ep28 理由
「……?」
空気が首元に触れる感覚。
一体なんだろうかと振り返ると、そこには蛍光灯の光を反射する銀色の刃が輝いていた。見まがうことのないそれはフラウの双剣で――その切っ先が首に触れる直前で制止していた。
「……うぅぉおおあっ!?」
俺は堪らずひっくり返る。ソファーから転げ落ちながらもフラウを見やれば、冷静で冷酷な瞳が俺を見下ろしていた。ただ、瞳に宿る感情はそれだけでは無くて……。
フラウはしばらく立ち尽くすと、やがて大きくため息を吐いた。
「……何故、今の攻撃を避けなかった?」
「え、え?」
「創ほどの実力者であれば、双剣を引き抜いた音で気付いたはずだ。否、それだけでなく空気を切り裂く音も捉えられていただろう。なのに何故……どうして回避も反撃もしなかった」
言われて思い返せば、確かにそんな音を聞いたような気もする。
だがしかし――。
「えっと……気付かなかったから?」
「……なるほど。私は警戒に値する存在ではないという事か。どれほど殺意を抱こうと、敵意を持ち害意を発露させたとしても、全て無駄だと理解している。そう言うことか」
(どういうことだよ)
どこか悲しんだ様子のフラウに対し、正直俺は全く話についていけていなかった。
ただ――この場で答えに窮することはあってはならないと、直感が告げている。
「いや、そうじゃなくて本当に気付かなかったんだって」
「だからそれは……私程度ではキミを傷つけられないと思っているから――」
「違う、違うんだフラウ。……正直、フラウがなんでこんなことをして、今こんな話し合いになっているのか分からないけど、俺が言いたいのは――フラウが俺や、俺の大切な人たちに危害を加えるようなことはないって、そんな奴じゃないって信じてるってことだ」
必死の言葉に、しかしフラウは目を細める。
「どういう、ことだ……」
何故理解できないんだ。
「例えばほら、仲の良い家族が包丁片手にキッチンに立っていたとして、それが自分に向けられると警戒するか?」
「それは……しないが」
「なら、それと一緒だ。包丁を研ぐ音を聞いたとしても、それで自分が捌かれるかもしれないなんて考える者は居ない。それと同じだ」
「……っ、い、意味が分からない! それとこれとは話が違う! 第一キミの例え話は料理をする包丁で、私は人を殺すための双剣だ! 前提が違う!」
「何も違わない。俺にとってはフラウが双剣を引き抜こうと、空気を切り裂く音が聞こえようと、それが俺に向けられたものだとは認識しない。そもそもの前提として、フラウが誰かを殺そうとするなんて思考が、今の俺には存在しない」
「……っ、愚かだ!」
「事実、フラウは俺を攻撃しなかった」
「それは――っ」
揺れるフラウの瞳が俺を見つめる。
目が合うと、彼女は気まずそうに視線を逸らす。
(まぁ、実際のところ殺意を感じたらどうだったんだろうな)
彼女は殺意を抱いて攻撃したと言うが、結局のところ首に触れる直前で止めたのだからそんなものはまやかしだ。殺意は本当に殺す気概がないと生まれない。
もし彼女が首の皮を切り裂いたとしたら、その瞬間に回避したかもしれないが……結局何処までいっても仮定の話で、フラウは俺を害することは無かったというのが現実だ。
「……」
俺はフラウを見つめる。
果たして彼女は何を思っているのだろう。
どうしてこんなことをしたのだろう。
その想いをくみ取ってあげたいけれど、出会って日の浅い彼我の関係性ではどうしようもない。
だけど――それでも何だろうか。
一瞬だけ彼女が、幼い迷子のように見えた。
居場所を探して、見つからなくて、不安げで――。
「俺は、フラウが誰かを傷つけることはないと信頼している」
「そんなの馬鹿げている。創は私を何も知らない。私自身、私のことなど何も分からないのだからな」
