第3話 柳葉刀編(後編)
5、チャイナタウンでの素人推理
路地を右に曲がった2人は、人混みの多い大通りに出る。
先ほどのドンパチ騒ぎに駆けつけ、り囲む野次馬を2人は押しのけ、縦に並んで豪華絢爛豪華な中国語の看板の下を真っ直ぐに歩いていった。
前を歩く高身長の満州服を着たジョージの姿は自然と多くの人の目線を引いた。
「ジョージさん、以上の事を考えると段々彼女が事件の犯人だって思えなくなってきましたよ。ジョージさんだって本当は気付いているんでしょう。」
やがて、後ろからヨーナスが声をかけた。
「あの時、撃たれた隙を見て私を突き飛ばしたのは攻撃的だからじゃない。どちらかというと怯える仔鼠がその場から逃げ出すような…そんな感じでした。そんな子が自らジョージさんを襲うような仮面の男と同じだというのでしょうか。」
「演技だったかもしんねぇだろ。」
ジョージは背中を向けたまま、そっけなく答えた。
「根拠はまだありますよ。ジョージさん右、」
2人は更に自動車も走る通りを出て、曲がる。
「貴方が仮面の男と闘って肩に負傷させた日がおとといの夜。私が彼女と初めて店に訪れたのはその次の日の夕方です。肩まで出したセミチャイナドレスからは治療中の様子もえぐられたような傷跡も全く見えませんでした。これはやはり同一人物ではないという証拠にはなりませんか。」
ジョージは歩きながら振り向いた。
「あぁ!?お前があいつと会った日って俺が闘った日の後かよ!」
「ええ、私も貴方の話を聞いてようやく気づいたんですよ。」
「それでも俺は認めねぇぞ。顔は俺も見たが、確かにこの林文棋とそっくりだっ
たし、前もそれで最初はあいつを疑ってたじゃねえか。」
「えぇ、でも彼女はもしかしたら、貴方が言った林文棋の双子の「妹」の方、なのかもしれませんよ。左。」
自動車に銃を突きつけ止まらせて、2人は道路を大股で渡った。
「さぁどうかな。男女の双子ってのは殆どありえない話なんだろ。偽名を使って女装した「本人」、って可能性もなくはねえ。」
ヨーナスは後ろで唇をかんだ。それを否定する余地をヨーナスは持ち合わせていなかったのだ。それどころか裏付ける「心当たり」もあった。
「それに仮面の男と別人なら何故あん時、それは自分じゃないと言わなかったんだ。怯える奴ほどああいうのは自ら叫んでいうもんだろ。」
ヨーナスは更に何も言えなかった。
「まぁ、それもそれとして俺が気になんのはその手口だな。警察官や俺に対しては、銃に手をかける間こそは与えてくれたのに、ジュリアに対してはドアを開けた瞬間にぐさりだった。不意打ちだったんだ。この違いが偉い気に食わねえ。」
ジョージはけっと唾をはく。
「普通に推理するなら、ジュリアさんの時だけは別人であったという事でしょうか。」
「んならジュリアを襲ったのはあの双子の妹っつう可能性は高いな。女同士だし。」
「それは決めつけすぎでしょう。まだ別人だって決まったわけではないですし、もしかしたらジュリアさん本人に特別な恨みがあっての行動ではないのですか?」
「別人っつったのはテメーの方だろが!なら奴はなんでジュリアを狙い本当に関わった奴らは全く無視しやがる?」
「そういえば…それを考えると彼にしろ彼女にしろその行動はおかしいものでありますね…。まさか、もしかして仮面の男=林文棋、という事自体間違いだったのでは?男というのも私たちの思い込みだったのではないですか?」
「あ?ならあの小娘は林とは関係のない赤の他人だっていうのか?ならなんで顔が似てる?それこそなんで弁明しない?」
「うぐ…そうでした…。もーっ、何が何だか分からなくなりました!実は2人はクローンでした!?とか?」
「ははっ、ははっははっはは。」
ジョージの声は笑っていない。
「むう・・・なら…やはりジュリアさんが何かしらの嘘をついたって事に・・・・。」
「それはねぇよ。」
ジョージはきっぱりと言い捨てた。
「さぁどうだか。なにしろマフィアの言う事ですからねぇ…。」
とヨーナスの呟きにジョージは下ろした右手に持つギルデットをくるりと回し銃口を向けた。
「てめぇこれ以上言ったら―」
「ジョージさん、右。」
ヨーナスのかけ声に回らなければ、そのまま突き当たりにぶつかる所だった。
調子を崩されたジョージは舌打ちしつつ、そばにあるゴミ袋を蹴り上げた。路地裏に至った道は先ほどの大路地とうってかわり、非常に狭く、また暗い。
大路地に面する料理店の裏は複雑に絡み合う小さな住宅が集まる構造となっており、そこには一体何が潜んでいるか分からない、そんな不気味で静寂な世界が広がっていた。暗い路地を歩く中、溝鼠がジョージの足元を駆け抜ける。
「たっく、きったねぇ所だなぁ!ま、俺にゃお似合いかもしれねぇが。」
自嘲気味なのか否かジョージは笑った。
「どうだヨーナス、何が共有して真相を掴める、だ。互いに話せば話すほど訳が分からなくなっていくだけじゃねーの。」
確かにそうだ。ヨーナスは俯いた。
結局、お互いの手がかりへのヒントを互いに否定し合う形となっていって、真実が見える事などなかった。
仮面の犯人は林文棋か、杓高珊か。
2人は別人か、同一人物か。
2つの事件は同じものなのか、2人が起こしたものなのか、
それとも別々の事件が偶然重なり合ったものなのか。
異なる2つの事件の出方は、別の事件だからこそか、それともジュリアの嘘の証言なのか。
そして、目的は、復讐か、愉快か。
手がかりはすべて掴んだはずだった。
しかし、犯人の正体も目的もあらゆる方向へ可能性が散らばっていくだけで、確証を持つ物は1つもないのだ。
この不可思議な現象に、ヨーナスは指を顎につけて考える。
一体どこで自分は間違っているというのだろうか―。
そして、それを探る次の手はもうすぐ目の前に至る事に、思わず声をあげた。
「ジョージさん、彼女が動きを止めました。近いです。」
ヨーナスの声にジョージは後ろ手で携帯を奪い画面を見る。
「近いな。」
2人は共に走り出した。行き着いた先はチャイナタウン南、ストリートのはずれにある路地裏の突き当たり。路地の間に高いゲージがかかっており、手前には似たような容姿を持つ見張り番と見られるいかつい男が2人いた―、が2人とも地面に転がりのびている。
ジョージが1人手に取ってみると顎と喉にひどい痣が浮かび上がっている。
「倍の高さのある男に顎蹴りをして、すぐに喉元を潰したって事か、こりゃあ相当実用的だな。」
と、ジョージは男を地面に無造作に落とした。
「こっちは目蓋に痣です。目潰ししようとしてたんですね、これは…。」
口に手を当て驚きながら丁寧に元の所に戻すヨーナス、その様子にジョージはやれやれと首を振った。
