外伝 短編 1 「ベアとリア」
グラーダ条約により、各国間の戦争は無くなったが、国の内部での争いは絶える事が無い。
内戦、部族間抗争、権力闘争、貴族領地を巡る争い。度しがたい風習で、貴族の娯楽としてのウォーゲーム。
そして、住む所を失くした者。国内に住めなくなった者。仕事を失った者。飢餓に追われた者は、難民となり、国外に脱出する。
難民の向かう先は、大抵がグラーダ国である。移動するのに容易な大街道は、必ずグラーダ国に繋がっている。最も栄えた国であり、入国の税金も掛からない。
ただし、入国に際しての審査はある。
冒険者なら冒険者証、商人であれば手形。旅人であれば旅行手形。そうで無くても、何らかの身分証は必要だ。
他国に比べて、手間は掛からないが、難民を無条件には受け入れたりしない。
グラーダ国は、国内生産量も多く、国庫も潤っているが、難民をただ受け入れて養う事はしない。何故なら、難民は国民ではないからである。国の運営は国民からの税金で運営している。もちろん、国営の事業がすこぶる景気が良いグラーダ国は税金収入は国庫の一部でしか無い。
しかし、そこに税金が使用される以上、国民が最優先である。慈善事業だけでは国の舵取りは出来ない。
だから、難民は、南の難民キャンプに送られる事となる。そこは土地が余っていて、緑化計画の為の作業員が必要なのだ。そこで一定の仕事をして、自分たちの食事や、家賃を支払う程度の仕事は斡旋する。福祉は最低限である。
それでも、より国民に近い権利が欲しいなら、国民権を買い、国税を納める事で、グラーダ国民としての扱いを受ける事が出来る。
グラーダの方針は、難民に、ただ支援するだけでは無く、自立する事を提案するのであり、その手段を提供する事にある。
その上で、国民となり、国力増強に繋がるならば良しということである。
だが、これは大人ならば可能な話しである。
親のいない子どもはどうなるのか?
一応、難民キャンプには、託児所が設けられている。働く親の子どもが預けられる施設だが、併設して、孤児院もある。
だが、最低限の福祉である以上、全ての孤児が受け入れられる訳では無い。
そんな孤児は、難民キャンプ内で、ゴミをあさって生きている現状だ。ボランティアが炊き出しに来ると、優先してそうした子どもは食事を与えてもらえる。集団で寝泊まりできる建物もある。医療、衛生は十分ではない。
それでも、親はなくとも、グラーダ国まで誰かが連れてきてもらえた場合は、最低限生きていけるので、幸福と言えるかもしれない。
誰からも救いの手が差し伸べられず、情勢が危険な国に捨て置かれた孤児は、悲惨である。
奴隷制度は無くなったが、それでも人買いが無くなる事は無い為、オモチャのように扱われたり、狂った趣味の餌食になったり。体面上は雇用でも、内実は奴隷同然の扱いを受けたり。最も多いのは、そのまま餓死するなり、病死するなり。
大人が起こす戦争の最大の被害者は、いつも弱者である。女性であったり、子どもであったり。
ベアトリスは、朝起きたら、家が半分消し飛んでいた。ベアトリス自信も負傷していて、瓦礫から、何とか這い出すと、そこには大勢の兵士たちが破壊行為、陵辱行為、略奪行為を欲しいままにしていた。
ベアトリスの両親は瓦礫の下敷きとなっていて、年の離れた姉は、兵士たちに陵辱されていた。
ベアトリスは、それを見ながら、ひっそりと瓦礫の下に潜り込んで、死んだように息を潜めていた。僅か3歳程度だったが、生存本能か、泣く事も、叫ぶ事もせず、ただジッとしていた。
数日は、そのまま身動きもせずに、瓦礫の下に隠れていた。空腹は我慢し、雨が降ったときに水たまりが目の前に出来るので、それをすすって、辛うじて命を繋いでいた。
もう大分前から、村は静かだった。
それからようやく、ベアトリスは瓦礫から這い出た。
そこで見た物は、もう記憶にも残っていない。
ただ、何とか歩き出して、大きな道にたどり着いた。大きな道を歩いていたら、大きな馬車が目の前で止まった。
そして、ベアトリスは命を救われた。
「ベアー。もう持てないわよ~~~」
イヌ獣人のリアが、ベアトリスに情けない声を上げる。
「まだほんの3袋でしょ?あなた獣人なんだから、力持ちでしょうが」
ベアトリスが、びっしり書き込まれたメモを見ながら、メガネの位置を直してため息を付く。
「重さじゃ無くて、バランスだよぉ~~~」
雑多な物が入った、布の袋は、大人が一抱えする大きさだ。それをリアは1人で3つ抱え持っている。
「あと2軒の辛抱よ」
リアの泣き言を、ベアトリスはばっさり切って捨てた。
「ひどい、ベア!!鬼!アホー!オタコンチン!!」
「知らないわよ!急ぐのよ!」
全く取り合わない。
「ペンダートンの犬~!!」
「犬はあんたでしょ、リア・・・・・・」
リアの精一杯の悪口を、クールにスルーする。
「鬼ババァ~!」
「誰がババァですって!!??」
ベアトリスがリラに掴みかかり、荷物で手が離せないリアのほっぺたをギュウギュウ引っ張った。
「あああ~~~。おえんあはい。おえんあはい」
リアが涙目で言う。
「ババァ」はベアトリスには禁句である。
ベアトリスは26歳で、まだまだ、若さ弾ける年頃ながら、周囲の同年代は、もうほとんどが結婚してしまっている。
