七夕令嬢のため息 転
私は巷で噂の悪役令嬢。
傲慢、暴虐、理不尽、酷い噂もいっぱい流れているけれど、それは脚色ではなく本当の事ばかりだ。
とはいっても、それを実際に行ったのは私ではなく、この身体本来の持ち主なのだけど。
それなら私は誰だという話だが、それについては私自身も分からない。
いや、分からないというのが語弊があるかもしれない。
一応、この身体に宿る前の記憶があるし、七月七日の七夕の日にだけ表に現れ、自由に動く事ができるという事だけは分かっている。
でも、どうしてこうなっているのかの原理も理由も一切分からないし、なぜこの身体……この子に宿っているのかも分からない。
分からないまま長い年月を過ごしてもう二十年余り、七夕の日だけ性格が変わると認識されてしまった私は両親の策略によってお見合い紛いの会食をする事になり、そこでイケメン貴族に気に入られてしまった。
そこから彼は事情を知って、毎年、私が私に代わる七夕の日に会いに来ては告白するという行為を繰り返している。
と、まあ、そんな訳で、私が目覚めたという事は今日は七夕かと思い、入れ替わる前の記憶を振り返ろうとすると、何故か靄がかかったように思い出せない。
………あれ?なんでだろう……今までこんなことなかったのに
目覚めた直後は分からない事もあるけれど、きちんと振り返れば彼女……この身体の本来の持ち主が過ごしてきた日々の出来事を思い返せる筈なのにどうしてだろう。
その原因を考えてみるけど、そもそもこうして一つの身体に二つの精神が宿っていること自体が説明のつかない異常事態なので、どれだけ頭を捻っても結論が出てはこなかった。
「…………まあ、今日一日を過ごすだけだし、そこまで支障はないかな」
たぶん、今日もいつもの七夕と変わらない。あの人が私を訪ねてきて、一緒に話して、食事をして、そして一日が終わる。
きっと、あの人はまた愛を囁いて、本当の君を取り戻すと言うのだろうけど、私の気持ちは変わらない。
だから私の事は諦めてという問答をするまでがいつものセット。正直、七夕にしか自由になれない私はそれを断る事しかできないから物凄く申し訳なく感じるけど、それがお互いのためだと思う。
「ひとまずは時間の許す限りだらだらしてよ~」
考えるのを放棄し、そのまま部屋でだらだらと過ごしている中で、私はようやくいつもと違う違和感に気付いた。
「……あれ?そういえば今日は誰も部屋に入ってこないな」
いつもなら私が目覚めた日は朝からメイドが何人もやってきてイケメン貴族との会食のために身支度を整えるために動き回るのだけど、その気配は一切ない。
何かトラブルでもあったのかもしれないが、それにしたって誰も来ないのはあまりに不自然だ。
「…………仕方ない。ちょっと様子を見てこよっと」
よっこらせと重い腰を上げてベッドから降り、部屋の外へ出てみると、少し離れたところに清掃中のメイドの姿を見つけたので、とりあえず彼女へ話しかけてみる事に。
「あ、ねえ?ちょっと聞きたいんだけど――――」
「え、ひっ……お、お嬢様!?す、すいません!私はただここのお掃除をしていただけですからどうかご勘弁を!!」
私の姿を見るなり顔色を真っ青に変え、何度も謝りながら慌ててその場を立ち去ってしまった。
「…………何もそんな慌てて逃げなくてもいいじゃない……私の入れ替わりを知らないって事はさっきの子は新人なのかな?」
ここで働く使用人ならまず最初に事情を教えられそうなものだけど、まあ、仕方ない。事情は他の人に聞けばいいかと思い直してそのまま屋敷の廊下を歩いていく。
それから何人か、他の使用人を見かけて声を掛けようとするも、さっきのメイドと同じようにみんな私の姿を見るなり恐れを滲ませ、逃げて行ってしまう。
これは流石におかしい。いくら何でもみんながみんな逃げていくなんて……これじゃあまるで――――
「――――もう一人の私みたい、だろ?」
