ep36 【ダンジョン探索者】のの猫
集中力がゴリゴリと削れていくのが分かる。
否、それだけでない。
体力も、魔力も、何もかもが削れていく。
――いったいどれほどの時間が経ったのか?
そんなことを思ってしまうほどには、この一瞬一瞬が永遠のように感じられた。
白木さんは無事——だと思う。
水瀬さんが、そう叫んでいたのを聞いた――気がする。
あやふやなのは仕方がない。
他のことに集中力を 割く余裕がないのだ。
白木さんは無事だったかもしれない。
おそらくは気流操作で衝撃を和らげたのだろう。
砲撃の直撃を受けた幸坂さんも無事だった。
元々頑丈そうな盾を構えていた。
対して、私はどうか?
魔速型。高速で動き、回避し、攻撃する。
防御力など皆無に等しく、直撃は死を意味する。
もう何度ひやりとしたか分からない。
本当はもう死んでいて、悪夢を見ているのかもしれない。
そんな勘違いをしそうなほど、私にとってロック・ビートルの攻撃は脅威だった。
加えて、先ほど白木さんを狙った火球。
(どこかに別のモンスターがいる……っ)
しかも最悪なのは、ロック・ビートルと協力しているという点。
「……っ、ふざけてるッ!」
ギリッと奥歯を噛みしめ、私は踏み込む。
迫りくる脚の攻撃を一本、二本、三本、四本避け――その脚に飛び乗ると魔速型の真骨頂を活かして頭上へと駆けあがる。もう、これしかない。ここしかない。
が、それは向こうも分かっているのだろう。
ロック・ビートルは身を大きく震わせ、私を振り落とそうとする。
必死にこらえようとするが——すると火球が飛来してきた。
先ほどとは別の場所。
複数いたのか、移動したのか。
「——チッ!」
舌打ちを零して、私は飛び降りる。
そこ目掛けて攻撃が来るが、身をよじって回避——しきれない。
スリップストリームに巻き込まれ、空中で姿勢が崩れる。
私は身体を回転させて勢いを殺すと、何とか着地。
刹那、迫りくる脚の攻撃を魔速型で回避する。
「……っあ、はぁっ、はぁっ! んぐっ、はぁっ!」
呼吸が不安定になる。
ダメだ、落ち着け。
呼吸は重要だ。
脳に酸素が回らなくなったら、それこそ終わりだ。
終わり、だけど……。
それより先に、魔力が尽きる。
今は節約のために回避の瞬間だけ身体能力を上げているが、それでも魔力は減っていく。
「……はは、影猫さんに、即発動のコツ教わってなかったら終わってたにゃ~」
思い出すのは気持ちの悪い師匠。
何であんな文章なんだ。そうじゃなければ、もっと教えを乞いやすいのに。
教えを——そうだ、もっと強くなりたいのに。
私は、もっともっと強くなりたい。
こんなところで終わりたくないッ!
「……」
集中力を上げる。
迫りくるロック・ビートルの攻撃を気合で回避する。
上下左右から繰り出される巨大な脚の攻撃を回避。回避先を狙う一撃は、こちらの油断を誘うフェイント。落ち着け。落ち着いて攻撃を読め。読んで、読んで、読んで読んで読んで——出力を上げろッ!
回避しきれない攻撃は剣で弾く。
手が痺れる。
身体が浮く。
関係ない。
腕を回し、遠心力で姿勢を操作。
すぐに次の手を——ダメだ。
回避、回避回避。
攻撃したいのに届かない。
ひび割れた箇所へ止めを打ち込みたいのに、至れない。
目を見開いて隙を伺う。
喉の奥が熱い。
鼻の奥から血の匂いがする。
疲れた。
もうやめよう。
そんな弱音が気を抜いたら溢れてくる。
唇を噛みしめながら腹に力を入れ、目の前のモンスターを睨みつける。
届きそうにない、その巨大な壁を。
(……悔しい)
届かないのが。
(……悔しいっ)
私にはできないのが。
(……悔しいッ!)
