第15話 《錬金術師》と記憶の神様
結局、その日の夜、進が自分の部屋に戻ったのは午前二時を過ぎてからのことだった。
日付が変わってしまっているので、その日、と書き表してしまっていいのかはわからないが。
スマホの明かりを頼りに、真っ黒に染め上げられた街道を一人、トボトボ帰ってきたのだが。
さすがに、ドッ、と疲れが襲ってきた。
(ふぁぁ。やばいな。これはベットに入ったらほぼ気絶状態になるやつだ。なんとなくわかるわ)
ベットに入って、五分以内に寝落ちしてしまうのはほとんど、気絶しているのと同じ、とどこかで聞いた気がするが、あれは本当なのだろうか。
パチン、と電気のスイッチを押すと、部屋が灯りに包まれる。
進は、部屋にある冷蔵庫から夜食用のおにぎりを取り出すと、レンジでチンして、一気にガブリと噛み付いた。
「いや、あっつ!」
フゥフゥ、吐息を吐きかけて、熱を逃すと一分ほどで食べ終えてしまった。
それで包んでいたラップをゴミ箱にヒョイと投げ込むと、ふぅ、と息をこぼした。
それから、色々あって、就寝の準備を終えると、彼は、さっさとベットの中に潜り込んでしまう。
そして、次の瞬間にはフツリと意識を手放した。
見事に気絶のような寝入り方だった。
というかこれ、気絶だよな。
《行間》
次に進が目を覚ましたのは、朝、ではなく白い空間の中だった。
ぐるりと、周りを見回してみると、そこは本だらけの場所で、ここがあの《大図書館》であることを進はすぐに理解することができた。
(しかし、なぜに今のタイミングで?)
進は疑問に思って、首を傾げる。
別に、今日は何か特別なことがあったわけでもないし。
というか、本当に何の用だろう。
「いや、タイミングとかは特に決まってないんだけどね。私が呼べば、進君はいつでもこっちに来れるわけだし」
声が、ふと帰ってきた。
この透き通るような声は紛うことなくメモリーのものだ。
実に二週間以上ぶりだがすぐにわかった。
彼女の声は、不思議と心に残るから。
(ん、で、なんの用事なんだ?)
相変わらず、ここでは口が動かないが、伝えたいことをそのまま心で思うというのもなかなか難しいものだ。
「まさか、タイミングの話は全部無視?! ひどい!」
美少女が何か突っ込んできたが、そんなこと知るか。
進は、首を傾げている。
「……はいはい、わかったよぉ。わかりましたよぉ」
数秒間の沈黙に先に耐えられなくなったらしいメモリーは、口の先を尖らせながら、少し不貞腐れたように声を発した。
「今日君を呼んだのは、丁度いい頃合いだからっていうのが一つ。けど、そういうタイミングを除いても、君には話しておくべきだと思ったのが、もう一つ」
メモリーが途中から、歯切れの悪い口調で苦笑しながら言ったのは、進も違和感を覚える。
元々、ずっと笑顔が顔に張り付いているような彼女だ。
だからこそ、そういう笑顔が曇った時に他人は、この場合進は、疑問を持ってしまう。
(いったい、本当にどうしたんだ?)
と。
言葉ではなく、唐突に心の中に湧き出てきた思いだから、包み隠すこともできずに、メモリーに伝わってしまう。
メモリーは、あぁ、ごめんね、と言って無理矢理にでも表情を取り繕おうとしている。
それが気に食わなくて進は、
(おい、だから)
と、少しイラついてしまう。
メモリーは、それに目を見開き、そっか、という。
音が、この会話の中でもメモリーの声しかないというのが虚しい。
何か他の音があったとしたら、少しでも気分を和らげてくれると思うのに。
こういう時に限って。
下を向いて、歯をギリリ、とならしていると。
不意に、パタパタパタという音が聞こえてきて。
進はそれが本をめくる音だ、時がつくのに数秒かかった。
何を、と思う前にメモリーが話し出す。
静かな声で。
「このまま、私が君にこの話を伝えることがなくて、後々取り返しのつかないことになるのなら、今伝えておくべきだと思ったから」
それは、紛れもない言い訳で、進からすればそれは、逃げているとしか思えなくて。
それでも反論できないのは、彼女がいつもよりも、疲れた顔をしているからだろうか。
少なくとも、何も思わない、なんてことはない。
(本当に、何の話かさっぱり見当がつかないんだけど)
進は彼女にそう言う。
それに対して彼女は、聞いてくれるの? といい、進は聞いてやるよ、と返す。
それじゃぁ、と言ったふうにメモリーは右手を、その胸の高さまで掲げた。
そして、ボソボソと何かを唱えると、その手のひらの上に本が生み出された。
《能力》。
いや、違う?。
何かが、決定的に異なっている。
あれは、
(魔法、陣?)
