ep54 合流
俺たちとバドラクルスの戦いは拮抗していた。
人狼の姿になったバドラクルスの身体能力は高く、一撃一撃が致命傷になりうる。しかしそれでも俺たちはAランクパーティーだ。最高の実力者たちが最高の連携をもってして相手をする。
これにより、何とか喰らいつくことができていた。
だが、それでもギリギリで……一瞬の油断がすべてを崩壊させる。
或いは、余裕を見せているバドラクルスが多少本気になれば――終わる。
「レイジ!」
米山先輩の声に合わせて攻撃を繰り出す。
すでに何度目かになる連携だ。
雫の魔法で身体強化を施し、バドラクルスの攻撃を米山先輩が防ぐ。そうして生じた隙を俺が狙うというシンプルにして効果的な戦術。加えて今回は――後方からの魔法支援というおまけつきだ。
背後から数十発の『ウィンドスラッシュ』がバドラクルス目掛けて飛んでいく。
直撃しても大したダメージは与えられないかもしれないが、ないよりはまし――程度のつもりだったが、魔法の一つがバドラクルスの眼球へと迫り……これを回避するためにバドラクルスの身体が大きく逸れる。
それは、完全に偶然だった。
しかし――これ以上の隙はない。
(ここで仕留める……ッ!)
強く歯を食いしばり、俺は氷で作った両手剣に雷を纏わせ、バドラクルスへと斬りかかる。バドラクルスは当然回避しようと試みるが――その刹那俺は『ドミネーション』で思考に穴を開けた。
そうして狙うは奴の首筋。
喋ろうが感情を持とうが、異世界だとかなんだとかどうでもいい。
こいつは危険だ。
あまりにも強すぎる。
故に今ここで――この場所で命を叩き斬るッ!
「殺すッ!」
踏み込み、腕の振り、体重の移動、全てにおいて完璧。
俺にできる最高の一撃に対し、バドラクルスは――。
「へぇ、やるなぁ」
相変わらず余裕の笑みを浮かべると、崩れた姿勢から拳を突き出した。
「どっせいッ!」
ゴォッと燃え盛る拳が剣と激突し、一切拮抗することなく剣が砕かれる。
これまでの単純な徒手空拳ではなく、明らかに魔法のような概念を含んだ一撃だ。
「なっ……!?」
「まさか技を出さされるとはなぁ……これは誇っていいぜ!? 決戦騎士でもサドラのおっさんにしか使わなかったぐらいだしなぁ~」
うんうんと満足げにうなずくバドラクルスに対し、胸中でため息を吐く。
(ふざけんなよ……くそが)
先ほどのパンチは力を籠められる姿勢から繰り出されたわけではない。
つまり、ただ手を動かしただけのパンチで、最大火力に近い一撃を粉砕された訳だ。
同時に心を折られていないだけ、まだましである。
「……レイジ、どうする?」
雫の言葉に答えようとして……ふとバドラクルスが踏み込んで彼我の距離を詰めてきた。今までこちらの会話が終わるまで待っていた男の唐突な行動。
一瞬体が固まり――。
「させるかぁ!」
バドラクルスの一撃が雫に直撃する寸前、米山先輩が身体を間に割り込ませた。
攻撃をもろに受けた先輩はまるでゴムボールか何かのように弾き飛ばされ……はるか後方、スクランブル交差点を取り囲むビルの一つに突き刺さる。
「……ぁ、よ、米山先輩!」
「んぁ~、あのおっさん固いなぁ~。殺す気だったのに飛んでっちゃった。まぁ、ありゃ場外だからいいか。それよりお前たちだけど……よそ見はダメだろ? 今の不意打ちは少し卑怯だったけど。でもさ、そろそろ一人か二人削らないと決戦騎士が相馬って奴の死体を持ってきた時に、馬鹿にされるかもしれなかったからさ~。だから、許してくれよな?」
「お前……っ!」
先輩が飛んで行った方角からバドラクルスに視線を戻す。
しかしそこに人狼の姿はなく……すぐ傍、俺の肩が毛深い手で叩かれる。
「だから、よそ見はダメだって言ってるだろ?」
「……っ、くそが!」
悪態をつくのと同時に、戦闘が再開した。
§
それから、いったいどれほどの時間が経過しただろうか? 一秒が数時間にも感じられ、かと思えば十分が刹那にも思える戦闘の最中では、まともな時間間隔は存在しない。
俺は静かに息を吐きながら周囲を見回す。
空は相変わらず分厚い雲が覆い、遂にはぽつぽつと雨が降り始めていた。
近くのビルの大型ビジョンを見やると、時刻は夜の十一時を過ぎた頃。
戦闘が開始して、一時間以上が経過していた。
荒い息を吐く自身に対し、目の前の人狼は変わらず余裕の表情を浮かべている。
