冒険の始まり 地獄教の儀式 5
アクシスは、わずかな希望にすがりながら、必死に涙と声を我慢していた。
祭壇に寝かせられ、四肢をロープで固定され動けなくされても、両脇に斧を持った男たちが立っても、頭の下に首受けの桶を置かれても。
小さな希望と願いにすがり続けていた。
「きっと、お兄様が助けてくれますわ」
「お兄様」と呼ばれる事を、いつからか嫌がりだし、もう数年も会っていないアクシスの思い人だ。
生まれた時から側に居て、一緒に育ち、そして、身分や立場の違いから自分の元から去っていた人。
ただ、「アクシスはボクが守る」と幼い時に交わした約束。それだけを今は信じている。
天井の飾りが揺れた。その飾りに誰かが飛び乗った様に見えた。煙と恐怖で見間違えたのだろうか。
いや、確かに誰かが天井の飾りの上にいる。こちらを見下ろしている様だ。
飾りに灯るランプの明かりで、その向こうにいる人物の様子がはっきりとは見えない。
アクシスは目を大きく見開いた。
天井から覗く人物の顔が拡大したように感じた。
数年ぶりに見る顔だが、間違いない。見間違うはずがない。
「カシムお兄様・・・・・・」
アクシスは小さくつぶやいた。その声は誰にも届かない。
カシムの口が「た・す・け・る」と動くのをはっきりと見た。その瞬間、これまで堪えていた涙があふれ出す。
◇ ◇
カシムとアクシスは、赤ん坊の頃から、共に暮らし育ってきたのだ。
カシムの母が、出産をきっかけに体を壊し、病気がちになったため、グラーダ王城の中で、王族用の召使いを乳母として育てられた。王族の居住区である王城の5階で、育てられていた。
何故カシムがこれほどの待遇を受けたのかというと、カシムの祖父は、先代国王の時代からグラーダ国に仕える、伝説の騎士、ジーン・ペンダートンだった。
「百の称号と千の伝説を持つ」と言われ、事実、世界中を巡り、重ねてきた偉業は数知れない英雄だ。
カシムの父は現在の騎士団「一位」として、全軍の指揮を執る立場にあるガルナッシュ・ペンダートンである。
グラーダ国第一の功臣であるペンダートン家の末子が、カシム・ペンダートンだった。
ペンダートン家は、身分としてはグラーダ国唯一の大公爵家である。
その為、グラーダ三世がカシムを哀れんで王城で手厚く保護したのである。
もちろん王城のすぐ近くにあるペンダートン邸にも多くの家臣がいたが、王城で最高の治療をカシムの母、フューリーが受けている事もあり、フューリーの願いで、その近くにカシムを置く事にしていた。
そして1年後、グラーダ三世にも待望の第一子が生まれる。
しかし、グラーダ三世の妻、つまりグラーダ国王妃は、生まれつき病弱だった。グラーダ三世の母もそれ以上に病弱で、グラーダ三世を産んだその日に亡くなったが、グラーダ三世の妻アメリアも同じ運命をたどったのだ。
その為、アクシスもカシム同様、生まれてすぐに同じ乳母に育てられる事となった。
カシムとアクシスは、共に笑い、共に泣き、共に遊び、共に学び、共に寝て、共に食べて幼少期を過ごした。
カシムはアクシスを、妹のようにかわいがり、時々アクシスがわがままを言ったり、かんしゃくを起こしても、優しく受け止めてきた。
アクシスもカシムの事を兄のように慕い・・・・・・いや、幼い頃は本当の兄だと思っていた。そして、わがままを言ったり甘えたりしていた。
そんなアクシスが、ある日、実はカシムが兄では無い事を知った時は、すごく悲しくて淋しくて泣いた。カシムはアクシスより前からその事は知っていたようだった。
アクシスは、時々2人に本を読んでくれていたカシムの母が、自分の母だと思っていたのだ。いつもカシムの母の事を「お母様」と呼んで甘えていた。
「じゃあ、あたしのお母様は誰なの!?」
アクシスはカシムと乳母に泣き叫びながら詰め寄った。うろたえた乳母が去って行く中、カシムはアクシスの手を握ると優しい声で言った。
「アクシス。君の母様はね、今はもう居ないんだ。お星様になったんだよ」
「それって死んじゃったって事でしょ!!」
アクシスもカシムと一緒に色々なお話しを聞いていたから「お星様になる」と言う事が「死んだ」という事が分かっていた。
カシムは悲痛な表情でうなずいた。
「あたしにはお母様が居ないんだ!お父様も忙しくってお会いしてくれない!」
感情があふれて止まらなくなる。青い瞳からボロボロと涙が止めどなく溢れてくる。
「あたしはひとりぼっちだ!あああああーーーーーー!」
「ひとりじゃ無いよ。ボクがいる」
「いやだ!ずるい!」
アクシスがカシムを睨みつけて、カシムの手を振り払った。ケンカをする事もあったが、こんな風にアクシスがカシムを睨んだ事など今まで一度も無かった。
「お兄様はずるい!お兄様にはお母様がいる!あたしはお母様の顔も知らないんだ!」
アクシスがそう叫んだのを聞いたあと、カシムの顔がゆがむ。カシムの茶色の目からも涙がこぼれた。
カシムの涙にアクシスの体が震えた。得も言われぬ罪悪感が、胸に針を突き刺したように感じさせた。
「ボクの・・・・・・。ボクの母様もね。もうすぐ死んじゃうんだよ」
アクシスは驚く。体が弱いのは知っていたが、そこまでとは想像もしていなかった。いつも暖かく、明るく、そして慈しむように優しいの母フューリーがもうすぐ死ぬ。ついさっきまで自分の母親と思っていたあの人が。
「ボクを産んだから体を壊したんだって。だから、ボクのせいで母様は死んじゃうんだ・・・・・・」
「うそ・・・・・・」
アクシスの言葉に、泣き笑いのような表情を浮かべてカシムは首を振る。
「ごめんなさい、お兄様。ごめんなさい」
泣きながらアクシスが、カシムの涙をぬぐおうとする。カシムも同じく泣きながらアクシスの涙をぬぐおうとする。
だが、2人とも感情が爆発して、それを果たす事が出来なかった。
2人は強く抱きしめ合いながら大きな声を上げて泣き出した。
「ああああああああーーーーー!」
「ああああああああーーーーー!」