血と氷と炎の大地 アーシュ軍出陣 4
ゴースの兵たちが丘を登りきり、眼下の竜の息吹が通った跡を見て、更に愕然とする。
二段に掘られた溝には、雪が積もっていた。特に下段にはより多くの雪が積もっていて、斜面を滑って更に雪が溜まっていく。
雪になれたトリスタン人でも、このツルツル滑る地面に積もった雪は危険である。
規模が小さい雪崩が頻発する。規模的には、ちょっと煩わしい程度かも知れないが、軍としての纏まった行動はここでは取れない。更に、この溝を通過する際は、完全な無防備になってしまう。
上から矢を雨の様に降らされたら為す術も無い。
「だが、征かねばならぬ」
この一軍を率いる将が号令をかける。
静かに、慎重に、そして、敵にも雪にも警戒を怠る事無く、一軍は時間をかけて、大きな溝を通過する事に成功した。
「何とかなりましたな」
副将が将にため息を吐きながら言う。
「ここで仕掛けてくるかと思っていたが、どうやらリーンの奴等の被害は、我等の想定以上に深刻だったようだな」
将も大きく息を吐き出す。
そして、更地になった進軍ルートを眺める。
見える限り、敵影は見えない。
「しばらくは戦闘はなさそうだ。だが、こうも見通しが良いと言う事は、敵にも我等の姿は発見されやすいと言う事だ」
「ですな。むしろ、我等は軍団。敵は索敵兵1人で事足りるのですから、こちらが一方的に発見される可能性の方が高いですな」
副将の言葉に将は頷く。
「では、一刻も早く、先に見える丘まで向かわねばならんな」
そこまで行けば周囲から視線を遮る木々の被害も無いようだ。
ただ、敵兵が隠れているとしたら、丘の上辺りだろう。だが、来ると分かっており警戒を怠らなければ、奇襲など成功しない。
ゴースの軍は、纏まった形で丘に至り、北に形を変えたオッド山、バイ山を見晴るかすところまで到着した。
ルヴァ平野にまで到達したのだ。
結局、ここまで警戒していた敵の奇襲は無かった。
「となると、アーシュの境辺りに陣を敷いて防衛の体勢を整えているのか、それとも、我等の事は念頭にも無く、東のイスケンデルの侵攻を防ぐべく戦力をそっちに振ったか・・・・・・」
将が考える。
「なぁに、ドルトン様。こうなれば、主上のおっしゃる通り、我等でルヴァを占領、もしくは、破壊してしまえばよろしいではありませんか」
そんな事を話しながら歩を進めると、前方の斥候から報告が届く。
「どうやら、楽には行かぬようだな」
ドルトン将軍はニヤリと笑う。
鉤状に突き出たオッド山の裾を抜けたところに、ルヴァの陣が張ってあった。
すでに戦闘態勢で、僅かな高みからゴース軍を見下ろしている。
折しも雪が降り、時刻も夕暮れ近いため、暗くて敵の陣容ははっきりとは見えないが、その数はゴース軍同等の五百は居そうだった。
「あれほどの戦力があったのか?!」
ドルトン将軍は驚く。
「虚仮威しでしょう!」
副将が意気を吐く。猪突なところはあるが、剛胆な男である。
「ともあれ、こっちも陣を敷くぞ!『トライデント』!!」
ドルトン将軍の敷いた布陣は三叉の槍の形をしていた。短期決着を図る、攻撃的な陣形である。
すると、敵側から1人の兵士が進み出てきた。
「名乗りか・・・・・・」
トリスタンの戦は、互いに布陣した状態で向かい合えば、名乗り合いをする事が通例だ。正々堂々とした名乗り合いもあれば、互いに挑発し合う名乗り合いもある。
敵兵は、雪に音を吸い取られないぐらいの大音声で名乗り上げを行った。
「雪の中、わざわざアーシュの地までよくぞおいで下さった、ゴースの某将軍とその軍団の勇者たちよ!!!」
声はとても若い。
「ですが、こちらは招待状をお送りしておりませんゆえ、即座に自国にお帰り願いたい!時期が来ましたら、正式に招待状を差し上げまする!!」
この調子は、まず間違いなくこちらを挑発する名乗りだ。そうなると、名乗り返しには誰を推挙するか。
ドルトン将軍はそんな事を考える。副将だと、そのまま敵に躍りかかりそうだ。
「それでも、お帰り頂けぬのなら、こちらの英雄『雷神』イェーク様と、『死の鎌』ショット様が、生ある世界からの強制退去をさせますぞ!!」
敵兵は、先の戦いで名を上げたイェークに付いたトリスタン語の異名を高らかに叫ぶ。
「ぬう・・・・・・。『雷神』とは、大きく出たな。・・・・・・しかし『死の鎌』とは誰だ?」
ショットの名は、敵兵に知れ渡っていない。誰もが首を傾げる。
「さて、ではこちらの返礼は・・・・・・。インズ!」
呼ばれてこちらも若い部隊長が進み出る。
「実に有り難い言葉に、感謝に堪えぬ!」
進み出たインズは、同じく雪に負けじと大音声を張り出す。
「先日はそちらの『雷小僧』様の手妻(手品)にはちとたまげた!しかし、二度目となるといささか飽きると危惧していたところだ。然るに、そちらは二品目の手妻遣いをご用意下さったとの事、大変痛み入る!しかし、『愛する私』某様とは、とんと聞いた事が無いお名前故に、ご無理は禁物とだけ忠告しておきます」
この返答には、ゴースの軍団全員が大笑いする。
「上手いもんだ。あいつ、戦士で無くても喰っていけるぞ」
ドルトン将軍は上機嫌になる。
更に、インズが声を張り上げる。




