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台本置き場  作者: 語部 もどき
2/9

図書室の出会い、本に導かれるままに… プロローグ2

君はありのままに輝く太陽だった。

だから、決して交わらないと思っていた。



教室の中から賑やかな放課後の廊下を見遣り、彼女は溜め息を吐いた。人集りの隙間からは、見慣れた天真爛漫な笑顔が見える。

入学後間もない時期から、彼はいつも人の輪の中心にいた。特別目に入れようとしなくても、同学年同学科なら知らない人はいないくらいに彼はちょっとした有名人だった。しかしだからと言って鼻持ちならないわけではなく、むしろ気さくで飾らない性格が皆の心を惹きつけていたのだろう。

私とは真逆だ。私と君は別の世界に住んでいる。

彼女はそう思った。

「…良いな。」

憧れよりは羨望、嫌悪よりは絶望に近い微かな呟きは、誰に届くこともなく空に消えた。目を逸らすように鞄を掴んで立ち上がると、人混みを縫って彼女は今日も図書室へ向かう。


まだ図書委員が来ていないうちに一冊の本を手に取り、彼女は一番奥の机の窓際の席に座る。本を捲ると、目の前には異世界が広がる。現実の柵や自分という存在から解き放ってくれる本というものを、彼女は好んでいた。故に誰にも邪魔されることなく没頭できるこの空間もまた、彼女にとっては貴重だった。

ただこの本は少し異質だと、彼女は感じていた。読むと苦しくなるのに、目を逸らすことができない。それどころか、惹きつけられてしまう。主人公が自分と重なって、まるで本当にこの物語の世界に入り込んでしまったかのように…。


彼女がその一冊を手に取ったのは偶然だ。ただ単に、棚に並んだ本の中で背表紙の色が綺麗だったからというくらいの理由だった。しかし一ページ捲ってから、その魔力に取り憑かれた。すべてを読み終わったその日は余韻に浸る他、何も考えることができない程に。


「俺の言うことが聞けないのか?」

「本なんか読んでる暇があるなら勉強しなさい。」

「その服は俺の好みじゃない。」

「愛想良くできない?もっと明るい娘が欲しかった。」

従順に、勤勉に、お淑やかに、微笑みを絶やさずに…。彼女は常にそう望まれてきたから、そう在ろうと努力してきた。しかしその一方でいつしか気付けば自分は何を思い、何がしたい人間なのか分からなくなっていた。意見を求められても自分の意思を口に出すことはなく、目の前の相手が望むことを汲み取った回答しかできない。その中でただ一つ手放せなかったものが、本の世界だった。誰かに知られたらそれはいとも簡単に壊れてしまう気がして、誰にも言わずに抱き締めてきた。壊れないように嘘や誤魔化しを使ってでも、彼女は必死に闘いながら守ってきたのだ。

だからあの時彼に声を掛けられたこと、そして知られていたことに、彼女は驚きを隠せなかったのである。



それは、文化祭前のある放課後のことだった。彼女は春に学級委員に推薦され、意思とは裏腹に上手く断れずその役割を務めていた。文化祭の準備では人一倍やることも多く、当然積極的な姿勢も暗に要求される。

もうどこにも、ただの私でいられる場所なんてない。

彼女は、心の軋みをハッキリとそう感じ始めていた。その日の作業をすべて終わらせた後も、席を立てずにただぼんやりとしていた。

きっと心も身体も疲れているんだ。

そんなことを虚ろな瞳で考えていると、出入り口の方から軽いノックの音が聞こえた。

「…あの!」

「君は…。」

彼女は、目を見開いてゆっくり声の主を視界に捉えた。そして、すぐに目を逸らすように伏せる。

「あ、僕はA組の…。」

「知ってる。君、目立つから。」

慌てた様子で自己紹介をしようとするその少年の言葉を彼女が怪訝そうに遮ると、今度は彼が目を丸くする。

「そうかなぁ?でも、知って貰えてて嬉しいかも!何か照れるなぁ。」

彼は気恥ずかしそうにはにかみながら、頭をポリポリと掻いた。

「それで、何か用?」

「あ、うーん。用って程でもないんだけど、どうしたのかなぁ?って。」

「どうもしない。」

彼の精一杯の笑みに、彼女は冷たく返事をした。

「そっ…か。それなら良いんだ。」

「うん。」

言葉に詰まった彼に、彼女は尚も素っ気なく応える。気まずい沈黙が流れているにも関わらず、何故か彼は立ち去ろうとしない。何か言葉を探しているようだ。切り出される前に帰ろうと、彼女は立ち上がって逆側のドアに向かった。

