表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/22

ユーカリと、忘れたままの約束

ユーカリって、葉っぱのくせに、香りが強いんだ。

空気を整えて、湿度や匂いをやわらげてくれる。

だからぼくはね、**“自分の気持ちをまだ言葉にできない人のそばに置くといい”**って、よくすすめるんだよ。


香りが、気持ちの整理を手伝ってくれることもあるんだ。


 その日、花逢にはめずらしく“葉”の束を持った女性が訪れた。

 淡いカーキのシャツに、薄いピンクの爪。やわらかな香水のにおい。

 だが、彼女の目元には、少しだけ曇った気配があった。




「この葉、なぜか捨てられなくて……何か分かりますか?」




 差し出されたのは、銀丸葉ユーカリ。

 色あせて乾きかけているが、まだほんのりと、薬草のような香りを保っていた。




 女性は名前を美智子みちこと言った。

 数年前、引っ越し祝いにもらったという束。

 ずっと部屋に飾っていたが、ある日ふと、「誰からもらったのか」が思い出せなくなっていた。




「忘れてもいいようなもの、なんですけど……

 捨てようとするたび、胸がぎゅっとなるんです。不思議ですよね」






 千華は黙ってユーカリの束を受け取り、香りを確かめる。

 湿度に敏感な葉だが、ここ最近でいちど水を吸った痕がある。

 どこかに差し戻して、もう一度誰かに“生かされた”形跡。




「……たぶんね、この葉、少し前に水につけ直されたんだと思う」

「え……?」




「誰かが、“思い出してほしかった”のかも。

 忘れられてたこと、気づかれてたんじゃないかな」






 女性はしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。




「……もしかして。

 あの時、“また遊びに来て”って言ったまま、約束を忘れてたかもしれない。

 その子、引っ越しちゃって、もう連絡も取れなくて……」




 ユーカリの香りがわずかに濃くなる。

 空気を整えるように、感情の凹凸を静かに均していく。






 帰り際、美智子はその束を受け取り、丁寧に紙で包んだ。

 その手つきは、誰かへの贈り物のようだった。




「なんだか……“忘れたままでいい”って、思えました。

 でも、ちゃんと“忘れたまま”ってことを、大切に持って帰ります」




 千華はうなずいた。

「忘れてしまうことも、心が整うひとつの形だからね」


 ⸻




 工房の棚に、もうひと束のユーカリが風に揺れていた。

 水も挿していないのに、香りだけはふわりと空間に残っている。




 千華は手帳の端に、ペンで記す。




「覚えていない記憶にも、届く香りってあるんだよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