」は、また顎を鳴らして笑っていた。





2、アーサー氏の生い立ち


 「と、言うわけであと5日後、私服でOKだけどそれなりに準備しておけよー。」

「断る権利ないんですね私は。」


シフトも終わり、中華料理店、高燐(コウリン)に立ち寄っていたヨーナスが、諦めがちにため息をついた。


「おやおヤ。こちらが、貴方がよく話している上司さんですネ?」


ヨーナスの後ろ、厨房から顔を横にひょいと出したのは、黄色の満州服に身を包んだ高珊だ。

一房に三つ編みした濡烏の髪を一度かきあげながらウェッブに向かって微笑んだ。


「お、あんたも聞いた通りの美少女看板娘だねえ。俺はアルバ・ウェッブだ。よろしく。」


「私は杓高珊でス。よろしく。」


ヨーナスを挟んで2人は握手した。とそれを遮るように父親が厨房からラーメンをヨーナスの前に置く。


「お客サンも飽きないネ!野菜担々麺ョ!」


「うわっぷ、また眼鏡がっ」


湯気に覆われヨーナスが眼鏡を吹いている間、ウェッブは担々麺を見る。


「わぁうまそうだな。親父!俺にも一つ!」


「おうョ!」


ウェッブの勢いに負けずと親父の声が弾く。平日の「高璘」の店内。複数の客の中にまじって、ヨーナスとウェッブは入り口近くのカウンターに顔を向き合い、座っていた。その様子を高珊は興味深そうに見守る。


「ヨーナスさン良かったでスネ。パーティーに誘われるなんテ、私も一度で良いからそういうの行ってみたいでス。」


羨望の眼差しで見る高珊にヨーナスは箸に手をつけながら苦笑した。


「いやぁ、そんなものではないですよ。大物の護衛役を勤めるっていう役回りだけで。」


「誰の?」


「アーサー・ベリャーエフ議員だよ。知ってるか、高珊。」


腕をカウンターの上で組み合わせながらウェッブがいう。


「阿!知ってまス!前にテレビで見ましたヨ!あのすっごく顔色が悪い人!」


手を叩き笑う様子を見上げながら、あーやっぱそんな風に覚えられるのね。と2人は思ったのであった。


「すごいじゃないですヵ!国会議員のパーティーに出られるなんテ尚更羨ましいですョ!」


「しかも舞台は、プリヴィデーニエ・ハウスってんだ。豪華だろ?」


「キャーッ!もっと素敵でス~!」


身を乗り出しながら盛り上がる高珊に、ヨーナスは怪訝な顔を向けた。


「そうそうそれなんですけど、何が一体すごいんですかね。私名前も初めて聞いたんですけど。」


「あラ、結構有名じゃないですカ?確かNY市内でも古い建物でしたよネ。」


「あぁ、NY市良景観指定建築物にも登録されている、世紀末に出来たロシア風の古い家だ。」


とウェッブが答えた。


「あ、あぁ思い出しましたよ。ブルックリンハイツの小高い丘にある古家の事ですよね。しかしまぁ、良景観指定建築物をパーティー用としてよく貸し切られましたもんですね。」


「ちげーよ。あれは元々アーサーのモン何だってば。」


「えェー!」


ヨーナスが反応する前に、高珊が声を上げた。


「元々はアーサーのじーちゃんが戸主の家だったんだけどな、二十年前に死んじまってからはあいつ1人が受け継いで管理してるってわけだ。」


ほーと初耳な言葉に2人同時に頷く。


「それ聞いてるとアーサー議員、結構お金持ちの出身に聞こえますネ。」


「金持ちどころじゃねぇぞ。アイツは貴族だぜ、「貴族」。」


「貴族!?」


突然現れ出た貴族という神秘的な言葉に、黒真珠の目を輝かせ高珊は高揚した。

その様子にウェッブは声を上げて笑った。そして一本指を突き上げ、まるで自分のように悠長に語り出した。


「アーサー・ベリャーエフ下院議員。しかしてその実態は!ベリャーエフ家第十三代当主、アルトゥール・エゴーロヴィチ・ベリャーエフなのであーる。」


「エ、エゴーエオノビリ?」


「違う違う、エゴロービチ!」


「ウェッブさんも間違えてますけど…。」


とにかーく!とウェッブは手をついて話を続けた。


「ロシア革命が起こった時、革命派の粛清から免れようとしたロシア貴族が大量にアメリカに逃亡したのは学校でも習ったろ?ベリャーエフ家もその1つで、逃げ出した時に持ち出した金であの土地を買い、住みだしたのが始まりなんだって。アーサーって、そういう出自の奴なんだよ。」


「そうなんですか…すごいなあ。」


昔習った歴史の片隅が急に思いおこされて、ヨーナスはしばし動揺した。


「歴史、といえば確かロシア革命時に出てくるニコラス・ベリャーエフという貴族がいましたよね。よもや彼と何かつながりあるのでしょうか…?」


「さぁ…。よく知らねーけど、アイツの出はサンテペテルより更に北の方だぜ。だから「白い」って代々言われてたんだろうな。」


ふと父親のかけ声とともに、高珊が厨房の中から戻った。


「代々白い?」


ヨーナスは首をかしげる。


「あぁ。あいつの姓、ベリャーエフはロシア語で「白き者」っつー意味だ。首都にいる他の貴族に、その色白の体に灰色の目と髪という容姿によってそうあだ名つけられたって記録に残されてんだって。面白えな。」


「ははぁ。 姓一つにしてもそんな歴史があるなんて…さすがは貴族ですね。」


担々麺お待ちというかけ声と共にカウンターを挟んでウェッブは高珊からお椀を受け取った。


「色白に灰色の目と髪なんテ、正にアーサーさンの事ですネ。」


お盆を抱くように持ち替え、高珊は微笑む。


「んだかなぁ、NYに来てからはさすがに段々それも薄くなっていって、今生粋にその容姿を受け継いでるのはアーサーしかいねえらしい。これでベリャーエフの血統も身代限りってワケだな。」


「あラ、ご兄弟ハ?」


「ウクライナに嫁いだ十つ下の妹が1人。でも兄妹とは思えない程似てねーんだな、これが。」


湯気をはたくようにパタパタと手を振るウェッブ。ウェッブにしては小さすぎる箸も難なく正しく持ち、一気に麺を絡ませ頬張った。


「ん、どうしたんだい高珊ちゃん。急に浮かない顔して、」


盆を抱え、顔を隠していた高珊ははっとしてヨーナスを見た。


「いえ…。ちょっとウェッブさンの話聞いてると、アーサーさン大変だなと想いましテ。」


「大変、そうかな?私には羨ましいとしか感じ得ないけど。」


「いや大変ですョ。本家の長男で、当主で、容姿もたった1人受け継いで、生きていくなんテ、色々な重圧があるに違いありませン。そう考えると、なんか悲しさまで感じてしまっ…。」


するとウェッブは堰を割ったように高らかに笑い出した。


「あはははは!こんな可愛い嬢ちゃんに心配されるたぁ、アーサーもすみにおけねぇなぁ!どうしてそう思ったんだ高珊!?」


「へ?貴方がそう思っているのを感じとったからですけド。」


きょとんとした表情で盆を抱える高珊に、ウェッブはそのまま笑顔を保ちつつも、ぐいとヨーナスの肩を掴み寄せた。


「なんだ、なかなか鋭い事言うじゃねえの、あの可愛い子ちゃん。」


こっそりとヨーナスの耳元で呟く。


「なんでも柳葉刀使いとして鍛えた、『気』を読む力、だそうですよ。あまり探られたくなかったら、彼女の前のお喋りも程々に。」


にやりと眼鏡の奥から笑うヨーナスを、ウェッブは勢い良く突き飛ばし再び食を進める。


「まぁ、アイツはそういう事を絶対に顔に出さない奴だから、真意は分かんねけどな。そのパーティーで、少しでも気楽になって欲しいもんよ。」


「またまた…思ってもいない事を言っちゃって…。」


掴まれた背中を押さえながら、ヨーナスも担々麺を口にする。黙々と箸を進める2人を微笑ましく見下ろしながら、ふと高珊はある事を思い出し、口を開いた。


「あ、そういえバ、パーティーには、ジョージさンは行かないのですヵ?」


「ぶっ!」


高珊の言葉に2人は盛大に吹き出した。ウェッブが麺を噛み切って飲み込み、口を開く。


「連れてかねーよ!どんな事で大暴れするか分かんねーじゃん!アイツ!なぁ!?」


「え、ええ!護衛は私だけで十分ですし、わざわざ来てもらう必要なんて、ですねぇ!?」


顔を向き合い笑うわざとらしい様子に、高珊は目を細め凝視しながら言った。


「あァ、なる程。あんな眉目秀麗のジョージさんを横にでもつけたらアーサーさン、へのへのもへ字になっちゃいますからネ。」


さすが「気」を読める少女。思惑はバレバレであった。


「いくら本当でも言っちゃあいけねぇ事あるぜ、高珊っ!」


ウェッブがヨーナスの同意を得ようと横を向いた時、ヨーナスはカウンターに突っ伏していた。


「げっ。どうしたヨーナス。」


「・・・・そうですよ……どうせどうせ、ジョージさんの横に付いてる人なんてモブ以外の何者でもないんですよ…。」


か細い声で突然ぶつくさと呟いたかと思うとヨーナスは俯き首を乱暴に振る。


「全く…ジョージさんの横につくなんて、男としてこれほどの拷問がこの世にあると思いますか…?いつもいつもみんなからジョージさんと「名前の知らないあの人」とか私はヴォルデモートのなり損ない。どうせ私は弱気で、ブレやすくて、地味で、眼鏡が本体の野良犬なんですよ……うっうっう…。」