「それでも、俺はフラウを信じる」
今日の昼間、彼女が霜月さんを助けてくれるまで疑っていたくせに――と自己嫌悪に陥りつつ、それでも今は心から彼女を信頼している。
「フラウが何を思ってこうしたのかは分からない。無理に聞こうとも思わない。ただ、話してもいいかなって思えたら、その時は……頼ってくれると嬉しい。何か悩みがあるなら、相談ぐらいは乗れると思うから」
淡々と告げると、彼女は複雑な表情を浮かべた。
自らの顔を手で覆い、どこか苛立った表情で俺を見つめる。
俺もその視線から逃げずに見つめ返す。
流しっぱなしになっていた深夜アニメのエンディングが流れ始め――先に折れたのはフラウだった。
彼女は深くため息を吐くと、双剣を鞘に納めて俺にジト目を飛ばす。
「つまり創は、私のことをキミの両親や霜月同様の存在として見ていると、そういうことか?」
「あぁ、そうだな。大切な友人だと思っている」
「……ふん、お人好しめ」
フラウは小さく鼻を鳴らすと、腕を組み――それから再度真剣な口調で語る。
「おそらく、それはキミの美点なのだろう。だが、一つ警告しておく」
「警告?」
「それは間違いなく創の美点で、ともすれば英雄的思考に近い物かもしれないが……決して人間として正常な感覚ではない。努々それを忘れるな」
「……」
「まぁ、私は嫌いではないがな」
フラウの言葉に俺は困惑。褒められたのかと思えば貶され、かと思えば嫌いではないと好印象。もう訳分からんよ。
「よく分からんが、まぁ警告という事なら受け取っておくよ。……でも、アレだな。そうしてわざわざ伝えてくれるなんて、結局のところフラウも十分お人好しってことじゃないか」
言うと、彼女はぽかんとした表情を浮かべた後、二、三度瞬き。
苦笑を浮かべて答える。
「……そうか。創がそう思うのならそれでいい。決して悪い気分ではない」
結局、彼女が何を思ってこのような行動を起こしたのかは分からないし、先程の言葉もよく分からないが、彼女の中では一つの答えが出たらしかった。
「そっか。ならそろそろ寝るぞ。流石に眠くなってきた」
あくびを噛み殺しながら伝えると、彼女は「分かった」と告げてソファーの横に敷いていた布団を持ち上げ、リビングを後にしようとする。
「あれ? 一緒に寝るんじゃなかったのか?」
「キミは……たった今、自分を殺そうとした者と並んで寝るというのか?」
「結局そのつもりはなかったんだろ?」
話の流れから、彼女が何かを『試そう』としていたのは分かった。
「それは……そうだが」
「なら何も問題ない。……あっ、もちろんフラウが嫌なら無理にとは言わないけどな。お互い年頃の男女だし、やっぱそう言うの気にするのは当然と言うか何と言うか」
あれ、何だろう。
フラウを心配して言っているだけなのに、これではまるで俺が一緒に寝たくて仕方がないみたいな雰囲気になっていないか? 言い訳すればするほど怪しくなる的なアレだ。
「……」
事実、フラウからは白い目が向けられており……。
「はぁ……分かった。創がそう言うなら従おう。ただし――襲うなよ?」
「襲ってきたのはフラウの方だろ?」
「なっ!? い、意味が違うだろうが! 意味が!」
意趣返しに揶揄ってみると、予想以上の食いつき。
ニヤニヤ笑って見せると、彼女も揶揄われたのに気付いたのか恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「そう言えば、一人で慰めろ的なことを言って寝に行ったのに、また戻ってくるなんて……意外とわざとだったりするんじゃないか?」
「ばっ、バカを言うな! 私はそんな変態ではない! 変態という意味では、先程私の胸に視線を飛ばしてきたキミの方がよほど変態じゃないのか!?」
「うぇ!?」
何でバレてるの!?
そ、そんなに分かりやすかったか!?
