番狂わせ
前世で私は、ひったくりにあい、ひっぱられた勢いで、道路に飛び出してしまった。そこで車に轢かれ、命を落とした。でもそれは、私だけではなかったのだ。ひったくり殺人犯も、命を落としていた。そして私と同じ。この世界に転生していた。しかもキリマンとして。
衝撃的だった。
だが同時に腹落ちをした。なぜキリマンが、急に私の体を触るようになったのか。もしかするとキリマンは、学園へ入学する直前に、前世の記憶を取り戻したのかもしれない。つまりはひったくり殺人犯として、覚醒してしまった……。
「マテラ聖女様、申し訳ありませんでした。咄嗟のこととはいえ、あなたを突き飛ばしてしまいました」
ミゲルが、騎士のように跪き、私の二の腕を掴んだ。
その顔は申し訳ない気持ちでいっぱいとなっており、今にも泣き出しそうだった。
「私は大丈夫です。もし突き飛ばしていただくことがなければ、私は……背中から刺されていたと思うので」
「そうならずに済み、良かったです」
そう言うとミゲルは私の両手を取り、ぎゅっと握りしめ、自身の額に押し当てた。
「私は無事ですが、ミゲル副神官長こそ、問題はないですか?」
顔をあげたミゲルは一瞬驚いた顔になり、心をほぐすような笑顔になった。
「ご心配には及びません。わたしはこれでも、王太子のもしもの時のスペアとして、生きてきましたから。一通りの武術の訓練はしていますし、王太子教育も終えています」
「そ、そうなのですか……!」
これには驚いてしまう。
確かに第二王子は、王太子に何かあった時、代わりを務めることになる。でもそうならない可能性の方が、大きいと思う。一生を第二王子として……彼の場合は、副神官長……神官長としてその生を終えるかもしれないのに。あの厳しい王太子教育を終え、武術も身に着け、神官としての修練を積んでいる。しかも現在、副神官長。いや、そうか。ミゲルは間違いない。彼はこの後、王太子になる。
キリマンの正体は、転生していたひったくり殺人犯だった。そしてひったくり殺人犯は、キリマンの名を汚すような、恐ろしい行為を遂行してしまったのだ。廃太子どころではすまない。……処刑だろう。
「あ……」
気づけばミゲルに抱き上げられていた。
「今日のところは残念ですが、プロム(卒業舞踏会)はこれで中止でしょう。お召し物もボロボロです。ひとまず別室へご案内します。着替えも用意しますから、ご安心ください」
言われて自分のドレスを見ると、裾のレースはボロボロ、フリルも破れていた。ドレスというのは繊細な作りなので、雑に扱えばすぐに痛んでしまう。
「ありがとうございます」
こうやって抱き上げられていることで、改めてミゲルが、線の細い副神官長なのではなかったのだと、気が付く。着やせしている、細マッチョだったのね。
「兄上がまさかマテラ聖女様を、聖女であると知ってからもなお、手に掛けるようなことをするなんて……驚きました。本当に怖い思いをしましたよね。後ほど神聖力を誓い、癒しを与えさせていただきます」
「ミゲル副神官長、殿下は……ある時から悪魔に、体を乗っ取られたのだと思います。本来の殿下であれば、あんな行動をとらないと思うのです」
私の言葉にミゲルはハッとした表情となり、その銀色の瞳をこちらへと向けた。抱き上げられているから、ミゲルの顔がとても近く、思わずドキッとしてしまう。
「マテラ聖女様も……お気づきだったのですね……。実は国王陛下夫妻もわたしも。兄上の性格が、突然変わってしまったと、思っていたのです。それは……ちょうど三年前、学園に入学される前のことです。突然わたしに、女性には聞かせられないような話を始めて……」
そこで一旦話すのを止めたミゲルだったが、真摯な表情となり、再び口を開いた。
「悪魔であれば、聖女様の力で、どうにかできないのでしょうか?」
それは難しい話だった。悪魔が乗り移ったという表現は、正しくて、正しくはない。悪魔のような魂を持ったひったくり殺人犯が、キリマンとして転生していた。聖女の聖なる力はとても強いが、こればっかりはどうにもできない。……そう思うけれど、試してみないと分からない。
「助けられるのであれば、助けたいと思います。でも殿下の魂は、既に悪魔に食いつぶされている可能性が高いかと……。ただ、結果は出ないかもしれません。でも試してみることは、できると思います」
「そうですか。では父上にも相談してみます」
国王陛下と呼ばず、父上とミゲルは呼んでいる。今、この瞬間。彼は副神官長という立場ではなく、家族の一人として、実の兄であるキリマンのことを、心から心配しているのだと伝わって来た。
神殿に通う三年間。ミゲルとは数えきれない程話し、その人柄も理解している。彼はとても優しい。そばにいて癒される。安心できた。特にキリマンが、ひったくり殺人犯として、前世記憶を取り戻して以降。本能的に私は、キリマンを怖く感じていたようだ。その反動もあり、ミゲルの落ち着いた雰囲気、穏やかさに、とても心が安らいでいた。
「こちらです。すぐにメイドを呼び、着替えられるようにします」
「ありがとうございます、ミゲル副神官長」
応接室らしき部屋のソファにおろされ、ミゲルは部屋を出て行った。
その瞬間。
全身から力が抜ける。
今日という日に向け、準備は万端で挑んだつもりだった。
でも……。
まさかの番狂わせがあった。これは全くの想定外。盛大にキリマンにざまぁをしてエンドかと思ったのに。まだ終わらないのね。
本当に、あのひったくり殺人犯までもが、この乙女ゲームの世界に転生していたなんて! いまだに信じられなかった。
ただ、断罪は回避できた。王太子ルートで待つ、断頭台送りは免れたのだ。さらに聖女としての覚醒。これにはきっと意味があるはず。
「失礼します」
宮殿に仕えるメイドが、ドレスを手に部屋に入って来た。