諦めそうになる弱い心が。
(悔しい、悔しい、悔しい……っ)
「……悔しいッ!! ……っ!?」
脚に集中し過ぎた弊害か。
私は砲台にロックオンされているのに気付かず――明滅する光を見た。
§
すべての始まりは一人の少年だった。
彼は一年でEランクからAランクに上り詰めた天才だった。
それだけならまだいい。
私は他人の強さに興味がなかった。
自分の強さにも、そこまで興味はなかった。
探索者になったのも魔力があって、戦闘センスもあって、それでいて十二分にお金を稼げたから。
配信を始めた動機だって、最初はお金が目的だった。
だから、その少年に興味なんか欠片もなかった。
——彼が『魔速型の完成形』と言われるまでは。
「……」
嫉妬だ。嫉妬したのだ私は。
自分でも驚いたけれど、私は自分の強さに自信があった。
探索者の中では上位だし、Aランク探索者は私が使えない極大魔法をバンバン使う化け物ばかり。Bランクだって、強力な魔法を使う。
だからこそ、Cランクというのが、私の——『魔速型』単体での最高ランクだと、勝手にそう思っていたのだ。魔速型の中では私が一番だと、そんなプライドを持っていたことに、初めて気づいたのだ。
なのに中学生の少年が、たった一年で抜き去ってしまった。魔力もあって、極大魔法も容易に操るが——その中でも彼が特出していた技術こそが『魔速型』。
「……っ」
悔しいと、中学生相手に本気で嫉妬した。
嫉妬して、嫉妬して……私は強くなりたいと思った。
彼に——相馬創に負けたくないと、本気で思ったのだ。
だから——。
§
目を覚ます。
一瞬意識が飛んでいたことに恐怖しつつ、即座に視線を周囲へと巡らせる。
幸いにして気絶していたのはほんの数秒だったのか、モンスターの位置は変わっていない。私は起き上がって息を吸い込み、正面を見据える。
(大丈夫、身体は動く)
砲撃に対して咄嗟に剣を合わせたことが幸いしたのだろう。受け流すことは出来なかったが、そこまで重傷じゃない。肋骨が数本折れただけだ。痛いし泣き出したいけど、唇を噛んで堪える。
堪えて、剣を握り、ロック・ビートルを見据える。
大丈夫、タイミングは掴んだ。次は、流して見せる。
「……ふぅ」
息を吐き出して剣を構える。
やれる、やってみせる。
助けなんて知らない。
帰りの心配なんてどうでもいい。
私は、今この瞬間この場所で、ただ目の前のモンスターを討伐する。
「——ッ!」
全身に魔力を巡らせ、駆け出した。
先ほどまでと違い距離が開いていた為、ロック・ビートルの砲撃が飛来する。
線や面の攻撃より、点の攻撃は距離感の把握が難しい。目視ではタイミングを誤る可能性が高く、私は風切り音を頼りに回避。先ほどまでいた地面が抉れて衝撃で足元が揺れる。バランスを崩しそうになる。飛んだ破片が頬を抉り、脇腹に突き刺さる。
「ぐっ……!」
大丈夫、致命傷じゃない。致命傷だとしてもそうじゃないと思い込め。問題ないと自己暗示して、今はただ、足を止めない事に集中しろ。
続く第二射、第三射の砲撃をぎりぎりで回避。
——とにかく、今は近付く!
何とか近付いて、白木さんの一撃でひび割れた頭部へ攻撃を叩き込むしか有効打はない。
(討伐するんだ! ここで、私が、のの猫が――このモンスターを絶対に討伐するッ!!)
私は込み上げてきた血を吐き出しながら決死の一歩を踏み出して——気付いた。
(……あ、誘われた)
と。
それしかない。近付かなければ勝てない。
そんなことは相手だって理解している。
理解しているのなら、私の行動を予測するなんて容易に出来て——微かに生まれた砲撃のタイムラグ。距離を詰めるのに絶好の一瞬は、相手によって生み出された意図的な好機。
飛んで火に入る夏の虫が如く、私の足元で飛来してきた火球が爆ぜる。
どこかに潜むスナイパーによる遠距離攻撃。バランスが崩れ、地面に手を着いて受身を取る。足元が熱い。火力が低かったからか怪我自体は軽い火傷程度。足先の感覚もある。
が、問題はそれではなく。
「……っ」
視線を向けた先、ロック・ビートルの角先が私へと向けられ――先端部が明滅した。
爆音を共に人体を容易に潰す岩石が発射。
回避は間に合わない。
直撃を避けても余波で四肢が壊れる。
この場で手足を失うのは、死を意味する。
避けても死。避けなくても死。
脳裏を走馬灯が駆け抜ける。
即座に思考を無駄だと切り捨てる。
「……ッ!」
直感だった。
(やる、やってやるッ! ぶっつけ本番だろうが関係ない! タイミングは掴んだッ! 死ぬかもしれなかろうと、私は……私は最後まで諦めないッ!!)