突如として聞こえてきた空間全体に響くような声に思わず振り向くと、そこには見た事のない青年が立っていた。
「…………貴方は一体誰なのかしら?」
「かしら?いいよ、僕の前でお嬢様然としなくても。今の君がもう一人の君だって分かってるし……あ、もしかしてまだ気付いてなかったりするのかな?」
私の質問を完全に無視してべらべらと一方的に喋る青年。その表情は常に笑顔を浮かべているが、いまいちその感情を読み取る事ができない。
「気付いてないって何を……」
「やっぱり気付いてなかったんだね!でもそれを聞いちゃう?ま、聞かれたら答えるのが僕なんだけどさ」
「……随分と饒舌だね。で、結局、貴方は誰で、私が何に気付いてないっていうの?」
質問に答えず、一方的に喋り続けられると流石にイライラが募り、語気が強くなってしまうのを感じながらも返すと、青年は特に気にした様子もなく、笑顔のまま表情を変えない。
「あはっそう怒らないでよ。そんなに僕が誰なのか知りたいの?そんなのどーでもいいでしょ。それより、何に気付いてないかの方が重要だと思うよ?」
「…………どうやら話す気はないみたいだね。なら不法侵入で人を呼んで衛兵に突き出すよ」
これ以上、問答に付き合っても、相手に答える気ないのなら意味はない。こんな不審人物はさっさと捕まえてもらおうと私は声を上げようとする。
「わーそれは困るなーきちんと話す気はあるのになー……ま、君が聞きたくないなら仕方ない。いいぜ、呼びなよ。僕は逃げも隠れもしないからさ」
やれやれと笑顔のまま首を振る青年の態度は相も変わらずなので、私は微塵の躊躇いもなく大きな声で人を呼んだ。
「……………………あれ?」
仮にもこの家の令嬢が大声で呼んでいるのだから、内容云々以前に何事かと使用人なりが集まってきて然るべきはずなのに、誰一人としてくる気配がない。
ただ聞こえる範囲に誰もいなかった可能性もなくはないけど、広い屋敷とはいえ、使用人の数はそれなりにいるし、物音一つ聞こえないのはあまりに不自然だった。
「おやおや、誰もこないみたいだねー僕は逃げも隠れもしないのにさ……っと、ま、冗談はさておき、ここには誰もこないよ。少なくとも僕がここにいる間はね」
「…………本当に貴方は何者なの?」
人をおちょくるような態度と笑顔のまま感情の読み取れない表情、そして今の発言からして青年がただの人じゃない事を悟った私は警戒を強めながら再度、同じ問いを投げ掛ける。
「だから僕の正体なんて……ま、いっか。僕は君達人間が……いや、君にはこう言った方が良いかもね。僕は君をその身体に宿らせた張本人ってね」
「――――え?」
語られた正体はあまりに予想外なもの。ずっとどうして私がこの身体に宿ったんだろうと思っていたのに……まさか目の前の青年がその原因だというのはあまりに衝撃的過ぎて頭の処理が追い付かない。
「んーあれれ?おかしいなー思ってた反応と違うなーあ、もしかして衝撃過ぎて受け止めきれないとか?それならしょーがないね。じゃあ、受け止めきれないついでにもう一つ、良い事を教えてあげるよ。今日は何月何日だと思う?」
「……………………は?」
まだ頭の処理が追い付いていない中、笑顔の青年は私を追い立てるように理解しがたい言葉を吐く。
「いや、だから今日は何月何日だと思うって聞いただけだよ。そんな変な質問でもないでしょ?ま、別にクイズって訳でもないから僕が教えてあげるよ。今日は七月六日、七夕の一日前さ」
――――ありえない、そんな言葉が頭を過る。
私が自由に動けるのは七月七日の七夕だけの筈だ。
だから私が動けている以上、今日は七月七日の七夕でなければならない。
だってそうじゃなければこの身体の持ち主であるあの子は――――
「――――ああ、その身体の持ち主だった子はもういないよ。僕が消しちゃった☆」
「ッ……!?」
