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短編

夜のおばけたち

作者: 月蜜慈雨
掲載日:2026/06/29




 夜になると、ばけものになる。

 月が燦燦と輝くころに、それは始まる。

 身体が所々溶けて液状になる。やがてそれは全身を覆って蛹みたいになる。

 シュルシュルと幕が落ちるように、僕は完成した。

 鋭利な歯が膜を裂く。

 ザシュッ。

 そこに現れたのは、四つ足に頭がぱっくり割れている、不定形のばけものだ。

 少し、花のように感じるときがある。

 中心の舌は真っ赤で瑞々しく、果肉みたいだ。

 とにかく、僕はばけものになる。

 でも人を襲ったり、食べたりはしない。

 …そんな見た目はしているけれど。

 この形態でいるときは、果物が好きだ。だから僕の冷蔵庫には、季節の果物が常備されている。たまに金欠で、安いバナナだらけだったりすることもあるけど。



 大人になって、社会人として程なくしたころ、ばけものになることが始まった。

 その頃にはもう一人暮らししていて、誰も僕の姿を目撃する人がいなかったのが幸いだ。

 鉄骨造の新しいマンションだから、音もあまりしない。

 今まで誰にもバレたことはない。

 知っているのは、僕と、僕の部屋を彩るインテリアくらいだ。

 とにかく、僕はその日から夜遊びをしなくなった。

 出来なくなった、という方が正しいだろう。

 夜が明けたら、このばけものの形はどこかに崩れて、人の形に戻る。

 そしたらまた、日常を送るのだ。


 