「真意を探られたのはお前の方かよ……。おーい。ヨーナスー。こっちに戻ってこーい。」


ウェッブが背中をさするも、ヨーナスは1人の世界に閉じこもり全く反応しない。彼の地雷を踏んでしまったと、頭に手を添え、後悔した高珊であった。





3、不可解なフラッシュバック


 いよいよ明日、パーティーを迎える。

事務所から見えるハーレムの街を見下ろし、アーサーは1人窓際に立っていた。

その手にとっているのは別の書類の束である。


「ムンダネウムにて、新たな核廃棄技術が開発される。投資制度に寄らない、実業展開に成果が訪れた。」


とロシア語で書かれた関係のない書類で気持ちを紛らわせようとしていたが、それは杞憂に終わっている。


頭の中では明日のための日程を巡るばかりだった。

淡々とその段取りを確認しようとするも、その度に鬱々とした気持ちが広がり、思わず深くなった眉間を長い指で押さえつけた。


乗り気ではない。アーサーは心の中で思う。


頭では分かっているのに、乗り気になれない自分がいた。それは元々自分がそういうのを好まないのもあるが、何より「あの家」でやるというのに抵抗があるのをアーサー自覚していた。


「しかし何故、嫌なのか…。」


虚ろな灰色の瞳は、オレンジ色のネオンを写す。


両親が妹の誕生のため家を離れ、祖父と2人きり、11歳までしばらく過ごしたあの家。

その日々を思い出そうとするも、家の中の構造と、昔大事にしていた白馬のぬいぐるみ、そしてリビングの暖炉の前に揺り椅子でくつろぐ亡き祖父の後ろ姿など、断片的な記憶がぼんやりと思い浮かぶだけであった。


「あんなに長くいたのにな、もう年か…。」


思い出せないのに何故、こんなに行きたくない気持ちだけは残っているのか。


口を少し開け、指を添えて考え込んでいると、

ふと後ろでノック音と共に、誰かがドアを開け入ってきた。


「失礼致します。アーサー様、明日の誕生日パーティーについて最終確認をよろしくお願いします。」


黒のパンツスーツといった出で立ちの第二秘書、ミナが、書類片手にソファに近付いてきたのだ。アーサーは「分かった」とだけ返事し、振り向きミナと向かい合うようにしてソファに座った。


「こちらがパーティーの参加客リストです。今一度ご確認を。」


低いテーブルを挟んでアーサーはミナからプリントを受け取る。懐から取り出した、薄い透明な蒼色の眼鏡をかけ、それを確認した。


「最終的な参加者は、レストランから喜びのあまり飛び出て車に轢かれ入院したダニエルを除く、スタッフ、ウェッブさんを除いた四十二人です。」


ミナも同じ資料を見ながら説明した。


「確かに、一般人も始め人種も年齢も多様だな。どうやってこれは確保出来た。」


「はい、秘書、スタッフ各々から信頼に値する人を誘い、招待しました。あの家でやると言ったら、皆さん快く受け入れたと言いますよ。」


細い目で口元を上げるミナであるが、アーサーは反対に蒼い眼鏡の奥で眉をひそめた。


「来る時間はバラバラなのがネックですが、それが如何にも公開パーティーぽく報道者側に演出出来るかと。」


「そうだな。」いつも通りの淡白な返事。


「そして今回、議員の護衛として任されたのはNYPDの巡査ヨーナスです。よろしいですか。」


「ディンゴか。“猟犬”じゃないなら構わない。」


とだけ答えるとアーサーはプリントを机の上にぱさっと置いた。あーやっぱりジョージさんは来ないのね。と諦めがちにため息をつくミナであった。


「あ、あとはイベント日程と、食事のメニューの確認だけですね。」


アーサーは再び渡されたプリントを受け取ると、一番上に白と対照的な淡い桃色のカードがのせてある事に気付き、顔を上げる。その先には顔を綻ばせてるミナがいた。


「妹様からの誕生日カードですよ。」


その声と共に開いて見れば、手描きの誕生日ケーキの下に丸っこいロシア語が続いている。


「お誕生日おめでとうございます。今年、お兄様が誕生日パーティーを開かれるとはとても驚きました。ケルチの窓より貴方様のパーティーの成功をお祈り致します。 愛しいお兄様へ アンジェリーカより」 とあった。


「優しい方ですね。」とミナは笑う。


「あぁ、彼女にまで言われたら、何としても成功させねばならないな。とっておいてくれ。」


無表情のままにカードをミナに渡し、

そのままプリントに目を映してしまったアーサー。


「なんだ・・・。もっと喜んでもいいものでしょうに…。」


ミナはその様子を訝し気に、きゅっと桃色のカードを握りしめて呟いた。


これが初めてな事ではないのは分かってるハズだった。自分にも、ダニエルにも、そして親友のウェッブにさえも隙を見せないポーカーフェイス。

眼鏡と眉の奥にある、変わらない小さいビー玉の灰色の瞳を魅力に感じると同時に、切なさもこみ上げてくる。


「このまま誰にも心を寄せずにこれからもやっいくつもりなのかしら…だとしたらなんだかアーサー様、すごく可哀想…。」


と思った先、アーサーの背中から雲のように黒い影が浮かび上がったかと思うと、真ん中から白い骸骨がにゅっと飛び出した。


「あ、また…。」ミナの呟きと共にアーサーも振り向く。


「またか。」


死神は目を刃のように尖らせ、カタカタと音を立てながら斜め右へと移動し、アーサーの肩を掴んでいた。彼の後ろからじわじわとどす黒い影を波打たせる様子に、ミナはそこから死神の邪念を感じ取る。


「まさか…私がアーサー様と話しているのに怒っているというの…?」


だとしたら不可解だ。てっきりその正体がアーサーの分身だと思っていたミナは首を傾げた。

謎の死神が自らの肩を掴んでようとも動じない彼の肝の強さに、ミナは感嘆の息をもらしながら指を差す。


「どうやら嫉妬、しているようですよ。私に。」

「何、そんな馬鹿な。」


アーサーは怪訝に思ったが、死神は更に身を震わせ荒々しくカタカタと音を立てている。


「全く、いらぬ心配をかけているようだな。」

「本当に、」


とミナはクスクス手を添えて笑った。


「しかし本当に何者なのでしょうね。分身、というよりかはまるで守り神みたい。」

「守り神。」


「ええ。嫉妬をする位アーサー様を慕っていらっしゃるのですから、見た目と違って、アーサー様にとって悪者ではないのでしょうか?」


そう答え見上げるミナと共に、「いや、いること自体が迷惑なのだが」とぼやきながらも、アーサーも肩より上を見上げる。黒い影を靡かせてアーサーを見下ろす死神、その瞬間アーサーの脳裏にデジャヴがはしった。


「…!?」


見た事がある。この光景をずっと昔に一度だけ。


すると死神の背景が途端に茶色い木枠に囲まれたものとなった。


「これは…あの家の…!?」


そう気付いた時、アーサーは突然激しい胸の痛みと息切れに襲われたのだ。

なんだ急に。と、俯きがちになりその痛みに耐えながら、恨めしく死神を見上げると、死神は無表情のままで佇んでいる。しかしその右手には先ほどまでなかった鎌を持っていた。


