悪役令嬢でした
気が付くと、乙女ゲームの世界に転生していた。
直前に残る記憶の私は、会社帰りで、コンビニに行こうとしていた。そこで突然、肩にかけていた鞄を……多分、ひったくられたのだと思う。ひったくられた勢いで道路に飛び出してしまい……。あとは眩しい光、その後は闇。以降の記憶はなし。
その後、目が覚めると、私を覗き込む男女の顔が見えた。
バターブロンドの髪に碧い瞳、そして鼻の下には口髭がある、優しそうな男性。貴族が着るようなフリルのシャツを着ていた。その隣にいるのは、ホワイトブロンドに、ヘーゼル色の瞳の綺麗な女性。二人の会話から、彼らは夫婦であり、そして私は……この二人の子供……赤ん坊なのだと理解した。同時に自分が前世の記憶を持つ転生者であることは分かった。かつどうやら西洋のようであり、貴族がいる時代に転生したらしい……ということまでも把握した。
ただ、エッカート伯爵夫妻、乳母のコナ。他にも使用人も沢山いたが、まだ自分が乙女ゲームの世界に転生したとは、理解できなかった。
でも少しずつ成長し、屋敷以外の場所や街に連れて行ってもらい、宮殿へ行き、この国の名前がタウンセンド王国と聞いた時。
うん? 聞いたことがある。聞いたことがあるが、それは前世で実在していた国ではないと思う。でもどこか聞き覚えがある……。
そう思っていた矢先だ。
両親に連れて行かれたお茶会。それはただのお茶会ではない。宮殿の庭園で行われるお茶会だった。そこで出会ったのが、キリマン・ヘンリー・タウンセンド第一王子。まだ王太子になる前の、四歳の少年だった。顔を合わせるまで、誰に会うかは明かされていない。だがその顔と名前を聞いた瞬間に閃く。
彼は乙女ゲーム『今日から君もプリンセス~恋と魔法の物語~』のヒロインの攻略対象の一人ではないか、と気づいた。さらにそこには宰相、騎士団長、公爵家の令息もいたのだ。皆、攻略対象!
そこでようやく自分が乙女ゲームの世界に転生したことを理解するのだ。
自分の名前、マテラ・エッカートでなぜ悪役令嬢であると気づけなかったのか。その理由はニックネームのせい! マテラなんて短い名前だから、マテラという表記でいいのに。ゲーム内では親しみやすさを出すための演出なのか。マッティーと呼ばれていたのだ。さらにファミリー・ネームの方は、人物紹介に一瞬出てくるが、正直、覚えていなかった。
攻略対象とヒロインの名前を覚えるのが優先で、悪役令嬢はマッティーとしか認識していなかったのだ。
せっかく前世記憶を赤ん坊の頃から持っていたのに。悪役令嬢としての回避行動もろくにしないまま、一つ目の運命の分かれ道、王太子の婚約者になる場に来てしまった。
この宮殿で行われたお茶会こそ、マテラが攻略対象の一人、キリマンの婚約者として顔合わせをする場だったのだ。
乙女ゲーム『今日から君もプリンセス~恋と魔法の物語~』の悪役令嬢の断罪は、ヒロインが誰を攻略するかで変わってくるものの。一番シビアな断罪がキリマンだった! 何せ断頭台送り。理由は言うまでもない。ヒロインの毒殺を試みた……からだ。
伯爵家の令嬢として生まれたマテラは、母親似のその美貌が認められ、キリマンの婚約者に選ばれている。エッカート家は伯爵家の中では最上位であり、歴史もあった。さらに女性の美しさで知られる一族。
この世界では、美しい女性から美しい女子が生まれれば、それは政治のコマとして使える。つまり隣国との政略結婚の道具として活用できた。それもあり、マテラが選ばれたわけだ。
その結果、マテラは自身の美貌を誇りながら成長する。でもそうなるのがよく分かるぐらい、マテラは美しかった。身長もこの時代の女性にしては高く、肌はミルクのような触り心地で、髪はシルクみたいに艶やか。ドレス映えする体型であり、この国で一番の美姫と、もてはやされた。
そんなマテラなのだ。
美人というより、可愛らしいヒロインに婚約者が攻略されれば……。そのプライドは傷つけられる。ヒロインへの嫌がらせがエスカレートし、ついには毒を……というわけだ。
婚約は回避できない。そしてまだヒロインがキリマンを攻略するとは決まっていない。
よって。
すべきことは他の攻略対象との関わりをとにかく避け、キリマンの婚約者として、王太子妃教育に粛々と取り組む。もうそれしかないだろう。後はヒロインが登場――王立タウンセンド学園に入学してからは、より一層大人しくする。ヒロインにもキリマン以外の攻略対象にも、近づかない。……さすがにキリマンに近づかないわけにはいかないだろう。婚約者だから。
今は、それぐらいしかできない。できればヒロインが、キリマンを攻略対象に選ばないことを願い、過ごすしかない――そう、お茶会の席で瞬時に決めた。