まるで私の内心を見透かしたかのような物言いとさらに提示された衝撃的な事実を前に思わず息を呑む。
「おっと、誤解のないように言っておくけど、別に僕は理不尽で一方的に彼女を消した訳じゃないぜ?僕はただ彼女の望みを叶えてあげただけで、何も悪い事なんてしちゃいない……だからそんな目で僕を見るのは間違ってると思うぜ?」
私自身、青年にどんな視線を向けていたかは分からない。
けれど、色々、思う事はあっても、ずっと見てきた彼女の人生をあんな軽い言葉で消しちゃったと言われたのだ。
そんな相手に何も思わないわけも、まして安穏とした気持ちでいられるはずもなかった。
「………………ずいぶんと勝手な物言いね。この身体の持ち主が消える事を望んだとでも?そんなわけがない。あれだけ我儘で自分が一番な性格をしているあの子がそんな事を望むわけ――――」
「ないって?それは君の思い込みじゃない?君が彼女の何を知っているのかな?――――彼女が入れ替わっている時も意識を共有してるって知らなかったのにさ」
笑顔を崩さず、声音も変えず、でも、その笑みを深くして、青年は嗤う。それは何も知らないお前が何を語るのか、と私へ突きつけているようにも見えた。
「共有……してるって……そんなわけ……だって……それならなんで………………」
「彼女はぜーんぶ最初から知ってたんだよ。年に一度だけ君と入れ替わっている事も、その間の出来事も、周りからどんな風に思われているのかも、ね。知りながら知らない振りをして、理不尽、暴虐な悪役令嬢を演じ続けてた……ほーんと、馬鹿だよねー」
そう言って肩を竦める青年はあくまで笑顔のまま彼女を馬鹿だと切り捨てる。
仮に青年の言っている事が本当だとして、全てを知りながら知らない振りをして過ごすのはどれだけの苦痛だったのだろう。
使用人や両親からも諦められ、もう一人の私という存在が喜ばれる……まるで自分のそれまでの人生が否定されたような感覚…………私には想像する事もできない。
「あ、それとさー。彼女は君があのイケメン貴族に内心惹かれ始めてた事も知ってたよー?ま、だからこそ自分の惨めさが際立ったのかもねー」
「私は……惹かれてなんか…………」
そうだ、私はあの人とどうにかなろうなんて考えていない。むしろ、私の事は諦めてといって遠ざけようとしていた。
だからあの青年の言っている事は間違っている――――
「いまさら誤魔化しても意味なんかないでしょ。せっかくだから彼女が最後になんて言ったか教えてあげようか?――――〝ああ、これでやっと終われる〟……だってさ」
「あ……ああ…………あぁぁぁぁぁっ!!」
突きつけられた言葉を前に私はあらん限りの力で髪の毛を掻き毟って絶叫する。
気付きたくなかった、いや、気付いていたけど、目を背けていた真実。
全てを知っていたのなら、彼女が消えたいと願う原因は全て私にあるということ。
一年の中でたった一日しか存在しない私がこの身体本来の持ち主である彼女をそこまで追い詰めてしまった。
その変わらない事実を私は受け止める事ができない。
「――――と、そうだった。僕は別に雑談しに来たわけじゃないんだよねー。彼女の消えたいという願いを叶えたんだけど、それだと不公平だろ?だから君の願いも聞いて叶えてあげようってね――――で、君は僕になにを願うのかな?」
両の手を広げ、大きな身振りと共に感情の読めない笑顔を私に向け、問いかけてくる。
青年の正体だとか、どうしてそんな事ができるのかだとか、何のために私達にかまうのだとか、さっきまで浮かんでいた疑問を考えられるような余裕が私にはもうなかった。
「わ、たし……の……ね……がい、は――――――――」
その選択が最良だったのかは分からない。
ただ、私の願いを聞き届けた青年の笑顔がより一層、狂気染みて見えたのだけは覚えている。
もう私にはどうする事もできないけれど、願わくば彼女のこれから希望に満ちたものである事を祈るばかりだ。