2 幼馴染は『聖女』である
リリーの幼馴染は、純真でとても優しい性格だ。
普段は気弱で臆病なところが目立つが、助けるべき者を目の前にした時は、決して逃げることなく向き合おうとする。
血を見るのは苦手なのだろう。青ざめながらも弱音を吐いたり顔を背けたりせず、その希少な癒しの力を惜しげもなく使うクリスは、名実ともに『聖女』だった。
「司教さま、クリスは」
クリスの部屋の前で待っていたリリーは、扉から姿を見せたステファン司教に急いで問いかける。
『聖女』を一般的な治癒師や位の低い聖職者には見せられない、ということで、この教会で『聖女』に準じる地位にある司教が診察に来ていたのだ。
司教はリリーと目が合うと、優しく笑って言う。
「ああ、うん、そうだねぇ。ちょっと寝不足だったようだけど、体調は良好だよ」
「……それなら良かったです」
司教にはリリーもよく世話になっていて、人としても信頼できる好々爺である。リリーは安堵して、ほっと小さく息を吐いた。
「疲れが溜まっていたのでしょうか」
「んんー、まあ、そうみたいだね」
「最近は急患も少ないですし、会った時は元気そうだったので、油断していました」
「うん……そうだろうねぇ」
「……司教さま。先程からなんだか歯切れが悪いようですが」
いつも通りに見えた司教の優しげな笑顔は、どことなく、なんともいえない雰囲気が漂っている。
「まさか、クリスに何か悪いところが? 『聖女』は病気にはならないはずですが」
『聖女』は神の加護故か、基本的に病気にはかからない。とはいえ体調を崩さないわけではなく、それ故にリリーは疲労を疑っていたのだが。
すると、司教は慌てたように手を振った。
「いやいや、何も悪いことはないよ。あえて言うなら精神的な疲労かな。でも少し休めば落ち着くはずだから、あまり気にしないであげてね」
「そうですか……。わかりました」
気にしないであげて、という口振りが少し引っかかったものの、司教の言うことには素直に頷く。
少し休めばいいのなら、わざわざ心配しすぎるのも鬱陶しいだろう。
そう納得したが、まだ少し心配が顔に出ていたのだろうか。司教はリリーを見て困ったような、どこか生温い微笑みを浮かべていた。
***
次の日、元気になったらしいクリスと、庭園のベンチに隣り合って腰を下ろす。
「もう平気なのか?」
「う、うん……昨日はほんとに、いろいろごめん……」
顔を覆って項垂れるクリスに、「気にしなくていい」と声をかけ、リリーは話を切り出した。
「昨日の話について、続きを聞きたい」
「も、もちろん! えっと、どこまで話したんだっけ?」
ぱっと顔を上げ、気持ちを切り替えたらしいクリスに答える。
「乙女ゲームとは何か、だ」
「あ、そうそう。えーとね、選択肢で結末が変わる物語、ってわかる?」
「選択肢……?」
「行動とか、言葉とか……。あ、ほら、物語の中で、例えば猫が目の前を通り過ぎたとするでしょ。そしたらリリーはどうする?」
クリスの言葉に、その場面を想像してみた。
ただ猫が通り過ぎただけなら、リリーは特に何もしないだろう。
「気にしない、と思う。怪我でもしていたなら、追うかもしれないけれど……」
「それ、そういうの! 猫が通り過ぎた時に、追いかけるとか、声をかけるとか、何もしないとか。普通は選択肢なんて見えないけど、乙女ゲームだと、大事なところでそういう選択肢が出るの。それぞれ別のストーリーが用意されてて、選択肢を選んで物語を進めなくちゃいけないっていうか、そんな感じで」
リリーは頷いた。たしかに、行動によっては物語の展開は大きく変わるだろう。
一つの物語にいくつもの分岐が用意されているとは、斬新だが面白い。
「わかりやすい例えだ。けれど猫を追いかけたところで、何か変わることはなさそうだな」
「ううん、えっと……些細な行動で未来が変わることはあると思う。猫を追いかけた先に、それ以外の選択肢の先では会えない人がいる、とか」
「なるほど……」
これからは猫を見かけたら追いかけてみようか、リリーは少しだけ考えた。しかし、興味本位で追いかけるのは猫が気の毒なのでやめておく。
「大体の仕組みはわかった。それで、恋愛シミュレーション、だったな」
「うん、好感度っていうシステムがあって、選択肢によって上がったり下がったりするのが定番かな。それと乙女ゲームは、何人か『攻略対象』がいるんだ」
「……戦争でもするのか?」
「ち、違うから!」
殺伐とした遊戯なのかと思ったが、クリスにすぐさま否定された。
「……普通の恋愛物語は、主人公が好きな相手って一人でしょ?」
「まあ、そういう趣旨でなければ、基本そうだろうな」
リリーはあまり恋愛小説は読まないので、詳しいことはわかりかねる。
「ゴホン。乙女ゲームは、説明した通りいろんな選択肢があるんだ。………恋愛する相手の選択も」
「……まさかとは思うが、複数人いる『攻略対象』とは」
「そういうことです……」
正直、この国の常識的にはあり得ない話だった。クリスもそれは当然わかっているのだろう、気まずそうに首肯する。
「何故『攻略』なんだ? 恋愛相手を攻め落とす必要はないだろう」
「比喩表現……かな? ほら、相手のことを分析して上手く関係を進める、みたいな。好きなエンドを迎えることを勝利に例えてるのかも……。あんまり疑問に思ってなかったけど、ちょっと不思議な呼称だよね」
「ふむ」
リリーはクリスの話を頭の中で整理した。
「つまり乙女ゲームとは、自分が主人公の立場となって、複数の『攻略対象』から一人選び、様々な選択肢を選んで物語を進め、理想の結末を目指すと。そういった理解でいいだろうか」
「主人公を自分とするか、主人公というキャラクターの恋愛を楽しむかは、人によるけど……」
やんわりと訂正を入れつつ、クリスはふわりと微笑んだ。『聖女』の名に恥じないどころか、むしろ名前が負けていると感じるほど、クリスの笑顔は可憐で愛らしい。
「ひとまず、その考え方でいいよ。リリーからしたらわけのわからない話なのに、ちゃんと聴いてくれてありがとう」
「クリスが説明してくれるのだから、わけのわからない話じゃないだろう」
「……うん」
今度のクリスの笑顔は、泣き出しそうにも見える。それでもとても嬉しそうだったので、リリーは何も言わずに微笑み返した。
さすがのクリスも、普段から赤面してぶっ倒れることはありません。
いろいろと衝撃的な記憶を一気に思い出したばかりでいっぱいいっぱいだったので、いつものようになんとか受け流すことができなかったのが敗因です。




