水難
水村家の男は代々、水難で命を落とす。先代の水村克彦も飛行機が海に墜落して帰らぬ人になった。それで克彦の一人息子の彰一郎は発掘調査から抜けて帰国することになった。
砂漠の夜は、意外なほど冷える。昼間、ジリジリと肌を焼く日差しの下で動いていた体が、その反動で急速に冷え込むのだ。
水村彰一郎は、焚き火のそばで毛布にくるまりながら、その夜、眠れずにいた。
火の向こう側では、教授の娘、サリナ・ジョーンズが父のテントに背を向け、足を組んで座っていた。母親からの金髪が炎の光に照らされて揺れ、時折こちらをちらりと見る視線に、すがるような何かがあった。
明日、帰国する。
発掘調査は中断となった。水村家の宿命ともいうべき「水難」が、また一つ命を奪ったのだ。父・克彦の乗った飛行機がアメリカからの帰途、洋上で消息を絶ったという連絡が入ったのは、三日前のことだった。
それを聞いたとき、彰一郎は胸の奥で何かが崩れる音を聞いた。それでも、驚きはなかった。彼にとって水は、いつも不気味で、どこか死の匂いをまとっていたからだ。
彼の祖父は漁船ごと姿を消した。曾祖父は川の氾濫で流された。ひい曾祖父は、屋形船から落ちて亡くなった。代々、水にまつわる死を遂げてきた水村家の男たち。
それは偶然ではない。そう、祖母が語っていた。
「水村の家はね、昔、罪を犯したのよ。水の神さまを怒らせたの」
昔話のような口ぶりだったが、年老いたその顔には真剣な色があった。
彰一郎は理系の人間で、迷信や因果には懐疑的だった。だが、そう言い切れないものがあったのも事実だ。水がある場所に近寄ることは、子供の頃から固く止められていた。水のない砂漠に惹かれたのも偶然ではないかも知れない。
明日、ジープで町まで戻る。
その夜の火は、どこか不安定で、やけに高くゆれていた。
翌朝、空は異様に白んでいた。風が止んで、熱が地面から立ち上る。ジープには水のボトルが何本も積まれていた。
「これだけあれば、安心だ」
教授は彰一郎にそう言った。彰一郎も頷いた。
出発の準備を終え、エンジンをかける。ジープは呻るような音を立てて動き出した。助手席に置いたボトルの一本を口に運ぶと、冷たい水が喉を潤す。
二本目を飲み終え、三本目を開けた。
中には水ではなく、乾いた砂が詰まっていた。
ありえない。
慌てて四本目を開ける。中身は同じく砂。なぜだ? 荷物を用意したのはサリナ。まさか?だが彼女にはそれだけの動機があった。
数ヶ月前、サリナは彼に告白した。黒髪、黒い瞳、優しい口調。サリナは彰一郎に一目で惹かれた。だが、彼は断った。婚約者がいるからと・・・
戻るしかない。
彰一郎はジープを反転させた。まだ出発から一時間。戻った方が近い。だがその時、空が、風が、急変した。
砂嵐だ。
空が茶色く染まり、地平線が見えなくなっていく。ジープのフロントガラスに、砂が無数の矢のように叩きつけられた。
ハンドルが取られる。目も開けていられない。それでも彼はアクセルを踏み込んだ。
帰らなければ。水がない。このままでは、死ぬ。
水村の男は、水で死ぬ。
それは、水に触れたときに限らない。
砂漠において水がないというのは、別の意味の「水難」だった。
気が遠くなる。
方向がわからなくなった。砂嵐の向こうにオアシスが見えた。
彰一郎はジープを離れ、風に揺れる木を目指して這うように進んだ。
意識が遠のいていく中、ふと、誰かの声がした。
「あなたが、最後の男か」
それは若い女の声だった。
彼は目を開けた。そこには誰もいなかった。
だが、水の匂いがした。潮の匂いだった。波の音が、どこか遠くで聞こえるような気がした。
「私の怒りは、まだ鎮まらない」
一体、何をやったのだろうか?
「でも、あなたで終わり」
その声は、かすかにやさしさを帯びていた。
「人を殺めることなく、この地を汚すこともなかった」
彼のまぶたが重くなる。
「だから、ここで眠りなさい。もう、水はあなたを追わない」
次に目を開けたとき、彼は水に包まれていた。
深い、静かな海の底。
苦しさはなかった。
光がゆらゆらと差し込んでくる。どこか懐かしい声が、水の中から響いた。
父の声だった。
そして、遠く、波の音が、やさしく彼を包んでいった。
数日後、サリナは隊の一員とともに砂嵐が去った後の捜索に向かった。ジープは見つかったが、砂に半ば埋もれていた。彰一郎の姿はなかった。
彼の荷物の中に残されていたボトルには水が普通に入っていた。それに気がついたサリナは気を失って倒れた。
以来、彼女は彰一郎に詫び続けている。
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