熱されたように橙色に光り、そこからは赤い血が滴っている柄の長い鎌。

それを見た途端に激しく胸が突くように痛み出す。思い切り息を吸い込むも、喘息のように全く空気が入ってこないのだ。


しかし、苦し紛れにそれを見たアーサーは思い出したのだ。


そうだ、コレと初めて会ったのは「あの家」でだった。

あんな風に鎌を持ち、私を見下ろしていた。でも何故。そう考えた瞬間目の前が真っ白になって―息切れと胸の痛みにふと意識を失いかけそうになる。


「アーサー様!―ッアーサー様!」


女の声にはっと目を覚ませば、自分が汗を掻きながら胸を必死に押さえていた事に気付く。


「…はっ。」


突然収まった発作に瞬時に息を吸いこんだ。額に広がる汗をぬぐい、アーサーは激しく肩を上下して息を整える。一方、両肩を押さえていたミナは叫んだ。


「急に発作を起こして俯いたので驚きました!病院に行きますか!」


確かにアーサーの元からの顔色を知らない者にとっては、救急車騒ぎになる程の青ざめた顔だった。しかし手を震わせながらもアーサーは掴まれたミナの手をかわす。


「大丈夫だ。問題ない。」しかし当然、ミナは納得しない。


「無理をしないで下さい!明日パーティーで再びこんな事になったら―!」


「そうはさせない。」


それは深く低い声だった。



「アーサー様…」


アーサーの声にひるみ、ぱっと手を離すミナ。

アーサーは揺らぐ視界が整っていく事を捉えながら胸を押さえていた手をゆっくりと離した。


「大丈夫だ。この後休めばすぐ直る。」


更に差し伸べるミナの手を払い、アーサーは眉間に手を当てて言った。


「もういい。確認は以上だ。」


と締めるアーサーに戸惑いを感じながらも、ミナは黙って机の書類をかき集め立ち上がった。


「本当に大丈夫ですか。」念を押すように確認する。


「あぁ。」


と小さい声で答えるアーサーにミナはゆっくりお辞儀をし、部屋のドアに向かって歩いた。がドアノブに手をついた時振り返り、最後に一言付け加えた。


「成功させようとして無理はなさらないで下さいね。パーティーの成功は…何より貴方が楽しむ事にこそあるのですから。」


ドアの閉まる音が響いた時、アーサーはどっと溜まった疲れに沿って、ソファに仰向けに寝ころんだ。彼の痩身を示す、ソファのこすれる軽い音が部屋に響く。

黒く伸びた長い脚を交差させ、虚ろな灰の瞳で天井を見上げる。髪を掻き分け、まだ濡れる額に手を添えた。一体あれは何だったのだろう。かすれた声で唇を開く。


あれはおそらく私がかつて見た光景。しかし何故鎌が。真っ赤に焼けたあの鎌が頭から離れなかった。


一体あの家でかつて何があったというのだ。酸素の少ない頭の中に思い浮かぼうとするも浮かぶのは、白く突き出した骨の手が握るその鎌の矛先だけ。


「鎌は…鎌は…どこへ行ってしまったんだ…。」


うわ言のように呟きアーサーは瞼を閉じる。力無く横たわる様はさながら死人の様であった。




4、プリヴィデーニエ・ハウス


 古いアークテクチュアの街並みが揃う、ブルックリン市内。

その中でもハイツと言われる整備された丘陵地は、特に富裕層が邸宅を構える一帯だ。蔦のつたうレンガ状の街並みを窓ごしに眺めながら、ヨーナスは目を輝かせている。


「綺麗ですねぇ…。NYの空ってこんなにも青かったなんて、知りませんでした。」


ビルがそびえ立つマンハッタン区と違い、平屋が並ぶブルックリンには蒼く澄み切った空がよく見える。

雪が多かった日々の隙間に晴れ渡った空。その中で真っ白な雲がゆっくりと流れていた。


「あぁ。かつてはマンハッタンもこんな感じではあったんだろうがなー。」


隣で窮屈そうに座りながら、向かいの窓を眺めるウェッブは答えた。

その声に横を向くと、ウェッブが黒のタートルネックにシルバーのアクセサリー、分厚いジャケットを羽織り、手には金の腕輪や指輪をはめている事が分かる。


「アクセサリーはともかく、また黒ずくめですか。それじゃ仕事着の時とあまり変わりないじゃありませんか。」


「いいの!黒人は黒服が一番似合うの!」


ヨーナスの突っ込みを突きはねる一方、ヨーナスの服装は刺繍がほどこされた白Yシャツに、淡い水色のジャケット、同じ色のズボンといったもので、ヨーナスの清楚な趣味が垣間見える。


しかし車内がゆれた時、それとは相容れない漆黒のハンドガンが水色のジャケットから、その一辺を覗かせた。


「ふうん…まぁまあだな。」


と頷き、ウェッブは再びハイツの家々にある錆びたナンバープレートを、玄関前の格子に目を移した。イエローキャブの運転手が2人に話しかける。


「旦那、あそこがベリャーエフ家ですぜ。」


2人正面を向いた時、同時に「おおー。」と声を上げた。


真正面に移るのは芝生が覆う高台の上、その頂上にぽつんと浮かぶ赤いレンガの二階建ての家があった。


青い空と萌葱色の芝生の間に佇む紅の家は、とても見栄えが良く、先日降った雪に濡れて輝く芝生がその景色を更に際立たせていた。


「すごい…!さすが良景観指定建造物に選ばれてるだけありますね!」


「あれはロシアからわざわざ木材を当時のまま取り寄せて作った代物でさァ、十五世紀頃のやつですぜ。」


「アメリカ建国よりずっと前のモンかよ…!」


「へえ。だから実質的にNYの中でも、一番古い建物になりますねぇ。」


運転手の言葉に、ヨーナスはごくりと唾を飲む。ただのしがない巡査である自分が、果たしてあんな所に行ってしまって良いのだろうか、と途端に萎縮してしまうのだ。


のどかなポプラ並木を出て、ヨーナスたちを乗せたイエローキャブは、真正面に高台へ続くゲートに至った。

厳つい面持ちで監視室から見下ろす男を、ウェッブの一睨みで難なく通り過ぎる。


ゲート側に集まって並ぶ邸宅を横目に、頂上に向かって回るようにしてキャブは走った。そしてようやく、ゲートの中でも、他の邸宅と切り離された例の家に至る。


イエローキャブから門の前に2人は降り立り、目の前には垣根に囲まれた赤レンガが立ちはだかった。レンガにはみこまれた赤いステンドグラスから、人影が動いているのが分かる。


「おや…まだ準備をしているのでしょうか。」


ヨーナスがステンドグラスを覗き込む。


「あぁ、まだ三十分前だかんなぁ。入るぞ。」


「わぁぁぁ遂に来てしまったんだぁ…。」


ヨーナスは声をあげ、ぎゅっと白手袋を握りしめた。

やや装飾のごついゲートを軋んだ音と共に開く。その先は玄関に面する芝生の庭が広がっていた。手入れの行き届いたガーデニングが家を囲むようにして彩る。


その広さはおおよそヨーナスの家一軒分といった所か。


「に、庭にしてこのレベル…ですか…。」


とフラフラと中央に立つヨーナス。ふと左に目を向けると、垣根のない正面にブルックリンの街並みと遠くに浮かぶマンハッタン島の片鱗が伺えた。


「うわぁ…!すごいやぁ…!」


思わず破顔一笑。手を掲げた時、丘から風が吹き上がった。

ウェッブもその様子に口元がにやける。火をつけた葉巻を加えながらヨーナスの隣についた時、その煙を吹き消すようにまた風が舞い上がった。しばらく摩天楼の眺めを臨んでいると、後ろからドアの開く音が聞こえた。


「あら!いらっしゃいませ!そんな所にいて寒くはありませんか!?」


女の声に振り向けば、ドレスアップしたミナがドアに手をつき立っている。黒のロングドレスの出で立ちで、2人の元に駆け寄った。


「あぁ、今日は快晴だかんな。つかお前こそ寒くねーのかよ。」


「あら。そう言えば寒くありませんね。」とノースリーブで佇み、笑うミナ。


艶のある黒髪を黒薔薇のコサージュで一房に結び、そこから先をわずかにカールさせたアップは平凡な顔立ちにそれなりの花を添えている。


「ウェッブ様、ヨーナスさん。今日はアーサー・ベリャーエフの誕生日会にお越しいただきまして、本当に有難うございます。」


とミナが屈んだ時、黒生地に覆われた白い双丘の谷間がヨーナスの目の前に突き出された。ヨーナスは頬を染めさっと目をそらす。


「それでは早速ご案内致しますね。早くアーサー様の所へ行ってもらわないと―。」


何も知らずに顔を上げたミナに、若干の罪悪感を覚えながら、ヨーナスはウェッブの後につき、ついに家の中へ入った。

木枠の二重ドアを開けるミナに続くと、前と左手に茶渋色の木枠にはめ込まれた窓が張り巡る、広い部屋に至った。

幾つも置かれた丸テーブルには、焼きたての、冷やしたての万国様々な食事が置かれ、その回りを大勢のボーイがせわしく動き回る。

その様子といい、窓枠にちらほら見えるステンドグラス、窓縁の上の古臭いタイプライターや古本が積み重ねられた情緒ある演出といい、それは個人の自宅というよりはさながら高級レストランといった所だ。


ヨーナスはウェッブと共にため息をつきながら、しばしその様子を眺めていた。


「あの…ミナさン。私やっぱりこんな所に来て良かっタのでしょうヵ…。」


ふとか細い声の方ふ顔を向ければ、黒だかりの中から小さな「紅」が浮かび上がった。それは小柄な体型に紅い満州服をぴったりと張り付かせ、バンビのように細い太ももを覗かせる一人の少女―、


