12 幼馴染は決意する
リリーの幼馴染のその言葉には、緊張や怯えもあったけれど、たしかな決意の響きがあった。
どうやらクリスは本当に腹を括ったらしい。ここまで来たらもう戻れない、という以上に、その心の内にはきっと、迷子だと思っていた幼い少女のことがあるのだろう。
リリーも同じ気持ちではあれど、クリスは彼女の顔も知らないはずなのに。
改めてクリスが語った話によれば、今の状況は恐らく『聖霊のアマルティア』のプロローグ、つまり物語の導入に当たるとのことだ。
『ゲーム』ではクリスのみが攫われているらしいし、恐らくだが経緯も多少違うはず。いきなり暗闇の中で目を覚ますところから始まるようで、詳しくはわからないが。
しかし、『悪い呪い師』によるものというのは、どちらも共通してるだろう。
「では、あの黒い靄は呪いだったのか」
「うん、多分。ゲームでも黒い靄の演出が多かったから」
「ふむ。クリスもわたしも、それに触れたせいで眠らせられたんだな」
リリーがクリスを庇った行為はわずかな時間差を生んだだけで、大して意味はなかったようだ。
今後のためにも、この経験は忘れないようにしよう。リリーは脳内で呪いについての追加情報を書き連ねた。
「……『祝福の聖女』は呪いが効きづらい、ってゲームでは言ってた。だからぼくは途中で目覚められたんだと思うけど、一時的にでも眠らせられたってことは、かなり強力な呪いだったんだと思う」
声を落としたクリスの言葉に、リリーは眉を下げる。
咄嗟に庇ったことは決して後悔していないが、こうしてクリスの心の傷になっているのを思うと、もう少しやりようがあっただろうか、と思わずにはいられない。
「心配を、かけただろう」
「………」
「ごめん、クリス」
「……ね、眠らせるだけじゃ、なくて」
「うん」
「意識を、乗っ取るとか、せ、洗脳……とか……っ。そ、そういうのだったら、もし、リリーが目を覚まさなかったら、って、り、リリーがっ、」
「クリス、」
悲痛な声に、リリーは大丈夫だ、と声を上げそうになった。
けれど、リリーが無事だったのは結果論で、クリスの抱いた不安を否定することはできないのだ。少なくとも、クリスが不安と恐怖に泣いていた間、ただ眠っていたリリーには。
その時の感情が甦ってきたのか、クリスの声は徐々に湿り気を帯びて、ついには喉を引き攣らせるような嗚咽と、鼻を啜る小さな音しか聞こえなくなった。
「……クリス」
両手に力を込めると、クリスも弱々しく握り返してくる。縋るような指先に、リリーの胸が痛んだ。
リリーは上半身を少し前に倒して、こつりと額同士をくっつける。かすかな震えも伝わるような体勢だ。
「ごめん。わたしは、護衛失格だな」
「ぐすっ、ちが……り、リリーは、しっかく、なんかじゃ……」
「……知ってるか、クリス。聖騎士は、人々の信仰を守るためにいるんだ」
急に何を言い出したのかわからないのだろう、クリスが困惑したように沈黙する。
「もちろん物理的にも守るけれど、それは、肉体の損傷は精神の損傷に繋がるからだ。……結果的にやっていることは騎士と大差ないとしても、聖騎士の在り方は騎士とは違う」
クリスの涙はまだ止まっていなそうだが、リリーの話に耳を傾けているのを感じた。
「その在り方は、『聖女』を守る役目を賜った時、より顕著になる。……当たり前だ。かつて、聖騎士は聖女のためにいた。聖女の、清く美しい心を、優しく柔らかい祈りを、何者にも穢されず、何者にも傷つけられぬよう、そばで守るためにいた」
リリーは、その声に自責の色が混じらないように、これ以上クリスを傷つけないように、努めて優しい声を出して話す。
「クリス。教会は、『聖女』の何に価値を見出しているのだと思う?」
「……せ、聖女の、祈りの力……?」
「それも、間違ってはいない。けれど、聖女の力がもたらすのは『治癒』や『浄化』……いわば、聖魔法で再現可能なんだ。『聖女』を、教皇聖下に次ぐ地位にまで押し上げるのには少し弱い」
辿々しいクリスの返事に、リリーはわずかに笑みを深めた。
「さっき言っただろう? 聖騎士が守るものを」
「……こころ……?」
「そうだ。清らかな心を持つ『聖女』が、真摯な祈りを捧げることで行使される癒しの力。教会はその過程に、それを赦された『聖女』の心に、神秘性を見出したんだ」
クリスはそれを知らなかったのだろう。その力がもたらす結果ではなく過程を重視しているなんて、ほとんどの人は思ってもいない。
リリーはクリスが『聖女』になったことをきっかけに、暇さえあれば『聖女』についての文献を読んでいたからこそ知っていた。しかし、聖魔法の存在を考えれば、自ずと行き着くことはできる。
「だから……わたしは、護衛以前に、聖騎士としても失格だった。何よりも、クリスの心を守らなければいけないのに」
「それは、ぼくが、弱いから……」
「いいや、傷つきやすいのと、弱いのは違う。むしろ、クリスはとても強い」
クリスはこれまで、数え切れないほどの悲しみ、苦しみを味わってきたはずだ。人よりも柔い心を、何度砕いて、切り裂いて、すり減らしてきたのだろう。
だからクリスは人の痛みに敏感で、その度に同じ痛みを受けながらも、変わらずずっと優しいのだ。
リリーはせめて、そんなクリスを、心だけでも守るべきだったのに。
「でも、でも、……それならやっぱり、リリーは失格なんかじゃないよ」
懺悔のように目を閉じたリリーにかけられたのは、そんなクリスの言葉だった。
「リリーはいつも、ぼくの心を守ってくれてるよ。ずっと、出会った時から、ぼくはリリーに何度も守ってもらってる。今だってそう」
「クリス……?」
「ぼくが今苦しいのは、リリーのせいじゃない。ただ、自分が、情けなくて……」
そう呟いたクリスの手は震えていた。
そこで、リリーは気づく。いつもクリスにやめるよう言っていたことを、自分がやってしまっていたのだと。
謝罪や懺悔なんかよりももっと先に、言うべきことがあったのだ。
「クリス」
「?」
「ありがとう。クリスが呼んでくれたお陰で、目覚められた」
すると、クリスは驚いたように息を呑んで、数秒後。
「……うん」
小さな声で、ほんの少し照れくさそうに答えた。