そして、錆びた鉄のこすれる音を響かせながらゲージを抜けると、突き当たりの
壁にあるのは扉のない入り口。
赤いカーペットに床、壁としきられている入り口の先は左右に分かれている。入り口先の壁に「闘賭場」と書かれた貼り紙が釘に突き刺さっている。地響きのような観客の歓声が左右から聞こえていた。
「まぁ、どっちにしろ奴を追いかけなぁまだ“真相”ってのは分からねぇって事か。」
「そうですね。さて、どういう結末になるのやら。」
入り口の前、砂利を踏む音を立て、2人は立ち並んだ。
「俺は左だ。」
「私は右で。」
「どちらかがヤツを見つけたら銃でも何でもぶっ放して騒ぎを起こせ。それを聞きつけ一方がそこに駆けつける。わかったな。」
「了解。無茶はしないで下さいよ。」
「俺に無茶なことはねぇ。」
ギルデットとGLOCK18、かつて向かい合い、闘った物同士は今、同じ敵に向かい、共に主人の動きに従い並んで弾を装填する。
2つ同時に響いた鉄の音を聞きながら、ジョージは一言尋ねる。
「おい、ついでに聞きてえ。お前、あの時本当に言いたかったのは何の事だ。」
ヨーナスは両手にGLOCK18を持ちながら笑った。
「へえ、もうすでにどうでもいいと思っていたのかと、思いましたのに。」
「これ以上茶化したらコレはてめえに向ける。無駄口叩かずさっさと答えろ。」
それは勘弁勘弁と言いながら、ヨーナスはジョージを見た。
「私はですね、ジョージさん。けじめをつけろと言ったのは貴方が元マフィアである事から、と言った訳ではないんです。いえ、むしろその逆です。」
「逆。」
ギルデットを両手に掲げ、ジョージもヨーナスを見た。
「貴方はもうマフィアじゃない。「警察官」なんです。だからそんな簡単にマフィアを連絡をとるようなそういう立場じゃ、すでになくなってしまっている事を分かってもらいたかったんですよ。」
曇りのない黒い瞳でジョージの蒼い瞳を見定めるヨーナス。
「だから、これからは「警察官」ジョージとして相応しい行動をとってほしいんです。そのギルデットも今やNY市民のためにあるということも自覚してほしいのですよ。」
ふとヨーナスがギルデットを見ながら腫れた頬を上げて笑った時、ジョージは一度目を見開かせると、それを隠すようにそそくさと左へ行ってしまった。
ジョージの背中を見守りながら、ヨーナスはもう一度小さく笑い、メガネをかけ直しながら足を右の方向へと向け、走った。
***
そこは実に胸糞が悪い所だ。
ヨーナスは部屋の隅に身を潜めながら、ざわめく客たちを睨んだ。
ヨーナスが右に行った先は挑戦者達の控え室や、両替所、治療室、用途の分からない牢室などがあり、その突き当たりが2階までふきぬけの闘儲場であった。
中央のリングで繰り広げられる闘いは、ならず者たちがルールもなし血だらけになってめちゃくちゃに戦う、実に粗野なもので、それを見る古今東西の観客たちも狂ったかのように彼らの動作1つに盛大に笑ったり、怒ったりしている。
彼らが更に盛り上がったのは敗者たちへの罰ゲームだった。
四肢引き回し、野犬に噛みつかせる、石投げの刑など非人道極まりないものであったが何が面白いのか、悲鳴があがる度に客の歓声が沸き上がる、
それが実にヨーナスにとって耳障りだった。
「悪趣味すぎる!」
ヨーナスは眼鏡の奥から軽蔑の眼差しで蠢く彼らを一瞥した。
拷問による叫び声が響くたびにGLOCK18を持って駆け出したくなる衝動を歯を食いしばって押さえつつ、かれこれ1時間も待ち続けている所である。
一体彼女(彼?)はどういう経緯でこんな所に入っているのだろう。
「すべて片付いたら全員逮捕してやる。全員だ。」
ヨーナスが意気込み腕を組んだ時、ふとリング場を取り囲む渡り廊下に一際小柄の「彼女」を見つけた。
「いた…!」
冊子に手を付き、高見を見下ろす彼女はキョロキョロと首を回して誰かを探しているようだった。急いで後ろの階段を駆け上り、彼女に近付き手をかけようとする。
が、その時―、高い銃声が響いた。
「……!?」
ヨーナスは顔をゆがめ壁の方を向いた。
「ジョージさん!?」
何故だ。「彼女」は今、この目の前にいるというのに。
疑いつつもギルデット銃声が続く。
やはり彼女は仮面の〈奴〉とは別人だったというのだろうか。
そう思った矢先、彼女は銃声の瞬間に手すりを飛び越え、リング場へ着地して走ってしまった。
観客たちは興奮のためにこの異変に気付いていない。
慌てヨーナスも飛び降りて追っかける
「待って!待ってよ!君はそっちへ行ってはだめだ!」
ヨーナスの呼びかけに答えず、少女は無言で赤いカーペットを走り抜く。
入り口を通り過ぎた先の部屋は、ジョージが向かったリング場だ。扉を叩き開き、少女と後からついたヨーナスが見たのはリング場の中に銃を持ち立つジョージだ。
そして対比するように位置するのは―、
蒼い満州服を着た仮面の〈男〉―!
「ウェンチーッ!!」
少女が彼の名を口にした。
「あ…!行っちゃだめだ、高珊ちゃん!」
少女はリング台に手をつき仮面の男に向かって涙声で叫んだ。
ヨーナスは彼女に駆け寄り止めようとするも後ろ回り蹴りで攻撃され、どうにもならない。
「おおわっ!」
蹴りを腕で受け止め後ずさる。続けてきた柳葉刀の攻撃に2丁のグロックで1つ、2つと受け止め、足を狙った攻撃から逃げるようにリング場へ飛び上がった。少女もそれに続き一回転してリング場の上に立つ。
こうしてついに、4人がリングの上で対面するに至った。
「遅い。」
ジョージが横目でヨーナスを睨む。
「すみません…っ。」
「そうか。お前ヵ、NYPDのディンゴって奴ハ。」
少女のかけ声にも応じなかった仮面の〈男〉ー、林文棋がようやくそこで口を開いた。それは横につく高珊と背丈は全く変わりはなかったが、声は彼女と似ても似つかぬ、しっかりとした「男性」の声だ。
「さぁ役者は揃ったぜ?良かったろ林。これで精一杯腕をふるえるってもんだ。」
ジョージが野卑に笑い、銃を握る。それに反応して林も柳葉刀を縦に構える。
「待って下さい! 闘う以外に道はない事は、ないでしょう!」
ヨーナスがGLOCK18をレッグホルスターに仕舞い、手ぶらのまま2人の前に立ちはだかる。
「邪魔をするナディンゴ。さもなくば私はお前も斬ル。」
「あぁ、出来るものならやってみな!でもこっちはその前に、貴方に聞きたいことが幾つもあるんでね!」
ヨーナスも負けじと、声を張り上げた。
「今回一連の事件はすべて貴方の仕業って事で間違いないって事で良いか!林!」
「あァ。」
「ウェンチー…!やっぱり貴方ガ…!?」
隣に構える少女が顔をひきつらせる。
(なんだ、彼女は知らなかったのか?)
