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悠久の輪舞曲  作者: nyokki
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第一話:Prelude

 終わり無き輪舞曲ロンドは、その流れるようなテンポとともに、悠久へと続いてゆく。誰も知らぬこの世の未来にまで及び、ただ静かに鎮座し、世界を俯瞰しているのだ。その姿は神と崇められ、祭られ、そして世界は進みゆく。何者をも内包しない時の流れの中で、神は永久に生き続ける。

 誰も見ることの出来ない未来というものは、時として人の心を不安にさせ、狂気へと駆り立てる。数々の謎々の中で、最も知的生命体の心を惹きつける物こそ、未来テーマなのだ。人々は未来テーマを追い求め、その絶望とも希望とも取れぬ感情の底辺へと堕ちてゆく。真っ直ぐに、何も顧ず。世界は、そして運命は、理不尽にもそんな彼らを赦しはしない。この世を定義する方程式テーマに触れることは、誰にも赦されぬ罪なのだ。


 故に人は、その身を滅ぼした。世界の方程式テーマと共に……。


---


「意識統合システム崩壊! 危険です! このままでは彼が乖離してしまう!」


 広い空間に突如としてその声は現れた。暗く、光条が走る壁や箱の中からその声は出現し、その空間を席巻した。反響の度合いから、その空間の広さが感じ取れる。ゆらゆらと影法師のように揺れ、ざわめく影は人のようだった。


「生命維持システムを最優先しろ。『これ』を生かさねば、どちらにせよ『やつ』は死んでしまうのだ。まずは兄体の安静を図れ!」


 次に現れた重低音の声が、先ほどの声に圧迫された空間を開放した。凍りついた世界が唐突に針を動かし始め、影法師の群は慌しく自らの責務を全うせんとし、その針の動きに体を合わせた。時の流れと影法師の動きは決して乖離することなく、世界の真理テーマへとただひたすらにその歩みを速めてゆく。もはや世界を見ていた神が、彼らの動きに付いていくことが出来ないほどに。


「モンタージュ開始。有機栄養装填します」

「生命維持プラント回復。息を吹き返しました!」

「よくやった! やつはどうなっている?」


 あちこちで飛び交う声の中に、始めの声の主はいなかった。まるで恋人に先立たれたかのような悲しみを、沈黙で表しているかのように。重低音の声が他の者達を褒め、空間が歓喜に満ちようとしていた。


「目標乖離。彼は……取り残されました。座標、掴めません……!!」


 歓喜が一瞬のうちに崩壊した。世界の時は再び凍りつき、何者も動き得ない沈黙が、その空間を侵食した。空間の中央に横たわる青年の生命を表す、機械的な拍動の音だけが、空間に取り残されただけ。世界は、紛れも無く静止していた。


 Pi…… Pi……


 一つの命が救われ、もう一つの命が世界から見放された。その事実は、空間に存在する影法師たちに、どうしようもない虚無感と、そして目標を失ったかのような感情を植えつける。沈黙と共に成長する雑草(虚無)は、いかなる除草剤(希望)にも屈しないほどに強い。


 Beeeep! Beeeep!


 その時、空間に強烈な電子音が響いた。


『部外者の進入を確認、直ちに排除します。研究者は緊急の場合を想定し、マニュアルに従って研究内容を破棄して下さい。データを残らず破棄して下さい。被研体07に関しては、生命維持プラント内に確保し、四次元空間増進機ラグナロクの起動準備を整えて下さい。繰り返します……』

「ちくしょう! こんなときに! 監視カメラの映像を映せ!」


 重低音の声が焦りを露にした。今までの行いを無に帰す事を拒み、抵抗するための焦り。しかしそれが、彼らの絶望を深めることになったのは皮肉なことだ。


「監視カメラの映像、映します。 ……っ!」


 空間の中に存在する影法師たちの呼吸が全て、一瞬だけ停止した。息を呑んだ彼らの視線の先にあるスクリーンには、人間の世界アイデンティティーを飲み込まんとする、異形の者達の姿が映っていた。