「こ、高珊ちゃん!?」


「あ、ヨーナスさン!」


2人同時に駆け寄り、部屋の中央で手を取り合った。


「なんてこったい!高珊ちゃんまでこのパーティーに!?」


濡鴉の髪を掻き上げ、紅い菊のコサージュで留めた髪型の高珊は声を震わせながら顔を上げる。


「えェ。私も話で聞いたパーティーにまさか出ることになるとは夢にも思いませんでしたヨ…。私なんてただのしがない料理屋の娘だというの二…。」


「何言ってるの高珊ちゃん。ウェッブ様と私、2人からの直々の推薦なのよ。大事なお客様に決まってるじゃない。」


少女の後ろに回り、肩に手をかけ微笑むミナ。ウェッブもその横にわりこみ、高珊に向かって笑った。


「そ、そうですヵ…?」


2人のフォローにぎこちない笑顔で応える高珊。笑う口元に、薄い桃色のグロスのラメが光る。ミナを見上げ白い首筋に紅のコサージュをアップした黒髪が添えられ、そのコントラストにヨーナスは心をときめかせた。真珠のピアスを垂らしながら微笑む黒いドレスの大人の女と、それに応じて笑う花盛りの紅い満州服の美少女。


「綺麗だなぁ…この組み合わせはなんとまぁ…」


「眼福、眼福だねぇ~!」


「!?」


ミナの肩からにゅっと腕がのび、ミナの体を抱きしめた。彼女の肩の上に顎をのせ笑う男は、鋭い眼光でミナに頬を寄せる。


「と、椴さん…。」


呆れ気味にミナは横流しに椴を見た。「毒蛇」という彼の異名通り、光沢のある緑色の蛇鱗柄のジャケットを着くずし、はだけた純白のYシャツからは真っ赤な薔薇が見える。いつもと違い、しっかりと固めた香る髪、その出で立ちは、子供っぽい動作に似合わず、伊達者であった。


「うーん。俺は可愛い女の子も大好きだけど、やっぱ君みたいな身体にメリハリのある女の方が好きだなぁ~。」


ため息をつくような声で囁いた言葉に高珊は、


「きゃぁっ!何を言い出すんですヵ一体!」


と顔を真っ赤にその場から離れた。一方ミナは呆れつつも動揺する事なく椴の抱擁に従う。


「まさか…椴さんもミナさんの推薦で?」


ヨーナスの問いにミナははぁーとため息をついた。


「私だって本当は避けたかったですよ・・・!でもホンダの日本人関係者も呼び出せるって言われたら、その手を使わないワケにもいかなくて…。」


「またまたそんな事言っちゃってつれないなぁミナちゃん。」


椴は更に強くミナを胸に引き寄せ強く抱き締める。

公の場でのそうしたやりとりにヨーナスとウェッブもため息をついた。

ふと扉の鈴の音に振り向くと、今度は片手を上げ笑顔で近づくアレクサンドリアがいた。


「アレクサンドルさん!」


「おう!ヨーナス!お誘いありがとうよぅ!」


白ボタンのついた紺のTシャツに、クリーム色の長ずぼんという日常服で登場した彼と強く握手をする。するとアレクサンドルに続き扉から誰かが、出てきた。それは大勢の子供たち。


「まあ!」


ミナはその正体に微笑みながら口に手を添えた。


「紹介するぜ、俺の娘と、その学校の友達だ。」


「「「「こんにちは!」」」」


真新しい小さなドレスを着て挨拶する少女たちの笑顔に、家の中がぱっと華咲いたような気がした。中央に位置するピンクドレスの少女は、父親そっくりの金の巻き毛を紅いリボンでツインテールにしている。


「みんな、今日は来てくれてありがとう。この家でパーティーを楽しんでいってね。」


ミナの掛け声と共に少女たちは一斉に歓声をあげ飛び出した。普段着ないドレスを背伸びしてめかしこんで走り回るその様子に、大人勢は思わず口角を緩めてしまう。


「ありがとうございます。アレクサンドルさん。子ども達が来てくれたおかげで更に「らしく」なったようですわ。」


抱きしめる椴をかわし、アレクサンドルにお礼を言うミナ。それに対し、照れくさそうに頭を掻きながら笑うアレキサンドルにヨーナスは、やれやれと言ったように首を振った。


やがて、扉から次々と見知らぬ人も入るようになり、部屋も華やかなドレスコードを着た人々でいっぱいになり、騒がしくなっていった。


「よし、これで最初のメンバーは揃いましたね。」


「最初のメンバー?」


「ええ。メディアに対する演出上、参加客はそれぞれバラバラな時間帯に集まってくるんです。今は主に、前半に集まってくるメンバー。一番人が集まる時間帯よりちょっと早めに来た人たちですね。」


部屋の一角に着飾りながらも、カメラとメモを構え始めるメディアの人間を横目に、ひっそりミナは呟いた。



「え、じゃア、まだパーティーはまだ始まらないんですカ?」


「そうですね・・・あと20分くらい経たないと一番人が集まらないので・・・。」


「へえ~、じゃあその間君とずっとイチャコラできるってわけなんだ~。」


と調子よく肩を掴む椴に、軽く頬を叩きミナは言った。


「いーっえ!早めに来た人たちにはとても素敵なイベントを前持って用意してありますからねっ!」


とミナはヨーナス、ウェッブの方へと顔を向けた。


「それではそろそろヨーナスさん、ウェッブ様どうぞ。いよいよ今回の主役がいる所へ、案内してさしあげますわ。」


と手を広げ、その方向へと差し出した。いよいよか。ヨーナスはごくりと唾を飲む。ミナの後をついて行った先は、部屋の右隅にある大きなガラス扉だ。

2重になっている扉を通り行き着いた部屋は、今度は円状になっている。

これまたステンドガラス張りの窓に、二対のソファとテーブルが真ん中に置かれた応接室。そこにスタッフ数人を側におき、入り口にいるヨーナスらと向かい合うようにしてソファに座る黒ずくめの男が1人いた。


「アーッサーッ!」


ウェッブが口一番大声をあげ近づいた。親友の登場に黒ずくめの男―アーサーは、


「ああ。よく、来たなウェッブ。」


とすくと立ち上がりウェッブと硬い握手をする。それだけにとどまらず肩を掴み思いっきり叩くウェッブに、無表情ながらもそれを受け入れた。


「アーサー様、護衛の方も到着いたしました。」


ミナの声と共にウェッブ越しにアーサーはヨーナスを見た。その鋭い灰の瞳にヨーナスは思わずその身を震わせる。


「世話になるな。ヨーナス、早速後ろについてくれ。」


「ああっ・・・!は、ハイ・・・!」


声を裏返しヨーナスは慌ててソファを回ってアーサーの側に付いた。横目で見るアーサーの衣装は最初黒ずくめと思ったものの、そうでない事が見て取れる。


黒を基調とした上質な布生地のスーツには、チョーク柄の白いストライプがはしり(襟にはついていない)、胸には白薔薇が一輪添えられている。第一ボタンまできっちりしめた分厚い白Yシャツに、灰のネクタイを付けた主役の衣装は、伊達者の椴と異なり、控えめかつ上品な出で立ちを醸し出していた。


「それでは、アーサー様。そろそろ皆様をお呼びしてもよろしいでしょうか。」


「そうだな。」


と言っている内に、扉の向こうから次々と人がなんだろうと興味を持って入っていっていた。最初は跡をついてきた椴、その次に高珊と続く。そうして、突然の主役の登場に一同は驚いた。


「おっおお・・・。どうも、初めまして。貴方の秘書の推薦で来たホンダテイラーNY支部副主任を勤める椴敬之と申します。以後お見知りおきを~。」


まず椴が手を差し伸べ、アーサーに挨拶をする。アーサーもそれに応じて、握手をして彼を見下ろす。


「ああ、ありがとう。・・椴か・・はて、どこかで見たことがあるような顔だが・・・・。」


首をかしげるアーサーであったが、そのままにして椴から目をそらした。

その間、ヨーナスとミナとウェッブが、生きた心地をしなかったのは言うまでもない。


「お、お誕生日おめでとうございまス・・・・。我是・・・あ、私の名前ハ・・杓高珊でス・・・。は、はじめましテ・・・・。」


続いて、途中母国語も含みながらぎこちなく挨拶をする高珊。

緊張のため声も途絶え途絶えである。


「そうか、高珊というのか。私はアーサー・ベリャーエフだ。よろしく。」


小柄な高珊に合わせ身体をかがみ目線を合わせるアーサーは震える右手を優しく掴んだ。色白の手は思った以上に温かい。自分に対する丁重な気遣いに更に恐縮して、高珊は顔を紅く染め、うつむいてしまった。


