冒険の始まり 地獄教の儀式 4
通路を一つ曲がると、周囲が一層明るくなり、集団の人間が呻いているような、謳っているような不気味な声が大きくなる。
煙や、それに混じる甘いにおいも強くなる。
その匂いをかぐと、頭がボンヤリしかける。
「薬物か・・・・・・」
俺は匂いを吸い込まないようにタオルをきつく巻き直して前進する。
この通路の先には窓のような物が複数開いていて、その窓から光と声と煙と香りが流れてきていた。
俺は身をかがめると素早く窓に近づき、用心しながら窓から覗いてみた。
そして分かった事は、ここが遺跡の最上階で、巨大な広間の真上にある換気用の通路のようだという事だ。見れば、この通路の天井に小さな排気口がいくつも開いていた。そして、俺が下を覗き込んでいるこの窓も、厳密には窓では無く換気のため開口部だ。
俺は、眼下に広がっていた異様な光景に目をむく。
巨大な空間は4段の回廊で取り囲まれていて、その回廊にびっしり数百人の人間が、全身白い装束で頭から体まで包み込んで、不気味な声を上げていた。大勢の人と、周囲の篝火のため、熱気が立ち込めている。
巨大な空間の奥には、大きな窓のような開口部があり、そこからバルコニーのようにせり出した部分があった。そのバルコニーの中央には演壇が設けられてあり、その奥の室内はカーテンで遮られていて見えない。
演壇を前にして、数人の男が立っていた。中央に立つ老人だけ、基調は白ながら、装飾が華美な服を身をまとっていた。いかにも偉そうである。
だが、俺を驚かせたのは、巨大な空間の中央である。
四方を深い溝で隔絶された舞台の中央に寝台のような物があり、その寝台の横には、巨大な斧を持った大男が2人立っている。
舞台の床は、どう見ても一面血で染められていた。舞台の四隅には大きな木桶が一つずつ置かれていて、どうも大量の人の生首が入っているようだ。
煙に混じって、強烈な血の臭いが巨大な空間に立ちこめている。
しかし、それに吐き気を催している状況では無かった。
寝台の上に、白装束の少女が四肢を縄で拘束されて仰向けに寝かせられていたのだが、その少女、見間違えようがない。
「アクシス!!!」
寝台の上には、恐怖に顔を引きつらせたグラーダ国の王女アクシス・レーセ・グラーダがいた。
「アクシス!なんでこんなとこに?!」
鼓動が早くなる。汗が噴き出す。
ヤバいヤバいヤバい。どう考えてもヤバい。どう見てもアクシスが生け贄として殺される場面だ。
俺を急がせていた警鐘の理由がはっきり分かった。
なんとしても救い出さなければいけない。他の誰でもない、アクシスなんだ。俺が助けないでどうする!
俺は、焦る心を何とか落ち着けようとする。
幼い頃から心を落ち着かせる訓練はしてきていた。「静心水紋」の心得。
「水面に波紋を立てぬ程、心静かにせよ」という教えだ。
だが、このあまりにも異常な状況では、すぐには落ち着く事なんて出来ない。
それでも何とかしなければと思い、俺は換気窓から顔を出し周囲を見回す。
幸い、回廊にいる数百人の異常者たちは、寝台の上のアクシスに注目しながら大声でなにやら呻いている。
見ると、今俺が居る換気窓とほぼ同じ高さに、天井からつり下げられている車輪のように丸く作られた太い木製の装飾がある。その下にパイプが3段下がり、そのパイプの上に、照明器具が取り付けられ、周囲を照らしていた。パイプの中には油が入っているのだろう。無骨ながらシャンデリアのようになっている。
その同じ照明装置が、広間の天井にいくつもつり下げられている。各照明装置は、階下の回廊にロープでつながっていて、滑車を使って上げ下ろしが出来る仕組みになっていた。
俺はウエストバッグからフックとロープを取り出す。狙うはアクシスの真上に設置された照明装置、それを吊り下げている天井の滑車だ。
天井部に張り出した換気通路から、その照明装置までは10メートルほど。
俺は狙いすまし、フックを投げる。一発でフックは照明装置をつり下げている滑車部分に引っかかる。
次に俺はロープをたぐり寄せながらためらう事無く大きく窓からジャンプする。飛距離とたぐり寄せで、照明装置の上に飛び移る事が出来た。
回廊の異常者たちは、誰も気付いていない。
俺に気付くとしたら、真上を向いて寝かせられているアクシスだけだろう。
ここまでで時間にして10秒足らず。
照明装置が揺れて、多少シャンデリア状の器機が音を立てたが、回廊に居並ぶ連中の、気味の悪い呻き声に完全にかき消されていた。
上出来だ。幼い頃から修行の日々だったのだから、いかに剣士としての才能が無かったとは言え、このくらい出来なくては申し訳が立たない。
作業をこなす事で、頭がクリアになってくる。
俺は照明装置の上から真下を覗き込む。
20メートルほど下に寝かせられているアクシスと目が合う。美しい青空のような瞳がこちらを一心に見上げている。
アクシスは自分の真上で起こった異常に気付いても、一言も漏らさずに耐えている。
俺はゴーグルを上げ、タオルを口から外し顔をさらすと、アクシスと目を合わせる。
『俺だ!カシムだ!助ける!』
口だけ動かしてアクシスに伝える。だが、広間に立ちこめる煙で、ちゃんと見えているのか心許ない。
俺は周囲を素早く観察し、作戦を練る。
周囲からの、祈りだか何だか分からない、不気味な声が高まった。アクシスの傍らに立つ、斧を持った男たちが動いて、バルコニーの演壇の方を向く。
どうやら時間が無いようだ。失敗も許されない。
俺は照明装置の上に立ち上がり、腰のショートソードを抜き放つ。