3 幼馴染は元孤児である
リリーの幼馴染は、かつて孤児院に住む孤児の一人であった。
教会の隣にある、ステファン司教が管理する小さな孤児院。かくいうリリーもまた、七歳まではその孤児院に暮らしていた。
物心つく前からそこで育てられたリリーと違い、クリスはリリーが五歳くらいの頃にやって来た子供だった。
天使のように可愛らしい新入りを目にした瞬間のことは、今でも鮮明に思い出せる。
飾り気のない質素な服でもクリスの愛らしさは陰らず、周囲の少年たちにもとても人気があった。告白されることも絶えず、その度に嫌がって泣くクリスを、リリーはいつも慰めた。
『ぐすっ、なんでぇ。ぼ、ぼく、かわいくないもん……ひっく』
木の陰で蹲るクリスに、リリーはなんと返したのだったか。
クリスと出会って早々に仲良くなったリリーは、ほとんどの時間をクリスの隣で過ごすようになった。
それは就寝時も変わらず、クリスを壁際に、その隣のベッドがリリーの定位置。
クリスの様子に気づいたのも、そのお陰だろう。
『………っ、うぅ……』
小さな嗚咽に目を覚まし、初めてそれを見た時は、きっとうなされているのだと思った。
孤児院の、ある程度大きくなってから入ってきた子供たちには珍しくないことだ。『捨てられた』という意識がより強くあったり、辛い過去を持っていることが多いからだろう。
『クリス、おきろ、クリス』
『っ、りり……?』
すぐに目を開けたことにほっとしていたリリーは、へらりと笑ったクリスの言葉に、自分の考えが見当違いだったことを知った。
『ご、めんね。おこしちゃって。ね、ねてていいよ、り……リリー』
『え? でも、クリス……』
『だい、じょうぶだから。ぼくのことは、しんぱいしないで』
慌てたように目を擦りながら、不器用に笑いかけてくるクリス。
うなされていたのではなかった。何か悲しいことを思い出して、一人で泣いていたのだろう。
その理由をリリーに言う気はないことも、クリスの下手な誤魔化しで理解した。
大丈夫なわけない、とか、なんで笑うんだ、とか、当時のリリーが思ったことはたくさんあった。
けれど子供ながらに、それを今のクリスにぶつけるべきではないと思い、リリーは咄嗟に不満を飲み込んだ。
『……うん』
その代わり、頷いたリリーに安心していたクリスの頭を胸元に抱え込み、くぐもったクリスの奇声に知らぬ顔をして寝た。今思えば少し強引だったが、その時のリリーは怒っていたので仕方がない。
それからというもの、リリーはクリスの泣き声で目を覚ます度、無言でクリスを抱きしめて眠ることが続いた。
そんなある日のこと。七歳の頃、リリーは流行り病に感染した。
いつも一緒にいたクリスは、リリーが倒れた時もそばにいて、いつになく大きな悲鳴を上げていた。
体力の少ない子供がかかれば、生存は絶望的な重い病気だったと聞く。高熱でぼんやりしていて、その間の記憶はほとんどない。
リリーがはっきりと目を覚ました時のクリスは、凄まじい取り乱しようだった。泣いて泣いて酷い顔になっていて、鼻水も出て、綺麗な髪も乱れていた。それでもクリスは可愛かったので、少し感心したことを覚えている。
自分が生死の境を彷徨っていたことを自覚し、自分が生きていることへの疑問も放って、リリーはクリスを心配した。倒れた時のクリスの悲鳴が、リリーの耳にこびりついていたのだ。
『起きていちばんに言うことじゃないよね!?』
泣きながら怒った後、良かった、と呟いたクリスは、ぐちゃぐちゃの顔のまま、ふにゃりと花のように笑って。そのままへなへなと座り込んだと思うと、糸が切れたように気絶してしまった。
今度はリリーが悲鳴を上げる番だったが、死にかけてからの病み上がりだ。そこまで声量はなかっただろう。
聞けば、クリスは泣いて暴れてリリーから離れたがらず、三日三晩リリーの傍らで看病していたという。推定七歳のクリスは同年代の中でも華奢な方で、暴れたといっても大した力ではなかったはずだが、今にも死にそうな様子が気の毒で根負けしたらしい。
できる限りの感染対策はしたとはいえ、クリスも失うことを大人たちは覚悟していたようだ。
ステファン司教ならば治すことができるが、いくら可愛がっていてもただの孤児たちに彼が手を回す余裕はない。
田舎の子爵家の領地で、司教は唯一流行り病の治療が可能な人間だったのだ。
司教は聖魔法と呼ばれる癒しの魔法の使い手である。『聖女』の力ほど希少ではないが、病を治せるほどになるにはかなりの修練を要するものだった。
すでに六十を迎えて身体も衰えているのに、治療を懇願する人々の間を駆け回って。おまけに領主の奥方、つまり子爵夫人も病にかかってしまい、司教はそれにほぼ付きっきりになった。
孤児院の子供の命は、誰もが諦めていただろう。
しかし結果としてクリスは無事で、リリーも病からわずか数日で生還した。
『良かった。良かった』
病の流行も収まり、孤児院で久しぶりに会った司教はリリーを抱きしめて、そう何度も繰り返していた。
司教が泣いているのを見たのは、後にも先にもこの日だけだ。
リリーのいた孤児院で、流行り病で亡くなった子供はいなかった。
しばらくして、リリーの元を一人の見知らぬ青年が訪ねてくる。
リリーと同じ明るいピンクベージュの髪を見るのは初めてで、リリーはその人が孤児院にやって来た意味を、ほぼ確信に近い形で予感していた。
『やあ、こんにちは。君がリリーかい? ああ……なんて可愛らしい子だろう』
そう言って目を潤ませる青年は、隣国のリーンベル王国から来たクラーク男爵だという。身なりの良さから貴族か裕福な商人だろうとは思っていたが、当主にしてはずいぶん若く見えた。
その後すぐに、リリーは彼の養い子として、隣国に引き取られることになった。
三日の準備期間を設けられて、リリーは兄弟のように過ごした孤児院の子供たちと別れを惜しんだ。孤児のリリーが持って行くものなど大してなかったので、きっとリリーの心の準備期間だったのだろう。
年上の兄弟たちからは祝いや励ましの言葉を、年下の兄弟たちからは悲しみや感謝の言葉をもらい、リリーは温かい気持ちになったものだ。
しかし、泣いてしまうだろうか、と心配していたクリスからは、「よかったね、リリー」の一言だけだった。
そうして、リリーが孤児院で過ごす最後の夜。
お別れ会でいつもより豪華な食事にはしゃぎ、ほとんどの子供たちは疲れてすでに眠っていた。
寂しさと不安、そしてしっかり話すことができなかったクリスへの心残りを感じていたリリーもまた、そろそろ寝ようかと考えた時だった。
『リリー』
『……クリス?』
名前を呼ばれて振り向くと、バルコニーに佇むクリスがいた。淡い月光を背にしたクリスの表情は窺えないが、どことなく硬い声音だったのを覚えている。
『明日なのに、ごめんね。……リリーと少し、話したくて』
クリスと話したかったのはリリーも同じ。当然、リリーは喜んで応じた。
バルコニーで一枚のシーツに包まり、ぽつぽつと他愛ない会話を交わして。
ふと言葉に詰まった後、クリスが言った。
『あのね……ぼく、転生者なんだ』




