地下室の夢
水槽脳夢世界
アンネローゼ・アイルホルンの幻想物語
地下室の夢
今に生きていないで欲しかったもの
「まって!ごめんなさい!!」
「うるさいですね。」
女は泣き叫ぶ少女を強引に引っ張りながら、無常に階段を下る。
「ごめんなさい!!ごめんなさい!!
おべんきょーいやだっていわないから!!
いいこにおべんきょーがんばるから!!!」
「言い聞かせただけで学習するとは思えませんね。
科学的にも効果は薄いんです。」
「いやだ!!いやだ!!
ねぇごめんなさい!!ごめんなさい!!」
階段を下りた先に、少女の叫び声のデシベル量とは対極的に、
沈黙を貫いていたドアがある。
女が開けた際に初めて、重い金属音を立てただけの、
冷酷に待ち受けていたドアの先は、殺風景だ。
もはや刑務所を連想させるまでに劣悪な部屋と、
泣き喚く少女がいる薄暗い廊下を繋ぐドアは、
階段の上の居住区域から差し込む光も相まって、不気味な雰囲気を醸し出す。
時代も空間も遠く隔てた、羅城門に人々が抱いていた感情は、
このような物だったのだろうか。
人々は昔から、得体のしれないモノに恐怖を抱いて来た。
これは生物の本能として正常で、正しい事である。
そして理解の及ぶものに対する恐怖は、
モノに対する恐怖よりは、幾分かマシだ。
ものに対しては対策を立てられるが、モノには立てようがない。
「『無知』程恐ろしいものはない」と、何処かの偉人が言っていたような気がするが、
これは私が自身を納得させるために作り上げた作り物語なのか、
教育者が私を洗脳するために作り上げた方便なのか。
いずれにせよ、作り物語としか思えない。
人々はモノを克服するために、ものという定規を当てて、
未知に対して対応してきた。
時にはモノをもので封じ、隔離し、無理矢理ものとする事で、克服してきた。
未知なモノに対する恐怖は、社会性を持った人間にとっては、
「モノ」そのものよりも恐ろしい。
社会性があるからこそ、我々は統率されなければいけない。
統率を崩す「混乱」は、まるでテトロドトキシンだ。
熱に強く、強力な神経毒。
人を殺すこともある。
致死量は1~2mg。
ミステリーで何故か人気の青酸カリ。
その致死量は200~300mg。
一部の地域の人々は、これを含む食材を、好んで食べるらしい。
わざわざ面倒をしてまで食べる意味は、理解不能。
そしてそれを発明した人間の思考回路もまた、私には理解不能。
私にとってあの地下室は、実質毒だった。
心の腐食毒でもあった。
そして、神経毒であった。
モノを克服するため、モノとの境界線として設置されたものは、
ものにも関わらず、時折それが封じ込めているモノと同等に恐怖の対象となる。
我々は、その向こうの恐怖を恐れているだけだ。
それを「ものに対する恐怖」と、誤解しているだけだ。
ただ、それには害はない。
それは確立されているのだ。
恐怖を思わず感じてしまうが、むしろ何よりも、我々の味方なのだ。