「そうだよ、それで間違いないよ。見ての通り、私たちには《能力》はない。《能力》はなくて、《魔法》はある」
(っ。お前は……)
「うん。私は《神》だよ。私は、この世界の《最高神》。俗に、《原初の四神》と呼ばれる神の一柱。《全知する者》。あるいは、《知る者》って呼ばれたりもするね」
いとも気軽そうに、そういった。
その後に、
「まぁ、今はほとんどの力を失っちゃっているから、神と言われるほど強くはないんだけどね」
とも。
進は、何となく気がついていて、確証も持ってきたから驚きはしない。
驚きはしなくても、畏怖はするが。
彼女がその気になれば、今ここで進を殺すことだって可能だと言うことだから。
「……大丈夫、そんなことはしないよ」
と、メモリーは言った。
(そうか。まぁ、お前が神様だろうが何だろうが、俺にはどうでもいいことだけどな)
進も、それに苦笑で返す。
「じゃあ、聞いてくれる? 私の話を。ううん、この世界が生まれる前の、誰にも語り継がれることのなかった《神世界の物語》を」
返事の言葉はない。
ただ一つ、縦に首が振られた。
落ちてくる、ここが。
世界が。
否である。
落ちていくのは自分である。
メモリーは、短く歌う。
優しい声音で。
「今宵にそれは明かされた。数多の軌跡はそこに残る。知識は文字に、文字は言葉に、言葉は世界に」
最後に一つの名をかたる。
魔のなきこの世界では語られなかった力の名を。
「術式形成、《忘却世界の鎮魂歌》」
その術式の真名は、sacrifice。
意味は、生贄。
転じて、世界創生のための多くの物語の死を指し示す。
進の意識は闇に飲まれる。
夢とはまたちがう、記憶の世界へとずっと、ずっとふかく落ちていく。
メモリーは慌てて彼の体を支えると、優しく微笑んだ。
座り込んで、彼の頭を、自分の膝の上に乗せて。
ふと、考える。
(……これで、良かったんだよね。___、ちゃんとこの物語を語り継げば)
《大図書館》は、こそ世界が続いて行く限り、大きくなり続ける。
それに対して、《神》がどこまでそれでいられるかなどは、わからない。
もしかしたら、いつまでもかもしれないし、全くそうじゃないかもしれない。
そうでなかったら、この神話は、どこかで終わりを迎えてしまう。
そんなことがあってはならない。
そんなことがあったら、《神》と《人間》の均衡がまた崩れてしまう。
けして、《神》のしたに人間がいて、《人間》の上に《神》があるわけではないと、誰かが知っていなければ。
《神》がいるから《人間》がいる。
そして、《人間》があるからこそ、彼女ら《神》が存在するのだ。
《行間》
時は末期。
時間という概念は、ない。
そもそも、空間だろうが時間だろうが、全ての物には《始まり》と《終わり》が定められており、それは《概念》ですら、例外ではない。
では、どうして全てのものにそれはあるのだろうか。
答えは、ない。
決められていない。
あるいは、その《始まり》と《終わり》のなかで失われてしまった、と言った方が正しいだろうか。
《神》にして《神ならざる者》の仕業、という説が一番有力だが、その真実を知るのは、おそらくそれを行った本人だけだろう。
神々は、いや、神々の王である《最高神》ですらもそれを恐れ、同時に敬った。
彼を俗には、《始まりと終わりの神》、もしくは《上に立つ者》と呼んでいる。
そしてその日、彼は自身を、終えた。
神々は、なぜと思うと同時にこれからは彼の存在に怯えなくても良いのだという喜びを感じていた。
はず、だった。
……何も、感じない。
何も思えない。
何もできない。
何も、何も何も何も___、何もかも。
《始まりと終わり》がなくなって、ありとあらゆる概念が、存在が、意図も容易く消え去って。
初めて、神々は気がつく……、はずだったのだ。
《最高神》ともどもが力を合わせて、やっと何かを取り戻した時、神々は初めて自分たちの《終わり》を目にしたのだ。
《上に立つ者》は、自分の《終わり》を定めたんじゃない。
自分たちは見放されたんだ、とやっと気がつく。
自分達だけでなく、そこにいるはずの人間たちでさえも。
全てが、終わりの時期だと彼は判断して。
そうして、《終わり》が世界を概念の外側から襲ってきて。
同時に、世界は《始まり》を迎えた。
「終わった」
と、彼《上に立つ者》は言った。
「ひゃー。にしても、派手に終わらせましたなぁ」
と、後ろから彼よりも、頭ひとつ小さな少年の姿をした神が顔をのぞかせる。
のちに《原初の四神》となり、またあるいは《魂の剣》と呼ばれる世界を作った神、《生み出す者》である。
《上に立つ者》はそちらを振り返る。
いや、そうなると一つの、矛盾が浮かんでくる。
終わった世界で、どうして《上に立つ者》以外が生きているのか、と。
そこに別の誰かがいれば、そうやって疑問に思ったのかもしれないが、あいにくさま、そんなものはどこにもいない。
「何だ、《生み出す者》。生き残っていたのか」
《上に立つ者》がそういうと、対する方はやれやれ、とでもいうように首を横に振った。
「いつも、《上に立つ者》が言ってるじゃん。無ければ、作れば良いんだって。無さえあれば何でも作り出せるって」
それは、彼が失われた概念ごと作り直した、ということだろうか。
「ハハッ、そうか」
「それに、手加減自体はかなりしていてくれたし。……いや、本気が出せなかったっていうのが正しい、か」
「……そう、だな」
《上に立つ者》は目を逸らした。
《生み出す者》は無理に目を合わせようとはせずに、かすかに無関心を匂わせながら続ける。
「それに、これくらいの《終わり》ごときで全て消えてしまうなんて。《神》どもの怠惰が目立つしね。罰としては、軽いくらいでしょ」
なぜ、本気が出せなかったかは、深くは追求するつもりがないらしい。
いや、語ってくれるとわかっているのか。
「……消して、しまいたくはなかった」
その言葉を聞いて、《生み出す者》は、ほっと息をついた。
「……でも、消さなければならなかった。お前が、《創造する者》と呼ばれるように、俺は、《始まりと終わり》なんだ」
「? つまり、それはどういう……」
疑問が返される。
一方は笑っていう。
「あの世界、という概念がある限り、《乱す者》と戦い続けなければならなかっただろ?」
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