8 模範
頭に強い衝撃が走った。
痛い……けど、なぜかプニプニした食感の記憶が残っている。
「にゃーん」
「姉さん、ごめんなさい。昨日は飲み過ぎました」
「うーん、頭が痛いな……もう朝か」
散らかった酒瓶、おでこに肉球マークのついたエルフ。
俺のおでこも同じようになっているんだろうか。
そして、美しい正座姿勢でそれを見守る可愛いダークエルフ……なんだこのカオスな光景。
「にゃーん」
姉さんが、早くに亡くなった両親や、じいちゃん、ばあちゃんを引き合いに出しながら、こんこんと説教を始める。
──子供というのは、親のことを気づかないうちに見ている。
俺の優しさについても、従来の気質だけでなく、両親や祖父母からもらったものだろう。
草葉の陰から見ている彼らが、今のこの現状を見たらどう思うことか……私自身も恥ずかしい。
酒を飲むのはいいが、節度が大事であり、子供の前では模範となる姿を見せなければならない──
お説教は止まらない。当然、その余波はさくらさんにも及び、自然と二人そろって正座する羽目に。
「にゃーん」
「「申し訳ございませんでした」」
姉さんの前で土下座する大人二人を、モモが曇りなき眼で見つめている……恥ずかしい。
「そ、それじゃあ、ご飯にしようか」
「それがいいな!」
さくらさんが図々しく同意してくる。
あんた、朝飯も食う気か。
朝食には、茹でたじゃがいもに塩をかけて出す。モモは変わらず美味しそうに食べてくれる。
「味はいいが、質素だな」
このエルフ、文句だけはしっかり言うな。
神々しい美人から、図々しい隣人へクラスチェンジしてる。
まだ会って一日だよね?
「昨日は買い取りに出す余裕もなかったし、仕方ないでしょ」
「では、昼は期待している」
昼飯も食べるつもりなのか。
この人には、食パンだけ出してやろうかな。
「モモ、ご飯食べ終わったら水やりお願いできるか?」
「はい!」
うんうん、モモは今日も可愛いな。
食べ終わった後、さくらさんの分まで皿をキッチンに運んでくれた。
で、さくらさんは畳の上でゴロリと横になってる。
「畳ってやっぱよき」
なんだこのエルフ。
皿を洗い終わった頃、モモがホースを用意してくれる。
蛇口にセットして、もう手慣れた様子で扉を全開にして、外に引っ張り出す。
「水出すぞー」
「はい!」
水を撒くモモを、姉さんが優しく見守ってくれている。
大福は出てくる水を飲もうとして、モモにじゃれて邪魔をしていた。
ごろ寝エルフはそのやりとりをゴロ寝しながら眺めている。ゴロゴロ。
気を取り直して料理を開始する。
まずは昨日も作ったガーリックポテトを作って、買い取り箱に入れてみる。
見積もり金額は八百円。じゃがいも二個でこれなら、なかなかの値段じゃないか?
茹でたじゃがいもが二百円。バターをつけると三百円。なるほど、手間を考えればバター乗せるだけの方が楽か?
二十個のじゃがバターを買い取りに回す。これで六千円になるはず――
「ん? 五個以降が百五十円になってる」
「同じもんばかり出すと、値が下がるんじゃないか?」
横から、働かないエルフが口を出してくる。なるほど、そういうこともあるかもしれない。
どんな需要があるのかは知らんけど、考えて出せよってことね。
確かに、毎日じゃがバターが出てきても困るよな。
「さくらさんの旦那さんって、どんな人だったんですか?」
「どうした、突然」
「いや、暇そうだったので」
「暇というのは悪くない」
あんたからすればな。
「そうだな……いい男だったぞ。私も五人の子を産んだ」
「ほお、五人も。お子さんたちは今どうしてるんですか?」
「もう死んだよ」
「……なんか、すみません」
「いいんだ。戦争や事故で亡くなった者もいれば、天寿を全うした者もいる。私の寿命が特別長いだけさ。人間とのハーフである子供たちは、長くても人の二倍くらいしか生きられないからな」
この人、いったいどんな存在なんだよ。勿体ぶって教えてくれないし。
「私の夫の話だったな。名前は明人。この世界を一つにまとめた、大英雄だよ」
「俺とはえらい違いっすね」
「残念なことにな」
「少しくらいフォローしてくれてもいいじゃないですか。世界を一つにまとめたって、世界征服でもしたんですか?」
「そうだな」
ふぇ!? 魔王ポジですか?
「今でこそ四つの大国が均衡を保っているが、昔は小国が乱立し、戦いが絶えなかった。
明人は『どうせ血が流れるなら、一度で済ませる。業は自分が背負う。だからこの世界を平和にしたい』と言って立ち上がったんだよ」
俺とは違ってガチな異世界主人公じゃないか。
「明人は、生来“見たものを忘れない”記憶力を持っていたらしくてな。知識も豊富だった」
瞬間記憶能力ってやつか。ナチュラルにチート持ちかよ。
「それに加えて、膨大な魔力を持って召喚された。インプットだけでなくアウトプットも凄まじく、リーダーシップもあった」
「盛りすぎて、もはや反則っすね」
「そうだな。最終的には、私を含めて五人の嫁を娶って、大往生だった」
爆発しろ。あ、もう爆発済みだった。不謹慎発言すみません。
「明人は平和を望んで大戦を起こした。大義名分があったとはいえ、多くの人を死に至らしめ、自らも多く手にかけた。歴史書では英雄として語られる一方、大虐殺を行った王とも書かれている」
さくらさんの目が、どこか遠くを見ている。
世界戦争レベルの戦いなら、たくさんの命が失われたんだろう。
どんなにチートでも、戦争という暴力でしか道を開けなかったのなら。
責められるのも無理はない……でもその罪を理解した上で行動していたなら、俺はちょっと、尊敬してしまうかもしれない。
「それが、私の夫・明人だよ」
なんとなく聞いた話が、思ってた以上にヘビーだった。
「あはは……すごいまとめ方ですね。でも明人さんって、笑いながら人を殺す系でした?」
「違うね」
「なるほど。じゃあ、そんなに暇なら歴史書の編纂でもしたらどうです?
たとえ大量殺人者だったとしても、その理由とか、志とか……さくらさんが書き残せばいいじゃないですか」
「私は君の何倍も生きてるんだよ。もう人には期待しないし、人はどうせ忘れる。本を作っても、劣化し、消失する」
「そうですか。俺はちょっと、見てみたいと思ったので言ってみただけです。でも姉さんならこう言いますね。『できない理由を並べるのは簡単。どうすればできるか考えなさい』って」
さくらさんが、少し黙り込んだ。
「言ってることはわかるんだけどさ……正論パンチって感じだよね。できる人間のセリフというか。少しくらい逃げてもいいじゃんって、俺は思いますよ。ダメっすか?だって、たまには休まないと心がもたないっすよ。でも、いつかはさくらさんが作った歴史書を見てみたいな」
「にゃーん」
姉さん、いつの間にいたんですか。
「偉そうなこと言うようになった」そうですね、すみません。
でも、なんとなくさくらさんにも、色々あるんだなってわかった。
なんか、就職失敗して引きこもった子供を持つ母親のような母性が芽生えた気がする。
「急に視線が生温かくて、居心地が悪いな。……でも、本のこと。“永遠に残る記憶媒体”ってのも、ロマンはあるし。ちょっと考えてみる」