ヨーナスは首を一瞬、傾け眉をぎゅっと顰める。
「噂で聞きつけた時はすぐ貴方だと思わっタ・・・・・!どうして!なんでこんな事を!?」
「お前には関係ナイ。」
「・・・・・っ、そういう訳にはいかないでショ?!」
彼女の怒声にも文棋は応じる様子がない。ヨーナスはこの状況を頭の中で整理していく。
「林文棋…。貴方は今、4年前の殴り込み事件で被害を受け染んだ父親の復讐としてこんな事をしている、と思われている。そうして今私たちは貴方を追っている所というのですが・・・・。」
「だからなんダ。」
ヨーナスは林のそっけない態度に眉を下げ、俯いた。
それは、ある1つの推理を思いついた事に対するもの。
一か八か。ヨーナスはその推理に展開をまかせることに、決めた。
「・・・真槌をつかれてもその反応なのですか?」
嗤うように調子を上げる声。ヨーナスは掲げていた両手を下し、文棋を見ていった。
「成程。今までの反応ですべて分かりましたよ。やはり嘘だったんですね、復讐なんて。」
6、銃VS柳葉刀
「は、何だって。」
その言葉には文棋ではなく、ジョージが真っ先に反応した。
「つまり、ジュリアさんのとんだ勘違いだったっ、て事ですよ。コイツは復讐なんていう建前でこんな事をしたわけじゃない。」
一方高珊も、その証言には大きく目を見開いた。
「ジュリアさん、ジョージさん、私、そして幾人の警察関係者、てんでばらばらに見える対象者に共通する事はただ1つ、それは4年前の事件なんかじゃない。ジュリアさんに私たちが関わったからじゃない。」
ヨーナスは息を飲み、京劇の面を真正面に捉える。
「それは、それぞれ「猟犬」、「コンドル」、「ディンゴ」、と『異名のついたハンドカンの名手』って事だけだったんです。」
「なんですっテ…!?」
「どうりで、当事者であるマフィア共が相手にされていないと思いました。全く、やはり早く気付くべきでしたよ。あからさまな派手な面、蒼い満州服、心理学上でもすぐに分かる、愉快犯ならではの動向を。」
ヨーナスは眼鏡を整え、林に向かって真っ直ぐに指をさした。
「貴方が4年前に襲われた時に思った事は、父親に対する悲しみなんかじゃない。ただ奴らの持つ「銃」に負けたという悔しさだけだった!
誇り高い柳葉刀使いとして、奪われたプライドを取り戻すため、
そのうさを晴らすためだけに、貴方は今回、行動をおこしたんです!」
一同が水を張ったように静まる。
「くだらねぇ、ですよ。林文棋。」
その中でヨーナスは吐き捨てるようにして、言った。
「貴方のした事は自分勝手なのもおこがましい、ただの子どもが大きなおもちゃを振り回しているような事です。その中で無抵抗な女性を傷付けるとは、更に男の風上にもおけない!」
ヨーナスは息を荒々しく吐いた。
言うべきことは言い切った。
この推理の是非も今後の展開も後は彼の出だし次第だと。
そしてもう1人―、ヨーナスは「少女」の方を向いた。
ヨーナスのハッタリを信じて青ざめる少女の震える瞳を見据える。
頼む、高珊ちゃん。
真顔で見つめるその裏でヨーナスは懇願する。貴方にとって彼は片身の兄かもしれない、愛すべき人なのかもしれない、しかし今は、今は私たちに協力してくれ欲しい…。
―私は貴女と戦いたくはないんだ。
「…文棋…。それを離しなさイ。」
すると、その「気」に気付いたか否か、林が気付いた間に高珊の柳葉刀が彼の喉元にピタリとついていた。
「高珊ちゃん・・・!」
「可笑しいと思ってましタ…父に…林艾青に店を守るための『用心棒の道具』として、親子の情もなく厳しく育てられタ貴方が…憎んでいた父の復讐のためだけに、こんな事起こすなんテ。」
どうやら、高珊と文棋は昔からの知り合いのようであった。
高珊は柳葉刀を構えたまま文棋に顔を向けて言う。
「言っテ、ウェンチー。ヨーナスさんの推理がその通りなのかとはっきり答えテ。証明してみせテ。」
まるで願うように声を荒げる。しかし文棋は仮面の下から視線を高珊へ写しただけで何も答えない。
「っ!これ以上やり過ごそうってナラ私にだって手ガ・・・・!」
カッと見開き柳葉刀を握り直したその時であった。少女の柳葉刀がぐらりと横にずれた、それは先ほどまで押さえていた首が瞬時にいなかったから。
ヨーナスが状況を把握した時は、たおは高珊の下にしゃがみ一回転し、少女の喉元を横から蹴りつけていた。
「きゃぁっ!!」
高い声をあげ、倒れる少女のがら空きになった体めがけて文棋が柳葉刀を降ろす。
「やめろおおおおおーっ!」
ヨーナスが真っ正面に駆けった。の時、耳朶に裂けるような激痛が走った。
ヨーナスの耳をかすり砲口を上げた弾は、振り落とさんとする柳葉刀を打ち砕く。
「ジョージさん!」
「林文棋、貴様ぁぁぁあああ!!」
振り向いた先にいたのは凄まじい憤怒の形相で満州服を翻し、さし迫るジョージの姿。
「殺す殺す殺す殺す!!」
動揺するヨーナスを突き飛ばし、文棋に向かってジョージは乱雑に銃を撃ちつけた。
一方、文棋はヨーナスの肩を掴み、彼を盾にして横に逸れる事でそれを避ける。
また彼もヨーナスを突き飛ばして、ジョージの視界が遮られた。
そして、その間に転がっていた高珊の柳葉刀を脚で跳ね飛ばして受け取り、仰向けに崩れるヨーナスを脇へ蹴飛ばしたジョージの頭に向かって飛び上がり、斬りつけた。が―、
「遅っせぇよっ!」
「!?」
宙返りして避けたジョージはその間に脚を広げて文棋の攻撃を空回りにさせる。着地して撃った弾が、仮面に当たり磁器でつくられた仮面が盛大な音を立てて割れた。
そしてジョージは見た。その下に現れたのは少女と同じ顔をしたきっと眉をしかめる少年の顔。
「はっ!もうそれで焦った顔も隠す事が出来なくなったなあ!」
真正面に突きつけた時、ジョージの肩がずきりと軋んだ。その弾みで、放った弾ははずれる。その隙に目の前に立ちはだかった文棋はギルデットを握った腕を両脚を開脚して避ける。
開いた胸に向かって連続撃ちをくらわせる。ジョージはたじろいだ時、文棋はにやりと笑った。
「その後は目潰しがクル!サケテ!」
高珊の叫びに応じ、二本の指を突き立てた文棋の指をジョージは片手で受けとめ、そのまま腕をひねり潰す。彼の肩から赤い血が吹き出した。
「ぐあぁっ!!」
うめく声を出した文棋は、腕を、満州服の袖を回転させ振り解く、後ろ向きになったままかかとを振り上げ仕込みナイフでジョージの肩を突いた。
そして同時に離れる2人。互いに血を、汗を流しながらにらみ合う。
「…っはぁ…ああ、なめんなよ。この俺が他の奴らとは出合いが違げぇってのが分かったろ?初めて傷付けられた気分ってのはどうだ、糞餓鬼。」
ジョージの煽りに文棋は垂れ下がった腕を、ジョージに向かって眉を更に潜める。
(余裕がなくなったか?チャンスだ!)