「まさか……これは……!」


 重低音の声が、驚愕と恐怖の色に染まる。空間が、戦慄した。


「やつらめ、こんな物を完成させていたとはな……。さすが生命合成のプロフェッショナルだ」

会長プロフェッサー、これは?」

合成獣兵士キメラアーミーだ」


 会長プロフェッサーと呼ばれた、重低音の声を持つ男が答えた。会長はスクリーンをひたと見つめ、その未来を計っている。その瞳の奥底には、彼自身にしか把握できないような絶望と、虚無が広がっていた。蒼い瞳に称えられたのは、狼を前にした子供のような無邪気な好奇心と恐怖。世界の未来テーマに近づきすぎたが故の断罪だということを、まるで身を持って体感しているかのような、それでいて予想の範疇だとでも言いたげな瞳と姿で、彼は冒険の終わりを、仲間たちに告げていた。

 歳のわりに豊かな黒髪の裏から覗いたのは、知性の溢れた瞳。しかしそれも今では、全てを見通してしまうが故の手枷。真実を見つめ続けるが故の足枷である。


「仕方あるまい……。データを破棄しよう。『やつ』は……」

「私を、私を乗せてください」

「何を言っているんだ!」

「危険は承知の上です。でも私は、彼一人を『向こう』に残すことは出来ません」


 宣言。

 誰もが驚く、ある種の自殺の宣告とも取れる彼女の言動が、警報音が凍らせた空気をドロリと溶かした。彼女の信念の情熱が空気を崩落させ、甘い香りを漂わせる世界の足場が粉々に砕けた。常識などもはや誰の頭にも存在しなくなった『世界』の中で、彼女という意志の卵は孵化を待つのだ。

 誰もついていけないというよりも、むしろ彼女の思想が世界から遅れているのかもしれない。しかしそれは、世界を救うための唯一の選択肢。手枷足枷を祓う蛮行になりうる可能性を持った貴重な宝なのだ。


「そうか……。ならば『彼』も送ろう。四次元空間増進機ラグナロクを作動させるようなことになれば、どの道彼も送らねばならんのだ。今のうちから準備するに超したことは無い。それに……」


 一息。会長は何か大切な物を飲み込むかのような表情を見せ、そして溜め込んでいた何かを、先ほどとは真逆に、吐き出すような面持ちで口を開いた。


「『やつ』を思う君の気持ちも、そろそろ汲んでやらんとな」

「会長……」

「ただ、君の願いを果たすには、一つだけ障害がある」

「触媒……ですか」

「そうだ」


 深刻な表情を、空間に存在するおのおのが浮かべた。まるで中世絵画のような神聖な景色。漆黒の壁に翠の光条が映える。荘厳な空間にこそ、悩ましい人々の顔が映える。死と生の境に存在する人々の心にこそ、命の光が映えるのだ。


「それならば……あてはあります。思念を確実に乗せることの出来る物」

「それは……」

「これを、この指輪を使って下さい」

「しかしそれは、君の」

「今はもう、過去をとやかく言っていられる場合ではないでしょう! 私個人の意思など、必要な状況でないことは、皆さんお分かりのはずです。世界を、世界の未来テーマを救うためならば私情などもはや無用の長物。奇跡を起こすため(フォー・ザ・プレリュード)定義アウフタクトをもたらすためにリスクや代償が必要ならば、私は心を捨てましょう。私は今の私を殺しましょう」


 Tick……

 世界が急速に広がった、音がした。


「だが君、これを使ったとしても、生体触媒に比べれば精度は格段に落ちるぞ。まともな形で君が『向こう』に飛べるとも限らないんだぞ」

「解っています。もう何を言われようとも、私の覚悟は揺らぎません。だから……」


 Beeeep! Beeeep!


『第二隔壁突破されました。研究室への侵入を時間の問題かと思われます。即時研究内容を完全破棄し、四次元空間増進機ラグナロクの起動にかかってください』

「このまま話している場合ではありません! 早く『あれ』を!」


 Tack……

 急速に、時が進み始めた。

 影法師たちはその身に宿した運命のネジを巻かれたかのごとく、何者もお互いに邪魔せぬ、しかし全てが交錯しあって動き出す。複雑怪奇な軌跡を描いて進む運命の針は、もはや留まるところを知らず、彼らを突き動かしてゆく。それは人の深層心理に働きかける終わり無き探究心エンジン。世界を動かす瞬間が、まさに今訪れようとしていた。


『第三隔壁崩落! エマージェンシー! 会長、お願いします!』

「よし、四次元空間増進機ラグナロク起動! それと同時に彼女を飛ばしてやれ! 触媒は指輪だ、何も気にせず一思いにぶっ放すんだ。君たち、一世一代最後の仕事だ。命の花火、未来に向かって一発あげてやろう!」


