1 可愛らしい幼馴染
リリー・クラークには、クリスという名のとても可愛らしい幼馴染がいる。
綿雲のようにふわふわ揺れる淡い金の髪、長い睫毛に縁取られた大きなヘーゼルの瞳、ほんのりと薔薇色に染まった頬。どれを取っても愛らしい、リリーの自慢の幼馴染だ。
そんなクリスには、いくつかの秘密がある。
「リリー! ど、ど、どうしよう、どうしよう!?」
「どうしたんだ、クリス」
美しく整えられた庭園の、少し奥まった場所にある一角。
散歩中に突然取り乱したクリスに、リリーは至って落ち着いた調子で聞き返した。
「ぼっ、ぼ、ぼくっ……」
「ああ」
いつもにも増して噛み噛みなクリスの言葉を、リリーはいつも通りの表情で辛抱強く待つ。
二人の間を少し肌寒い春の風が通り過ぎ、揺れた髪の毛先がリリーの首筋をくすぐった。
「ぼく、ね……」
少しの間、視線を泳がせて口を開閉していたクリスも、やがて意を決した様子で拳を握る。
「お、乙女ゲームのっ、ヒロインかもしれないぃ……!」
「……?」
慌てている様子も可愛らしい、と思いながら見守っていたリリーも、この発言にはさすがに困惑の表情を浮かべるほかなかった。
***
「あっ! ごめ、ちがっ……ち、違わないけど、違くて!」
「……とりあえず、落ち着いてくれ、クリス」
珍しく戸惑っているリリーに気づいて、クリスは目をぐるぐる回しながら頓珍漢なことを口にする。
相当混乱しているのだろう。何故か目と一緒に回るクリスの両手を包み込んで抑え、リリーは苦笑しながら声をかけた。
「ちゃんと聴くから。説明してほしい」
「っ、う、うん……」
クリスはどぎまぎとしつつも、リリーが促すとゆっくり深呼吸をする。頬の赤みは引いていないが、話していれば治まるだろう。
「質問してもいいか」
「ど、どうぞ」
許可を得たリリーは頷き、言葉を選びながら口を開いた。
「まず……さっき言っていた言葉だけれど、おとめ、とはそのまま乙女か?」
「うん、合ってるよ」
「良かった。ゲームと付くからには遊戯の一種なんだろう? どんなものなんだ」
「乙女ゲームは通称で……。正式名称だと、れ……恋愛シミュレーションゲームって言うんだけど」
「……疑似恋愛、ということか? 何故それが乙女と呼ばれるんだ」
「それは多分女性向けだから……あ、というかっ、ちちち違うからねっ!? 疑似恋愛は間違いじゃないんだけど! リリーが思ってるようなやつじゃなくて……っ」
一瞬微妙な表情をしたリリーが考えたことを察したらしい。調子を取り戻しつつあったクリスは、あっという間に赤面して慌て出した。
同時に手を動かそうとするが、クリスの両手はリリーに封じられている。力は入れていないので簡単に振り解けるはずだが、クリスは気づいた瞬間にピシリと硬直してしまった。
何故か涙目でこちらを窺うクリスに、リリーはほんの少し首を傾げる。
「り、リリー」
離してほしいのだろうか。しかしまた慌て出されても危ないので、このままでいた方がいいだろう。
そう結論づけたリリーは、気にせず話を進めることにした。
「それについて話してもらう前に、一つ訊いておきたいことが」
「待ってリリー、このまま!?」
今度は明確に抗議されたようなので、一応クリスの意思を確認しておく。
「嫌か?」
「えっいや全然嫌とかじゃないんだけどその」
「そうか、良かった。では前提として」
「あれぇ!?」
「その話は前世のものか」
クリスはハッとして、気まずそうに目を泳がせた。
「う、うん。……ごめんね、最初に言っておくべきだった」
肩を落として謝る姿に、リリーは苦笑して首を振る。ただ確認しただけなのだ。
「何も謝ることはない。全く聞き馴染みのない単語だから、そうかもしれないとは思っていた」
「あ! ご、ごめん、つい焦って」
「謝ることはないと言ったばかりだろう。……本当に」
リリーは包んでいたクリスの手をそっと離し、クリスの目の縁に溜まっていた涙を親指の腹で拭った。
「クリスが一人で抱え込むより、よっぽどいい」
自分は今、どんな表情をしていただろう。
リリーは誤魔化すように顔を伏せると、すぐにクリスに視線を戻した。
「………」
「……クリス?」
どうもクリスの様子がおかしい。
というかリンゴのように真っ赤だった。恥ずかしがり屋のクリスが赤面すること自体は珍しくないが、顔だけでなく首も手も、見えている肌全てが染まっている。
まさか熱があるのかとクリスの首に手を当てると、ジュッと音がしそうなくらいに熱かった。
「クリスっ? 熱があるじゃないか!」
「はぇ」
リリーが驚いて手を離すなり、ふらりとクリスの身体が傾く。
すぐに抱き留めたので、幸いクリスが地面に倒れ込むことはなかった。
「部屋に戻ろう。失礼、」
短く断り、クリスの背中と膝裏に手を差し込んで抱き上げる。
クリスとリリーは体格差が少ないため、安全に運ぶとなると背負うか横抱きかの二択になるが、クリスは裾の長いドレスを着ていたので背負うのはやめておいた。
「ぁ、あぅ、あう」
熱で苦しいのか、クリスは言葉にならないか細い声を上げる。
先程はかなり混乱していたようだし、体調が悪そうには見えなかったが、疲れが溜まっていたのかもしれない。
リリーは眉間に皺を寄せ、もっと注意しておくべきだったと、側にいたのに気づかなかった自分を恥じた。
「少し我慢してくれ」
リリーはそう声をかけて、揺れの少ないようにしっかりと華奢な身体を抱え直す。
するとクリスは限界が来たのか、そのまま気絶してしまったのだった。