とヨーナスがGLOCK18を彼に突きつけようとした時、高珊が落ちた柳葉刀に手をついた。
「やめて下さイ、ヨーナスさン。貴方言ったでショ。貴女とは戦いたくはないって。」
「高珊ちゃん…っ!なんで・・・!さっきジョージさんに味方してくれたと思っていたのに・・・・!」
「フ、分かってない。さっき助けてくれタ借りを返しただけデス。やはり貴方は何も分かっていなイ。銃使いにハ、この柳葉刀使いノ義理、というものヲ―。」
ヨーナスは反射的に一方のホルスターから素早く取り出し、高珊に突き付けたGLOCK18に気付く。
「あラ、あの言葉はなかった事にするんですカ?」
高珊が汗を鼻から垂らしながら笑う。
「いいや、戦うことなんてしないさ、高珊ちゃん。ただこれで柳葉刀を更に遠くへ飛ばすだけだよ。」
「さァ?そうは上手くは行きますかネェ、貴方の腕前じゃぁ丁度私に当たるかモ。」
すべてを見通した黒い瞳にヨーナスは歯を食いしばった。
「・・・・何故です!何故そこまでして彼をかばうのです!貴女をも襲おうとした、卑怯者の男を助ける義理なんてどこにも・・・・!」
「卑怯者なのはどっちだネ。」
ヨーナスははっと横を向く。
そこでようやく口を開いた文棋は、苦し気にヨーナスを睨んでいた。
思った以上の痛手で、よもや弁明無しに黙っていられなかったのか、痛みで落ち着いた判断が出来なくなったのか。文棋はゆっくりと恨めし気に語り出した。
「ガキのようなおもちゃを振り回してたのはどっチだって言ってるんダ。
ろくに鍛錬もせず、トリガーをぶっ放すだけで、刀よりも多くの人間を殺し続けた人類の開発物の唯一の汚点、そんな物を得意気に構える獣共に軽蔑される筋合いはないネ。」
「は、何いきなり語りだしてんだお前。それがお前の言う、柳葉刀使いの理念って、ヤツか?」
ジョージは首をあげる。細い首筋にのど仏が動く。
「愚説です。無抵抗の女性に一生の傷を負わせた奴の言うことなど言うに及ばすです。」
ヨーナスがそれを一蹴した時、文棋はこの時初めて叫んだ。
「ふざけるナ!あの女は別に最初から無抵抗だったワケじゃねェ!あいつは俺がドアを開けた瞬間にちゃんと持っていたさ!左手に輝く銀色のSIGP226銃をナ!」
「なんだって!?」
ジョージとヨーナスが目を開く。
「あア、それは天帝に誓ってでも言うネ、無抵抗なんてしていなイ。嘘ついているのはその女の方ダ!ハッ、柳葉刀に銃が負けたのがそんなに悔しかくて嘘ついたのヵ?これだから銃を持つ奴はどいつもこいつも碌な奴がいやしなイ。」
「・・・ゴチャゴチャ煩せぇんだよ、お前。」
ジョージが唇をきゅっとしめ、銃を再び二丁構えた時、高珊も前転して布の擦り切れる音を立て、柳葉刀を拾い上げる。そして、屈伸しながらジョージとヨーナスに対してざっと、両腕を広げ構えた。
こうして4人が立ち往生になり、緊迫した空気がはしった。
「ふ、それでかつての仲間をかばう気でいるつもりカ猟犬。」
今度は文棋が笑った。
「違うネ、どんな関係だか知らないガなアンタ、本当はただあの女ともう一対一で闘う事が出来ない事が悔しかっただけネ。
そのやりきれなさを俺に対する憎しみにすり替えてるだヶヨ。ディンゴ。あの、生気のない獣のような青い瞳を見てみろョ。くだらなくて馬鹿馬鹿しいのはホントはこっちの方だろうガ?」
柳葉刀の矛先をぶんと振り回して、ジョージを指し示す文棋。ヨーナスは何も言えなかった。あまりにもそれが妥当であると思ったからだった。ジョージも睨みつつも弁明は、しない。
「図星の顔だナ。銃を持つとそうやって人を見る目、人を人として見る目がなくなル。対象をただの蠢くものとして見なくなル。それが愚かで恥ずかしい事だと、何故自覚する事ができなイ?」
それが、動機なのか・・・?ヨーナスはその言葉に眉をひそめた。
「そう。柳葉刀は銃と違う。相手を見定め、相手の行動を読み闘イ、例え相手に苦痛という罪を負わせても、それを斬った1人の命の感覚をこの手で持つという覚悟も出来ていル。」
リングの天井のライトが血を垂らす、柳葉刀を光らせた。
「それに我ら柳葉刀使いには矜持だってアル。あの女とは違う。例えどんな相手も銃は最初に取らせやっタ。マフィア共を相手にしなかったのは、それがあまりにも「弱」すぎて闘うのに気が引いたケ。実はただそれだけナンだヨ。」
ヨーナスは愕然とした。なんて、どこまで義理堅いものだと言う事を―。
それを知ったかのように、文棋はヨーナスを横流しににやりと口角をあげる。
おそらく、先ほど彼の言った「人の心が読めない愚かな銃の使い手」として、ヨーナスを見ているのであろう。
「最後に一つ言おゥ。高珊、お前ハ俺が親父を憎んでいルと言ったナ。さすがは俺の妹弟子、「気」を読む事には俺以上に長けるが、そういう風に仕組ませたのは誰よりも紛れもない親父自身だっタという事は分かってほしイ。」
「文棋…。」
高珊が彼を見上げる。それは同情の瞳だった。それにやばいとヨーナスは彼女を見据える。
「父答えて曰わく「ただ剣の道にゆき、義を通して弱き者を助け、力に過信する強き者を目覚めさせよ。」と。親父が、憎いであろうマフィアの事など目にくれず、病院先で俺に残した言葉だった。俺ハ何よりその信念ヲ優先したんダ。」
のびやかな中国語で、文棋は父の最後の言葉を唄う。
「あの4年前から俺は銃ヲ、それを使う者を憎み、本当の闘う事への姿を示すために修行を積み、今になって『銃の名手』とほざく奴らを倒す事に決めタ。そしてその成果を見せタ。これが事件の真相ョ。私利私欲で物事を見る事にしか出来ない銃を持つお前らにハ、見当もつくワケがなかったガ…。」
膠着した雰囲気の中、文棋が血を噴きながらも柳葉刀をかざした。その時であった。
「だからさっきからゴチャゴチャうるせえっつってんだろがあああああああ!」
ジョージはひとうねり声をあげて叫んだ。
「やめテ!」
高珊が柳葉刀を横振りで回転させてジョージに投げつける。ジョージは斜め右に身体を反らしてそれを避けた。
その間にヨーナスは彼女を止めるため駆け出した。
高珊は駆け寄るヨーナスの腕を掴み、それをポール(鉄棒)のようにして、小さな身体を回転させヨーナスの上に登る。
「邪魔をしないデッ!」
そこから首を掻っ切ろうするが―
「ごめん・・・!高珊ちゃん・・・!」