 もう彼らを縛り付ける無為なしがらみなどありはしなかった。人と人との心が交差する時、全てが光へと変わる。闇など欠片も残さない、そんな信念を持った光は、概念と化した人間の心の闇を討ち祓うのだ。全ての意思が、意志同士の勾配に沿って流れ出し、何者の手からも逃れ、おのおのの願いを叶えるべく走り出し、そして……。


四次元空間増進機ラグナロク、正常稼動。目標座標は彼と同じにします!」

「いよいよか……」

「会長」

「どうした。『現世』に悔恨でも残してきたか」

「いえ、何も残していないからこそ心配なのです。全てを放り去った私だからこそ出来ないこともある。想像だにしない事だって、たくさんあるはずです。それが、その考えの及ばないところが、会長たちに何か危害を加えるとしたら、私はそれが恐ろしいのです」

「甘いな」


 ふっ、と鼻で笑う。その簡素な答えは、彼女の考えうる様々な心配を、彼女が彼らに向けて感じる様々な悲嘆の念を真っ向から否定するものであった。彼のなぞめいた視線とその態度が、彼女の面を、彼女自身ではどうしようもないような不安で染め上げる。何を言っているのかと、なぜそんなことを言うのかと、彼女の目はひたと彼のその表情を見据えている。しかしその瞳の焦点が合っているのは、彼の顔そのものでなく、彼が表さんとしている何かであるようだ。

 その真意を汲み取ったのか、彼はさらに口を開く。


「お前に心配されるほど、私たちは頼りないかい?」


 その一続きの言葉が、彼の言わんとする全てを表していた。

 彼女が思っていた以上に、彼らは頼れる存在だったのだ。悔恨が残らない事こそ悔恨だ、などと言葉には出さなくても、彼女の言葉から読み取れたことだろう。そんな言葉を発してしまった自らを、彼女は悔いていた。と同時に、途方も無い期待を彼らに寄せていた。もしかすると、自分が『向こう』に行く必要も無いのかも知れない。自分が行ったところで何も変わらないのかも知れない。しかしそれは、あくまでも彼女自身の『期待(カンタービレ)』であって、『実現可能な事(インテンポ)』では無いのだ。

 彼女はここでも、自分自身の陶酔に反省した。


「さぁ、時間だ。やつらももうそこまで迫っている」

「はい」


 モニターを見て、少し寂しそうな表情を浮かべる彼の目に、何か光るものがチラついた。


「会長?」


 急に心の中に不安が広がった。と共に、口の中で何か嫌なものを噛み潰したような感覚。予感。しかし、その思考が最後まで彼女の頭の中で紡がれることは無かった。


「早く乗れ。触媒は準備完了だ」

「……」


 顔を隠すようにしてそっぽを向く彼の背中は、何と言おうとやはり泣いていた。しかしその涙は、決して別離を悲しみ、嘆く涙ではない。絶対的な未来への希望と、そして彼女への信頼の涙。逃れえない将来への絶望からの涙ではなかった。


「さて、じゃあまずは彼女を飛ばすぞ。いいな」


 彼女が、シンプルながらそのフォルムにどこか複雑さを孕んだ黒いカプセルに乗ると、彼が空間の影法師たちに向けて言った。その声が心なしか震えているように聞こえたのは、彼女だけではあるまい。もうすぐそこまで合成獣兵士キメラアーミーたちが迫っていることを示すアラームと喧騒が、空間にも少し届き始めている。早くしなければならないことは、空間に存在する影法師たちの全てが解っていることだった。


「さぁいくぞ! 時空間制御装置起動、触媒安定させろ! よし、転送開始!」


 Weeeeeeeeeee!!

 運命の音が響き始める。光に包まれるカプセル、震える指輪、そして男の頬に流れる涙。運命は、機械の回転と共に回る。回る。運命の歯車はもう止まらない。ギシギシという耳を突くような不快音と共に回り始めた歯車は、その鈍りを捨て、いずれその速さを増してゆくのだ。

 止まらない。留まらない。

 Gooooooneeee!!