すぐ傍では地面に倒れてピクリとも動かない雫の姿。後衛の吉瀬たちも、全員倒れて動かない。気を失っているだけか、それとももう息はないのか。雫は辛うじて生きていそうだが、後衛は分からない。
周囲は相変わらず一般人が取り囲んでいるものの、誰一人として手を貸そうとする者は居ない。この『舞台』に上がった途端、バドラクルスによって殺されることが分かっているからだ。
米山先輩も戻ってこないことから、彼も飛ばされた先で気を失っているのだろう。
結果、同所に立っているのは俺とバドラクルスの二人のみ。
(……流石に苦しいな)
魔力は枯渇し、既に極大魔法を使う余裕はない。
足には乳酸が溜まって、身体は重く言うことを聞かない。
周囲から一般人の視線が突き刺さる。
「がんばれ」と応援する声。
「もう無理だ」と絶望する声。
「早くしろよ」と非難する声。
「はははっ! 面白いなぁ! 命がけで守ってるのに、守られてる側は呑気なもんなんだから!」
「……そうだな」
小さく言葉を返したのは、少しでも時間を稼ぐためだった。
すでに俺の中から戦意は失われていた。
(……勝てるわけがない)
彼我の実力差は絶望的。
結局、米山先輩が戦線を離脱して以降、チャンスというチャンスは一度も訪れなかった。後衛の三人が倒され、雫と二人で戦っていたが、そんな彼女もバドラクルスの一撃を食らい、沈黙。
以降はずっと一人で戦っていた。
戦って、攻撃を食らえば回復して、魔法を織り交ぜ、思考を巡らせ、持てる技術のすべてをもってして挑み、その結果がこれだ。
だけど絶望はしていない。
俺たちにはまだ希望が残されているから。
(相馬くんが来れば……勝ってくれる)
直接相馬くんの戦闘を見たことがある訳ではない。
けれど、ダンジョンを攻略することの難しさは知っている。
それも、たった一人で。
彼は「『亜獣の国』と呼ばれる異世界人を倒したら、ダンジョンを攻略したことになった」と言っていたが、その話に出てきたモンスターだって化け物じみていた。
彼と話して、交流して、嘘をつくような人物ではないと分かったからこそ、俺は確信したんだ。
相馬創こそが、世界最強だと。
まだ甘いところはあるけれど、その実力は折り紙付きだ。
そんな少年が来てくれれば、この戦況も一気にひっくりかえせる。
この圧倒的な化け物が相手でも、勝てる。
だから俺は時間を稼ぐことに注力する。
「お前たちの目的は何なんだ?」
「ん? ん~、なんだろうな。まぁ、侵略ってのが正しいんだろうけど、それは別に俺たちの目的ではないしな」
話に乗ってきたことに胸中でこぶしを握る。
「どういうことだ」
「どうもこうも、別にありふれたことだ。組織のトップは侵略を目的に戦争を起こすが、末端の兵士からすれば無事に勝って帰って大切な人に会いたい。俺もどっちかっていうと、後者な訳だ。死にたくないから、自分が不幸になりたくないから、お前たちを殺して不幸に叩き落す」
「その割には、随分と楽しそうに見えたがな」
「それに関しちゃ否定しねぇ。俺は戦うのが大好きだ! けど、それは別にいつでもできるし、目的とは少し違う。お前が聞きたいのもそういうことじゃないんだろ?」
「そうだな」と答えてから、俺は再度問いかける。
「なぁ、もし仮に……仮にだが、全面降伏したら、どうなる?」
バドラクルスは難しそうに眉間に皺を寄せた。
「あー、政治関係はよく分かんねぇからなぁ。ただ、俺たちもかつて負けた国の人間だ。それを考えると……この世界の別の国に侵略するための駒として使われるんじゃないか?」
「……最悪だな」
「降伏ってのはそういうことだ。特に、俺たちの世界を支配している魔王は、そのあたり一切容赦しないからなぁ。……それで、休憩はもう終わったか?」
「気付いていたか」
「当然だ。……さて、話し合いばかりじゃ客の熱狂が覚めてしまう。まぁ、元々盛り上がってないみたいだが」
バドラクルスは大きく息を吸い込むと、獰猛な笑みを浮かべて続けた。
「仕方がない。絶望を見せてやるか」
次の瞬間、俺の視界から人狼の姿が音もなく消える。
これまで見せていた強い踏み込みによる移動ではない。
静かに気配を殺し、音を置き去りにする速度での移動。
「……えっ?」
そんな間抜けな声が出た瞬間、左腕に激痛が走った。
見てみると、そこには原形をとどめていない程ぐちゃぐちゃに潰された腕。
(……な、なんだよ、これ……これ、こんなっ!)