「きゃああああァ!」
ヨーナスは高珊を巻き込み、床に身体ごと勢いよく突っ伏したのだ。
大の男一人分の重みに押さえつけられ、少女は悲鳴をあげた。
高珊の柳葉刀は一筋、ヨーナスの首に跡を残したのみで、足元に崩れ落ちる。ヨーナスはすかさず彼女の手を背中に回し、押さえつける。これで遂に、高珊は確保された。
一方、ジョージに襲いかかろうとする文棋に、ヨーナス伏せながらGLOCK18で撃ったが、靡く満州服に気をとられ、的に当たらない。
「しま…っ!」
そう言う間に文棋はジョージの真下に潜りこみ、銃を下から蹴り飛ばそうとする。状況判断力や瞬発力はやはり鍛錬を積んだ柳葉刀側の圧勝である。
がしかし、ジョージはその衝撃に動かなかった。文棋は空回りになった攻撃に舌打ちしながら、地面に手をつき横から脇に向かって柳葉刀を振る。
それにジョージは仰向けになりながらも片方の二発で一方の柳葉刀を撃ち落とし、両腕を広げ突きつける柳葉刀をギルデットを交差させて、間に挟ませた。
「あァ…っ!?」
カタカタと小刻みに震える柳葉刀を挟んで、ギルデットはそれ以上の動きを許さない。
距離をおいたジョージの守りに動きが取れなくなった文棋は、その時初めて動揺の顔を示した。
「さっきから黙って聞いてやってりゃ、馬鹿丸出しの事ばかり語りやがって。胸クソわりぃったらありゃしねえ。」
「馬鹿…だト?」
柳葉刀を挟んで文棋は嫌悪の顔を露わにした。
「あぁー馬鹿みてーだ。ホント。」
ジョージは今度は嗤うことなく、ただ軽蔑の眼差しで文棋を見る。
「何が矜持だ何が覚悟だ。何が人の命の価値だ。とってつけたような事ばかりな事を言いやがって。」
「何だっテ!?」
自分の信念を否定された事に、文棋は顔を歪め、更に激しい刃のこすれる音を立てて、力強く詰め寄った。
「大体お前こそさ、もう一度その小せぇオツムで、武器ってもんが何なのかを学び直した方がいいぜ。たかが柳葉刀とこのギルデットを同列に語りやがって、マジむかつく。このテワヨネ野郎が。」
「き、……貴様ぁぁぁああああ!」
文棋は絶叫し、柳葉刀を引いた。
バランスを崩され、前めのりになるジョージに真正面から飛び乗って襲いかかる。
ジョージはそれを脇にそれ後ずさりしてよけるが、そのまま追いかけ至近距離から再び振り回す文棋の柳葉刀を左のギルデットでガードした。
一方、文棋は距離をとって射程に入ろうとするギルデットを、左の柳葉刀で阻害する。
そうして、2人が優位な距離をとろうと駆け巡る戦闘は息をつく間もない程の勢いとなった。
「柳葉刀は武器!銃は兵器!その区別もくかねぇガキが、ぐたぐた理想論ぬかしてんじゃねぇぞ!」
鉄と鉄、互いの血が弾き飛び散る合間、ジョージは蒼い目を光らせて、叫ぶ。
「俺たちは『単位』だ!同じ力、同じ能力を持った者として扱われる、1つの単位だ!
銃を持つ時点で俺たちは、人間である事をハナっから自分で捨ててるんだよ!」
互いが身体を斜めにして攻撃を避け合う中、ギルデットが文棋の頬を裂いた。
「戦場へ駆り出される時も、敵を倒しにいく時も、お偉いさんらはな、俺らをいつでも1単位として「兵力」ってーのを考えんだ! そこには俺らの命だとか矜持もそんな事情なんて何もありゃしねえ!そのために作られた時点で、てめーらのとは既に格が違えんだよ!」
気迫に負けじと、文棋も柳葉刀を回転させてジョージの満州服を引っ掛ける。
「そんな中で生きた俺らにとっちゃ、てめーら甘ちゃんの戯れ言なんぞ、犬の餌以外に何の役にも立ちやしねぇ!」
掴みあった中で2人同時に倒れ込み柳葉刀がジョージの服ごと床に突き刺さった。身動きがとれないジョージに文棋は上に乗ったまま喉を刺そうと二本指を突き立てる。
がその前にジョージが顔を上げて彼の指を噛み砕いた。
「ぎゃぁぁあああああああああ!」
男の悲鳴が響く。文棋は柳葉刀を取りながら後ろへと後ずさった。
深く脚を広げ柳葉刀構える形から、肘、指の方にかけて血がぼだぼだと流れ、その痛みに歯を食いしばる。
一方ジョージは飛び上がり、半分ひじを曲げた格好で2丁のギルデットを持った。互いに牽制し合い、その矛先を向けられないまま、ジョージがやがて。血を含んだ唾を吐き捨てて笑う。
「矜持だの義理だの、その面でも同じ事が言えるか?林文棋。」
汗と血にまみれ、眉を潜め焦点を合わせようと揺れる瞳、力無く息をする文棋の表情を見て、ヨーナスは哀れと同時に呆れをも感じた。
一時は格好良い事を言っていた様がこれかよ。
と。これでまだ筋を通す位なら怒りに身をまかせ、そのまま飛びかかった方がましだ―。
しかし文棋はそのヨーナスの意志に反し、言葉を切らしながらも懸命に、抗議した。
「なら、尚更…利に合わないじゃないカ…。お前らをたかが「単位」になさしめる物をなぜ持ち続けル…なぜ人間である事をやめル…!」
「確かに。駆り出される度に何を感じない、と言うのは嘘にはなりますよ。」
ヨーナスは高珊を押さえる事に必死になりながら、ふと視線を両手のGLOCK18に移り、彼の言葉に答えた。
「しかし、それでも私たちが銃を手放せないのは、先人たちが人を単位として扱う事をやめられなかったのは―」
「そうしてこそ、ようやく得られるってモンが確かにそこにあったからだ!」
ジョージがヨーナスの言葉に続いた。
文棋は右足を後ろに向けて曲げ、反対方向の足をのばして構えた。柄を持って少しずつ振り回していく。
ジョージはきゅと、リング上の血痕を擦って立ち上がる。
ぶんと羽音のような音を出し回る柳葉刀、遠心力で力が増す矛先で斬ればそこで勝負はつく。これが、最後の勝負だ―。しかしそれでもジョージはただ笑っていた。
「人間をやめてこそ、得られるモンってのはこの世には存在する。」
ジョージは横目にヨーナスを見た。ヨーナスは息をすう。
ジョージは真正面に文棋を見定め、そしてヨーナスの息と共に叫んだ。
「「それが“勝てる”ってえ事なんだよ!」」
けたたましい居合の声と共に、柳葉刀がジョーシに向かって振り回された。そのスピードに臆する事なくジョージはしゃがんで避ける。リングを囲む縄が斜めに切れる。文棋は素早く次の大勢にと脇の下に通し、横からけさがけに斬りつける。
が、ジョーシが片手で撃ったギルデットの弾がついにその獲物を掴んだ―!
