ep43 帰還
「……っ! よ、よかったぁ。せんぱいが無事で」
六十六階層に帰ってくるや否や、七規が駆け寄ってきて安堵の息を吐いた。
「別に何もなかったよ」
「それは、無理があるよ。あれだけ、ドンパチやってたら、流石に、響く」
「まじっすか……」
幸坂さんの言葉に俺は肩を落とす。
格好をつけたのに情けない。
(まぁ、別に音が響いてなくても服を見れば何かがあったのは分かるか)
ちらりと確認すればいたる所が刻まれており、腹部や足からは出血も確認できた。
(致命傷は無いけど、細かな傷が痛いなぁ)
なんて思うけど、心の内に留めておく。
同所には俺より大怪我している白木が居るのだ。
彼女を差し置いて痛みを訴えるなんて死んでも出来ない。
視線を向けると、白木は相も変わらず汗をかきながら、しかし笑みを浮かべて見せた。痛みに慣れて来た――という訳ではないだろう。ただただ周りに心配を掛けまいと気丈に振舞っているだけだ。
(それに……あの人の前で情けない姿を見せたくないしな)
白木の隣で周囲の警戒を続けていたのは、黒髪に可愛らしく整った顔立ちの女性。軽鎧に細い剣を腰に携えているのは、俺が愛してやまないダンジョン配信者『のの猫』だ。
「……」
にしてもヤバいな。
どんな顔をすればいいのか分からん。
だって生ののの猫だ。
生のの猫。
略して生猫。
画面越しに見るより何倍も可愛い。
胸はドキドキするし、手汗も酷い。
声を掛けるべきか否か葛藤していると――。
「あの……相馬創さん、ですよね?」
何とびっくり、向こうから話しかけて来た。
あっ(昇天)。声可愛い。
のの猫の声帯から生み出された空気の波が俺の耳朶を愛撫するの、最高に幸せを感じる。この子に全てを捧げたいと全力で思う。
「……先輩?」
瞬間、聞いたことが無いような七規の冷たい声が俺の理性を冷却した。
「……、おほんっ」
いかん軽くトリップ状態になっていた。
流石にキモいにも程がある妄想だ。
ありがとう、七規。
俺の理性を呼び戻してくれて。
いつも好きだ好きだと慕ってくれる七規。そんな彼女から初めて向けられた冷たい視線に、思わずいけない扉を開きそうになったけれど、今はぐっと堪えてのの猫の言葉に答えるとしよう。
「し、失礼しました。相馬創です。はい、よろしくお願いします。のの猫さん」
「うん、よろしくにゃ~」
そう言って手を差し出してくるのの猫。
こ、これはまさか……握手!?
会話だけでも精一杯だというのに、のの猫と握手だと!?
「……」
俺はズボンで手汗を拭ってから彼女の手を取った。
柔らかい。暖かい。生猫可愛い。好き。結婚しよう。
「えーっと、なんで泣いてるのかにゃ?」
「す、すみません。その……ずっと憧れていたもので」
「憧れって……私に?」
「はい。俺、貴女のダンジョン配信を見て探索者になろうって決めたんです。だから戦闘方法とかも参考にして……なので、こうしてお会いできてすごく嬉しいです!」
「……っ、そう、だったんだ……」
小さく呟き顔を伏せるのの猫。
何故落ち込むのか。
握手しながら落ち込まれると心傷付いちゃうんだけども。
しかし彼女はすぐに頭を振ると、どこか吹っ切れたような表情で顔を上げた。
「はぁ、にゃるほどにゃ~。だからのの猫さんの師匠になってくれたってことなのかにゃ~? ね、影猫くん」
「うぐっ……やっぱり気付いてましたか。その名前で呼ばないでください」
ネットのアカウント名で呼ばれるのくっそ恥ずい。
しかも中学生の時に付けた影猫という痛々しい名前だ。
「えぇ~、どうしてかにゃ~? コメントじゃああんなに饒舌なのに、なんでなんで~? もっとお話ししようよ、影猫くんっ」