でも仕方がないじゃない。
こちとら年頃の男子高校生。
夜中に人外とはいえ巨乳の美人さんが「一緒に寝よう」とやってきて、意識するなという方が無理な話だ。
「ふっ、どちらが真の変態かはっきりしたようだな」
「ぐぬぬ……!」
一転攻勢。
笑みを浮かべるフラウから顔を逸らした俺は「いいから寝るぞ!」と言ってテレビを消すのが精一杯であった。
§
電気も消して真っ暗になったリビング。
ソファーの隣に布団を敷き直し、身体を横たえたフラウが徐に話しかけてきた。
「……本当に聞かなくていいのか?」
何を――と聞き返さなくても分かる。
先ほど俺を襲おうとした一件に関してだ。
何かを確かめている様子だったが、俺はそれに関して追求しなかった。
(落ち着いて考えれば……何となく理由は分かるし)
一瞬、迷子に見えた彼女。
それとフラウを取り巻く現状を思えば、何となく見えてくる
「さっきも言ったが俺からは聞かない。……けど、話してくれるならちゃんと聞く」
微かに息をのむ音が聞こえる。
数秒の沈黙が降りて――ゆっくりと彼女は語り出した。
「私は、本当に創を信じていいのか……それを判断したかった」
それは俺の想像通りの言葉だった。
彼女を凶行に走らせた理由――それは『不安』。
このタイミングで動いたという事は、彼女の不安を煽ったのはやはり、その存在が俺以外の第三者に露呈したということだろう。
普段通り冷静沈着で、何事に対しても寛容。まるで何でもないかのように過ごし、おじい様に相談すると俺が決断した時も、何も言わずにその意思を尊重して見せたフラウ。
だが――それが異常なのである。
そもそもフラウは記憶をなくした状態で、見知らぬ土地に居る。
右も左も分からない。さらに悪意ある第三者に自分の存在が露呈した場合、どんな目に合うのか想像もできない。
これで何かしら有用な情報――つまりは自分の身を守れる『何か』があれば話は別だが、彼女には何もない。
その不安はどれほどだっただろう。
俺など、スマホと財布を持たずに海外に放り出されただけで半べそかく自信があるぞ。
だというのに、フラウは気丈に振舞っていた。
俺と同い年にも関わらず。
ストレスには限界がある。
その許容量を超えると――精神状態はマイナスへと振り切れるのだ。
「試すような真似をして、悪いと思った。創は私を助けてくれるとも理解しているつもりだった。だが――怖いんだ。もし世界が敵に回りキミも敵になった時、私はどうなるのか。自分の生命が不安定な位置にあるというのは……とても怖いんだ」
(……それならあの試し方は間違いだらけだと思うがな)
攻撃することで、俺の反応を観察するつもりだったのだろうが、結局のところ回避しようが反撃しようが『常にフラウを警戒している』としか彼女からは見えない。
(期せずして唯一の正解を引いたか)
なんて考えつつ、ちらりとソファーから下を覗くと、微かに震えるフラウの姿が見えた。
俺は逡巡した後ソファーを降りて、彼女の隣に横になる。
「……襲うのか?」
「そんな訳ないだろ」
「だろうな。キミからすれば人外の肉体だ。欲情する道理もないか」
「それは違う! ……って言ったらそれはそれで問題発言になりそうだけど。まぁ、いいか。俺はただ、こんな風に目の前で震えてる人を見捨てるほど薄情な人間じゃないってだけだ」
「……」
「さっきも言っただろ。俺はフラウを信じてるし大切に思ってる。だから――絶対に何があっても、例え世界中のすべての人が敵になっても、俺は命を懸けてフラウを助ける」
その言葉にフラウは目を見開き……苦笑を漏らした。
「ふっ、くくっ……。そんなクサい台詞をよく恥ずかしげもなく口に出来るものだ」
「笑うのは酷くないか?」
「酷くないさ。それだけ、安心したという事なのだからな」
「そっちこそクサい台詞を口にしてるじゃん」
言うと、軽いパンチが飛んできた。
「うるさい、バカ」
そう語る彼女の口元には、確かな笑みが浮かんで見える。
どうやら安心したというのは本当のことらしい。
これを確認すると、俺はソファーに戻ろうとして――ぐいっと襟首を引っ張られて首が閉まり「ぐえっ」とカエルのような声を零した。
「何だよ」
「私と寝るのは嫌じゃないんだろう?」
「でも問題あるだろ。確か同い年だし、それにフラウには大切な人が居るんじゃないのか?」
彼女曰く、彼女の種族には愛する者と双剣の片方を交換する文化があるとか。そして彼女は『フラウ』の他に『グレイ』の名の双剣を手にしていた。
これが事実であれば、フラウは人妻という事になる。
しかし――。
「ふんっ、記憶にない奴のことは知らん。それに……別に今この場で私たちが交わる訳でもない。一緒に寝るだけなら、問題もないだろう?」
「そうか……そう、なのか?」
「そうだそうだ。難しいことは気にするな」
にこにこ笑顔のフラウに引っ張られ、俺は再度彼女の隣に寝転がる。
そしてもふもふの感触を腕に感じながら、ゆっくりと眠りに落ちるのだった。
「……まぁ、私は構わないのだがな」
意識を手放す直前、そんな声が聞こえた気がした。