「……!?」
文棋の目の前に広がるは、柳葉刀「だった」破片が銀の光を瞬かせながら表裏へと、くるくる回る光景。
唖然とする刹那ギルデットの銃が自分に向けられている事に気付く。
「嫌ああああああああああ!!」
少女の甲高い声と銃声の間、文棋は鈍い音を立てリング上に倒れた。
そして、仰向けに転がり動かなくなった。
「離しテ・・・・!離しテよっ!」
少女の叫びにヨーナスは怯み、思わす力を緩めてしまった。下から這い上がる彼女は半分に欠けた柳葉刀を片手に、倒れる文棋の元へ駆け寄った。
「文棋…! しっかりしテ…!ウェンチー!」
自分のひざに彼の頭をのせ、高珊は肩を小さく揺らす。
しかし血がリング上に広がるばかりで、文棋は何も反応しない。彼女の大きな瞳から流れる涙が彼の頬を伝う。
が、きっと涙を飛ばしジョージを睨んだと思えば、高珊は文棋の肩に手を回し、顔を胸に押しつけるように彼を抱きしめる。開いた片手には欠けた柳葉刀。それをジョージにかざして、睨んだ。
「確か二・・・・、この勝負は貴方の勝ちデス。ジョージ・ルキッド・・・・。」
「勝ちじゃねぇ、“完全勝利”と言い直しな。チキータ(小娘)。」
ジョージは震える彼女にも、容赦なく言って捨てた。
「そうですネ・・・。しかし、まだ私がいまス。ジョージさん、この私が、まダ。」
「…っ!?高珊ちゃん…!?」
予想以上の彼女の底意気地に、ヨーナスは身を乗り出した。
「貴方は文棋に勝っタ。しかしこれで私達柳葉刀使いの理念モ、貴方がた銃によって打ち砕かれたというわけではナイ・・・・!」
涙を飛ばしながら声を上げる高珊の声は、更に震えていた。
「確かに、貴方の理論は的を射ている所はありまス。
しかし、そうやって開き直っているから、いつまでたっても悲劇は終わらないのだと何故思わないのカ!
貴方方の元凶はそうして「諦めている事」にアル!しかし私達は諦めない!貴方がた銃を持つ奴らがそうして諦めている限り、我ラはあくまで柳葉刀を手放す事も、人間である事をやめはしナイのでス!」
小さな身体を震わせながら叫ぶ少女の言葉を、ジョージはただよくある理想論の1つだと切り捨てる眼差しで見定める。
しかし一方、ヨーナスはそのか細い声の中に息づく彼女の信念を心の震えと共に感じとった。
「柳葉刀の流儀を馬鹿にスル者ハ、幾ら私でモ許さなイ!
いざ尋常に勝負でス!ジョージ・ルキッド!柳葉刀の底意気を見せてやル!」
文棋を抱え、震える矛先をジョージに突きつける。ジョージはそれを見、ゆっくりギルデットを掲げようとする。ヨーナスは堪らずに叫んだ。
「やめろーっ!2人とも、もうやめて下さい!やめろーっ!」
もうやぶれかぶれだ。そすて、2人の間に立ちはだかろうとした時であった。
「そうだよ、もう止めておきなよ、お嬢ちゃん。」
ヨーナスの声に続いたのはある女の声。
ジョージがはっと、そっちへ振り向くと、観客が開いた道を中心に両腕をギプスで固定した女が立っていた。
「コンドル…。」
ジョージが振り向いた時構えた高珊の柳葉刀は、遂にGLOCK18によって弾かれた。
「…っヨーナスさん!」
「これで本当にお終いだよ、高珊ちゃん。」
ギプスをはめた女はその様子に含み笑いをすると、文棋が斬ったリングの縄の間を通り、リングの上に立つ。そして涙を流しながら震え、型を構える高珊と倒れる文棋の横にかがみ、2人と視線を同じくした。
「貴様ァ!貴様がコンドルか!」
ヨーナスはGLOCK18を素早く彼女に構えた。
「そこから離れろコンドル!もう全ては終わっているんだぞ!今からやり返そうたって―!!」
「分かってるよ。」
それは低く根太い、大人の女の声だった。
「分かってるんだ。でもね、正直ね、ただあたしが4年前のと関係なく、ただ「コンドル」ってだけで襲われたっていう真相は、幾らなんでも理不尽には思ったさ。しかしそれを差し引いても・・・・・彼は十分罰を受けた。」
リング場の入り口の方から、ヨーナスたちにとって聞き覚えのあるサイレンが響いた。
動揺し駆け回る野次馬共を背景に、高珊の胸の隙間から文棋が枯れた声で呟く。
「フ…待ち伏せしていた卑怯者に、そんな事を言われるなどト…。」
ヨーナスはコンドルが銃を持っていたという事を思い出す。
やはりこの女も、―マフィアというのは所詮そういう者なのか。
「違う。」
しかしジュリアはそれをきっぱり否定した。
「あたしはあの時、銃を持って待ち伏せなんかしていない。」
「嘘ダ…っ!だってお前あの時、銀色の銃を右手ニ・・・・・!」
「あれはっ…!」
ジュリアが突然震えた声で言葉を詰まらせる。
しばし俯き、涙を流さまいと顔を精一杯にひきつらせジュリアは言った。
「あれは銃なんかじゃない…!あれはスプーンだ!夕食作りのために使っていた…スプーンだよ…!」
「!?」
文棋はその言葉にひっと息をすって驚いた。その、真摯な瞳から、それが嘘でない事を文棋は「気」で感じ取る。
「そんナ・・・オレは、あの時、勘違いしテ・・・!?」
ジュリアの大声と共に、どこからか匙の落ちる音がした。
文棋はその瞬間、すべての顔の筋力がなくなったような顔をした。
「あんたが言ったねぇ・・・、柳葉刀使いとしての信念ってのはもう、あたしを襲った時点で!自らの手で潰してしまってたんだょ…っ!!」
ジュリアの悲哀の瞳を見、文棋は無表情だった顔を次第にゆっくり歪ませ、そして嗚咽した。
それが、彼がようやく、負けを認めた時だった。
泣きながら抱きしめる高珊の腕を掴み、ゆっくりと顔をうずませただ、ただ泣く。3人の涙が血と共にリングを濡らしていった。
やがて、その様子にヨーナスはジョージに近づきながら囁いた。
「これで彼は、本当の意味で罰を受けましたね。」
それに対し、ジョージは肩を抑えながら一言だけ返した。
「あぁ、もうこれで二度と2人共立ち直れん。」
7、すべては誤配の中から
そびえ立つアークテクチュアに囲まれ、独自の文化が華咲いたチャイナタウン。
数日前の「違法賭博場一斉摘発騒ぎ」に一時期は色めき立っていたものの、今日の夕方に至っては、露天で丸焼きのダックを捌く料理人や、それを興味深そうに写真を撮影する観光客、そして狭いのにも関わらず机をおっぴろげて麻雀を始める老人4人組など、人通りの多い、いつも通りの日常が即に広がっていった。
そのキャナルストリートの外れのそのまた外れ、T字交差点の一角手前に位置する小さな中華料理店、「高璘」〈コウリン〉の扉には、「定日休日」という看板が掛かっている。
しかしヨーナスは今、店のカウンターに座りながら担々麺を食べていた。
カウンターを挟んだ向かいにいるのは主人―、ではなく彼の愛娘、杓高珊。
事情聴取をこの間済ませ、店にもどってきた彼女。腕を前に組み合わせた親指には包帯を巻いている。
「うん、美味しい…!とっても美味しいですよ高珊ちゃん。」
「良かっタ。店の父にはまだまだと言われてるんですガ。」
細い指を交わす少女の笑顔。その華やかさにまた胸がときめくと同時に、ついこの前にリング場にて闘っていた相手、という事を思い出すと素直に応じられなかった。
