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第4話 婚約者の暗躍

 夕食を摂る気にもなれず、夜まで部屋でぼうっとしていると、部屋のドアがノックされた。


「ウィルタ、入るわよ」


 入ってきたのはお母様だった。

 お母様はわたしの腰掛けるソファに来ると、隣に座り、やさしく抱きしめてくれた。


「お母様、エルサが…スパイだったなんて…」

「わたくしも驚いたわ。確かに我が家は近衛兵を多く排出してきた家系だけれど、娘として潜入させたところで得られる情報など大したことはないし…多少格上の家に婿入りさせたところで、労力に見合う諜報活動は難しいはずなのにね」


 お母様は淡々とそんなことを言った。


「そんな、スパイとしての成果の話なんてどうでもいいわ。わたしたちと過ごしていたエルサが、偽りの姿だったなんて…」

「なにを言ってるの?」


 お母様はきょとんとした声で、わたしの頬に手を添え、わたしを見た。


「ウィルタ。エルサがスパイだったことは事実よ。でも、ただの事実と、スパイであったことと、あなたが妹と築いた関係の、どれがあなたにとって大事?」


 わたしははっとして目を見開いた。

 スパイ、イコール嘘で固められた存在という先入観で、思考が染まってしまっていた。


 エルサと過ごした七年間が偽りなはずはない。それに、遠ざかるヴェルガ車から見えた、あの涙にくれたエルサの顔を、なぜ忘れていたのだろう。昨日のことだというのに。


 どうやらわたしはスパイという情報に、気が動転してしまっていたようだった。


 スパイだからなんなのか。


 エルサはわたしの愛する妹だ。スパイなんて嫌々やらされてたに決まってる。


「ごめんなさい、お母様。わたし、動揺していたみたい」

「無理もないわ。でも、わたくしたち家族は冷静にならないといけないわ。エルサがまたこの家に戻ってきて、笑ってるところを見るまではね」





 お父様の方で貴族関係を調べた限りでは、新しい情報は得られなかった。エルサが友人付き合いをしていた相手に怪しいところはなく、諜報活動ではなく、ただの友達付き合いしかしていなかったことが伺えた。


「一度、ディルケオンと話がしたいわね」


 わたしがそう決意すると、お父様は渋い顔をした。


「色々分からないところはあるが、君命だからね。リンジトルム侯爵家を突くのはよくない」

「けれど、ディルケオンも何かを知っているはずです。軍…少なくとも近衛兵隊も」

「だとしたら、なおさらだ。諜報機関の関わる作戦や機密だとしたら、我々が首を突っ込んではまずいことになるかもしれん」

「それは、そうですけど…妹に会いに行くだけです」

「…そうだな。妹に会いに行くだけ、か。よし、行ってこい。ただし、違和感を感じたらすぐに帰ってくるように[

「ありがとうございます、お父様」


 わたしはすぐに準備して、先触れを出した。

 通常なら、手紙などで日時を合わせるやり取りをするものであり、約束をせずに先触れだけ出し、直後に押しかけるというのは相当に礼を失した行為ではあるけれど、手紙で約束が取れるとは思えない。直接押しかけて、強引に通るしかない。


 案の定、リンジトルム侯爵邸では家令にやんわりと止められたが、わたしは三年間で数えきれないほど、この侯爵邸に来ていて、彼とも知己である。最終的にはディルケオンの了解を取り、わたしを邸内に案内してくれた。





 通されたサロンで待っていたのは、ディルケオン一人だった。


「やぁ。その内来るかもとは思ってたけど、早かったね」


 その顔はわたしを捨てた男とは思えない、いつも通りの顔だった。


「ごきげんよう。急に訪問して申し訳ないわね。…エルサは?」

「君に合わせる顔がないと言って、部屋に閉じこもっているよ」

「案内してくれるかしら?」

「まぁ待ちたまえよ。まずは座って。ちょうど、ティータイムだよ」


 侍女が丁寧な動作で紅茶のポットをテーブルに持ってくる。わたしは仕方なく、ディルケオンの正面の椅子に座った。


 供された紅茶は素晴らしい品質のもので、淹れ方も完璧だった。


 わたしは落ち着いて、考えを整理する。やはり、ディルケオンも何らかの目的があって、あの茶番に協力したのだ。


「エルサを、どうするつもり?」

「どうするもなにも、結婚して大事にするさ。父の持つ子爵位を継承して、領地に小さな館をもらうつもりだ」


 嘘だ。彼とも三年の付き合いである。というか、彼には隠す気が感じられない。


「茶番はやめて。エルサはまだ、何もしていないでしょう?危害を加えたり、捕まえようとするなら、絶対に許さないわ」


 ディルケオンは紅茶を飲み、ふっと笑った。


「何の話かな?」

「…いいかげんに…」

「分かった、分かった。悪かったよ。しかし、本当に早かったね」

「エルサのためだもの」

「全く、美しい家族愛だね。()()()()()()

「やっぱり、わたしたちの為なの?」

「他に、あんなことをする理由がエルサにあるかい?」

「ないわ。でも理由までは分からない。ねぇ、知っているなら教えて」

「今はまだ無理だ。悪いけど」

「どうして?」

「それが言えるなら、他のことだって色々言えるさ。…安心しなよ、君にも君たち家族にも、そしてエルサにも、悪いようにはしない」

「…信じていいのね?」

「君は、私のことを信用できないかい?」

「突然婚約破棄するような男を信用できると思って?」


 ディルケオンは苦笑した。


「それは正論だけど…それまでの三年間から考えてくれ」

「…信用、するわ」


 ディルケオンはにっこりと笑った。


「私のことを好きにはなってくれなかったが、それなりの信用を得られていたようで、嬉しいよ」

「今は正直、揺らいでいるけれど」

「悲しいことだね」


 ちっとも悲しくなどなさそうに、ディルケオンは言った。この人はいつもこうだ。優しくて、誠実で、だけど、のらりくらりと本心は見せてくれない。この三年間、信用はできるけど、信頼はできなかった。

 わたしに対する感情も、正直言ってよく分からない。

 少なくとも、平然と婚約破棄できる程度のものだった、ということは、今回のことで分かったけれど。


「ウィルタ。一つ言っておくよ」

「なにかしら」

「私は君を愛している。エルサのことに決着が着いたら、改めて君とやり直したいと思っているから、そのつもりでいてくれ」

「は?…はぁ!?」


 わたしは思わず、淑女らしくない声をあげてしまった。顔が急激に熱を持つのが、自分でも分かった。


「何を急に…」

「はっきり言っておかないと、君は分かってくれなさそうだったのでね」

「今まで、そんなそぶり…」

「君が鈍感なだけだよ。エルサや共通の友人は気付いていた」

「というか、婚約破棄した直後に言うこと!?」

「事情があることは、もう察しているんだろう?」

「それにしたって…!」

「これは、エルサの為なんだよ」


 わたしははっと息を呑んだ。


「そして、君のためだ。君がエルサを大好きだって知っているから、私はエルサの企みに乗って、かつエルサの狙う着地点ではない、より君の喜ぶ最後を準備している」


 そして、ふっと笑った。いつも見る、彼の笑顔だった。


「心配しないで。君やエルサにとって、最高の結果にしてみせる」

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