遅れて脳が状況を理解して、ピクリとも動かない左腕に恐怖心を抱く。
焦りが胸中を埋め尽くし、脳が激痛を理解した瞬間、喉奥から悲鳴がこぼれ出ようとして――。
「この程度で泣くんじゃねぇぞ?」
耳元でバドラクルスの声が聞こえると同時に、背中に衝撃。
身体が宙に浮かび、背骨が軋む。
背中を強く蹴られた――と認識する頃には、眼前に人狼の拳が迫っていた。
「待っ――」
顔面に拳が直撃すると同時にペキョっと何かが潰れる音が脳内を反響し、身体が後方へと吹き飛ばされる。
上下の間隔すらなくなるほど転がり、何かにぶつかって勢いが収まる。
そして、俺は震える右手で顔に触れた。
どうなっているのかは見たくもないが、それでも首から上が付いていることに安堵の息を零す。それほどまでに――今のは死んだと思った。首が繋がってることが奇跡としか思えない衝撃だったのだ。
「ぐっ」
だが、右目が開かない。
左目は無事だが、右目が動く気配がない。
気味の悪いドロッとした感触だけが、瞼の奥で感じられる。
……潰された?
「うっ、おえぇえ」
食道を逆流してきた何かを吐き出す。
吐しゃ物に混じって赤黒い血が吐き出された。
「はぁ……はぁ……っ」
「れ、礼司……」「うそ、礼司が……」「おい、なんなんだよほんと!」
周囲の人の声が聞こえる。
だから、立ち上がる。
怖いし、痛いし、気持ちが悪いし、探索者になった事を後悔しているほどには心が折れかかっているが、見栄が、プライドが震える足を許容しない。
(相馬くんの件で、そういうのは捨てたつもりだったのに)
だけど、今はその情けないプライドが、自己愛が立ち上がらせてくれる。
「へぇ、思ったより頑丈だな」
「……はぁ、はぁ……『ハイエスト・ヒーリング』」
ごぼごぼと血を吐きながら、光属性上級魔法を詠唱。
眼球がゆっくり復活し、顔と背中の痛みが消える。
左腕も、二の腕までは再生できた。しかし一部千切れてしまったのか、完全には回復しない。欠損箇所を回復させるには、魂の形が固定される前に、継続的な回復魔法で復活させるしかない。
(或いは、奥の手を使えば……。だが、今使うことは負けを意味するッ!)
自分の命だけを大切にするのならそれでもいいが、生憎と周りの人々を見捨てることはできない。
「本当に凄いな。戦闘は一流、回復も一人でこなせる……そりゃあ強いわけだ。だが、超一流の俺には勝てない」
「ほざけ……」
「それに……そろそろ限界だろう? 決戦騎士のエルフでもなければ、並の魔法使いはもう魔力切れだ」
(気付かれてる……)
すでに俺の魔力は限界だ。
普通の魔法一発でも放てば、完全に底を突く。
それほどまでに全力を出して、この差だ。
あまりにもバドラクルスが強すぎる。
一応、記憶を代償に差し出せば魔法を行使できるが、問題はこの状況に至る記憶を失う可能性があるということ。戦い方を忘れる、なんてことになれば本末転倒もいいところだ。
「さぁ、終わらせようか」
「……っ!」
どうする? ――と思考する間もなく、バドラクルスの拳が眼前に迫り――。
「っ!?」
一瞬、バドラクルスの動きがブレて、攻撃の威力が僅かに減衰――その拳を、突如現れた要塞のような女が巨大な盾で受け止めた。
「う、ぐぐぐっ! っせい!」
盾を振るってバドラクルスを弾き飛ばした彼女は、静かに俺に視線を向ける。
「助太刀、します」
「あ、貴女は……」
「三船町の、探索者の、幸坂、です」
彼女に続くように、観衆の中から何人かの探索者が現れる。
全員見覚えはない。
少なくとも、召集を受けていた探索者ではないだろう。
たまたま東京に来ていたBランクやCランク、そしてこの状況を指を咥えて見ていることはできないと集まった、渋谷ダンジョンのDランクやEランクの探索者たちといったところか。
「……だ、めだ! 逃げろ! お前たちが勝てる相手じゃない!」
これに答えたのは幸坂と名乗った要塞のような女性だった。
「勝てなくても、戦わなきゃ、いけない。……相馬くんなら、そうする、から」
「……っ」
相馬……そうだ。
彼は、一対多の俺たちと違い、多対一の戦場に一人で向かった。
命を懸けて、命を振り絞って戦いに向かった。
なら俺も、諦めることはできない。
勝てなくても、戦わなければならない。
情けない話だけど、それでも唯一の希望である彼が――相馬創くんが、来てくれるまで!
