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台本置き場  作者: 語部 もどき
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図書室の出会い、本に導かれるままに… プロローグ1

西陽に照らされた君の真剣な横顔がとても綺麗だった。



一番前の席だからという理由で、ハズレくじを引いた。そんな不満に唇を尖らせながら足を踏み入れた図書室の一番奥の机。その窓際の席で、君は広げた本を静かに見つめていた。それが、僕が最初に見た君。


放課後の喧騒が遠く聞こえる中、ここには君が本を繰る乾いた音だけが心地よく響く。どうやら今は図書委員も席を外していて、僕達以外は誰もいないようだ。時折ページを捲る以外はまるで人形かのように微動だにしない君に図書委員の行方を尋ねようか一瞬迷ったものの、結局はその集中具合に声を掛けるのが憚られて断念してしまった。僕は先生に頼まれていた書類を一旦脇の机に置き、目的の人物を待つことにした。


音のない空間で、溜め息を吐く。無造作に紙の束が置かれる音や椅子を引く無骨な音が響いても、君は尚も変わらず動かないままだ。


君の視界に僕は入っていない。僕も無理に入ろうとしない。言葉や心を…とは言わないまでも、このままいたらせめて視線くらいは交わせる時が来るだろうか。そんな淡い期待を抱きながら、その日はやがて図書委員が戻ってくるまでぼんやりとその姿を眺めていた。ただ本を読んでいる、それだけの光景に目も心も奪われていることを不思議に思いながら。



あれから数日が経っても、君のことが頭から離れない。むしろ日に日に気になっていっているようにさえ思う。まるでこの世から切り取られていたかのように、あの日君の周りだけ時間が止まっていると感じた。何が君をそこまでさせるのか思いは深まるばかりで、ついには無意識に再び放課後の図書室へと足を向けていた。君が今日もそこにいる保証など何もなかったが、まるであの日からずっとそこにいたかのように、僕の記憶と寸分違わず全く同じ姿があった。見覚えのある背表紙が覗き、広げている本も同じだと分かった。


ふと気になって少し目を凝らすと、僕でもぼんやりと知っているような有名な作家の名前が見えた。徐にその作家の本が並んでいる棚まで行き、短編集を手に取って手近な椅子を引く。座って本を開くと、一番始めの物語に目を落とした。


強い西陽の差し込む穏やかな夕方、図書室には受付の机で突っ伏して寝ている図書委員の他は僕達しかいない。静かな空間に二人が紙を繰る音だけが木霊し、物語が一つ、また一つと目の前を駆けていく。喜びも悲しみもすべてを美しく描き出すような筆致に、再び目を上げた時には数センチ程の厚みがある本を半分くらい読み終わっていた。普段は読書などしない僕の身体が、同じ姿勢が続いたことで悲鳴をあげている。本を片手に持ったまま伸びをして、大きく息を吐く。そして何気なく時計に目をやると、なんとアルバイトの時間が迫っていることに気付いた。僕は急いで立ち上がると、本を元の棚に戻して乱雑に鞄を掴んだ。そのまま僕が図書室を後にしようとする時も、わずかに顔を上げて一瞥をくれる図書委員とは違い、君の視線が動くことはなかった。



それからは毎日のように図書室に通うようになった。相変わらず図書委員の他は僕達二人しかいない。しかしある日、いつものように図書室に辿り着くと見慣れた姿がないことに気付いた。何気なく本棚を見ると、君が今まで読んでいた作品が丁寧に収められている。僕はその本を手に取り、最早定位置となった席に着く。その物語が目に触れた瞬間から、僕は自分の胸に何か得体の知れない騒めくものを感じた。


魔法が存在する世界。稀少な変身魔法に特化した主人公は、その能力を活かして人々の望む姿を借りて生きている。その過程で本来の姿を忘れ変身した姿から戻れなくなり、失ったものの大きさを知ることになる。そして、己の心と身体を取り戻していく、という内容だ。


主人公はどうしようもない程に、自分という存在を軽んじ蔑ろにしていた。そもそも変身魔法自体、強い変身願望が具現化した結果得た能力らしい。それ程に主人公は己を嫌って否定し、周囲も常に都合の良い"誰か"でいることを望んでいた。そして更に主人公は、人々が望むものを正確に映し出す為には己という存在そのものが疎ましいとすら思っていた。皆が必要としているのは自分そのものではなく能力であると囚われ、変身魔法を得るきっかけとなった過去の傷を忘れられないまま生きていた。自分が自分であることで誰かに痛みを与えるならば、自分以外の誰かになりたい。しかしその願いを世界は本質的に叶えてはくれず、歪みと闘い、疲れ果て、それならいっそ自分などいなくなってしまえと、心も身体も自分に関する何もかもを捨てようとしていた。


好きなものを好きと言えず、嫌いなものでも望まれれば好きと言う。心を殺して命を生かし、やがてそれがその命をも蝕む。そんな在り方を僕は悲しいと思った。最後に自分のすべてを取り戻した主人公は、変身魔法と命を空に還し満たされた笑顔を浮かべ、そこで物語は幕を閉じる。救いがない話ではない。解釈も分かれるだろう。しかし主人公は、最後の一瞬以外ついぞ自分を生きることなくその命に終止符を打った。それをハッピーエンドと、僕には呼べなかった。


僕が図書室に来た時から君を虜にしていたこの一冊は、上手く言葉にはできないが、何かを教えてくれた気がした。僕はまだ君のことを何も知らないにも関わらず、この物語を通じて心の声を聞いた気がした。それは全くの気のせいなのかもしれない。しかし、だからこそ確かめたくなった。



僕がこの本を手にした次の日からは、また以前と同じように君はこともなげに図書室に佇んでいた。違いと言えばその手の中にある本くらいで、相変わらず僕に気付く様子は全くない。そのはずだが、どこか雰囲気が落ち着いた感じがするのは気のせいだろうか。初めて姿を見た時に感じた、まるで本に魂を吸い取られてしまっているかのようなあの独特な空気はない気がする。

結局何日も掛けて僕がこの本を読み進めている間も、それまでと変わらず僕達が視線や言葉を交わすことはなかった。読了してからもしばらくそんな日々が続いたが、季節が移ろう頃、意外な形でその静けさは破られることになる。


それは、ある放課後のこと。来たる文化祭の準備が長引き、その日は図書室に寄らず真っ直ぐに帰ろうとしていた。他のクラスの出し物は何なのか気になり、歩きながら横目に各教室を眺めていると、三つ目の教室に差し掛かった時に見覚えのある姿が目に入った。規模の大きい学校故にすべての生徒を把握するのは難しいと常々思っていたが、僕が気になっている人物は同学年で意外と近い場所にいたのだとこの時初めて知り、わけもなく少し胸が高揚する。最初は居残って文化祭の準備作業をしているのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。君は明かりの点いていない薄暗い教室で席に座って、ただぼんやりと前を眺めている様子だった。その光景は酷く感傷的で触れるのも躊躇われる程のものだったが、僕は微かに震える手を握り締め、勇気を出して半開きの引き戸をノックした。



それが、僕達が初めて視線を交わした瞬間。そして、僕達の物語が動き出した瞬間。

この気持ちの名前は、僕にはまだ分からない。君も知らない。胸を締めつける、僕だけの秘密。

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