「まあ高珊ちゃん。男の人とああして触れ合うの初めてだったのかしら、可愛いわねえ。」


ヨーナスの横につきながらミナは微笑む。一方ヨーナスは、


「え、高珊ちゃん。じゃあ前に私が抱きしめたのってあれノーカンなのかい。」と茫然としていた。


「「「「お誕生日おめでとうございまーす!アーサー議員!」」」」


「46歳の誕生日おめでとうございます。」


「しばらくでございました。アーサー様。」


そして続々と集まってきた参加者と挨拶、握手をかわし一通りそれが終わった頃、腕時計を確認したミナは部屋の中央に立って声をあげた。


「それでは、皆様。パーティー開始は残すところあと十五分となりました。その間にこの良景観指定建築物に指定された伝統あるベリャーエフ邸宅を、持ち主であり、かつ当主あるアーサー・ベリャーエフ自らが案内していきます。」


その瞬間小さな歓声があがった。


「それを待っていた!」


「楽しみね!」


「それ以外の方はどうぞ、パーティーの豪勢なお食事をお楽しみくださいませ、それでは、アーサー様。」


ミナが横を向く。その先には応接室の隣に続く部屋のドアに、手をかけるアーサーがいた。


「ああ、そうだな。こっちだ。」


そして淡々とした口調でドアを開き、部屋を移る。


「おおっとちゃんと護衛をしなくちゃ!」


慌てて追っかけるヨーナス、それに続き、ウェッブ、椴、高珊を含む部屋廻りに参加する人がその後に続いて行った。


***

 

 応接間に続く部屋は寝室であった。上質な紅いベッドが2つあり、その横には豪勢な彫刻が模された古時計。ベッドに向かうようにしてあるガラス張りの棚の中には様々なビードロ人形、磁器で出来た置き時計と情緒ある小物が多分に置かれていた。


「うっわー、綺麗ね~。」


「いくらくらいするんだろ~。」


見て眺めるだけでも価値のある邸宅に、喜びと感嘆の声が参加者の間に湧き上がる。


「アーサー様、こちらの部屋は?」


「寝室。」


「そーっじゃねーだろ!もっと具体的に説明しろォ!」


ウェッブがいつもの調子で声をあげる。


「あ、ああ・・・。私の祖父と祖母の部屋だ。祖母はすぐに亡くなったから、しばらくは祖父の一人部屋だったが・・。」


「こちらの置物コレクションはどなたのですカ?」


と高珊が続く。


「2人がロシアに度々旅行してその度に買っていってた物だ。中には値の張る骨董品もあるというが、私はよく知らない。」


参加者の内の何人かはすでにそこに留まり話を広げている。「気楽に楽しもう」という目的の元、彼らをそのままにして案内は続いた。

寝室を横切りドアを開けると、そこは渡り廊下となっている。白漆喰に濃茶の木枠で組み合わされた吹き抜けの天井の下に廊下が走っていた。


「左の奥は調理室。右手は薪割りをする外に通じている。」


アーサーの説明通り、左突き当りの入り口からボーイが行ったり来たり、食器の音が絶え間んなく続いている。


「へえ・・・あの量の料理を自分の家ので済ませる事できるんだなぁ・・・なあヨーナス。」


「ええ、ウェッブさん。貴族の家ってやっぱりすごいですね・・・。」


しかし、多くの参加者が目を引いたのは調理室へ続く途中にある階段である。ふと上を見上げると階段を上がった先、木の柵が吹き抜けを横切っている。どうやら2階の部屋へと続く階段のようだ。


「わあ~まるでハリーの部屋みたい!」


と、子どもたちが先に駆け寄り、階段の、すぐ下にある扉に手をかけた。アーサーは黙ってその様子をうかがっていたが、子どもが胸を高鳴らせ扉を開いた瞬間、一言呟く。


「そこは物置だ。」


「わあーん!」


子どもが一斉に嘆きの声を上げた。


「お前、意気地悪ィな!」


アーサーなりの空回りした冗談に、ウェッブは頭を抱えた。


そして、一同共に階段を上がり2階へ移る。

途中でウェッブが片足で階段を突き破った事は後にして、アーサーは階段上がったすぐ左突き当りの扉を開けた。


「ここが、2階のメインの部屋。書斎だ。」


それは書斎というにはあまりにも広い部屋であった。その部屋は両側を天井まで占めた本棚に囲まれ、隙間なく古今東西含めた様々な本がびっしりと積まれている。部屋の突き当りには窓ガラスに面して、執務机と椅子があり、窓からは先ほどの丘の上の風景が一望できた。


「ああーこれがキャブから見えた2階の窓にあたるワケねー。」


「わああ・・・すゴくステキな所―・・・。」


ウェッブと高珊が窓を眺めている一方、ヨーナスと椴は本棚に積まれた本に興味を持っていた。


「ねえねえ、この中にアルバムみたいなモンはないんすか~?」


と椴は慣れなれしくアーサーに声をかける。


「ああ、あったはずだ。確かここらへんにあったがと思うが。」


と、アーサー自ら4段目に位置する分厚い本を背伸びしてなんとかして取り上げる。ほこりをかむった本を掴み、本棚の前にある木机の上に置いて開いた。中にはモノクロの写真が丁寧に添付されており、家族一同の写真が立ち並んでいる。


「これは・・・?」


「写真が開発された19世紀頃から撮られ続けたベリャーエフ家の家族写真だ。しかし相当古いのは幾ら私でも、せいぜい当主の顔くらいしか把握してはいないがな。」


本地ロシアにいた頃、アメリカのこの地に移った頃とその時代別に写真が続いている。モノクロ写真の中にこの家がそのまま映っていたのを見たときは、本当に古い家なのだと誰もが思った。それがしばらく続いた後、丁寧に丸く切り取られた若い夫婦の写真が並んでいるのを見た。


「これは・・・アーサー様のおじい様と、おばあ様ですね。」


「そうだ。」


ヨーナスもアーサーの背後からその写真を伺う。

モノクロ故よく分からないが、黒髪の女性に対し、男の方は色素の薄い髪と口元に生やした髭、そして瞳孔の開いた白い瞳を持ち合わせている。

祖母の面影がない程、そっくりそれを受け継いだアーサーを、ヨーナスは写真と見比べつつ確認し、ベリャーエフ(白き者)家の伝統の深さを思い知った。

それを過ぎると急にカラー写真になっている。どうやら近い世代の写真のようだ。


「あれ、こちらはご両親?」


「そうだ。」


「不思議。お父様とお母様、どっちにも似てないっすねアーサーさん。」


「・・・・・それは昔からよく言われてた。どうやら、私の顔は祖父の隔世遺伝らしいな。」


「はあーん・・・。唯一の容姿を受け継いだ者ってのはそういう事だったのですか・・・。」


とヨーナスは再び納得したのであった。ふと椴が声をあげた。


「あ、ウェッブがいる。」


「ええっ!?なんでぇっ!?」


ウェッブ始め一斉がアルバムの方へ集まった。



「ああ、これは大学時代ゼミ仲間で撮った写真だ。祖父に送った物の1つだな。」


「へえ~。となると大体二十数年前のものになるんすね。」


「え、でもウェッブさンどこなんですカ?黒人の人沢山いるかラよく分かりませン。」


高珊は首をかしげる。


「ここだ、ここ。」


とアーサーが細く白い指でその場所を差した。その一点に大勢の視線が定まる。


確かに、そこにいたのは紛れもなく二十年前のウェッブではあった。が―



「・・・・・・・・・・・。」


「ウェッブさん・・・・・・・・・・・・・・・・。」


振り向きざまに見たウェッブは、にこやかな顔で自分を見る者を見下ろしている。


「ん、何?一言でも何か言った奴、女以外はみぞおち撃ちにしてやんよ。」


「ひえええええええええ!」


NYPDの猟犬をも淘汰したと言われるみぞおち撃ちに、男たちは一斉にその場から逃げ出した。

がしかし、共に逃げる子ども達がその途中、


「わあーい!おじちゃん昔より太っちゃってる~!」


と笑いながらはしゃぎ出す。それにウェッブが


「あっ!コラ言いやがったな!ガキんちょ共め!」


と追っかけるのでそこはなんとか事無きを終える事が出来たのだった。


「ははハ・・・・ちなみに、アーサー氏のはどこにいるんですカ?」


気を取り直す様に高珊は尋ねる。それに対しアーサーは黙ってウェッブの隣を指差した。


「・・・・・・・・・・・・・・。」


「・・・・・私、アーサー氏って、死神よりかは吸血鬼の方ガ相応しいような気ガしましタ・・・・。」


「高珊ちゃん、シッ!」


ミナが高珊の失言に慌てて口をふさぐ。一方ミナも、子どもを追いかけるウェッブとしゃがむアーサーを交互に見ながら、この違いは一体何なのであろうと思ったのであった。

と、同時にアーサーが昨日の発作からなんとか持ちこたえている様子に、その尖った横顔を見ながらほう、と安堵の息を吐く。


しかし、それは後に彼女自身によって、再び始まることになってしまうとは、その時誰も想像出来なかった。




5、ミナさん皆さんを誘導する

  

