ep45 不意打ち
移動に際して、問題は何も起こらなかった。
人が多いので個人より移動速度は劣るものの、その分モンスターを気にしなくていいというのが大きい。雑魚は近付いてこないし、近付いてくるモンスターは数秒と持たずに魔石となる。
そして移動開始から一時間が経過した頃。
いよいよ俺たちは三十六階層に足を踏み入れるのだった。
§
迎え撃つために選ばれた三十六階層は、レイジが言っていた通り広い空間だった。ただ、開けた場所ではあるものの、一部切り立った崖の様に削れた地面や、局所的に狭まった空間もあるので、戦闘に最適と言われれば微妙なところ。
(まぁ、ダンジョン内に戦闘に特化した階層なんて存在しないし、他の階層よりはかなりましだが)
到着したことを狸原さんに伝えると、現在『異変』は三十七階層で発生していると伝えられた。やはり移動速度がおかしい。
情報伝達が行われると、もうすぐ始まるであろう戦闘に対して緊張感が増す。
そんな中、レイジはある一方向を指さした。
「下の階層に通じる階段は向こうだ」
「何の気配も感じませんね。……確認してきます」
「一人は危険だ。俺も行く」
「な、なら私も行きます」
レイジに続いて名乗りを上げたのは、彼のパーティーで斥候の役割を担うBランク探索者の女性、吉瀬芳香さんだった。基本的にモンスターの索敵が専門の彼女が居てくれると非常に助かる。
断る理由もないので、俺たち三人は富岡さんにこの場を任せて、三十七階層へと続く階段へと向かった。
前方に吉瀬さん。
その後ろを俺とレイジが続く。
警戒しながら進むが、モンスターの気配はない。
数分ほどで三十七階層と繋がる階段に到着し、これまた警戒しながら下って行く。
そうして到着した三十七階層は……しかし閑散としていた。
「何の気配もありませんね」
吉瀬さんの声が耳朶を打つ。
が、これで安心するほど馬鹿ではない。
俺は狸原さんに連絡。
「狸原さん、現在『異変』はどこで発生していますか?」
『変わっておりません。三十七階層で発生しています』
その言葉に、嫌な予感が背筋を撫でる。
だが、それから数分ほど近場を捜索したが、モンスターの姿はない。
(それが逆に怖いんだけども)
ダンジョンからモンスターが消える。
思い起こされるのは三船ダンジョンにて『亜獣の国』と戦った時のこと。
あの日も、モンスターが居なくなっていた。
「……どうしますか?」
一人で判断するには難しいと考え、レイジに意見を仰ぐ。
「そうだな。明らかに異常だが、これ以上の単独行動は危険だ。一度戻ろう」
「私も賛成です」
「分かりました。では一度引き返して――」
と言いかけた瞬間、背後でカランッと音が鳴る。
瞬時に氷の剣を生成して振り返ると、三十メートルほど離れた岩場の影に、一体のエンジェル・ポーンがいた。
先ほどの音は、そいつが小石か何かを蹴っ飛ばしたのだろう。
「なんだ」
安堵しながら『アイススピア』で串刺しにする。
文字通り秒殺すると、レイジが苦笑を浮かべながら肩を叩いてきた。
「とんでもない反応速度だな、相馬くん」
「いえ、そんな……って、吉瀬さん。どうかしましたか?」
ふと彼女の顔が引き攣っているのに気が付いた。
頬を冷汗が流れ、手が震えている。
「おい、芳香大丈夫か?」
レイジも気付いて肩を揺すると、彼女は動揺したまま言葉を紡いだ。
「ぜ、絶対、居なかった……」
「何がだ?」
「エンジェル・ポーン……絶対あんな距離に居なかった!」
言われて見れば、エンジェル・ポーンはかなり近い距離に居た。
小石が転がる音で気付ける範囲だ。
しかし、小石が転がるまで俺も、レイジも、そして日本最強パーティーで斥候を任されている芳香さんも、気付かなかった。
「「……」」
その異常性に遅ればせながらに気付いた刹那、耳に付けていたインカムにノイズが走り――狸原さんの焦った声が聞こえる。
『異変が『三十六階層』に移動しました!』
「……はぁっ!?」
俺たちは階段の周辺に居たのだ。
だというのに、いつの間にか敵が移動している。
その事実に混乱するが、しかし思考停止している暇はない。
言葉を受けると同時に、俺たちは弾かれたように引き返す。
階段を上り、先程全員を置いてきた場所まで戻る。
焦りから足元が覚束なくなるのを堪えて、三人で走る。
そしてようやく見えてきた広い空間には――。
「戻ってきましたか」
出発した時と変わらない様子の探索者たちの姿があった。
焦りの表情を浮かべる俺たちに、富岡さんが話しかける。
「今、狸原さんから『異変』がこの階層に移ったと報告がありましたが、キミたちは見ました?」
「い、いえ……」
これには富岡さんも困惑の表情を浮かべる。
確かに訳の分からない状況だ。
しかし、俺の胸中には安堵があった。
俺の居ないところで彼ら彼女らが『異変』の――正確には異世界人の攻撃にあっているかもしれないと、そう思ったから。
俺は守る。
守らなければいけない。
人として、人類を守らなければならないのだ。
「……って、なんかここ霧が濃いですね」
出発する前に比べて、紫色の霧が足元に漂っているのに気が付いた。
誰も慌てていないので、渋谷ダンジョンの性質か何かかと思ったが……富岡さんから返ってきたのは疑問の声だった。
「霧、ですか? ……レイジさんは何か見えますか?」
「いや、俺も何も……」
「……え?」
見えていない?