ベアトリスはスタイルも良く、顔も良い為、これまでに何人もの男の人に声を掛けられている。それなりに恋も経験してきたとも思う。
だが、幸か不幸か、ベアトリスは幼い頃に、ペンダートン家の奥様、クレセア・ペンダートンに保護された。それから、クレセアの営む孤児院で育つ。そして、教育も施して貰い、大恩あるペンダートン家のメイドとして働く事が出来た。その中でも、特にペンダートン家に近しいメイドとして働かせて貰っている。その事は、本当に幸運だったと思う。ただ、近しいメイドなので、様々な賓客に会ったり、社交場に同行する事も多々あった為、目が肥えてしまった。
その為、ただの街の男には食指が動かない。これが不幸だ。
気がつけば、行き遅れ感が漂う年齢になってきた。焦りたくはないが、内心焦っていた。
ムニムニとよく伸びて、つまみ心地のいいリアの頬を放すと、リアの顔を見てため息を付く。
「な~に~?」
すぐにヘラヘラ笑うリアが羨ましい。
ベアトリスが助けられた馬車には、他にも子どもが乗っていた。それがリアである。その時はわからなかったが、リアは、虐待用の愛玩具として、悪趣味は商人に監禁されていたそうだ。ベアトリスが助け出されたときは、ずっと眠っていたが、クレセアが助け出したときは瀕死の重傷だったそうだ。
首に鎖が付けられて、拷問されたまま、町を襲ったどこかの兵士たちに建物を壊され、商人も死んだまま、置き去りにされていたらしい。
クレセアは、ペンダートンとグラーダの旗を掲げた馬車で、戦禍の町から、人々の救助をする活動をしていた。
馬車は他にも4台あり、怪我人は、付近の救護施設に運び、ベアトリスたちの様に、身寄りの無い子どもを、ペンダートン家の孤児院で引き受けていたのだ。
無論、戦禍のある国、全てを回れる訳ではない。
たまたま、近くの国を訪れていた時に、この国での戦禍を聞き及んで、近くの村や町を回っただけである。
だから、ベアトリスも、リアも運が良かった。
「あなたは良いわよね!!」
ベアトリスがリアに文句を言う。
リアは、ドジで、どこか抜けているが、愛嬌がある。同じ26歳だが、ベアトリスと違って、恋愛や結婚に焦っていない。
多分、生涯独身でも、ペンダートン家で働けるなら、それがリアに取っての幸せなのだろう。
にもかかわらず、リアは、多分結婚に関しては心配がいらないのではと、ベアトリスは思っている。
ペンダートン家の双子の兄、キースは、幼い頃からリアになついていた。今も、リアには特別甘いし、逆にリアも、キースを可愛がっている。なんとなく、このまま2人は結婚するのではと思う。
ペンダートン家は、他の貴族と違い、他家と縁を結ぶ必要が無いほど絶大な力を持っている。政略結婚の必要性は無いし、自由恋愛の家風である。
かといって、ベアトリスは、リアに嫉妬心は無い。子どもの頃から、何故か何をするにも一緒だった。
きっちりしたがるベアトリスと、何でも適当に済ませようとするリアでは、水と油なはずなのに、なぜか収まりが良かった。
リアが幸せなら、ベアトリスも嬉しい。
「甘い物食べようよ~~」
屋台のスイーツにリアがつられる。
「だから、急いでいるのよ!!」
ベアトリスがリアの背中を叩いて、前進を促す。
「酷いよ~~~!」
「今日はお客様が来るのよ!特別な料理を作るそうなんだから、急いで買い物を終わらせなきゃでしょ!?」
「ああ。そうだったぁ~~」
忘れていたのか・・・・・・。本当に手が掛かるメイドだ。
だが、手が掛かったのは、本当はベアトリスの方だった。
助け出された後、ベアトリスは心を閉ざしていた。どんな声かけにも、愛情にも無反応で、無表情だった。
自分から身の回りの事もせずに、放っておくと、1日中、壁を見て突っ立っていた。トイレも自分で行けず、その場で漏らしてしまう。
心が壊れていた。
「ベアちゃん?一緒にお風呂行こ?」
「ベアちゃん?一緒にご本見よ?」
「ベアちゃん?お人形遊びしよ?」
「ベアちゃん?」
無反応、無表情のベアトリスに、ずっと構って、世話をして、話しかけてきたのはリアだった。
商人の趣味で、幼い頃から、毎日の様に虐待、拷問を受けてきて、人の愛情も知らないで生きてきた。ベアトリスと同じ年の、3歳ちょっとのリア。
なのに、一緒に救出された、ベアトリスの事を、ずっと心配して、穏やかに、優しく、根気強く語りかけて、面倒を見てくれていたのだ。
ある日、ベアトリスの心の堤防が決壊した。
「うわあああああああああああああああああああ~~~~!!」
あの日以来、初めて涙が出た。声が出た。感情が溢れた。泣いて泣いて、泣き続けた。何が悲しいのか、何が苦しいのかわからないが、辛くて、辛くて泣いた。
「よ~し、よ~し。怖くない。怖くないよ~」
ベアトリスを、ギュッと小さなリアの手が抱きしめる。
リアは、ベアトリスが泣き止むまで、ずっと「怖くないよ~。大丈夫だよ~。偉いね~」と言って、慰めてくれた。
ベアトリスは、リアが大好きだ。リアも、ベアトリスが大好きだ。
今は2人とも幸せである。
「リア。お使いが終わったら、私のとっておきのチョコレート、一緒に食べましょうね」
「うん。ベアちゃん大好きぃ!!」