10.5 ✕✕✕の幼馴染
✕✕✕には、長い付き合いの幼馴染がいる。
どれくらい長いかというと、それこそ生まれて間もない時から今に至るまで、ずっと。お隣同士、家族ぐるみの付き合いである。
そんな幼馴染は、黙っていたらお人形と間違えられてしまいそうな美少女だ。
毛先が少し内巻きの、柔らかそうなサラサラの髪。ビー玉のように透き通った、静かで温かい眼差し。陶器みたいに白くてきめ細かい肌も、時折香る花のような甘い匂いも、いいところを挙げ続けたらキリがないのである。
「おはよう、✕✕✕」
朝、支度を終えて家を出ると、丁度登校するらしい幼馴染がいた。✕✕✕と目が合うと、茫洋としていた表情がふわりと緩み、澄んだ声が温かく耳を打つ。
「……どうした? 行かないのか?」
思わず惚けてしまった✕✕✕は、少し心配そうになった幼馴染の声にハッとして、慌てて彼女の隣に並んだ。
歩きながら、ちらりと幼馴染の横顔を盗み見る。
顎より少し下の辺りでボブヘアがふわふわと揺れていて、とても可愛い。
幼馴染の欲目を抜きにしても、やっぱり彼女は✕✕✕が知る中でも一等、可愛くて綺麗な子だと思う。
とは言っても。
幼馴染の欲目はともかく、惚れた欲目が入っていないかは、正直あまり自信がなかった。
そうして、悶々と思考を巡らせながら歩いていたら、いつの間にか学校に着いてしまったらしい。
「じゃあ、また後で」
「あ……うん」
✕✕✕の教室の前で、そう言って幼馴染は小さく手を振った。
高校に上がって、✕✕✕は幼馴染とクラスが離れてしまったのだ。それを少し寂しく思いつつ手を振り返して、教室の中に入る。
「はよ、✕✕✕!」
「お、おはよう」
クラスメイトに声をかけられて、若干ビクつきながら挨拶を返すと、数人がにやにやと笑いながら近づいてきた。嫌な予感。
「今日もあの子と登校してたじゃん」
「付き合ってないの? ガチで?」
「付きっ………な、ないってば。幼馴染だし、家が隣だから」
頬が赤くなりかけたのを誤魔化しつつ、何度目かの否定の返事をする。
いい加減、同じことを聞くのはやめてほしい。「あんなに可愛いのに好きになんないの?」なんて言われても、全然とっくの昔に好きだし、なのにろくに想いを伝えることもできずにずるずると『ただの幼馴染』を続けている身としては、その事実を自分で口にする度に心に刺さるのだから。
なんだか最近、たまに一部のクラスメイトの視線が生温いので、✕✕✕は戦々恐々としている。
「いいよな〜幼馴染。俺もあんな可愛い幼馴染がほしかったわ」
わかるわかると声が上がり、そのうちに理想の幼馴染の話が始まった。男子高校生の会話が虚しすぎる。
すでに幼馴染ガチャで大優勝している✕✕✕は参加しないでいたが、途中冗談混じりに「お前の幼馴染と交換してくれよー」などと言われて、思わず少しむっとした。
「……あげないし……」
そう、口の中だけで呟く。
はっきり声に出せる度胸はない。というかそもそも、彼女は幼馴染というだけで、✕✕✕のものでもなんでもないのに。
こっそり自己嫌悪していると、話題はまた✕✕✕の幼馴染のことに戻っていた。
「マジであの子可愛いよな。この前廊下ですれ違う時に顔見たけど、ほんとにメイクしてないの?」
「あれすっぴんはエグくね。実際どうなんよ? 幼馴染さん」
好奇心が全面に出た目を向けられて、全くもって答えたくはなかったが、視線の圧に耐えかねて渋々口を開く。
「……聞いたことないけど、メイクはしてないと思う。メイク道具とか持ってるの、見たことない、し……」
「はー、マジなんだ。可愛い女子ってみんなメイクしてんだと思ってたわ」
自分の姉に聞かれたらぶっ飛ばされそうだな、と✕✕✕は思った。
「あれだけの顔だともうメイクとかいらないんじゃね。めっちゃ清楚系じゃん」
「あ、わかる。けっこー大人しそうな感じだし。同じクラスの奴に聞いたんだけどさ、普段あんま喋んないから高嶺の花扱いらしいよ」
「やば、うける」
「いやでもわかるわ。ちょっと話しかけづらい感じしない?」
如何にくだらない、中身のない会話だとしても、自分の気になる幼馴染の話となるとつい耳を傾けてしまう。
だんまりの✕✕✕の存在は忘れられたのか、クラスメイトはもう水を向けてくることもなく好き勝手に話していた。
「肌とかめっちゃ白いし、なんか……儚い? っていうの?」
「え、何。難しい言葉知ってんじゃん」
「馬鹿にしすぎだろ。え、でもわかるよな?」
「や、まあ、わかる」
その会話を聞いて、✕✕✕は途端に面白くない気持ちになった。
✕✕✕だって、自分の幼馴染はものすごく可愛いと思う。もう見慣れた顔であるはずなのに、ふとした瞬間に嘘みたいに可愛いので、一人で勝手にときめいて挙動不審になってしまうくらいだ。
けれど、クラスメイトが言う『儚い』というのは、彼女の魅力として、全然的を射てないと思った。
だって、それは。
いつも少し伏せ気味の瞼とか。折れそうなほどに細い手足とか。時々悪い顔色とか。
きっと、そういうものを指している。
「………」
早く、この話が終わればいい。
***
「あ……」
小さなベッドの上で、少女のような格好をした幼い少年は目を覚ました。
少年は、生まれた日から欠かさず毎日、どこかの誰かの夢を見る。
夢の中の日付は度々飛んでいて、夢の中の誰かは少年の何倍もの速度で大きくなっていった。
人生をダイジェストで見ているようだ、なんて。この例えも、夢の中で知った言葉である。
どこかの誰か――とは言っても、恐らく少年自身である、ということも最近わかってきた。
夢を見る度に、ぼんやりとしていた思考を取り戻していくような感覚がする。つまり夢の中の言葉を借りれば、夢の視点主は少年の『前世』というやつだろう。
昨日の夢は高校の入学式だったが、今日の夢はずいぶん進んでいた。少し慣れた様子だったから、五月くらいだろうか。
「……くらす、はなれちゃったんだ……」
硬い枕を抱えて少し残念そうに呟く少年は、夢の中でだけ会える『幼馴染』に、すっかり心を奪われてしまっていた。
今日も可愛かったな、と少年は目を瞑り、夢で見た『幼馴染』の姿を思い描く。
それがどれだけ不毛なことか、わかっていたつもりだった。ただ、夢で会える喜びを噛みしめていようと思っていた。
それでも、いや、その考えこそが。本当は、わかってなんかいなかったのだろう。