 続けて案内されたのは渡り廊下を挟んだ、11まで過ごしたアーサー氏の部屋であったが、本人の性格と同じく淡泊そのものだったので割愛。

またウェッブが今度は板ごと突き破らせた事は後にして階段を降りると、先ほどの物置のドアノブを、ガチャガチャと回すアレクサンドルがいた。


食べ物に夢中で参加していなかったアレクサンドルは何か新しいものでも発見したかのように目を輝かせ、ドアノブを必死に回している。


「・・・・何やってンだ。お前。」


「おおっ!ウェッブの旦那!なあに今、前代未聞の秘密部屋を突き止めててんでさァ!」


「秘密部屋?」


「ええ!俺、三流出なんすけど大学で建築学を専門にしてましてねえ!ちょっと別の所からこの家の古地図を見つけて、それを解読してると、ちょうどこの当たりに貴族が暗殺から逃れるための通路がある部屋だって事に気付いたんですぜ!」


意気揚々とドアノブを引っ張るアレクサンドルに、オチを知ってる参加者は苦笑する。しかし、アーサーだけは無表情でその様子を見守っていた。


「っしゃあ!開いたぜ!」


1人だけ声高らかにドアを勢い良く開ける。その先を見たアレクサンドルの腑抜けた表情に一同は笑った。がしかし―


「何でェっ!?ただのトイレだったのかよおっ!?」


「!?」


その次に続いたアレクサンドルの声に一同がどよめいたのだ。


「え、何言ってんだよ・・・そこは物置のはずだろ?」


皆がアレクサンドルの後ろから中を伺うも、そこには四角い狭いスペースに白い便座があるだけである。


「・・・・・・・どういう事だおい。」


ウェッブは眉を顰めながら一度扉を締める。


「え、なんで皆そんな動揺してんスか?」


1人おいてけぼりのアレクサンドルをよそに、ウェッブは黙ってもう一度扉を開いた―

が、そこは物置だった。


「ぎゃああああああああああああああ!?」


アレクサンドルを含めた参加者全員がのぞけって叫んだ。

特に子ども達は口をあんぐりとあけ呆然としている。しかし、そこでもアーサーだけはそれを特に解することなく、いや、まるで避ける様に物置(トイレ?)に背を向けてしまった。


「気にするな。ここではよくある事だ。次、行くぞ。」


「ちょ、待ってよ、もうちょっとこの説明をぉぉおおお!」


参加者の声もむなしく、アーサーは黙って次の扉を開けたのであった。


次に案内された部屋は最後の部屋。この家におけるメインの部屋、リビングだ。この部屋を避けるようにして回ったアーサーの意図を、その部屋に入った瞬間、全員が理解した。


そこは先ほどの入り口の部屋など比べものにならない位、正にここがメインの名に相応しいと言える部屋であった。中央には巨大なシャンデリアが輝きながら部屋を照らし、ペルシャ調の紅い絨毯がその光を反射して優雅に、映える。


その中央に古ぼけた揺り椅子、それを囲むようにソファが置かれ、奥にはこれまた彫刻が掘られた広いテーブルがあり、そこ散らばる3つのイス、横にある食器棚から、家族が食事をする所だと察する。

しかし、そのリビングの一番の特徴は何といっても、扉を開いたすぐ左手にある巨大な暖炉であった。


「おお~!」


「どうりで煙突があると思ったら~。」


参加者は皆、部屋の天井にまで届く、使い古され煤のかぶる赤レンガを見上げる。


「あれ、でもこれ普通の暖炉と違くないか?」


ふと、参加者の初老の男性が隣の妻に話しかける様に呟いた。


「本当だわ。何故、暖炉の囲炉があんな端っこにあるのかしら。」


その声につられ、他の参加客も疑問の声をあげる。確かにその暖炉は、右端に遠慮がちに置かれた囲炉を除き、殆どがレンガの壁で占められていた。まるでその様は外壁でもある。

その疑問の声に、揺り椅子に手をかけながら、アーサーは淡々として答えた。


「これは、本地にあったポシェホニエからそのまま移築したロシア風の暖炉です。ここ、アメリカより寒いロシアは普通の暖炉より、この暖炉の方が一般的なんですよ。そして、その名前は・・・・。」


「ペチカじゃねえか~!」


椴の声がアーサーの言葉を遮った。遅れて出てきた瞬間の彼の言葉に、アーサーは目を見開く。


「・・・・・・まさか日本人が知っていたとは。」


「まあね、日本の童謡にそういうのあるんすよ!ホラ、聞いたことないっすか?

雪の降る夜はぁぁあ~、たのぉし~い、ペェェエエエチイイイカアッ~♪って!」


「うわぁ。下手くそ。」


「えええええ!?」


余計な雑音を聞いたばかりにと、嫌な顔をするウェッブを始め、参加客は呆れたように首を振り、再び暖炉の方へ目を向けてしまった。


「うううう・・・こういう時異国にいるってつれえよなぁ・・・。」


背を向ける参加者を見つめながらそっと瞼を拭く椴。しかし、その横で聞こえるはずもない、童謡「ペチカ」の続きが聞こえた。はっとして聞こえる方へ顔をあげれば、腹の肥えた小柄でメガネをかけた禿げ頭の男性が、薄い唇を小さく開き、歌っている。


「ペチカ燃えろよ~お話しましょ~♪」


その見た目は椴が久々に見た典型的な「日本のおっちゃん」だ。その歌に呼応するよう椴もそれに続く。


「む・・・・、昔々よぉぉぉおお~♪」


「「楽しいペェエエチカァああ~♪」」


「おー。」


「おおおー。」


「おおおおおー。」


同胞の間に余計な言葉はいらない。

遠い異国の地での出会いに2人は堅い握手を結んだのであった。


「あの二人何やってるンでしょうネ。」


「ほっとけ。」


ウェッブは吐き捨てるように言い放った。一方アーサーは右の囲炉に立ち、指を差してそのペチカの説明を始める。


「ここで炊かれた薪の熱温が、レンガの中にある蛇行の隙間を通って煙突にまで登るんです。その間通る熱温はこの煉瓦全体に蓄熱され、この部屋を暖めるという構造になっています。この煉瓦の「蓄熱」のお蔭で、火を止めてもしばらく経っても暖房は続き、更に遠赤外線・マイナスイオンにより、一般の暖房より健康的である事も確認されているんですよ。」


それが、今日初めてアーサーが言った長い言葉であった。そのためか、参加客は物珍しそうにその話を聞き、納得の声を上げる。そして続けて質問しようとする参加客に取り囲まれて、聊か動揺しているアーサーを見ながらミナほと胸に手を当てた。


「ふゥ・・・ちょっと機械的だったけど、これでようやくアーサー様が皆様と打ち解けたような気がするわ・・・・・。」


時計を確認するとあと6分。これで難なくパーティーが始められる、と緊張で固まった肩をほぐすように上下したが、この後大きなトラブルが起こる事になるとは誰も予想出来なかったのである。

そして、そのきっかけをここから「彼女」自身がもたらす、という事も。


ふとミナが四角く掘られた囲炉に目を向けると、穴の様に深く、暗い囲炉に何かぼんやりと細長い物を見つけた。


「?・・・何かしら。」


ひざをかがみ、カツンとヒールで黒水晶石を踏みながら、穴の様子を覗いてみる。と、煤汚れた囲炉の中に転がるようにして、「それ」はあった。

ミナは何故だか分からないが―、それを掴み取り出してみた。明かりのある方へ引っ張り出した時、それが木で出来た何かの柄である事が分かった。


「!?ヤダ何この柄、結構長いじゃない・・・。」


囲炉の広さに驚きながら、ミナはひたすらその柄を掴み、引っ張る。鉄擦れの音と共に、それを引き出した時、見覚えのある形にあっと声を上げた。


「あら、なんでこんな所に鎌なんてあるのかしら。」


「鎌」―、その声を聞いた時、アーサーは言葉の途中でも括目して振り向いた。


その先には囲炉の前でかがむ秘書の姿。その手に持っているものは、煤汚れ赤く錆びついた鎌。


「鎌・・・・。赤い鎌・・・。」


途端にフラッシュバックが起こる。


今ないはずの薪が目の前で赤い炎の中で燃える残照、その中に交じって赤く燃える鎌。死神の姿、彼が持つ紅く垂らした血―、


誰かの声が聞こえた。


― 鎌はそこにあったんだッ! ―


頭の中に響いた時、アーサーは突然激しい胸の痛みに襲われ、途端にひざまづいた。


「・・・・・グッ・・・!」


握りつぶす位に己の胸を掴み、更に深い眉を深ませ苦しむアーサーの姿に、取り囲んだ参加客は一気にどよめいた。


「え、何。何があったの。」


と呑気に指差すアレクサンドルを突き飛ばし、ウェッブは走ってアーサーの元へ駆け寄る。


「アーサー!!」


ウェッブはその大きな体で一気に客を掻き分け、うずくまるアーサーの肩を掴み立ち上がらせる。ウェッブの掛け声にヨーナスもすぐに駆け寄り、2人してアーサーを抱えるようにペチカより外れのテーブルのイスに座らせた。


