11 幼馴染は嗚咽する
リリーの幼馴染が泣いている声が聞こえて、暗闇の中を漂っていたリリーの意識が少しだけ浮上した。
沈黙を震わせるような、かすかな嗚咽はまだ続いている。ああ、また一人で泣いているのだ。そんなに息を詰めてしまっては、きっと苦しいだろうに。
そうだ、あの子が泣いているときは、リリーが抱きしめなくては。
そう思った時、リリーはふっと目が覚めた。
「リリー……っ!」
「……クリス」
すぐ目の前から涙に濡れた声が聞こえる。暗くてよく見えないが、横たわったリリーをクリスが覗き込んでいるらしい。
リリーはぼんやりしたまま、ゆっくりとクリスの頬らしきところに手を伸ばした。
「クリス、泣いているのか」
「……っ! ……っふ、うぅ、り、りりぃ、起きて、良かっ……ぅ、ひぐっ……!」
手探りで、クリスを傷つけないよう気をつけながら、その濡れた頬を拭う。
次から次に溢れ出てくる涙で、もはやいくら拭おうと無駄だったが、それでもリリーは手を動かすのをやめなかった。
「どうしたんだ、クリス。どこか痛いのか。それとも、何か辛いことがあったのか」
「っ、ちが、ぼ、ぼくじゃなくてっ、り、リリーがっ……」
「……わたし?」
リリーはぱち、と目を瞬かせる。その瞬間、リリーの脳裏に意識を失う直前の光景が甦った。
ハッとして飛び起きたリリーに、クリスが「わぁ!?」と声を上げて仰け反る。
「クリス、怪我は!?」
そう詰め寄るリリーの勢いに驚いたのか、クリスがぽかんと口を開けたのがわかった。
「……だ、大丈夫、だけど……リリー」
呆けたまま答えたクリスが、何故かほんの少し笑みを含んだような声でリリーを呼ぶ。
表情はほとんど見えないが、多分、あのふにゃりとした泣き笑いを浮かべてるのだろう、と感じた。
「……リリーってば、すぐ、ぼくのことばっかり心配するんだから。こんな目に遭ったのに、気づいて一番に訊くことじゃないよね?」
「そう、だろうか」
「そうだよ、もう」
涙は止まったのか、クリスの声は少しいつもの調子を取り戻していた。文句を言っているようで、温かな声色だ。
それにしても、なんだか、以前にも似たようなことを言われた気がする。いつのことだっただろうか。
「……顔が、見たいな」
ふと、そう思った。
「あ、たしかに。喋ってないと、どこにいるかわからなくなっちゃいそうだよね……」
リリーほど夜目が利かず、気配にも疎いクリスは不安げに言う。
クリスの気配であれば絶対に見失わない自信があるリリーは、あえて訂正もせずに微笑んだ。
「クリス、手を出してくれ」
「え? ……こう?」
「ああ、そうだ。ほら」
片手で良かったのだが、クリスが戸惑いながら両手を出したので、リリーも両手でその手を取る。ぴくりと小さく震えたクリスの手を、リリーは柔らかく握った。
「こうすれば、どこにいるかわかるだろう」
「そっ、そうだけど……あの……」
「まだ不安か? ならもっとくっついて」
「ここここれでお願いします!」
食い気味に答えたクリスは、きっと真っ赤になっているのだろう。
顔が見えないのをいいことに、リリーはこっそり笑いを噛み殺した。
己の幼馴染が恥ずかしがり屋で、特にスキンシップの類に抵抗があることなど百も承知。つまりは完全に確信犯である。
「……リリー、もしかして、ちょっと笑ってない?」
声も震えも出さなかったはずだが、何かを察したらしいクリスがじっとりと言った。
確信犯ではあったが、動機はクリスの不安を紛らわそうという善意である。ただ、顔が見えなくてもわかりやすすぎる幼馴染に、ついおかしくなってしまったのだ。
「……いや、クリスがどんな顔をしているか、目に浮か……想像していただけだ」
「今、絶対、目に浮かぶって言った……!」
誤魔化せないようなので、リリーは素直に白旗を上げて謝ることにした。
「ごめん、悪気はなかったんだ。馬鹿にしたわけじゃないから、許してほしい」
「……むぅ……」
微妙に納得してなさそうに黙り込んだクリスに苦笑し、気を取り直すように、クリスの両手を少し持ち上げる。
「それより、ここはどこだろうか? 何か、黒い靄のようなものに触れたとこから、記憶がないのだけれど……」
そう問いかけると、クリスはハッとしたように身体を強張らせた。
「あっ、そ、そうだった! ええと、リリー、身体に何か異変はない?」
「特に……違和感は、ないと思う。強いて言うなら、少し背中が痛いくらいか」
地面は少しざらついた木のような感触で、もちろん硬い。こんなところに転がっていたのだから、背中くらい痛くて当然だろう。
「じゃあ、記憶は? 思い出せないこととか、ない?」
「思い出せないことは、あってもわからないんじゃないか」
そんな風に返しながらも、一応一通りのことを思い返してみて……一昨日の朝食の内容まで遡ったところで、リリーは思考を止める。
「……多分だけれど、なんともない。クリスが助けてくれたのか?」
「えっ。……な、なんで?」
「違うのか? あの黒い靄は……なんというか、すごく嫌な感じがした。あれの力が、ただ眠らせるだけのものとは思えなかったし、そうじゃなきゃ、クリスもそんな質問はしないだろう?」
根拠を並べながら、リリーは何かを隠している様子のクリスに、内心で首を傾げていた。
迷っているのか、わずかに沈黙が続いた後、クリスは観念したかのように口を開く。
「……うん。そうなんだと、思う。『ゲーム』ではぼくだけだったから、なんにもダメージはなさそうに見えたけど、多分、聖女……いや、『祝福の聖女』じゃないリリーは、そうじゃなかったんだ」
その声が思い詰めるようなものになっていくことに気づいて、リリーは両手に力を込めた。
「クリス、お願いだから、謝ってくれるな。何が起こっているのかはわからないが、わたしは今、こうして無事でいる。……クリスの手を煩わせておいて言うことじゃないかもしれないが、」
「わ、煩わされた、なんて、ぼくは思ってない!」
珍しく、リリーの言葉を遮って声を荒げたクリスに、リリーは一瞬目を丸くして……そして、ふわりと表情を緩めた。
「……わたしも、同じように思っている。クリス」
「あ……」
「教えてくれ、クリス。あの男は何者だ? わたしたちは何をされて、今、どこにいる?」
真剣に、けれど柔らかく問いかける。
そういえば、とリリーは思った。こうして両手を取って向き合っていると、クリスが「自分は乙女ゲームのヒロインかもしれない」と言い出した時のことを思い出す。
あの時は、『乙女ゲーム』が何かもわからず、慌てるクリスを宥めて一から説明してもらったのだった。たった数日前だというのに、ずいぶん前のことのように感じる。
やがて、声を詰まらせていたクリスが、細い息を吐きながら話し出した。
「……リリーは、薄々気がついてるかもしれないけど、あれは、呪い師だと思う。聖国の敵。『悪い呪い師』だ」
一呼吸置いて、幼馴染は何かを堪えるように、覚悟を決めるように、ぐっとリリーの手を握り返す。
「――『ゲーム』が始まったんだよ、リリー」




