血と氷と炎の大地 トリスタンの戦士 2
「馬鹿げている!!俺たちは帰らせて貰う!!」
それに対して怒りの声を上げたのはイェークだった。
「いや。短気を起こさんでよ~く考えなされ。この話が流れれば、殿はマイアン家を名乗る事をやめましょう。ルヴァの地も、柔和では無く、力で支配する事になりましょう」
ラルの言う通り、トリスタンの支配は、基本的に強者が弱者を支配する。支配地域の作物を酷く買い叩き、農民が土地を離れて集落が滅ぶ事もある。そして、住人が全員居なくなってから、土地を家臣に与えるなどしてしまう。
土地を離れた農民は、いずれ戦働きに駆り出され、結局命を散らす事になる。
支配する側も、農民を虐待した訳では無い。勝手に土地を離れたのだと言い訳も立つ。
実際、ルヴァに戻った時、イェークが感じた通り、8年あまりで見知った顔をまだ見ていない。村から街に規模が大きくなった事もあるのかも知れない。しかし、同時に人々の表情が暗かったのも、そういった理由があるのかも知れない。
「関係あるか!!俺たちはこの土地から離れた人間だ!!下らん因習に付き合ってられるか!!シス!戻ろう!」
イェークが声を荒らげながらシスの手を引く。
「・・・・・・我々はどちらでも良いのですが、どうもルヴァの連中は滅亡したマイアン家を慕っておりましてなぁ」
その言葉に、手を引かれかけたシスの体が強ばる。
「なんでも、先の戦では、すでに地の利を失った砦に立て籠もって戦い、村に戦の被害が出ないようにしたとの事で、今でもドルトス・マイアン元頭領の事を慕う連中が多いのです」
その言葉は、シスだけでは無くイェークの体をも強ばらせる。
シスの体が震えているのがイェークの手に伝わる。
弱々しい力で、シスはイェークの手をほどく。
「・・・・・・少し、考えさせて」
シスはうつむいたまま呟く。
「あまり待たせるなよ。今は戦の最中。すぐにルヴァからも出兵する」
ヤードがムスッとして言う。
「戦?どこと?」
イェークが尋ねると、ラルが答えた。
「周辺地域全部とですな。特に南の恒王が厄介です。まあ、その辺の情勢は、シス様の文士になりたいと言う者がおりましたので、その者に詳しくお聞き下さい」
元の部屋に戻されたシスは、文机に突っ伏していた。
同じ部屋で、シスの向かいに座っているイェークも、耐え難いまでの室内の空気に、腕を組んで黙り込んでいる。
様々な感情が押し寄せては切り替わっていき、二人とも一言も言葉を発する事が出来なかった。
そんな苦悶の時間が一時間も経った頃、押し潰すような沈黙を打ち破って、ドアがノックされ、穏やかな声が室内に届く。
「シス様、イェーク戦士殿。わたくし、下文士としてお仕えしたく志願しましたビュトー・ヨッテンイラーです」
「・・・・・・ああ。そんな事言っていたな」
重い腰を上げて、イェークがドアに向かい、抜き身の大剣をドアの陰に隠しながら、小さくドアを開ける。
ドアの外には、身長は高いが、ほっそりとした男が立っている。髪も伸ばしてはおらず、三つ編みはしていない。髭も蓄えていない。
顔立ちは、男から見ても美しく整っていて、柔らかな表情をたたえている。
何より目を引くのは、銀髪によく似合う、紫色の右目に、茶色の左目というオッドアイだった。眼鏡をかけており、その奥で、怪しくも美しい左右違う色の瞳が輝く。
「イェーク戦士殿。シス様にお引き合わせ願えませんか?」
ジッと見つめられて戸惑った様子の下文士ビュトーが、イェークに穏やかな口調で尋ねる。
「あ、ああ。どうぞ」
魔法使いである可能性はあるが、戦士としては使えなさそうな男だし、魔法使いであったとしても、こっちにはシスがいるのだから、そう易々と遅れは取らないだろうと判断して、警戒は解かずにビュトーを室内に招き入れる。
ビュトーの入室に、疲れ切った顔をようやくシスが上げる。
「・・・・・・?」
イェークは小さく首を傾げた。
いくら状況的に意味不明で混乱しているとは言え、これ程の美形の男を見たら、まずはテンションが上がるシスが、どんよりとした目でビュトーを見ている。
間違いなくシスの好みのタイプなはずなのに。
よほど、あの醜男との結婚話が堪えたのだろうか。
そんなシスの様子を気に止めずに、ビュトーは拳を胸の前で合わせて一礼する。
「シス様。わたくし、ルヴァ村出身のビュトー・ヨッテンイラーです。覚えていらっしゃらないかも知れませんが、再びお目にかかれて嬉しく思います」
言われて、シスも、イェークも目をパチクリさせる。
「ヨッテンイラー?お父様の下士だった?」
シスが先に思い出す。
「はい。ドノバン・ヨッテンイラーの三男です」
ビュトーが微笑む。
そこまで聞いて、イェークの記憶も蘇る。
「え?あんた、白犬か?」
下士という、戦士の家に生まれたのに、病弱で戦士にはなれなかったビュトーは、イェークたちよりも4歳年上なのだが、誰からも蔑まれていた。そして、付いたあだ名が「白犬」だった。
「ええ。その白犬です」
嫌なあだ名を蘇らせたにもかかわらず、ビュトーは穏やかに懐かしむような目でイェークを見つめる。
「ああ。その、すまない、つい・・・・・・」
イェークは慌てて謝る。
「いいえ。お気になさらず。確かにわたくしは戦士として物の役に立ちませんでしたから。肝心な時に、お二人をお助けする事も出来ませんでした」
それは八年前の戦の事だろう。