「アーサーッ!おい、大丈夫か、アーサー!」


ウェッブがアーサーに聞こえる程度に叫び、背中をさする。ヨーナスはその様子を皆に見られぬ様に、2人の前に立ちはだかる。


その様子を汗を垂らし、かすむ視界の中で見たアーサーはしまったと寸時に思った。そうだ、ここは大勢の人がいる所だ。皆に怪訝な思いをさせるワケにはいかない。

アーサーはこれが仕事と苦しい身体に鞭打たせ、歯を必死に食いしばり、何とか立ち上がろうとしていた。


「起きろ。」


自分に言い聞かせるようにアーサーは言った。胸の痛みに震えながらもテーブルに手をつき、うめきながら、ゆっくりと腰を挙げる。パーティー開始まであと5分。


こんな所で自分が倒れている場合じゃない。準備してくれた皆のために、参加してくれたここにいる人々のために、自分は起きなくてはならないのだ。


アーサーはそうやって昔から、皆のためにと様々な困難を乗り越えてきた。しかし、今はそれに相反して眩暈が、息切れが、そして胸の痛みが重なってどうにも出来なくなっている。言う事を聞かない、それはまるで「アレ」のように―


「ダ、大丈夫ですカ?」


ふと横目で他の客と同じように椴と高珊が動揺している様を見たとき、アーサーの瞳の瞳孔が開いた。


「ダ・・・・だいじょ・・うぶ・・・だ・・・。」


言葉をようやく途切れ途切れに呟いた時、うずくまるアーサーの背中から黒くうごめいたものが湧きだした。


「うわあ!?」


ヨーナスは驚いて引き下がる。


「ちっ、やべえ!こんな時に出てきやがるたぁ・・・!!」


出てくるのは覚悟していたが、こんな状況では分が悪い。ウェッブが慌ててそれを抑え込むように、アーサーの背中を強く押す。が、ウェッブの手から、指の隙間からその黒いモノは湧き上がり大きくなる。ウェッブは必死になってそれをかき消すも、煙のように浮かぶ黒いモノはたいても意味を為さない。


「なあに、アレ・・・。」


「変なの、気持ち悪いわあ・・・。」


大人の、そして子ども達の懸念の声がアーサーの耳に張り付いた。最悪の事態だ。アーサーは思った。更に起きねばと立ち上がろうとするも、全く止む気配のない胸の痛み、額に広がる汗の不快さに段々精神が擦り減っていく。


それはウェッブも同じであった。これ以上誤魔化しきれない客への不信感、事情を知らずただわななくヨーナス、このままではせっかくのパーティーが台無しになってしまう。


「くそっ・・・!これ以上は俺にはどうにも・・・っ!クソックソ!」


今アーサーを助けられるのは俺だけだ、突然の発作と黒いモノに苛立ちを覚えながら、とにかく必死になって、蹲るアーサーの背中を押し付ける。しかしそれ以上に腹が立つのは、力になれない自分自身の不甲斐なさだった。


「頼む・・・!誰か!誰か騒ぎを起こしてくれ!皆の注目をこれ以外に集めるような騒ぎを・・・!誰かーっ!」


後ろにいる参加客に祈るように、ウェッブは強く目を瞑った―、しかしその思いもむなしく、いよいよしゃれこうべがウェッブの手をすり抜けて現れた時‐、


リビングが爆発した。


いや、正確にいえば、部屋の内側の窓が割れ、大きな破壊音と振動音と共に白い煙が一面に蔓延したのである。


悲鳴をあげる参加客。皆が一斉に伏せる中、ヨーナスは1人きっと振り向きざまにGLOCK18を二丁取り出し、割れた窓ガラスに向かって銃口をかざした。


「誰だ!」


これは噴煙か、はたまた催涙ガスか。吸い込んだ喉の奥に感じるものは粉末状の粒。


「これは・・・・小麦粉・・・・・?」


どういう事だと粉塵の中を凝視しながら割れた窓の下にうずくまる人影を捉える。どうやら別の所で起こった爆発から逃げ、粉塵と共にガラスを突き破って誰かが入ってきたらしい。


「貴様誰だ!そのまま伏せて手を後ろに回せ!」


ヨーナスが大声を上げGLOCK18のトリガーにぐいと指をかけた時、その緊張は一気に突き崩された。


「うおりゃああああ、あの野郎ゥう!」


「待てえええええええええぇぇぇぇ!」


大勢の男の怒声が耳につんざく。割れた窓から、そして扉から、数人のコック姿の男たちが駆け込みその人影に襲いかかったのだ。が、人影はそれを寸時に全員蹴り飛ばし、殴り、客がいるにも関わらずそれを部屋の四方へと突き飛ばす。


それでも続く妨害に、その人影は瞬時に二丁の銃をかざし、有無を言わさず黙らせた。一連の騒動ですっかり粉塵が払われた部屋の中、片膝をあげ黄金銃を掲げる、その金髪がよく映える白いコック姿の青年は―


「ジ、ジョージさん!?」


「な・・・っ!なんでこんな所にジョージが!?」


アーサーを守るように覆いかぶさっていたウェッブも、振り向き声を裏返した。その様子にジョージはへっと笑い黄金銃をピップホルダーに収める。


「てめーら、この俺を差し置いて呑気に誕生日パーティーたぁ大層なご身分じゃねえか。むかついたから、コックになって、俺もこのタノシイパーティーにあやかろうしたンだよ。」


「まった・・・!お前、そんな事言ってよお・・!」


さっき腰をぬかしていたアレクサンドルは、のそっと立ち上がり悪態をつく。


「ジョ、ジョージさん!来て下さったんですか・・・っ!コック姿もなんて素敵なんでしょう・・・!」


一方顔を紅くし、頬に手を添え見とれるミナ。しかし、ウェッブの一睨みで途端に秘書の顔に戻り、仰向けに倒れるコックの男に尋ねた。


「コック長、一体今の爆発は何なのです!それに何故皆はジョージさんを襲ったのですか!?」


ミナの呼び声に目を覚ましたコック長は痛い頭を抑えながら声を裏返して言う。


「コイツがですね!大事なサプライズケーキをつまみ食いしやがったんですよ!」


「な・・・っ!パーティの始まりの合図に出すはずだったケーキを・・・?!」


続けて起き上がったコック達もジョージを指差し証言した。


「それを皆で責めたら、突然コイツがぶち切れてましてね!銃をぶっ放して小麦粉の袋を破き散らすわ、チョコレート弾幕で逃げるわで、酷い事をしやがるもんだからもう・・・!」


「ごちゃごちゃうるせーな。ちょっと食った位でピーピー喚くンじゃねえよ。」


「3分の2はちょっととは言わねえ!」


重なるコック達のツッコミをよそに、ミナはサ3分の2という言葉にガタガタと目端を震わせた。


「コック長・・・・。もしかして、ケーキは作り直しになっちゃいます?」


「そりゃそうですよ第二秘書さん。スポンジはとってありまさあ、デコレーションには頑張ってもあと30分はかかりませえ。」


「ど、どうしましょう・・・。ケーキがなくちゃパーティーなんて、始められないじゃないですか・・・・。」


今度は顔を青ざめ、己の顔を掴むミナ。参加客は次から次へと立ち上がり現状を把握する。高珊もその一人。

一方、椴は気絶していた。


突然の騒動に困惑し立つ参加者たち。


彼らの目の前に、腰に手をあて睨む金髪の美青年が現れた時、部屋の空気が様変わりした。


「きゃぁーっ!格好良いーっ!」


黄色い声と共に、女性を中心に一気に人々がジョージの周りを取り囲む。


「あっ?」


とジョージが嫌そうに顔を向けた瞬間、更に歓声は湧き上がった。


「誰、誰なの!?コックになんでこんな格好良い人がいるの!?」


「きゃーっ!この人、NYPDの猟犬のジョージじゃん!」

「貴方もこのパーティに来てたのね!すっごーいサプライズイベント!」

「やっぱこのパーティーに来て良かったわ!サイッコー!」

「ちょっとジョージさん、この後一緒に私と踊って下さいませんか!?」


ジョージの顔の下で歓喜の声を喚き、騒ぐ女性たち。


「うわぁ・・・別の意味で最悪な事態が起こっちまった・・・。」


ウェッブはこの騒ぎを嘆きながら、顔を覆った。


「パーティーもケーキがないんじゃ形無しですよ・・・。」


ヨーナスもいつもの様に額に手をつき、この状況を嘆く。


「いや、これは契機なのかもしれない。」


ふと振り向けば、さっきまで苦しんでいたアーサーが胸に手を抑えつつ、落ち着いた口調で口を開いていた。


「どのみちこの体調だ、定時に始まってもパーティーに出られなかった。丁度良かった、30分の間私はここで休ませてもらう、少し落ち着くまでウェッブ、ヨーナス、なんとか時間を稼いでくれないか。」