私は細身の剣を握り直すと腰を落とし、温存していた魔力を全て全身に流し込むと、迫りくる岩の弾丸を受け流そうと腕を振るおうとして――。
少年の声が聞こえた。
「『アイスエイジ』」
視界を埋め尽くしたのは氷の壁。分厚く頑強な氷壁はロック・ビートル砲撃を真正面から受け――ピクリともしない。それどころか傷一つ付いておらず、衝撃を完全に殺された岩の弾丸は氷壁の前に転がった。
「……」
目を見開く私に、声の主が近付いてくる。
荒い息を吐きながら肩を上下させる彼は、ダンジョンには似つかないスーツ姿。
左の袖をぷらぷら揺らしながら現れた少年は、私の姿を確認すると安堵の息を吐いた。
「はぁっ、はぁっ……よかった、間に合った」
「……」
それはまるで、物語のワンシーン。
ヒロインのピンチに颯爽と現れて手を差し伸べる主人公のよう。
圧倒的力を見せつけ、安心感を与える少年に私の胸は痛い程に高鳴り——。
「あとは、任せてください」
その言葉に、絶望した。
「……って」
「……え?」
「……ま、って」
「……」
ポカンとした表情を浮かべる少年。
そんな彼に、私は続ける。
心の中の感情を、吐き出す。
「おね、がい……。待って……いま、ここで……また誰かに助けられたら……っ、今度こそ私は探索者じゃなくなる……ッ」
「……」
こんなこと言ってる場合じゃないのは分かってる。すぐに倒して帰らなきゃならないのは理解している。
私はともかく、幸坂さんは大怪我をしていて、白木さんも戦線に復帰できていないことを見るにそれなりの怪我なのだろう。
こんなのは最低最悪のわがままだ。
自分勝手の、薄汚いプライドだ。
そんなのわかってる!
でも、それでも……っ!
「あれは、私が倒したいッ!! 私は探索者だからッ!!」
吐き出した言葉に、少年は逡巡。
バカにするのだろうか。
優しく諭すのだろうか。
それとも無理やり気絶でもさせて、私を無力化するのだろうか。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
自分が情けなくて仕方がない。
助けに来てくれた年下の少年に対して自分勝手に吐き出して、そのくせ感情が高ぶって涙が出そうになっている。最低最悪のくそ女だ。
(でも……っ!)
駄々をこねる私に対し、少年は軽く周囲を一瞥。最後に私の姿を見つめると、口元に優しい笑みを浮かべて――首を縦に振った。
「……分かりました。それじゃあお願いしていいですか?」
「……え?」
「実を言うと、ここに来るまでにかなり魔力を使ったんで少し休みたかったんですよ。……それに」
と少年は私を真正面から見つめて、続けた。
「後方腕組師匠面はガチ恋勢の特権なので」
「……」
その気持ちの悪い台詞には、覚えがあった。
否、言葉だけではない。
(嗚呼……どうして気が付かなかったんだろう)
身長、筋肉の付き方、立ち姿、警戒のタイミングに至るまで、私は彼をよく見て勉強していたじゃないか。
それだけじゃない。
彼は――あの気持ち悪いスパチャの師匠は、私より高ランクの『魔速型使い』。
私より高ランクの魔速型使いなんて……一人しか心当たりがなかったって言うのに。
「……ははっ」
自然と笑みが零れた。
こんな、情けない話があるか。嫉妬して、追い越したいと思って強くなることを選んだのに、私を教えていたのがその当の本人だったのだから。
だから私は彼に——相馬創に向かって答えるのだった。
「そこで見ててよ、師匠」