夜のおばけたち
夜になると、ばけものになる。
月が燦燦と輝くころに、それは始まる。
身体が所々溶けて液状になる。やがてそれは全身を覆って蛹みたいになる。
シュルシュルと幕が落ちるように、僕は完成した。
鋭利な歯が膜を裂く。
ザシュッ。
そこに現れたのは、四つ足に頭がぱっくり割れている、不定形のばけものだ。
少し、花のように感じるときがある。
中心の舌は真っ赤で瑞々しく、果肉みたいだ。
とにかく、僕はばけものになる。
でも人を襲ったり、食べたりはしない。
…そんな見た目はしているけれど。
この形態でいるときは、果物が好きだ。だから僕の冷蔵庫には、季節の果物が常備されている。たまに金欠で、安いバナナだらけだったりすることもあるけど。
大人になって、社会人として程なくしたころ、ばけものになることが始まった。
その頃にはもう一人暮らししていて、誰も僕の姿を目撃する人がいなかったのが幸いだ。
鉄骨造の新しいマンションだから、音もあまりしない。
今まで誰にもバレたことはない。
知っているのは、僕と、僕の部屋を彩るインテリアくらいだ。
とにかく、僕はその日から夜遊びをしなくなった。
出来なくなった、という方が正しいだろう。
夜が明けたら、このばけものの形はどこかに崩れて、人の形に戻る。
そしたらまた、日常を送るのだ。
その繰り返しだ。
平穏だが、孤独な日常。
もう何年、友達や会社の仲間と飲みに行ってないんだろう。
断る度に、一つ一つ誘いが減っていく。
プライベートのラインは今はもうほとんどない。
折り合いの悪い家族とも、今だったら会いたいような気さえする。
一人の夜にまんじりと夜が明けるのを待つ。
こういうのは非日常だから楽しいのであって、日常ではさほど心惹かれないことを、僕は思い知った。
こうなる前まで僕は結構アウトドアが好きだった。
冬になるとスノボーしたり、夏はシュノーケルしたり、春になると花見に行ったし、秋は紅葉狩りにも行った。
こうなってからは旅行や屋外に出る勇気はないので、専ら家をキャンプ場に見立てて、アウトドア欲を満たしている。
焚火をキャンドルに見立てて、森林の匂いのアロマを焚く。
旬の果物をつまみながら、部屋を薄暗くして読書する。
わざわざテントを張り、寝袋で寝る。
寝る必要はないけど、人間の僕はそうしていただろうから、そうする。
時に、雨音や焚火、風の音のBGMを流して夜を過ごす。
本当は外でキャンプがしたい。
あの森のさざめきや鳥たちの鳴き声、虫の騒々しいざわめきを聞きたい。
焚火に当たって、夜空を見ながら、酒が飲みたい。
だけど、このばけものの姿のせいで中々勇気がでない。
貸し切りにすればいいと何度思ったことだろう。
でも万が一見られることを考えると、どうしても一歩が踏み出せない。
どんどん使わないキャンプ用品だけが増えていく。
今日もまた、一人の夜を過ごす。
キャンドルの灯りが、部屋に蔓延する孤独を癒す。
瑞々しい果実の匂いが、あるのか分からない鼻腔をくすぐる。
透き通るような夜に、僕だけが濁っているような気がした。
ある日のことだった。
退勤後の疲れた身体に生温い夕方の風が染みる。
それはそうと、暗くなったらばけものになるから早く帰らなくてはいけない。
少し急ぎ足に歩いていると、公園の方から生き物の鳴き声がした。
少し覗いてみると、あからさまに段ボールが一つ、公園の中央に置かれていた。
そこから鳴き声がする。
嫌な予感がしつつ見に行ってみると、そこには新聞紙で包まれた子犬が寒さと飢えと寂しさに震えて、クーンクーンと鳴いていた。
茶色の毛をした犬だ。
首輪はない。
捨てられたのか。