「お、おい休むって!医者呼ばなくて大丈夫なのかよ!」


落ち着いた―といっても、目のクマは更に深くなり、ただでさえ血の気のない顔色が更に青ざめた様子で、アーサーは汗をかき、息をついている。喋れるのも奇跡的なくらい、体調が悪そうに見えた。がしかし、


「呼んだ所で「コレ」をどう説明すればいいんだ。」


自らの背後に親指を突き立てる。そこには既に完全体となって佇む「死神」がいた。


「あ、あ、あの・・・・コレ・・・ホノグラムじゃないんですか・・・!?」


ヨーナスが指を震わせながらそれを指差す。困惑するヨーナスに対し、喝を入れる様にウェッブは命令した。


「話は後だヨーナス!とにかく今はここから皆を出そう!ジョージに目を引き付けられてる今がチャンスだぜ!」


続いてミナがウェッブの後ろにつき対策の手順を説明した。


「今、前もって頼んでいた音楽隊の人が到着しました!庭で演奏会を早めに開かせ、皆様をそこに移動させる事にしましょう!」


「よし来た!皆行くぞ、急げ!」


3人はアーサーに背を向け群衆の元へ歩く。その背中に一言添えたアーサーの言葉に頷き、脚を進めた。

ミナの呼びかけにも全く応じずジョージばかり見る参加客を、ウェッブがその大柄な体で押しのける。3人がかりで、途中高珊も手伝いながら。なんとか扉の外へ移動させ、ミナが庭へと誘導させた。


うっとおしい喧噪が取り払われたと嗤うジョージ。

一方、椴はまだ気絶している。


そしてジョージもそれに続こうと扉に駆け寄るも、最後尾にいたヨーナスがそれを止めたのだった。


「何しやがんだ、ヨーナス!」


「ジョージさん、貴方はここに残って私の代わりに護衛について下さい。これはアーサー氏からのお達しです。」


「はあ!?何ソレ!?意味分かんねえ!」


突然の事にジョージが露骨に嫌な顔をする。


「ジョージさん、貴方もさっき実感したでしょう。貴方が参加客の近くにいるとみんなが貴方に釘づけになるんです。しかし、ここはアーサー氏の誕生日パーティー。貴方が主役より目立ってしまうのは非常に困る事なんですよ。」


ジョージはさっきまでの歓声を思いだし、つまんなそうに頭を掻いた。


「貴方を誘わなかったのはそれが原因なんです。別に仲間外れにしたくてそうしたワケじゃない、そこは安心してください。」


「べっつに。そんな事思ってやしないぜ。」


はんと鼻を鳴らし、顔をそむけるジョージに若干微笑みながらヨーナスは部屋の中へと戻る。大の字になってまだのびている椴を、軽々とお姫様だっこで抱え、扉の外へ出た。


「それではジョージさん。アーサー氏の体調がよくなるまで、そこに居てくださいね。くれぐれもよろしく頼みますよ。お先に。」


そうしてヨーナスも椴もその部屋から出ていき、広い部屋の中にはジョージとテーブルに座るアーサーの2人だけが残った。急に広くなった部屋に戸惑いつつ、ジョージはそこでしばらく黙っていた。


「うわぁ・・・ただでさえ死人の顔が、更に悪くなってやんの。」


そして、他人のような気遣いの無い、露骨な感情を剥き出しにして、ジョージはアーサーに向かって柳眉を歪ませる。その態度にアーサーは胸ポケットから取ったハンカチで汗をふきながら淡々として答える。


「ああ、なんだかな・・・・。鎌を見ていたら急に具合が悪くなって・・・。」


「鎌ぁ?」


ふとジョージは囲炉を見ると、そこに無造作に置かれた鎌を見かけた。それを軽々と手にとって悠々と肩にかけてみる。


「へえ、結構柄の長ェ鎌だな。死神の鎌みてえ。」


事情を知らず面白そうにそれを掲げるジョージ。しかしそれよりも更に面白かったのは、立ち上がりペチカの前のソファに座ろうとするアーサーの後ろにつく、しゃれこうべの方である。


「うわあ!何コレ!?ホンモノか?!」


ヨーナスと違い好奇心溢れるままにソレに近づくジョージは指でしゃれこうべをつついてみるも、そこから避ける様にのそげり、やがて「死神」はソファに浅く腰を下ろすアーサーの後ろについた。天井を見上げながらアーサーは息を整えた。


「これは昔から私の後ろについている幻影だ。あまり気にしなくても良い・・・。」


「昔から?テメーの事は前から知ってるが、こんなン見たのは初めてだな。」


ジョージもアーサーの向かいのソファに座る。コック姿で片足の踝を、対のひざの上に乗せる様はこの歴史ある貴族の家さえも関係ねえといった傲慢な振る舞い方だ。


「それが・・・・ついこの前急に出てきたモノなんだ・・・・。おかしい話だよな。」


「まあ、元からそんなモンが出てくんのがおかしい話なんだけどよ。」


ジョージは呆れるように嗤い、煙草を咥え、火をつける。ふと横流しにアーサーと死神を見ながら側に置いていた鎌をぶんとその方へ向けた。


「今は?今は、発作は起こらねえ?」


「・・・・。」


突然の事に一瞬アーサーの心臓は跳ね上がったが、

そのまま心臓が苦しくなることはなかった。


「いや・・・・。別に・・・・。」


アーサーの反応にジョージは聊かつまんなそうに鎌を元に戻し、そしてだるそうにソファのへりにひじをかけ、俯き顔を覆うアーサーを伺った。


「分からない・・・・分からないんだ・・・。何故これが私の後ろに出てくるのか、何故鎌を見て発作が起こるのか、何故今は怒らないのか・・・・今となっては何もかも・・・。」


「お前が分かろうとしねえからじゃね。」


か細く、弱弱しく呟くアーサーへのジョージの一言に、アーサーはえっと顔を挙げた。


「さっきから見てれば後ろのヤツ、てめーの事心配そうに汗かいて揺らいでやがる。意外にお前にとって悪いヤツでもないんじゃねーのコレ。でもそれを、お前はあえて目を背けようとしてるような気がするぜ。」


「ミナと同じような事を言うんだな。お前も。」


「?」


昨日の夜の発作の事を説明するアーサー。ジョージはその一抹を真顔で聞きつつ、目線をそらしながら普段使わない頭を少し動かしていた。


「・・・なんかそれ、聞くとずっと前におめー、コレと結構昔に何かあったって事か。しかも、ここで。」


死神を、そして指を床に向かって突き刺しジョージは言う。


「勿論、私もそんな気がしていた。しかし、それを思い出そうとしても途端に目の前が真っ白になってしまってどうにもならないんだ。」


よほど無意識に思い出したくもない過去なのであろうか、

しかしジョージはそれを気遣う様子もなく、容赦なくそれを指摘した。


「なんかその話を聞いてるとな、いつかは分からねえが、おめー昔何かしでかして、この「死神」に鎌で斬られた事があるんじゃねえの?発作はその時の痛みであってさー。」


「き、斬られた・・・・?」


「ああ、そして赤い鎌っつーのは、囲炉によって熱されたから赤くなってたワケでー。」


断片的に予想を立てるジョージの言葉を、聡明なアーサーはジグゾーパズルのように整えていく。その内に真っ白になっていた頭の中がもやになって少しずつその景色を映し出した。


「これは・・・・この部屋だ・・・・。」


しかし、ソファの位置、色が微妙に違っている、そして絨毯の柄も。ふと、背中から感じた熱線に後ろを振り向けば、何もないはずのペチカに火がたかれていた。


「・・・・!?」


残る胸の痛みに構わずアーサーは驚いてソファから立ち上がる。


「なんだ、一体どうなっている・・・!?」


ジョージに呼びかけるように振り向くが、そこにジョージはなく―、いたのは揺り椅子に腰かけくつろぐ1人の老人だ。


「・・・・!?グランパ・・・・・!?」


間違いない。その白い髪と白い口髭、瞼の奥にある灰色の瞳、それは二十年前に亡くなったはずの祖父そのものの姿だった。祖父は立ち尽くすアーサーに気付かず、ペチカの効いた暖気の中、のんびりとパイプをふかしている。


ふと彼が後ろを振り向いた刹那、アーサーと対面したが、まるではなからアーサーなど居ないかのように目線を合わせる事なく、ソファの前で仁王立ちする誰かに方に目を向けた。


そこにいるのは1人の少年だった。


Yシャツに上品な深い緑色のベストを着こみ、灰の短いズボンからか細く白い脚をのばしている。

向かい合う祖父と同じ、薄い灰色の短髪に血の気のない白い顔立ちの少年は、灰色の瞳に涙を溜めて祖父をきっと睨みつけていた。


「そうか、あれは・・・私か・・・・。」


アーサーはそこから、ようやく思い出した。


今から三十年前のあの日、この部屋で起こった忌まわしき出来事を。


〈続〉

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