ep3 おじい様へのご相談
モノクルの男からのビデオレターを、俺はどうしようかと悩んでいた。
一人で扱うには些か重要すぎる案件である。
いっそのことギルド本部に送信して丸投げしようかとも思ったが、平素より探索者補充のお願いを無視してきた彼らが俺を信用してくれるかが正直わからなかった。
というより俺が彼らを信用していない。
当然だね。
悩みに悩み抜いた俺は——結局考える事を放棄。
放棄して、一人で無理なら信頼できる大人を頼ろうと決意したのだ。
そうして頼ったのが目の前の二人である。
再生される動画。
それを真剣に見届けた二人は、揃って天井を見上げて息を吐いた。
静寂が落ちること十秒ほど。
最初に口を開いたのは松本さん。
彼女は出されたお茶で舌を濡らしてから、問いかけてきた。
「相馬くん……『ダンジョンが力を貸す』とか『魔石が焼き付いて誤認した』とかって、なんの話?」
「あっ……やべ」
それは俺がナイトメア・ヒューマンになった原因についてモノクルの男が語った推測である。
問題なのはその推測ではなく——俺がナイトメア・ヒューマンになったことを誰にも伝えていなかったという点にあった。
そう言えばそんな説明してたね。
ダンジョンが『侵略のためのトンネル』だったことの方が衝撃すぎて忘れてたよ。
「やべ? やべって何? 相馬くん何か隠してるの? 私に? 私たちに? なにを隠してるの? ダンジョンで相馬くんの身に何があったか、全部正直に話して?」
ハイライトの消えた瞳で詰め寄ってくる松本さん。
ヤンデレ系人妻ですか。
大変すばらしい。
……じゃなくて、どうしよう。
俺が誰にも伝えなかった理由は単純で——流石に異常すぎると判断したからだ。
モノクルの男曰く、俺がナイトメア・ヒューマンになったのはダンジョンからモンスター扱いされた結果だ。みんなから見れば化け物だし、流石に伝えるのは怖気づいた。
例えば想像してみよう。
松本さんが、俺を拒絶する未来を。
『いやっ! 近付かないで!』
(……)
どうしよう。
悪くないと思う俺が居る。
いつも優しい松本さん。
そんな彼女が嫌悪感を示す。
いけない扉が開きそうだ。
後戻りできないタイプの扉が。
これはマズい。
しっかり鍵をかけておこう。
……なんの話だっけ?
「説明して」
「あっ、はい」
有無を言わせぬ言葉遣いに俺は首肯。
バレてしまったものは仕方がない。
俺は観念してダンジョン内部で起こったことを説明させていただいた。
ギルドに報告する際は『なんかよく分からないけど、魔力が溢れてきました』的な感じで誤魔化していたが——果たして。
「ばかっ!!」
第一声は罵倒だった。
同時に、正面からぎゅっと抱きしめられる。
(おぉ、うぉおおおおおおおおおおお!!)
必然俺の胸中は狂喜乱舞。
表に出ないように必死にこらえる。
表情を取り繕う俺に対し、松本さんは両目から涙を零しながら叫んだ。
「ばかっ、ばかばかばかぁっ!! 何でそんな大変なことを黙ってたのよぉ!!」
「す、すみません。嫌われたらどうしようと思って——」
「嫌いになるわけないでしょ!?」
真摯に告げられる言葉が胸を打つ。
それと同時に抱きしめられている幸福に心が躍る。ごめんなさい。最低でごめんなさい。でも嬉しいんです。ごめんなさい。
「松本さんの言う通りだよ。相馬くん。私たち三船町の人々がキミを嫌うことなんてありえない。特に私はね」
何か含みがあったような。
でもとても嬉しいお言葉だ。
「おじい様……」
「おじい様?」
「あ、すみません。正元さん」
うっかり心の声が出ちゃったぜ。
「ははっ、構わんよ。七規と一緒になれば晴れて私もキミのおじい様だからな」
「ぐぬぬっ、外堀が……」
「はははっ、まぁ、それはキミたち次第だから気にしないでください。とにかく……身体の方は問題ないのですか?」
「それは……はい。大丈夫です」
「そうか……」
おじい様はしばらく考えるようなそぶりを見せ、再度モノクルの男のビデオレターを確認し、息を吐く。
「先ほども言いましたが、我々がキミを嫌うことはあり得ません。しかし、それが他の者にも適用されるかは、わからない」
「ですよね~」
「故に、相馬くんのナイトメア化に関しては、我々の胸の内に留めておくことが最善でしょう。少なくとも今は、という但し書きは付きますが」
「なるほど」
「とにかく相馬くんの身体が無事なら次に考えるべきは……この『異世界の存在』と『ダンジョンが侵略の為のトンネル』という話ですね。松本さんはどう思われますかな?」
言った途端、おじい様の目つきが鋭くなる。
ちょっと怖いぜ。
「そうですね。……荒唐無稽な話ではあると思いますが、筋は通っているかと」