剣を取り、立ち上がる。
少しでも他の探索者を守れるように前に出る。
そんな俺たちを、バドラクルスは笑う。
「決闘に乱入したんだ。事前の取り決め通り、そいつらは皆殺しに――」
と言いかけて、バドラクルスは視線を俺たちから外してスクランブル交差点の一か所に向ける。
そこには魔法陣――おそらくは俺たちがダンジョンから転移してきた転移魔方陣だろう――が存在し、今まさに発動されていると言わんばかりに光り輝いていた。
「おっと。……どうやら向こうが先に決着つけたみたいだな」
「……っ」
それはつまり、あの魔法陣から出てきた者こそが勝者だということ。
だがしかし、あの魔法陣は決戦騎士とかいう集団が準備したもので……それが起動しているということは、向こうの戦闘結果は火を見るよりも明らか。
自然と呼吸が荒くなるのを自覚し、震えそうになる手を、剣を握りなおすことでごまかす。そうして、その場の全員が視線を向ける中で現れたのは、想像通り。
ボロボロの姿をした――『決戦騎士団』の面々だった。
「そん、な……」
絶望する俺を無視して決戦騎士団はバドラクルスへと駆け寄る。
これをバドラクルスは笑顔で迎えた。
「はんっ、流石にあんたらの方が早かったみたいだな。……けど、こっちももうすぐ片が付くから大人しく見てろよ? 俺のかっちょいい決闘をよ!」
相も変わらず余裕綽々のバドラクルスの言葉が耳に届く。
悔しい。侮られ嘲られ、しかしそれが全て事実という現状が腹立たしい。
だから、怒りを胸に俺は奴らに斬り込もうとして――。
その前に、真ん中から下が消し飛んだ盾を手にした男――確かサドラと名乗っていた騎士が吼えた。
「そんな奴らはどうでもいい! それより俺たちに協力しろ決闘王! すぐに奴が来るッ!!」
「……あ? なんだよ。殺したんじゃなかったのか?」
「殺す……あぁ、普通ならとっくに死んでるはずなんだ! 生きてるはずがないのに……ッ! どうやったら死ぬんだよ、あの化け物はッ!!」
焦ったサドラの言葉に、バドラクルスだけでなく俺たちも困惑し……次の瞬間、魔法陣が再度強く輝いた。
雨脚が強くなり、足元の水溜りに渋谷の明かりが反射する中――魔法陣からカチャと音を立てて、氷の足が現れる。
次いで、転移されてきたのは氷の鎧を身体に張り付けた、一人の少年だった。
顔の一部が焼け焦げ、全身に夥しい裂傷を刻み、右手と両足は失ったのか氷の義手で補っている。腹部に騎士剣が貫通して突き刺さったままの痛々しい姿で、しかし悠然と歩いていた。
少年は一瞬周囲を見回したかと思うと、決戦騎士団を補足し――次の瞬間、目視すら不可能な速度で、桃色の髪の少女に蹴りを放った。
「っ、またぼく!?」
「させるか!」
その一撃をバドラクルスが受け止めると、衝撃でアスファルトが網目状に割れた。これに対し、少年は首をかしげてぼやく。
「あぁ? なんだこのモンスター」
「おいおい、忘れたのか。三十六階層でちゃんと顔を合わせてただろ? まぁ、あんときは人間の姿だったけどよ」
「お前……あの半裸の男か? ほんと異世界人は何でもありだな」
小さく息を吐き、距離を取った少年は――日本最強のSランク探索者、相馬創だった。