その表情を読み取ったのか少女もふと真顔になり、目を伏せる。
しばらくの沈黙が続いた。
ヨーナスは再び担々麺を口にしながら小さく訪ねる。
「林文棋は…その後はどうなったのですか。」
「……大量出血で一時期は危ない所でしたが、なんとか命を取り留めましタ…。当分動けない間はジュリアが面
倒みてるとの事でス…。今後の事についてはこれから「2人」で決めるそうでスヨ。」
「何ですって…あのコンドルが!?」
「えぇ・・・・、私も驚きましタ。銃の使い手に、ましてやマフィアにそんな義理高い人がいたなんテ…私達はなんて酷い思い込みをしていだのでしょゥ。」
高珊は俯く。ヨーナスもその気持ちは同じであった。
「結局、自分の推理も思い込みと勘違いのオンパレードだったものなぁ…最早何も。」
と呟いた。
「ちなみにこっちはですね、気の良い上司がこの事態を深刻に受け止めてくれまして。今後NYPDの方で、クラパの一斉捜査に至る事になったようです。ちなみに、ジョージさんもそれに参加する予定でいるようですよ。」
高珊は苦笑いをする。
「ええ、お察しの通りそれはもう、とてもやる気満々でいましたよ。私も誘われましたが遠慮させていただきました。こういう貴女との約束もありましたしね。」
顔をそらし笑いながらヨーナスはチャイティーを飲んだ。
「フフ、あんなにウェンチーが軽蔑していた憎っきジョージさんが、結局は師匠の敵を討つ事になるなんて、複雑な話ですネ。やはり、銃は強い。とても強いものなんですネ。」
とヨーナスと共に笑いながらも寂しい目をする高珊。
もし、ジョージがここにいたらその通りだと言うだろう。とヨーナスは思う。
でも、私は違う。
彼に言い聞かせるようにつぶやき、ヨーナスは眼鏡をかけ直して顔をあげた。
「でも、私は、貴女方の信念は間違っているワケではないと思いますよ。」
その言葉に高珊は「え」と声をあげる。
「確かに銃は向ける相手も、持つ人さえも単位になさしめる冷徹な暗い穴です。そういう前提の前では、義理やプライドなど何の意味もなさないものかもしれません。」
でも、とヨーナスは続けた。
「それでも貴女のようにそれを諦めないで通す覚悟があるというのは、素晴らしいと思います。少なくとも、「前提」に従う事に慣れてしまった私にとってはとても眩しく、羨ましかった。人間としての本質ってのがそこにあったからなのかもしれません。」
ヨーナスは穏やかな瞳で目を細め、高珊を見つめる。
一瞬高珊は頬を染めるが、カウンターから見を乗り出りヨーナスに問うた。
「でも…!私、それについて一日中考えてたんですけド…っ!私たちがそれを諦めないように、ジョージさんのような人も銃を持つ事もやめないっていうのは、ただ元に戻るだけではないですカ!?
それでは何の発展もない!ただの堂々巡りになってしまっただけじゃないですカ…!?」
彼女があの時と同じように、震えた声でヨーナスを見る。
「そうだね、確かに。ジョージさんのように「純粋に」闘いに正しいも何もないと考えている人にとっては、通じない理論なのかもしれない。」
「なら…っ!」
「高珊ちゃん。」
困惑する高珊の声にヨーナスは諭すように言う。
「あのね。おそらく彼を説得出来るのは、少なくとも私たちのような「殺す物を持つ」人じゃないんだと思うよ。」
高珊はごくりと唾を飲んだ。
「それはもっと別の次元の、武器じゃない何かを持つ「誰か」が、いつか教えてくれるものなんだろう。少なくとも私はそう思っているよ。」
だからそこはもう割り切ってしまうしかないのだ―。
やはり自分も行き着く先はジョージと同じだ。
と自嘲気味にヨーナスは口角を上げた。
高珊はその言葉に目を伏せ、カウンターを見つめる、そしてゆっくり顔を上げヨーナスを見たかと思うと、今にも壊れそうな顔を保ち、微笑んだのだ。
相容れぬ銃の使い手と向き合い、現実に応えようする瞳。今まで見た笑顔の中で一番美しいとヨーナスは思った。
「娘々(にゃんにゃーん)、こっちに餃子セット1つちょうだーい。」
「う、うぐう…椴さん…。」
バツの悪そうな顔をしてヨーナスが後ろを向いたすぐ先には、テーブル席左手に座る椴とその向かいに座るミナ。
2人共ヨーナスと違い、実に器用な手つきで箸を使ってラーメンをすすっている。
「はいはい!餃子セットネ!」
と、いつもの看板娘の調子に戻り、厨房に戻る高珊を残念そうに見送りながら、ヨーナスは悪態をついた。
「全く…。ここまで私の落とした写真を届けてくれたミナさんならともかくね、彼女を口説いていただけの椴さんまでなんでココにいるんですか…。」
「んだよ冷たいな。誘い誘われの仲だったじゃねぇかよ。」
「またそんな事言って…ってミナさん!!そんな「成程」って顔で納得しないで!ミナさん!」
慌てて否定をするヨーナスに、ミナはそうですかと応え、また箸を進めた。
「しかしヨーナスさん、この写真って一体何なんです?ここの中華料理店と何か関係が?」
机の上にしわくちゃになった写真を押し広げミナは尋ねた。
「あぁ、はい。あまり詳しくは話せませんが。彼女の双子の兄と父の写真なんですよ。どうです。彼、高珊さんと顔がそっくりじゃないですか。」
「そっくり?」
椴とミナは同時に写真を見る。
厨房で餃子を焼く高珊を一、二回見るとヨーナスの方へ向き二人同時に言った。
「「何言ってるの、全然違うじゃん。」」
「ええ―――――っ!?」
ヨーナスは写真を取り上げ凝視した。
「いや、似てますよ!結構似てますよ!」
「違う違う。全然違う。どっからどう見ても赤の他人だよね、これは。」
「ええ、全く似てません。」
椴とミナは高珊をちらと見ながら、念を押すように言った。
「えぇぇ~…違うんですか~…?」
写真と高珊を交互に見ながら、妙に納得のいかない様子のヨーナス。
ミナはそれを見て、また「如何にも」とした表情で頷いた。
「成程・・・。これはヨーナスさんが間違えてしまったのも無理ないのかもしれませんね。」
「? どういう事?」
ヨーナスと共に椴も首をかしげる。
「あのですね。ヨーナスさんの様なアジア圏以外の人は、大抵アジア人の顔をきちんと見分ける事ができないんですよ。NYPDの刑事もアジア人を追跡調査する時は、そこら辺に歩いているアジア人にチップ渡して、写真と同一人物か確認させる事はよくある事じゃないですか。え、知らなかったんですか?ヨーナスさん。」
「う、うぐう…知り、ませんでした…。」
「へえーどうりでね~俺もなんか心当たりが1つや2つあると思ったら・・・。」
嗚呼と心の中で叫びながら、ヨーナスはテーブルにひじをつき顔を覆った。
改めて自分はウェッブのいう調査権のないただの「巡査」なのだと思い知らされていたのだ。
「じゃぁ、文棋が言ったという、双子の妹ってどういう事だよ…誰なんですか・・・・?」
手の中で小さく呟いた言葉に、今度は高珊が答えた。
「双子の妹?」
「そうですよ。貴女の事じゃないんですか。」
高珊は高らかに笑った。
「確かに、私は林文棋の「妹弟子」ではありますがネ!
