ミモザの届かない手紙
ミモザってね、春先に咲く黄色い小さな花で、“感謝”とか“思いやり”って花言葉がついてる。
でもぼくには、“言いそびれた優しさ”の匂いがする花だと思ってる。
ちゃんと伝えたつもりでも、届かない気持ちって、案外あるからね
工房「花逢」の窓際に、春の光が滲んでいた。
カーテンの隙間からそよ風が差し込み、天井近くに吊るされたドライフラワーがやわらかく揺れる。
月森千華は、作業台で花の検品をしていた。
白衣の袖をまくり、指先で花の茎を一本ずつ弾く。乾き具合、空気の通り、香りの抜け方。
彼女にとってそれは、まるで植物と呼吸を合わせるような静かな儀式だった。
扉の鈴が控えめに鳴き、千華は顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、くすんだピンクのコートを羽織った女性だった。
30代前半。姿勢はきちんとしているが、目元に長い疲れが残っていた。
手には、丁寧に包まれた細身の箱。
「……これ、妹から届いたものなんです。
見ていただけますか?」
包みの中には、淡く色を残したミモザのドライフラワーが入っていた。
よく乾いてはいたが、崩れはなく、花は静かに整っていた。
「数年前、私から妹に手紙と一緒にミモザを送ったんです。
そのときは、返事もなくて……
でも最近になって、妹の友人から“ミモザ、ありがとう”って、ぽつんと連絡が来て。
それだけで。でも数日後に、この花が届きました。妹から。
手紙も、言葉も、何もついていませんでした」
千華はそっと花を手に取り、掌の上で軽く転がした。
乾いた茎に残る指の跡。花首のわずかな潰れ。
それは、誰かが何度も触れた証。
「この花……しっかり乾いてるけど、何度も手に取られてた形跡があります。
押しつけた跡もなくて、優しく、でも確かに……“触れていた”感じ。
呼吸の温度も、少しだけ残ってる。きっと、夜とか……雨の日とか、抱えるようにしてたんじゃないかな」
真理恵は、はっと息をのんだ。
「……あの子、何も言ってくれなかったから……
私の気持ち、届いてなかったんだって、ずっと思ってました。
でも……そうか、読めなかっただけで、受け取ってくれてはいたんですね。
助けになってたのかも……」
千華は、そっと箱を閉じて真理恵に差し出した。
「たぶん、このドライフラワーは、“あなたの言葉にすぐ答えられなかった時間”そのものです。
それを、今になって返すというのは、“もう大丈夫”っていう、彼女なりの答えかもしれません」
「でも、手紙は……返ってきていません」
「うん。もしかしたら、“今はまだ言葉にはしたくない”って気持ちも、そこにあるのかもしれない。
だから、彼女はまず“香り”で返したんです。
言葉よりも、静かで、でもたしかな方法で」
真理恵は静かに目を伏せ、ミモザの包みを胸に抱いた。
「……私のほうが、急いでたのかもしれませんね。
ちゃんと受け取ってもらえてたなら……それだけで、もう十分な気がします」
⸻
その夜、千華は閉店後の工房で、小さなドライのミモザを摘み上げた。
先ほどの包みに残った、ひと欠片の花びら。
それを掌にのせ、そっとつぶやく。
「……誰かの気持ちを、ずっと持っててくれる花って、あるんだね。
枯れても、あたたかさが残るんだよ。
……ちゃんと、返ってくることもあるんだね」
ミモザの乾いた花びらが、ほそく揺れた。
それは、言えなかった言葉の、代わりの返事のようだった