松本さんの答えにおじい様は首肯。
「私も同意見です。事実、魔力なんてものが生まれたのもダンジョンが出現してから。歴史を紐解いても魔力なんてのは精々ファンタジー小説の代物。つまり異世界は存在しており——同時にダンジョンが侵略の為のトンネルというのも、真実味を帯びてきます」
「この人の言ってることが事実なら、はっきり言って危機的状況にもほどがありますね。何しろ日本だけで十個……いえ、三船ダンジョンが消えて九個。世界に目を向ければそれこそ数百個のダンジョンがあり、そのすべてが侵略の道……」
そこまで言われれば、バカな俺でも事の重大さが分かる。
要は、いつどこに異世界の軍勢が来てもおかしくないという事だ。
「やばい、ですかね?」
「そうですね。危機的状況であることは変わりませんが……ただ、すぐに次が来る可能性は低いと見ていいでしょう」
「え、そうなんですか?」
「はい、動画内で彼は自分たちが第一陣、そして準備して世界を滅ぼそうとしたと明言しています。そうして十分に準備して向かった軍隊が壊滅させられたとなれば、向こうはどうするでしょうか?」
「それは……警戒して、態勢を整える?」
「えぇ、同時にこちらの偵察を再度行うでしょう。世界を手にした『魔王』というのがどれほど強いかは知りませんが、それがダンジョンを通れないとなれば、強硬策も薄いと私は見ます。とにかく、こちらに関しては流石に探索者ギルド等に提出するべきですね」
「わ、わかりました」
わかってはいたけど、こりゃ大ごとだぜ。
緊張で足元がふわふわする。
「それじゃ、相馬くんがナイトメア種になったってとこはカット編集でもしとく?」
「松本さん編集ソフト使えるんですか?」
「そりゃあ一般人レベルには。むしろ相馬くんは使えないの? 現代っ子なのに?」
「そりゃあ逸般人のAランク探索者ですからねぇ。そんなの勉強する時間もありませんよ」
「あちゃー」
「あちゃーじゃありませんよ」
いや、本当に。
「あと疑問があるとすれば『特定のモンスターを核に生み出されたそのトンネルこそ——ダンジョンだ』という彼の言葉でしょうか」
おじい様の言葉に首をかしげる。
「えっと、何故でしょう?」
「核のモンスターってボスモンスターのことですよね? ダンジョン攻略直前に現れる強力な個体」
「俺もそう思います……けど」
見つめ合う俺と松本さん。
おじい様は咳払い一つ入れてから、問うた。
「相馬さんの説明を聞く限り、貴方はボスを倒していない。倒した――いえ、倒れたのは彼ではなかったのですか?」
「あ……」
そうだ。
三船ダンジョンの攻略は、モノクルの男の自殺により達成された。
「私の目には、彼がモンスターには見えませんし、軍の指揮をしていたことからも核のモンスターはあり得ないと考えています」
「……」
「まぁ、こればっかりは答えの出ない謎ではありますがね。……さて、兎にも角にも今後の方針は決まりました」
「そう……ですね。一人で考えるのは限界だったので、助かりました」
気になることではあるが、今は飲み込もう。
「構いませんよ。言ったでしょう? 私はキミのふぁんだと」
「そうでしたね」
ニッと笑みを浮かべるおじい様。
何とも頼りがいのあるファンか。
そんな彼に別れを告げて、俺と松本さんは席を立つ。
七規に帰る旨を伝えると、家まで送って行くと言われたが——。
「帰りは私の車で送るから心配しないで」
と松本さんの言葉を受け、渋々と身を引いた。
「じゃーねせんぱい。また明日」
「あぁ、また明日な」
玄関まで見送りに来た彼女に別れを告げて、俺は松本さんの車に揺られて帰宅。
その後、松本さんに教わりながらカット編集をマスター。
当然、素人の編集なので見る人が見ればすぐバレるが、これに関しては「動画内のモノクルの男が勝手にやってた! 多分言っちゃダメなこと言ってカットしたんだと思う!」で押し通すつもり。
動画撮影する異世界人が居るのだし、編集してもおかしくないだろう。
そんな訳で編集を終えた動画をおじい様と松本さんに確認してもらってから、ギルド本部へと動画を送信。
信じてもらえるかは五分五分であったが——。
『重要性が高い案件につき、政府との話し合いが終わるまで他言無用で願いたい。情報提供に感謝する』
という文言が返って来た。
なんだい。
意外と信用されてるんだね、俺って。
普通に嬉しい。
まぁ探索者を補強しなかったのは許さないけど。
小さくため息を吐き、今度こそ俺は平穏な日常を謳歌するのだった。
§
——なんて、思っていたのが一週間前。
俺は一人、ダンジョン内で愚痴る。
「な~んで、またダンジョンに来ているのかね~」
そんな呟きは誰に聞こえることもなく、ダンジョンの中に溶けて消えた。