第8話 《錬金術師》と《災害》
そこからさらに時間は進み、時刻は放課後となった。
進は、今日配られたばかりの新品の教科書を、これまた今日初めて使った新品のバッグに詰める。
本当は、あちらの世界で行うはずだった何気ない日常の行動を、新たなる生活の基盤となるであろうこの場所で行う。
変わってしまったな、とは思う。
(そういえば、メモリーのやつ、俺の頭の中の記憶をいじったのか? あっちでの生活がぼやけて…)
故に、寂しいとは思わない。
天智見広については忘れるはずがないのだが、それ以外の記憶が、あいまいになっている。
思い出せるクラスメイトと言ったら、小都里奈、彼女くらいだろう。
母の名も、よく思い出せない。
まぁ、だからなんだ、といったところだが。
言野原進は、そういうところにおいては人よりも感情というものがない。
否、感情を抱きたいと思っていない。
天智見広が見つからない世界なんて、ありきたりすぎる世界なんて、飽きてしまったから。
「なぁ、進。お前ここのこと、よく知らないだろう? 案内してやるよ。俺は、どうせ暇だしな。ハハッ」
そんな彼に、横からふと思い出したかのような声がかかった。
進は、そっちを向いて笑う。
「そうだなぁ、ここは馬鹿みたいに広いからなぁ。まだ知らないとこばっかりだ。案内よろしく」
「了解した。じゃぁ、どうしようか。まずは一通り回ってもいいし…。七不思議とか回ってみてもいいな」
「七、不思議?。小学生が大好きな? トイレの花子さんとか、ベートーヴェンがなんちゃらとかの?」
そういえば、小さいころ誰かさんが好きだったな、と思い出す。
誰とは言わないが、ヒントを言うなら、小都里奈が。
そんな進の言葉に、みことはコテン、と首をかしげる。
が、すぐにあぁ、と理解したように言った。
「そうか。進は田舎から来たからな。お前のところには、そんな風な七不思議があったんだな」
進は、目を見開く。
なんとこの世界には、トイレの花子さんも、ベートーヴェンも存在しないらしい。
ベートーヴェンについては、その人物自体いたのかどうかも怪しい。
少なくとも、音楽室に肖像画は飾られていなかった。
(いや、でもよくよく考えてみれば、日本が日本のままで存在することですら奇跡なのか。思い出してみれば、ここは、《IF世界》じゃないんだった。俺の知っているあっちの知識は考えないほうがいいかもな)
「……進? おい、進って。どうした? 急に固まって。行くぞ。時間も少ねぇんだ」
「っ、あぁいや。何でもない。ちょっと、考え事をしてただけだ。なんの心配もいらないから、案内、よろ」
いや、軽?! と、今度は突っ込まれた。
いや、どうしろと? と、進は返しながら、心の中では別のことを考えていた。
そもそも、この学園は、広すぎないか?、ということである。
「なぁみこと。どうしてここはこんなに広いんだ? グラウンドは、こんなに必要なのか?」
「? ああ、知らないのか。ここのグラウンドのほぼすべては、見せかけ、だよ。本当に面白いものは、地下にある。……ま、そろそろ新学年始まって、一か月たつし、そろそろ地上に出てくるんじゃねぇの? 校内ランク戦用の仮想戦闘スタジアム、総数五千台がな。さすがにそれだけじゃ、この敷地全部は埋まらない……、見たことはないけど、地下でそれの機械を動かしてるらしいぞ。」
「仮想戦闘スタジアム……ねぇ。みこと、それって今は使えないのか? 地上に出てこないと、とか」
進の言葉に帰ってきたのは、いいや、という否定の言葉だった。
進は、自分の心が高鳴ったのを感じた。
にやり、と口の端を上げると、もういてもたってもいられなくて。
気が付けば、口が勝手に動いていた。
「みこと、やっぱり案内はまた今度でいい。それより、俺と勝負しねぇか? 面白い、勝負を」
言われたみことは、一瞬黙り込んで、その言葉の意味を理解すると、進と同じようににやり、と口の端を上げた。
「なんだよ。いきなりこの学園の第五位と戦おうっていうのか? やっぱり、面白い奴だな、お前は」
「面白い奴、ねぇ。ちょっと違うだろ。俺は、恐れ知らずの大馬鹿野郎なんだよ、No5様?」
そういいあうと、たっぷり十数秒ほど見つめあいという沈黙が流れて……。
けっきょく、どちらともなく笑い出した。
メチャクチャ決め顔いていたお互いが面白くて。
そんなガラじゃないな、とお互い思って。
「それじゃあランク戦、いや、フリーマッチ、行ってみますか、こんちくしょう!」
《行間》
「よし、このルールでいいか。時間は……、二十分でいいな。あんまり長くしすぎても、時間がないし。あとは……」
地下にやってきた、二人だったが、みことは何やら固定型タブレットみたいなものをいじっていた。
そこで、ルールの設定をするらしい。
その間、進は暇なので近くに用意されていた、ベンチらしきものに腰かけて、足をゆらゆらと揺らしていた。
(ここが、仮想戦闘スタジアムの保管場所、か。なるほど、VRゲームみたいなものなのか。いや……ちょっと違うか)
ちょうどいい言葉が見当たらなくて、進はため息をついた。
