第2話 家族の想い
「お父様、ウィルタです」
お父様の書斎をノックすると、すぐに入室が促された。お父様は難しい顔で、度数の濃いウイスキーを傾けていた。
「すまないな。女王陛下直々の君命が下ったのだ。一体どんな手回しをしたのやら」
お父様はわたしの顔を見るなり、苦々しくそう言った。お父様が納得して婚約者の交代を受け入れたわけではないと分かって、少し嬉しい。
「お父様にも事情が分からないのですね」
「突然、今日の昼に君命の記された書類が届いたんだ。私にも何の事前連絡もなく、二人からの相談もなかった」
「そうなのですね…。お父様、この婚約破棄、何かおかしいと思いませんか?」
「おかしいと言えば婚約破棄自体がおかしいが…どういう意味だ?」
「ディルケオン様も、こんなことを前触れもなく、突然するような方ではないですし、エルサだって、わたしの婚約者を奪うのなら、なにかしらわたしに対して動きがあったはずです。それに、二人が惹かれあっているような素振りも見たことがありません」
「愛し合っていたというのが偽りだと?だとして、何の目的でそんなことをする」
「それを調べたいのです。お父様、エルサが結婚する一年後まで、この件について調査してもよろしいでしょうか」
「うむ…お前も納得したいだろうしな。いいだろう、やってみろ」
「ありがとうございます」
そうして、その日は就寝した。翌日はエルサが花嫁修行の名目で侯爵家に旅立つ日である。我が家に婿入りしないのであれば、ディルケオンが継承できる爵位は、リンジトルム侯爵家で持つ騎士爵か子爵くらいのはずだ。一年も前から住み込み始まる必要なんてないはずなのに…。
朝食もエルサは部屋でとったので、昨日の婚約破棄以来、エルサと顔を合わせてもいない。
昼前に、家族での見送りのときとなった。
この時、わたしの疑惑は確信となった。
エルサは今生の別れかのような顔をしていた。隠れて恋を楽しんでいた想いびとの元へ行くような高揚感はない。
「お父様、お母様…身寄りのないわたしを育ててくださってありがとうございます。最後にご迷惑をかけて申し訳ありません」
そう言う顔は涙に濡れていた。単なる嫁入りの際の親への感謝とは違うと、わたしは思った。これは違う。エルサはこれから、侯爵家で何かの戦いに挑むのだ。
エルサはわたしを見て、言った。
「お姉様…本当に申し訳ありません。本当の妹のように可愛がってくださったのに、裏切ってしまって…。もう妹とも思ってくれないでしょうが、お姉様なら必ず、ディルケオン様より素敵な男性と出会えると思います。お姉様の幸せを、心から祈っております」
そこにはわたしに対する罪悪感、それだけではない何かがあった。深い悲しみ、覚悟、そんなものがあるように思えた。
だからわたしは言った。
「エルサ。本当のことを言いなさい。なにか理由があるのね?」
エルサは目を見開き、明らかに動揺した。しかしそれは、ほんの一瞬のことで、すぐに表情を取り繕った。
「お姉様、信じたくない気持ちもわかります…しかし、わたしたちは愛し合ってしまったのです」
その言葉に真実はない。生まれたときからではないけれど、わたしはエルサの姉なのだ。だから分かる。
「信じてないのはエルサ、あなたよ。わたしを信じられないの?わたしたちウィシューニアの家族を」
「…もう行きます。わたしのことは忘れてください」
エルサはそれだけ言って、大型の鳥のような動物、ヴェルガが牽く車に乗り込んだ。わたしたちの顔を見ることもなく。
しかし、わたしは視力がいいのだ。
ヴェルガ車が走り出してしばらくしてから、後ろの窓に人影が見えた。わたしたちを見つめるエルサの顔がはっきりと見えた。エルサは泣きながら、わたしたちを見ていた。もう会えないかのように。その目に焼き付けようとしているかのように。
「お父様、お母様、見ましたね?」
両親も頷いた。やはり、エルサの本意ではない。
「エルサが幸せなら、何も言うまいと思ったのだけれどね…。ウィルタはディルケオン様を好きだったわけでもないし」
お母様がつぶやいた。確かに、突然でなければ、もし二人が恋をしていても、わたしは素直に祝福できただろう。
「そうだな。その通りだ。私達に隠し通す必要はない。ウィルタにも相談して、私にも相談して、然るべき手順で婚約者のすげ替えをすれば良かっただけの話だ」
お父様もそう言った。
「お父様、お母様。エルサがちゃんと幸せになれるように、この件、徹底的に探りましょう」
わたしたち、エルサの家族は一致団結した。可愛い娘を、妹を、あんな悲しそうな顔で嫁がせるわけにはいかない。
わたしたちは、エルサのことを愛しているのだから。
そしてきっと、エルサもわたしたちのことを愛している。だから、今回のこれは、わたしたちの為なのだ。
わたしたちの為に、ひとりで戦おうとしている。
そんなこと、許せる筈がない。
お父様の書斎に集まり、早速わたしたちは作戦会議を始めた。いったいなぜ、エルサがあんなことをしたのか。
「まずはエルサが仲良くしていた友人などから当たってみるか」
エルサが懇意にしていた貴族家は多くない。彼女は孤児になってから我が家に引き取られるまでの三年間、教会に付属する孤児院で暮らしていた。そのため、頻繁に孤児院に赴いていたからだ。
「そうよ、孤児院。教会のシスターなら、何か話を聞いているかも」
貴族家の方はお父様が調査してくれることになり、わたしは翌日、孤児院に向かった。