 その繰り返しだ。

 平穏だが、孤独な日常。

 もう何年、友達や会社の仲間と飲みに行ってないんだろう。

 断る度に、一つ一つ誘いが減っていく。

 プライベートのラインは今はもうほとんどない。

 折り合いの悪い家族とも、今だったら会いたいような気さえする。

 一人の夜にまんじりと夜が明けるのを待つ。

 こういうのは非日常だから楽しいのであって、日常ではさほど心惹かれないことを、僕は思い知った。



 こうなる前まで僕は結構アウトドアが好きだった。

 冬になるとスノボーしたり、夏はシュノーケルしたり、春になると花見に行ったし、秋は紅葉狩りにも行った。

 こうなってからは旅行や屋外に出る勇気はないので、専ら家をキャンプ場に見立てて、アウトドア欲を満たしている。

 焚火をキャンドルに見立てて、森林の匂いのアロマを焚く。

 旬の果物をつまみながら、部屋を薄暗くして読書する。

 わざわざテントを張り、寝袋で寝る。

 寝る必要はないけど、人間の僕はそうしていただろうから、そうする。

 時に、雨音や焚火、風の音のBGMを流して夜を過ごす。

 本当は外でキャンプがしたい。

 あの森のさざめきや鳥たちの鳴き声、虫の騒々しいざわめきを聞きたい。

 焚火に当たって、夜空を見ながら、酒が飲みたい。

 だけど、このばけものの姿のせいで中々勇気がでない。

 貸し切りにすればいいと何度思ったことだろう。

 でも万が一見られることを考えると、どうしても一歩が踏み出せない。

 どんどん使わないキャンプ用品だけが増えていく。



 今日もまた、一人の夜を過ごす。

 キャンドルの灯りが、部屋に蔓延する孤独を癒す。

 瑞々しい果実の匂いが、あるのか分からない鼻腔をくすぐる。

 透き通るような夜に、僕だけが濁っているような気がした。



 ある日のことだった。

 退勤後の疲れた身体に生温い夕方の風が染みる。

 それはそうと、暗くなったらばけものになるから早く帰らなくてはいけない。

 少し急ぎ足に歩いていると、公園の方から生き物の鳴き声がした。

 少し覗いてみると、あからさまに段ボールが一つ、公園の中央に置かれていた。

 そこから鳴き声がする。

 嫌な予感がしつつ見に行ってみると、そこには新聞紙で包まれた子犬が寒さと飢えと寂しさに震えて、クーンクーンと鳴いていた。

 茶色の毛をした犬だ。

 首輪はない。

 捨てられたのか。

 迷っていると、子犬が僕の方を見て、またクーンクーンと鳴く。

 夕方の日差しはどんどん遠のいて、街灯の灯りがぼうっと輝いている。

 ええい。仕方ない。

 時間がないんだ。

 そう誰にともなく言い訳して、段ボールを持ち上げる。

 子犬は少し驚いた素振りをしていたが、大人しくしていた。

 いい子だ。



 明日動物病院に連れて行こう。

 確か近くにあったはずだ。

 ペット可のマンションじゃないため、あたかも段ボールの荷物を持っているかのように部屋まで運ぶ。

 幸運にも、誰とも遭遇せず部屋に帰れた。

 子犬を抱き上げる。

 冷たい。

 何時間あそこにいたのだろう。

 とにかく冷たいのはだめだ。

 あたたかくしないと。

 それに衛生的にもよくない。  

 すぐにお湯を沸かして、ほかほかのタオル作り、子犬を拭う。

 子犬は賢くて、大人しくしてくれていた。

 ぬるくした水も飲ませる。

 ごくごく飲んでくれた。

 ほっとしたのも束の間。



 ばけものが始まった。



 すぐに子犬を布で覆い隠す。

 皮膚がブクブク膨れて液状になる。

 まるでスライムみたいにそれが纏わりつく。

 嫌だ。

 まだ、まだ、嫌われたくない。

 こんな小さな生き物に怖い思いをさせたくない。

 そう思っても、僕の身体は変化し続けていく。



 身体の変化が終わった。

 気が付けば、子犬に覆っていた布は床に落ちていた。

 雑に覆っていただけだから仕方がない。

 ああ、吠えられるな。

 それとも逃げられるかな。

 何にせよ、怖い思いをさせてしまう。

 そう思って子犬を見ると、心臓が止まるかと思うほど、驚いた。



 子犬も自分と同じ、ばけものだった。



 子犬も四つ足で、頭がぱっくり割れており、中から長い舌が蠢いていた。

 そうか。君も同じなのか。

 胸の内から湧き上がる喜びそのまま、子犬を抱きしめた。

 だから捨てられたのか。

 この子犬の不幸に胸が痛む。

 それと同時に、言い知れない幸福が僕の中から溢れてやまない。

 子犬は静かに、尻尾をブンブン振って、長く伸びた舌で僕の顔らしき部分を舐める。

 君も嬉しいのか。そうだよな、嬉しいよな。僕も嬉しいよ。

 犬でも食べられる果物を調べてあげると、喜んで子犬は食べた。

 あぶないからアロマは焚かず、オレンジの発色が綺麗なインテリア照明をつける。

 そのまま子犬と抱きしめあいながら夜を明かした。

 久しぶりに一人じゃない、夜だった。


 

 翌日、会社に連絡を入れて休ませて貰った。

 繁忙期じゃないのが幸いだった。

 子犬を連れて、動物病院に行く。

 もうすっかり元気みたいで、尻尾をブンブンふって僕にじゃれてくる。

 撫でると嬉しいのか、一層尻尾をブンブン振った。

 動物病院に連れていくと、案の定健康体だった。

 ただ、ワクチンの接種や時間のかかる検査もあるから、必要なら預かると言われた。

 嫌だ。

 この子と僕は共に過ごしたいんだ。

 それにばけものになる姿を見せるわけにはいかない。



 僕は急いで手続きと引っ越しの準備と犬を迎え入れる準備をした。

 とても一日で成し遂げられるタスクではなかったが、いくつかの奇跡と、有り余っていた貯金が役に立って、どうにかなった。

 間違いなく人生の中で一番頑張った日といえるだろう。

 子犬にはクーと名付けた。

 よくクークーと鳴いて甘えてくるからだ。


 夜、僕たちはばけものになる。

 でももう一人じゃない。

 おうちキャンプをして果物を食べて、戯れて、それがとても楽しい。

 もう少ししたら、貸し切りでキャンプしてもいいかもしれない。

 クーに外の色んな世界を見せてあげたい。

 一緒に色々なところに行きたい。

 でも、それはもうちょっとクーが大きくなってからだ。

 僕はもう一人じゃない。

 クー、僕の元に来てくれてありがとう。

 



 そうして今晩も、暖かな照明の下で僕とクーはゆったり過ごす。









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