「あ、あわわわわわっ」
そりゃもうたくさんお話ししたい。
何度妄想の中でお話したことか。
聞きたいこともあるし、伝えたいこともある。
けれど実際に会うと、言葉は形にならずにしどろもどろ。
「もー! せんぱいを困らせないで!」
「えぇ~、これはファンサの一部だにゃ~」
「……青春」
七規が立ち塞がり、のの猫が意地悪な笑みを浮かべる。
幸坂さんは生温かい物を見る目で俺たちを見つめ……最後の一人、白木だけが何も状況を理解できずに、頭の上に疑問符を浮かべているのだった。
「つまりはどういうことだってばよ?」
§
それから三十分ほど休憩を挟んでから、俺たちは六十六階層を後にする。
目指すは上層。俺が六十六階層に来るまで、強力なモンスターはある程度討伐してきたが、それでも同所は未探索領域を四つ越えた先。救援組がいつ到着するのか分からないし、そもそも到着する保証もない。
故にこちらから帰還に動くべきと判断したのだ。
白木の怪我を考えるといち早く帰還すべきだったが、それでも休憩を挟んだのは全員の体力を回復させるため。モンスターとの戦闘に備える為もあるが、それ以上に六十六階層から帰るのだ。その距離は生半可ではない。
基本陣形は正面に幸坂さんを配置し、索敵に七規。
歩けない白木を俺が背負って、全体のカバーをのの猫が担当する。
本当なら俺が護衛したいが、魔力は回復しきっていない。
この中で最大火力を有するのが俺である都合、どうしても最後の切り札として温存し、雑魚処理は幸坂さんとのの猫に頼るしかなかった。
(ルナリアとテスタロッサがあそこまで強いのは想定外だった……いや、これは慢心か。ナイトメア戦以降、魔力が増えたと油断していたから足元をすくわれた。それと……撤退しようとする奴らに対して、拘束できると欲が出たのも反省だな)
何て思いつつ、俺たちは階層を進み――。
(凄いな……)
俺は内心で舌を巻く。
理由は単純、モンスターと接敵しないからだ。
索敵を担当する七規の勘が鋭いのもあるが、何より『ドミネーション』で雑魚モンスターを服従させ、他モンスターを発見次第吠えるように命令することで、索敵と同時に誘導の役割も担わせることが出来ていた。
それでもしばらくすればどうしてもモンスターを避けられなくなり、戦闘。
しかし幸坂さんのヘイト管理とのの猫の俊敏な動きの前に、大体のモンスターは物の数秒で討伐されて行った。
「これ程とは……」
「……」
「白木、さっきから静かだが大丈夫か?」
「ふぇ!? う、うん……?」
「痛みが酷いようなら休憩を入れるけど……」
「い、いや、それは、大丈夫……ただ、その、相馬っちの背中っておっきいなぁって思って」
「? そ、そうか。大丈夫なら先を急ぐぞ?」
「う、うん……」
小さな返事と共にぎゅっと抱き着く腕に力が入る。
瞬間、近くを並走していた七規がこちらを見つめていることに気付いた。
「どうかしたか?」
「……せんぱいのばか」
「えぇ……」
何故いきなり罵倒されたのか。
ふんっ、とそっぽを向いて索敵を再開する七規。謎のやる気を見せて先ほどにも増して、その精度が向上していた。
そんなこんなで俺たちはダンジョンを一階層ずつ慎重に上って行き――『そろそろお腹が空いたなぁ』『家に帰って霜月さんのご飯が食べたいなぁ』なんて思い始めた頃。
「――遭難者発見!」
救援に派遣された探索者たちと合流するのであった。
階層は五十五階層。
六十六階層を出発してから四時間と三十二分後のことである。
以降はヒーラーの魔法で白木の足がある程度回復。
大人数という事もあり、特段危険に見舞われることも無く、俺たちは地上への帰還を果たすのだった。