 そして空間が光に満ち溢れ、カプセルが影に包まれながら消えた……。


「行ったか」


 憂いを含んだ瞳が、先ほどまでカプセルがあった虚空へと向けられた。その視線にはしかし、憂いのみではなく、希望や光というものが光り輝いている。何も失ってはいない。そう視線で語りかけるような彼の傍らには、彼の部下たちが自然と寄り添っていた。


「会長、では我々も……」

「解っている」


 外はもう異形のものたちに囲まれている。そんなことは承知の上だった。もはや尽きせんとする命を以って、彼らはただ死を待っていることなど出来ない。まだやるべき事が残っているのだから。これから起こることへの不安など微塵も無いのだ。命を懸けて、危険を顧みずに『向こう』へ飛んだ彼女が残した希望。それは意志。全てを救わんとする意志であった。

 命を懸けることに、躊躇いは無かった。その命の代償として全てを救うことが出来るのであれば……。それが彼らの意志であり、覚悟。

 運命の歯車は随分と前に回り始めていたのだった。加速に加速を重ねた運命は、もう止まらない。未来に向かって一心に、ただ一心に進んでいた。


「それでは行くか」

「はい」


 先ほどの空間に隣接する、一面真っ白の小部屋の中に、会長含め4人の技術者が集合していた。小部屋の中には光源というものが何一つ無かったのだが、壁全体がほんのりと白く輝いており、どこか神聖な空気をを生み出していた。これから何か秘密の儀式でも行われるのではないかというような空気の中、彼らはその何かを待っていた。


四次元空間増進機ラグナロクの準備は済んでいるのだな」

「はい。後は突破を待つだけです」

「ところで君、データの削除は行ったかね」

「あ」


 沈黙。誰しもが声を失っていた。この部屋に篭り、装置が作動してしまえば最後。外のことには何一つ関与できなくなってしまう。しかし、今外に出た状態で装置が作動すれば、永遠に帰ってこれなくなる。とはいっても、データの処理を行わない訳にはいかなかった。誰か一人が、命を懸けた選択をする必要があった。


「……私が行こう」

「駄目です、会長! これは私のミスです。私が行きます!」

「何を言っている。部下の尻拭いをするのが上司の仕事というものだろう。もうすぐそんな関係なんて何も無くなるんだ。せめて最後に、それくらいの仕事はさせてくれないか」

「しかし……」

「何もいうな。これは私の判断だ」

「……」


 涙ぐむ部下たちを背に、男は小部屋のドアの前に立ちはだかった。その表情は、危険な賭けに出ることに対して恐怖も何も抱いていないかのような、むしろそうすることを喜んでいるようなものだ。心配することは何も無いと、部下に背中で語りかけ、男はその扉を開いた。

 真っ白な世界を蝕む暗黒は、何を象徴しているのだろうか。不安にゆがんだ部下たちを照らす闇は、その顔から次々と光を奪ってゆく。男がドアを閉めた後でさえ、なお残る闇の侵食は、空間ではなく部下たちの心へと及んでいった。部下たちの瞳から零れ落ちる涙が、小部屋の床を濡らした。

 そして、男が部屋から去ったすぐ後。

 Beeeeeeeeep!! Beeeeeeeeep!!

 警報音。彼らが凍りついた。


『研究室内に侵入者を確認。四次元空間増進機ラグナロク作動します』


 男に対する死刑宣告。それは彼らの耳に延々と響き渡った。

 周囲から聞こえ始める甲高い機械音にようやくにして反応し、3人が正気を取り戻す。と共にあふれ出す涙が彼らの頬を伝った。まるで子供に戻ったかのように泣き喚き、ドアを段々と叩く3人。しかしドアは硬く閉ざされ、開く気配は一向に見えない。


「会長! 会長!」


 ドアの外からは何の反応も無く、ただ部屋の壁の光と、部屋の中に響く甲高い音が強くなるだけである。目も開けられず、鼓膜が破れるような音の中で、彼らはその姿を消した。同時に、小部屋に隣接する空間からも命が全て消え去った。そこには、研究データの残された機械のみがあるだけであった。


---


「PSSC本社上に、巨大な塔が建ったようだな」

「はっ」


 青年の声に簡素な言葉のみで返す男の声。狭い部屋で話している事が伺える。


合成獣兵士キメラアーミーは」

「消失しました」

「そうか……。ということは」

「恐らくは」

「だろうな」


 傍から聞けば何を話しているのか解らないほど、言葉少なな会話。その中に含まれる信頼が、その会話を可能にしていた。

 男たちは沈黙し、世界に静けさが訪れた。


---

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