ep8 再訪の六十七階層
「ヤバいな。ちょっぴり緊張するぜ」
数日ぶりの六十七階層は、以前とあまり変わった様子が無かった。
当然だ、未だここに足を踏み入れたことのある探索者は俺一人だけなのだから。第三者が同所を訪れ何か手を加えることは出来ない。出来たとすれば、それは異世界人で間違いないだろう。
いや、正確にはAランク以上なら難なく来れるだろうけど。
少なくとも、この場を調査したいであろうギルドの調査員や、彼らが雇える探索者では難しい。
「……ふぅ」
小さく息を吐いて気持ちを入れ替え、視線を向けると——そこに広がるのは戦闘の跡が残る六十七階層。
本来、ダンジョンの破壊された床や壁は自然に修復されて行く。
しかしそれが大規模な損壊となれば、必然的に修復にも時間が必要になる。
実際、テスタロッサとの剣戟で傷ついていたはずの部分は修復されていた。
残っているのは彼女が放ったブレス攻撃と、それに応戦した俺の『No.3サファイア』の傷跡のみ。その両者が特出した威力を有していた証明である。
この調子では、あと一週間はかかるだろう。
「……んー、それにしても。この階層は本当にモンスターが居ないな」
六十六階層――七規たちが巨大なロック・ビートルと交戦した階層には複数体のモンスターを確認できた。
けれど、この階層には遠くに数匹いるのみ。
現在俺の立っているテスタロッサとの交戦跡地には一匹も——それこそ近寄った形跡すらなかった。
「不思議だなぁ」
おそらく『不思議だなぁ』の一言でかたずけていい問題ではないのだろうけど、馬鹿だから仕方がない。もっと俺の頭が良ければ……と、最近になってよく思う。
先ほどの謎の霧やこの状況に関してもそうだけれど、誰かに相談するにしても限界という物はある。俺には七規のおじい様や松本さん、友部さんや狸原さんなど、頼れる人はたくさんいるが、彼らは探索者ではない。
実際に見て、状況を確認して思考を巡らせるのと、馬鹿な俺から得た情報だけで考えるのでは雲泥の差がある。
(頼るのは良いけど、頼り過ぎて思考放棄するのは論外か)
帰ったら今一度、自分自身で考えてみるとしよう。
俺はそう結論付けてから、視線を六十七階層のある一角へ。
そこには六十八階層へと続く階段があった。
ここが本日の目的地。
「配信で実力を証明するなら深い階層の方がいいよな」
以前、レイジがパーティーメンバーと一緒に八十五階層突入の瞬間を配信していたので、それをパクらせて頂こうと思ったのだ。
思ったのだが……。
(……うーん、やっぱりここは深すぎるよなぁ)
特に今回はのの猫と共に配信する予定だ。
彼女の実力なら問題ないだろうけれど、そこで生配信するとなれば別問題。
もちろん彼女に傷ひとつ負わせるつもりなどないけれど、余計なリスクは避けるべきだろう。
なんて考えつつも、俺は階段に足を掛けた。
(まぁ、一応ね。一応)
そうして辿り着いたのは夜叉の森ダンジョン六十八階層。
霧の濃かった六十七階層に対し、六十八階層はうっすらと視界を遮る程度だ。木々は一本も生えておらず、足元には紫色の雑草の代わりに、紫色の花が咲き乱れていた。
踏みつけると、花弁と同じ色の汁が溢れて大地を濡らす。植物というよりは、何かの生物を踏み殺したようで気味が悪かった。
女性陣が見たら間違いなく発狂するだろう。
なんて思っていると——羽音が耳に届く。
視線を向けると、霧の向こう数十メートルの位置で何かが浮遊していた。
うっすらと確認できるシルエットは、体長一メートルを超える巨大なスズメバチ。
(……見たことないモンスターだな)
少なくとも、これまで夜叉の森ダンジョンで確認されたモンスターの中に、目の前の蜂の存在は無かったはずだ。三船ダンジョンのモンスターにも、同種のものは見たことがない。
捜せば他の国のダンジョンで目撃例があるかもしれないが……生憎とそこまで調べていない。
「初見の敵と戦うのは好きじゃないんだけど……まぁ、一匹なら問題ないか」
俺は遠距離からアイススピアで殺そうとして——遠い昔に近所のジジババから聞いた話を思い出す。
それは目の前のモンスターに関する話ではなく、もっとごく普通の、くそ田舎に頻繁に出没する蜂の習性に関するお話だ。
(何だっけ。確か……)
と、記憶の扉に手を掛けた途端、蜂が襲い掛かってきた。俺は咄嗟にアイススピアで串刺しにして——その瞬間に思い出す。
「そうだ! 確か、蜂は殺したら仲間を呼ぶって……へ?」
不意に聞こえてきたのは膨大な数の羽音。
次いで薄い霧の向こう側が、だんだんと黒く――暗くなっていく。
……なにこれ?
え? 本当になんすかこれ?
真っ黒なんですけど。
これ……もしかして全部蜂ですか?
そうですか。
「……はぁ」
ぶんぶんぶんぶん、羽音を鳴らして迫りくる大量の巨大スズメバチ。
それを見ながら俺は今回の一件で一つの知見を得る。
それは、ジジババの知恵袋は大切にしろということ。
(別に戦う必要も無いけど、このまま放置って訳にもいかないよなぁ)
次に同所を訪れる探索者が襲われたらひとたまりもない。それに何より——俺にとって対集団戦というのは、強力な『個』を相手にするより数段容易なことだ。
俺は小さく息を吐くと、右手を前へと突き出して——。
「『フレイム・バースト』」
瞬間、蜂の群れの中心で爆発。火炎が周囲の蜂を燃やし尽くし、生き残った蜂もフレイムバーストで燃やし尽くしていく。
攻撃手段ぐらいは確認しておくべきだったか、と後悔したころにはもう遅く、紫の花畑の上には燃え盛る巨大蜂の死骸が並んでいた。
他にモンスターの気配はない。
「ふぅ、やっぱりこれぐらいの階層じゃ苦戦することも無いし……それなら配信はもっと浅い階層で十分だな」
おそらく苦戦するとなれば八十階層近くのモンスターからになるだろう。だが、そんなところで配信するのは流石に不可能だ。
この辺りも、ちゃんと猫ちゃんと話し合っておけばよかったな。
「……帰るか」
俺は巨大蜂の魔石をいくつか持ち帰ろうと地面を見回し——階下へと続く階段を見つけた。
「マジか」
通常次の階層へと続く階段は、来るときに使用した階段とは離れた位置に存在することが多い。が、もちろん全ての階層がそうなわけでは無い。
夜叉の森ダンジョンで言うと、五十四階層には前の階層に戻る階段と、次の階層に進む階段の距離がほんの二十メートルほどしか離れていない、という階層もあるぐらいだ。
この階層も、百メートルほど離れた先ではあるが、階段を見つけられた。
「……」
俺はどうしようかと考え、進むことを選択した。
理由は特にない。
強いて言うのであれば、好奇心。
そもそも俺は、ダンジョン探索が好きで探索者をやっているのだ。先への道を見つけて進まないのは探索者としての本能が許さない。
(怪我してるわけでもないし、急いでるわけでもない。魔力も十分……よしっ)
俺は軽く頬を張り、巨大蜂の魔石をいくつか回収しながら階段へ。
そして六十九階層に足を踏み入れるのだった。
男子高校生的には、そのナンバリングに下ネタの気配を感じてしかたなかったのは秘密である。