「この通り」血は繋がってませんヨ!双子の妹はあの大麗・小麗姉妹の事ですヨ?
文棋が失踪した後、親戚筋の隣が引き取ったから名字は違っているんですけどネ。」
「双子」ってそういう事だったのかぁぁあ。
ヨーナスは今度はカウンター席にて俯いた。
「あァ確か。あの日私と最初に合った時にジョージさん私を文棋の事と間違えてましたよネ。色々バタバタしてたので忘れてましたガ。」
「そうだよ!あの時、文棋とは別人だってはっきり言ってくれれば、賭場に行くまであんな複雑な思いなんてしなかったのにーっ!」
「へ?私あの時、言いましたヨ。ちゃんト。」
「え?」
高珊は焼いた餃子を皿に盛り付けながら言った。
「言ってないよ!せいぜい、ぶつくさ中国語で呟いてた事くらいしか言ってないよ!」
すると高珊はああと思い出したように口に手を添えた。
「すみませン。私、慌てると英語言ったつもりで母国語喋っちゃう事、よくあるものデ。」
「へぇ・・?な、なんだぁそういう事だった訳ェ…?」
脱力するヨーナスの後ろで、
「わかっるうーっ!それ、俺もよくやるわ~!」
と椴が笑う。笑顔で答えた高珊は両手に焼きたての餃子を抱え、カウンターを回った。
「はーイ。餃子セット、お待ちネ~!」
「わぁ美味しそう。」
と、手を合わせながらミナが喜ぶ。
「でも、ヨーナスさん酷いですね。顔の見分けがつけないのはともかくとしても、こんな可愛い女の子を一時とはいえ、男と思い込むなんていくら何でも、見る目なさすぎですよ。」
その丈の短い赤い満州服が似合う高珊を見ながら、ミナは餃子に口をつける。
「い、いやそれはですね…。」
途端、ヨーナスは口をごもらせミナの視線から避ける。
その横で高珊が前屈みになって「日本人の方には」と醤油を椴の前に置いた時、
今度は椴が成程と言った顔をした。
「はーん、そういう事かぁ。」
目を細め鼻をのばし、にやにやと笑う椴を不思議そうに眺めるミナと高珊。
「ちょっと。椴さん。」
ヨーナスが諫めようとするその前に、椴は「答え」を言った。
「隠さずに言ってごらんなよディンゴ君~。あるもないも同じ「胸」だったから、男だって疑っちゃってさ!」
「シャーッ!」
「ちょ、高珊さん、私何も言ってな―」
言い終わる前に、高珊の平手打ちが頬に直撃した。
赤く痺れる頬を抑えるヨーナスを、高珊は一度きっと睨みつけ立ち去った。
「ちょっと椴さん!!今のは貴方が殴られるべきでしたよっ!」
向かいの椴に諌めるミナに対し、気づかれぬよう、ヨーナスは口元をゆっくりと上げている。
「いてててて…でも高珊さん。怒る時もシャーッって…猫みたいに可愛いなぁ…。」
しかし、それが中国語で言う「ぶっ殺す」という意味だと知るのは、それからずっと後の事であった。
〈終〉
〈あとがき〉
と、いう事で第3話、「柳葉刀編」完成です。完成・・・・といってなんと今回は最大ページの46p・・・・・・!!
絶対何かがあるはずだ。(誤字脱字的な意味で)
さて、3話目にしてようやくヒロイン登場回となりましたが、あれ、ジュリアがヒロインですって?違うよ。と、某彼氏なら絶対間違えそうなのでここで書いておきます(苦笑)
GANMANGEORGEのヒロインは高珊ちゃんです。でも、私はいつも「こうさ」、「こうさ」と読んでいます。「文棋」もウェンチーなんて呼ばずにふみしょう、ふみしょうと読んでいたのはここだけの話。
しっかしねえ、格好良いと思って決めたのはいいものの、「ふみ」と入力した後に「棋」の文字出す度に「将棋」って入力していたのは本当面倒くさかったよ!?← とこれからは効率面で名前を決めていきたいと思うようになった今回でありました。
アーサーの父称も書いてないのも同じ様にめんどくさいかr(以下略)
さて、今回は書いたこともないのにいわゆる「叙述トリック」式要素を入れてみました。いかがでしたでしょうか。慣れないことはするものではないですね。
最後のミナがいった、大抵アジア人の顔をきちんと見分ける事ができないんですよ。という話は本当の話です。ちなみに、その逆もしかりですよね。(遠い目)
ヒロインそして後々憩いの場設定になる中華料理店も出てきたことによりよりガンマンジョージの世界が広がっていくようになりました。
いよいよ次回は第4話。アーサー氏が主人公です。きゃーっ(自分が喜んでいる)
お楽しみくださいませ。読んで下さってありがとうございました。
次はジョージに何着させよう
根井舞榴
〈杓高珊〉
・・・中国人。16歳。身長145cm。小柄である事と可愛らしい容貌から人気が高く、父の経営する中華料理店「高璘」の看板娘として活躍している一方、素質が良かったのか柳葉刀使いとしての腕前も良い。
武術を学ぶ際に鍛えた、相手の心情や状況を読み取るいわゆるプロファイリング力がジョージ、ヨーナスよりも優れる。その能力がしばし2人の手助けになる・・・・かもしれない。
椴曰く「あるもないも同じ胸」の持ち主。