忘れられたクレマチス
クレマチスはね、自分で“支えるもの”を探して伸びていくんだ。
誰かが引っ張らなくても、ちゃんと、空の方へ向かっていける。
でも……もし、最初から支柱がなかったら?
秋の午後、風は少しだけ湿っていた。
月森千華は、ガラス越しに揺れるクレマチスの蔓に目をやっていた。
支柱のない鉢で、それでも蔓は、ぐにゃりと曲がりながら上を目指している。
「お前はえらいねぇ、誰も教えてないのに……」
ぽつりと声をかけたそのとき、花逢の扉が鳴った。
鈴の音は、いつもより重く響く。
「こんにちは、変わらず植物まみれだな」
声の主は、背の高い男。
黒のジャケットにくしゃっとした前髪。
探偵・笠井智也だった。
「変わってないってことは、悪くないってことだよ」
千華は相変わらずの調子で返した。
「ひとつ聞きたい。
クレマチスって、誰も手入れしなかったら、どうなる?」
「絡む場所がなかったら、地面に這うだけ。
でも……花は咲くよ。ちょっと遅れてでも」
笠井は、手に持っていた封筒から写真を一枚取り出した。
写っているのは、空き家の裏庭に置かれた、蔓の伸びきったクレマチスの鉢。
「失踪者の家にあったやつ。
手入れされてないのに、咲いてた。
気になって、来た」
千華は写真をじっと見つめ、そしてふと目を細めた。
「この花……風の向きが違う」
「は?」
「いや、蔓の巻き方。風の流れと光の取り込み、ふつう逆になるはずなのに……」
千華は棚の横から、自分のクレマチスの鉢を引き寄せた。
並べて、何かを確かめるように指先で蔓をなぞる。
「これ、屋内に移されたあとに育ってる。
きっとね、“誰かが連れ出した”あとに、まだ咲こうとしたんだよ」
「……つまり、失踪後に、どこか別の場所で生きてた可能性があるってことか?」
「うん。それも、ちゃんと光を探して。
ぼくは、そう見える」
笠井は無言で写真を見つめた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「やっぱ、お前の読み方は変わってる。……でも嫌いじゃない」
「花が教えてくれるんだよ。
君は足で証拠を探すけど、ぼくは空気の“余韻”を見てるだけ」
「真逆だな。……だから、わりと信用できるのかもな」
⸻
クレマチスの蔓が、夕方の光を受けて静かに揺れていた。
支柱がなくても、彼女は天を向いて伸びていく。
千華はその姿を見つめながら、そっと呟いた。
「……帰る場所なんて、最初からなかったのかもしれない。
でも、それでも咲けるってこと、証明してたのかもね」