……待て。確か、前にもこんなことがあったような。
そうだ、あれは確かダンジョン配信の下見で夜叉の森ダンジョンに一人で潜った時――フラウに初めて出会う前、夜叉の森ダンジョンの二十二階層にある白木たちが飛ばされた転移魔法陣の跡地を見に立ち寄った時だ。
俺はそこで、誰も気付いていない紫色の霧を確かに見た。
「……っ、まずい! 全員戦闘準備を――!」
と叫んだ瞬間、背筋に悪寒が走る。
そして――背後から声が聞こえた。
「そんなに焦らなくても、準備が整うまで待つから安心したまえ」
振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
年の頃は三十代半ばと言ったところか。
短い金髪に碧眼、彫りの深い顔立ちは日本人の物ではない。
左手に大きな盾を構え、腰に直剣を携えている。
首にはどこか見覚えのある言語理解の魔道具が装着されていた。
そこに殺意や敵意は伺えない。
しかし、ただそこに立っているだけなのに、一切の隙がない。
それはまるで、以前戦った剣聖の様で――。
「今の言葉は嘘偽りなどではない。私はこれでも騎士だからな、卑劣な真似はしないとも。何ならもう少し距離を開けてやろうか?」
と言って一歩二歩と下がる男。
その瞬間、不安定な足場に躓いて体勢を崩す。
「おっとと」
転げることこそなかったが、男は「これは、恥ずかしいところを見られてしまったな」と言って苦笑しながら頭を掻く男。その姿に、レイジや富岡さんの警戒が薄らいだのが分かった。
――瞬間。
左右の何もない空間から眩い閃光がレイジと富岡さんの頭部目掛けて放たれる。
「くそっ!」
即座に『アイスエイジ』を展開して閃光をガード。
おそらく雷属性であるその魔法は氷の壁にぶつかるとそのまま四散した。
(威力はそこまで高くない。魔法で問題なく防げる。……が、直撃したら即死だ)
と判断して騎士の男に視線を向け――目の前に氷の槍が迫っていた。
回避することは可能だが、俺が避けると後ろの探索者が貫かれる。
『アイスエイジ』は間に合わない。
氷の剣を生成して弾き落とすのも間に合わない。
どうする、どうするどうするどうする!
「……ッ」
俺は咄嗟に左腕に装着された義手『No.1アルファ』を持ち上げ、盾にした。
数センチほど後方に弾かれたが、どうにか叩き落すことに成功。
義手を確認すると、驚くことに傷一つついていなかった。
(クラウディアさんには感謝しかないな)
なんて思いつつ、騎士の男を見据える。
すると彼は特に驚いた様子も見せずに拍手して見せた。
「流石にこの程度は捌くか」
「卑劣な真似はしないのでは? 騎士というには些か品性に欠けるのではないでしょうか?」
「耳が痛いな。なら次からはしないと約束しよう」
「信じるとでも?」
「信じなくても構わない。信じようと信じまいと、貴様たちはここで死ぬのだから」
次の瞬間、男の背後から新たに二人の女と一人の男が現れた。
二人の女は最初の男と同じ騎士服に身を包んでおり、一人は金髪に尖った耳が特徴的で、まるでアニメなんかに出て来るエルフの様な出で立ち。もう一人は桃色の髪が特徴的でスカートを揺らす大人しい雰囲気の少女だ。
そして唯一騎士服を着ていない男は、見たところ年齢は俺と同じか少し上と言ったところ。上半身裸で、浅焼けた肌に灰色の髪の青年である。
彼らを前に、再度警戒心を強めながらレイジが口を開く。
「相馬くん、彼らは――」
「えぇ、間違いありません。異世界人です」
「正解だよ、相馬創」
俺の言葉に満足するように、男は口端を持ち上げた。
「私の名前はサドラ・ウォーカー。死にゆく者たちへの贈り物だ。是非とも覚えて逝ってくれ」