すると、焦ったように彼は彼女を呼び止めた。

「ねえ!」

「何?」

「あのさ!僕もっと君と話してみたいんだけど、ダメかな…?」

「話す?」

眉根を寄せる彼女に、彼は頷いた。

「何でさっきあんなにしんどそうにしてたか僕には分からないし、言いたくないなら無理には聞かないけど…。」

「私、しんどそうだった?」

その問いに、彼は遠慮がちに再び頷く。そして心配そうに覗き込む顔を、彼女は睨んだ。

「それで、同情して話を聞くよって?」

「え?」

「もし私が本当にしんどそうに見えていたんだとしても、君には分からないと思う。」

呆気に取られる彼を置き去りにして、彼女は振り向かないように足早に教室を出る。

私、最低だ。

彼女は自分に悪態をついた。純粋な善意を踏み躙り自己嫌悪に浸りながら、逃げるように更に速度を上げる。

「…待って!」

彼に腕を掴まれて、否応なしに足が止まる彼女。その力は意外と強く、彼女の細腕では振り解くことが困難だった。

「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ!僕はただ…。」

振り向かないままの彼女に、彼は言葉を紡ぐ。大して息が切れるような距離ではなかったはずなのに、絞り出すように必死なのが彼女にも伝わった。

「その…ずっと前から君と話してみたいと思ってたんだ。」

「…ずっと前から?」

「そう、ずっと前から。」

目も合わせず発した彼女の問いに、彼は真摯に応える。そして少し腕を掴む力が緩んだ隙に振り解くと、ようやく彼女は彼を見る。

「…私は君と関わりがないはずだけど、何で?同情じゃないなら、からかってる?」

「違うよ!」

その真っ直ぐな瞳と言葉に、彼女は揺れた。

心当たりはなくても、きっと君の言葉は嘘じゃない。だからこれは、君と違う世界に生きる私が傷付かない為の醜い自己防衛だ。大嫌いな自分可愛さに、君を傷付けて。

彼女は、自分の胸の辺りをぎゅっと掴んだ。必死に見ないようにしていた気持ちが重くのしかかって、彼女の呼吸を奪う。

「…あ、え?ごめん!そんなに嫌だった?僕と話すの…。」

彼は急に慌て出した。彼女は理由が分からずにいたが、頬に温かいものが伝っていくのを感じてようやく事態を認識した。そして、彼女は首を強く横に振った。

「違う。嫌なのは、自分…。」

彼女が奥歯を噛み締めて止めようとする程に、涙はどんどん溢れた。まるで何かの糸がぷつんと切れて、言葉にならない思いがとめどなく押し寄せるように。

彼女のぼやけた視界の向こうで、彼は困った顔をしていた。

「ごめん、な…さい。私、最悪な…態度、だった…!」

「ううん、大丈夫。僕は傷付いてないから、君が謝るようなことは何もないよ。僕こそ、急に話し掛けたり変なこと言ったりしてごめんね。」

優しく紡がれる声に、彼女は再び首を激しく横に振る。すると、彼は柔らかく微笑んだ。そしてそれから彼女が落ち着くまで、彼は寄り添うように言葉もなく傍らに佇んでいた。

ようやく昂りが鎮まった頃、一つ深呼吸をして今度は彼女から声を発する。

「…それで、君は私に何を聞きたいの?」

その言葉に、彼は目を丸くした。

「良いの?僕と話したくないなら、無理しなくて良いんだよ?」

「大丈夫、だよ。」

彼女は拙く言葉を繋いだ。

本音を言えば、君の近くにいると私の嫌な部分がすべて炙り出されそうでまだ怖い。しかし、それは君のせいではなく私の問題だ。先程のような理不尽もすべて享受して、更に醜い姿も目の当たりにして尚私と向き合おうとする君に、これ以上の仕打ちはできない。だから、覚悟をしよう。

彼女は、目の前にいる相手の顔を真正面から見据える。彼も、彼女の目を見つめ返す。そして彼はその思いに応えるように、優しい笑顔を浮かべた。

「僕は君のことを知りたいんだ。」

「私のこと?」

彼は、人懐っこい笑みを満面に浮かべて頷いた。

「何が好きとか、嫌いとか。あとは…どうしたい?どうなりたい?いつも何を思って過ごしてるんだろう?その他にも沢山!君のことなら、どんなことでも知りたい。」

彼女は、未知の生物でも見るかのように少年を見つめた。

この人は、何を言っているんだろう。私のことを私はもう分からない。誰も興味も持たない。むしろ自分とは、私にとって邪魔なものだ。私はただ、周囲の期待に応えていくだけ。それだけの人間だ。そうでなければ…。

あまりの衝撃に言葉が出ず困惑している彼女に、今度は少しおかしそうに彼が笑った。

「今ここで全部教えてっていうのは難しいだろうけど…。」

「うん…。」

「…あ!」

彼女がかろうじて発した弱々しい返事に、彼は何かを閃いたとばかりに手を打った。

「良かったら、今度一緒に出掛けない?」

「え?」

「あ、その…。僕のことが、嫌じゃなかったら…。」

「嫌じゃ…ないけど…。でも、何で急に…?」

突飛な提案に困惑を深めている彼女に、彼は目を輝かせる。

「一緒に過ごしたら、お互いのこと結構知れたりするかと思って!」

彼は名案だとばかりに胸を張り、得意げな顔をする。

「どう?」

前のめりになる彼に、彼女は眉根を寄せて考える。その様子に、彼の顔が少し不安に曇る。緊張の面持ちで唇を結び、固唾を呑んで見守る彼を前に長考した後、

「…良いよ。」

と彼女は控えめな声で呟いた。



この選択が私の運命を変えた。

私達の物語は、こうして加速していく。

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