高島康平とのデート
わたくし、一二一二三は、黒板は縦に消す派です。
名前はすべて横書きなんですけど、黒板を消すときは縦消しです。
もちろん横に消す人を否定するわけではありませんが、わたくしにはしっくりきません。ていうか、下手な人が横に消していくと、汚いストライプ柄になりますよね。
まさしく下手の横好きですね(笑)
さて、図書館に呼び出されたのは良いですが、とくにこれからやることもなかったようなので、2人でぶらぶらと散策しておりました。
すると、今朝聞いたのと同じ音楽が、私のショルダーバッグから聞こえて参りましたので、そこから携帯電話を取り出して、電話に出ました。
相手は親友の石田沙紀ちゃんでした。
「もしもし沙紀ちゃん?」
「こんにちは、悠莉ちゃん」
悠莉は私の名前です。沙紀ちゃんは続けて、「『こんにちは』と『こんにちわ』だと、『こんにちは』が正式名称なんだけど知ってた?」
私は少し黙りましたが、
「うん。でも、『こんにちわ』のほうがかわいいよね」
「だよねー。えーと……ちょっと待っててね。何を言うのか忘れちゃった」
沙紀ちゃんは、先輩の小流杏子さんに取り次ぎました。
「はい、お電話代わりました。わたくし責任者の小流杏子と申します。先刻は失礼いたしました」
さすがはバイトリーダーを経験しているだけあって、丁寧な応対でした。
「お差し支えなければ、ご用件のほどをご確認させていただいてもよろしいでしょうか」
二重敬語のように、敬語が重複している気がしましたが、もしかしたら正しいのかもしれません。
私は弁舌さわやかな小流先輩の声を聞いてそんな感想を抱きました。
「はい。ただし条件として、先に用件を教えてください」
「もしもし?」
小流先輩は少し照れたように、「ごめんね。ちょっとふざけてみたんだけど」
「私もです」
ちょっと笑いあってから、
「あのね、今日は悠莉ちゃんの誕生日でしょ? だからみんなでお祝いしようと思って、きみの家にちょっくらお邪魔してるんだけど」
「えーっと? 理解に苦しみますが」
「だから、きみの家に不法侵入させて頂いたんだよ」
「ほんとうですか? 散らかっているんだから一声かけてもらわないと困りますよ」
私は謙遜でなしに、卑下するようなことを言いました。
「だから、みんなで掃除してあげているのよ」
「みんな? みんなって小流先輩だけじゃないんですか?」
ここで私はようやく、石田沙紀ちゃんが小流杏子先輩に取り次いだことを思い出しました。
「ごめんなさい。沙紀ちゃんもいるんでしたよね」
「うーん。まだいるよ……」
鷹揚とした調子で、小流先輩は言いました。
「だ、だれですか?」
驚きよりも羞恥が勝りましたので、私は血相を変えて質問いたしました。
「ちょっと待ってね。いま代わるから」
小流先輩はだれかと交代して、「もしもし」
女の子の声が通話口から聞こえてきました。
読者の皆様はすでにお気づきでしょうが、笹柳奈保ちゃんでした。
「えー。奈保ちゃんもいるの?」
仰天していると、「これが吉岡先輩がいつも仰臥してる敷布団ですか? 出しっぱなしになってますよ、はしたないですね。あ、でも良い香りがします」
「においかぐなー!」
ひと悶着あったところで、
「それじゃあ、いますぐそっちに戻るから、待っててね」
私が念をおすと、「いいえ。高島先輩とゆっくりしててくださいな」
奈保ちゃんは見透かしたように言って電話を切りました。
「ゆっくりと、って言われてもねえ」
高島康平を見ると、彼は「ぶぁっくしょん」とくしゃみをするところでした。
康平の顔は、若干ではありますが紅潮していて、鼻水をすすったり、小刻みに震えたりしていました。
私のコートにはフードがついていたので、それをかぶっていましたが、彼には雪を遮断するものがありませんでした。
そうなれば当然の帰結として、髪の毛には雪がたまり、湿り気をおびて倒れていました。
「ごめんね。電話に夢中になっちゃった……」
心のなかでは土下座をして謝りました。
「いや、気にしないで」
康平はちょっと歩いてから、「それよりさ、今日はお前の誕生日だろ? だから、渡したいものがあるんだけど」
「えっ? なになに。先に教えて」
「目、閉じたら教えてやるよ」
目を閉じる?
まさかキス? 無理無理、だって幼なじみとか設定ベタすぎだもん。
「嫌ならいいんだけどさ」
逡巡する私の気持ちもしらずに、康平はぷいっと先へ行ってしまいます。
「まって。わかったから……」
慌てて康平の肩をつかみ、そっと目を閉じました。
彼は鼻をグズグズいわせながら、そっと私の身体を包み込むようにしました。
あたたかい抱擁。言葉はもういりませんでした。
はじめは、公道でハグをするというのは道徳的にいかがなものかとためらいましたが、次第に心地よくなってきました。
身体全体にぬくもりが伝わってきて、私は全体重を康平に預けました。
「はい、完了」
「…………」
端的に申し上げると、唇の接触はありませんでした。
ただ、マフラーをまいてもらえました。
「えっと……。これは……」
「手編みのマフラーなんて昭和の女みたいでちぐはぐだろ? だけどそうした方が印象に残るかなーって思って、手編みにしたんだ。ヘタクソだけど勘弁な」
康平のマフラーは、何重にもしてまかないと、地面についてしまうのではないかというほどに長く、配色もけばけばしいものでした。
ですが、『大事MANブラザーズ』の『それが大事』という曲にもありましたが、高価な商品をもらうより、手で編んだ品物の方が美しかったことは事実です。
「ありがと……」
私は照れ隠しとして、下を向いて礼を言いました。
本当は拳銃をひたいに押し付けられた時みたいに緊張していたので、その……口づけを……してほしかったんですけど……。それってわがままですよね。
「それじゃ、定食屋に行くか? おごってやるからさ」
歯をガチガチいわせる康平をみて、私は、「コンビニで傘を買ってから、そこに行こっか?」
コンビニからビニール傘を買いました。ちょっと高価でしたが、でも私のせいで風邪を引かせちゃうのはしのびなかったのでそうしました。
「はい」
康平に傘を渡すと、「サンキュー! 大事に使わせてもらうよ」
彼は子どものように無邪気に笑ってくれました。とてもかわいらしい純一無雑な表情でした。
それから私たちは定食屋でカキフライ定食を食べて、友達の待つ家に帰りました。
康平も私の自宅に招くことにしました。
センベイ先生はまだ『恣意的に虐げられた思惟』を執筆していないようですが、いつ執筆なされるのでしょうか。疑問であります。
もしかすると、わたくしがこうやってメタフィクションの要素を醸成しているから怒っているのかもしれませんね。気をつけなければ……
『鞘走りより口走り』、『ペンは剣よりも強し』でございます。
このことわざを聞くと、わたくしは『安政の大獄』を彷彿とさせられますが、皆様はどうでしょうか。