ここにきてやっと本物の異世界とやらを見た気がした。
「よし、準備完了。スタジアムは勝手に決めてくれるランダムモードにしておいたけどいいよな」
「よくわからんが、海中で戦うとかいう無茶ぶりじゃなければ、だいたい大丈夫なんじゃね?。それでいい」
みことが途中何度か口をはさんできたけど、よくわからないので適当に返しておいた。
メモリーは、生きるための最低限度の知識はくれたが、逆に言えば、それ以上の知識は全くと言っていいほどくれなかった。
そして、この知識も、その最低限度の中には入っていなかったらしい。
基準がよくわからない。
それくらいくれてもいいじゃないか、と思う。
まぁ、彼女はいまここにはいないのだから無駄な叫びなのだが。
「最終確認完了。…よし、いいな。おい、進。ちょっとそこの上に立っといてくれ」
そんなことを考えていると、みことが何か言ってきた。
不思議に思いながらも、そこに立ってみる。
「っと、こうか?。おい、みこと。一応立ったけど、どうすんだ、これ。急に立っとけって言われてもなんのことだかわからねぇよ。おーい、みことさーん」
「ちょっと待ってろって。もうすぐ始まるから。ここまで来たら、もう何もしなくていいぞ?」
本当に何なんだよ、と言おうとした瞬間だった。
足元がほのかに光り、頭上から不意に機械音が再生された。
『情報確認終了。対戦者両者の指定場所への移動を確認。合意の確認。ステージ生成。__完了。これより最大継続時間二十分、ルール五本先取のランク外フリーマッチを始めます。___《転移》開始。』
次の瞬間。
ほんの一秒にも満たないわずかな時間。
進は少しだけの浮遊感を体感した。
何か、前にもこんなことが……、と進は思ったが、答えにはたどり着けず。
気が付けば、彼は全く知らない場所にいた。
《行間》
その二人の少年。
流起友野と天智未来は、ふとランク戦、いやフリーマッチ見る目を右に動かした。
「……そこでやっているのは、No5と、あとは、誰だ? 言野原……、なぁ友野、あんな奴いたっけ?」
未来の問いかけに、友野は少し考えるようにして、いなかったと思うな、と返事をした。
それから、
「あぁ、そういえば今日新しく編入生がくるって誰かが言ってたな……。No3だったけ? そいつじゃねぇか?」
と、首をひねりながら付け足す。
少し、眠たそうな目で、あくびを漏らしながら。
「なんだよ、そんなに眠たそうな顔して。夜まで何かやってたのか? いつもは、そんなんじゃないだろ。」
「ファァァ。ん、あぁ。久しぶりに守からの連絡があってな。今日は一睡もしてねぇんだ。眠ぃ」
そりゃそうなるわ、と未来はため息交じりに返す。
その言葉を友野は聞き流しながら、試合を見る。
その顔が不意にしかめられた気がして、未来は友野の顔をじっと見る。
しかし、その横顔は眠たそうなままだ。
(気のせい、か? 今何か、こいつから驚きに近い感情があふれ出てたような気がしたんだが……)
友野はその試合を眺め続けていて、未来の視線には気が付いていないようだった。
いや、気が付いたうえで敵意がないから無視されているのか。
おそらく後者の確率のほうが高いだろう、と未来は思う。
「あの転校生君は勝てそうかい?」
「……そんなわけがないだろう? 相手は、この学園のNo5だぞ?」
「あぁ、いや、聞き方が悪かったな。彼は、強くなりそうか?」
「……何を言わせたいのかは知らないけど、間違いなく化けるよ。あいつは。」
友野は、一瞬も未来のほうを振り返らずにそう答えた。
未来は目を見開く。
(マジかよ、あいつ。この流起友野にそういわせるか。)
とか、そういうことがとっさに頭の中に浮かんだのだろう。と、友野は思った。
微笑する。
「ま、それでも俺は負ける気はないけどな。絶対に、誰にも。」
「……どうして、お前は、いや、何でもない。」
未来は何かを聞こうとして、同時に言葉を詰まらせた。
受け付けていないのだ。
彼は、その先の言葉を続けてほしくはないのだ。
(なぁ、どうしてだ? どうしてお前はそうやって、いつも無理やりにでも前に進み続けようとするんだ? つらそうにして。)
答えは分かりきったことだから、未来は口にはしなかった。
そのことについて、友野は絶対に口を割らないから。
代わりに、彼がじっと見ている戦闘に目を戻す。
モニターに映っているその試合は、もちろんNo5が勝っていて……。
しかし、天智見広はそこで気が付く。
瞠目する。
三対零という状態なのだが……。
(ちょっと待て。三対零? 試合開始から七分経って? しかもその狭いステージでまだ三対零だっていうのか?)
補足、と言っては何だが、S級というのは最上級。
能力者全体においても最高峰の人間たちだ。
そこらのちょっと強いというだけの人間が簡単に相手できてしまうような相手ではないのだ。
一部の例外を除いて。
その例外が、目の前にいる。
そう思っただけで未来は口の端をさらに上げることしかできなかった。
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