迷っていると、子犬が僕の方を見て、またクーンクーンと鳴く。
夕方の日差しはどんどん遠のいて、街灯の灯りがぼうっと輝いている。
ええい。仕方ない。
時間がないんだ。
そう誰にともなく言い訳して、段ボールを持ち上げる。
子犬は少し驚いた素振りをしていたが、大人しくしていた。
いい子だ。
明日動物病院に連れて行こう。
確か近くにあったはずだ。
ペット可のマンションじゃないため、あたかも段ボールの荷物を持っているかのように部屋まで運ぶ。
幸運にも、誰とも遭遇せず部屋に帰れた。
子犬を抱き上げる。
冷たい。
何時間あそこにいたのだろう。
とにかく冷たいのはだめだ。
あたたかくしないと。
それに衛生的にもよくない。
すぐにお湯を沸かして、ほかほかのタオル作り、子犬を拭う。
子犬は賢くて、大人しくしてくれていた。
ぬるくした水も飲ませる。
ごくごく飲んでくれた。
ほっとしたのも束の間。
ばけものが始まった。
すぐに子犬を布で覆い隠す。
皮膚がブクブク膨れて液状になる。
まるでスライムみたいにそれが纏わりつく。
嫌だ。
まだ、まだ、嫌われたくない。
こんな小さな生き物に怖い思いをさせたくない。
そう思っても、僕の身体は変化し続けていく。
身体の変化が終わった。
気が付けば、子犬に覆っていた布は床に落ちていた。
雑に覆っていただけだから仕方がない。
ああ、吠えられるな。
それとも逃げられるかな。
何にせよ、怖い思いをさせてしまう。
そう思って子犬を見ると、心臓が止まるかと思うほど、驚いた。
子犬も自分と同じ、ばけものだった。
子犬も四つ足で、頭がぱっくり割れており、中から長い舌が蠢いていた。
そうか。君も同じなのか。
胸の内から湧き上がる喜びそのまま、子犬を抱きしめた。
だから捨てられたのか。
この子犬の不幸に胸が痛む。
それと同時に、言い知れない幸福が僕の中から溢れてやまない。
子犬は静かに、尻尾をブンブン振って、長く伸びた舌で僕の顔らしき部分を舐める。
君も嬉しいのか。そうだよな、嬉しいよな。僕も嬉しいよ。
犬でも食べられる果物を調べてあげると、喜んで子犬は食べた。
あぶないからアロマは焚かず、オレンジの発色が綺麗なインテリア照明をつける。
そのまま子犬と抱きしめあいながら夜を明かした。
久しぶりに一人じゃない、夜だった。
翌日、会社に連絡を入れて休ませて貰った。
繁忙期じゃないのが幸いだった。
子犬を連れて、動物病院に行く。
もうすっかり元気みたいで、尻尾をブンブンふって僕にじゃれてくる。
撫でると嬉しいのか、一層尻尾をブンブン振った。
動物病院に連れていくと、案の定健康体だった。
ただ、ワクチンの接種や時間のかかる検査もあるから、必要なら預かると言われた。
嫌だ。
この子と僕は共に過ごしたいんだ。
それにばけものになる姿を見せるわけにはいかない。
僕は急いで手続きと引っ越しの準備と犬を迎え入れる準備をした。
とても一日で成し遂げられるタスクではなかったが、いくつかの奇跡と、有り余っていた貯金が役に立って、どうにかなった。
間違いなく人生の中で一番頑張った日といえるだろう。
子犬にはクーと名付けた。
よくクークーと鳴いて甘えてくるからだ。
夜、僕たちはばけものになる。
でももう一人じゃない。
おうちキャンプをして果物を食べて、戯れて、それがとても楽しい。
もう少ししたら、貸し切りでキャンプしてもいいかもしれない。
クーに外の色んな世界を見せてあげたい。
一緒に色々なところに行きたい。
でも、それはもうちょっとクーが大きくなってからだ。
僕はもう一人じゃない。
クー、僕の元に来てくれてありがとう。
そうして今晩も、暖かな照明の下で僕とクーはゆったり過ごす。




