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「ご心配なく。たとえ陛下が私の手を取ってくださらなかったとしても、臣下としての忠誠は変わりません。……陛下はまだお若い。残念ですが、私よりももっと若く、きらびやかな貴公子を選んだとしても、それは仕方がないことです」


「若いとか、そういうのは別に……」


 むしろ若く美しい、同世代の青年貴族は苦手だ。彼らは過剰なまでの自信に溢れ、徒党を組み、こちらを遠慮なく値踏みした上、嘲笑を浮かべるからだ。


 そこまではベルミカを蔑んだ令嬢たちと大差ないが、始末が悪いのは、時にギラギラと獣じみた視線を向け、わざとらしく大声を上げ己を誇示するところだ。理解し難い、恐怖の対象でしかない。






 即位間もない頃は、特に酷い目に合わされた。


 宴の最中に、酔ったどこぞの令息に腕を取られ、強引に壁に押え込まれた。それどころか「宮廷流のダンスは覚えられましたか、陛下」と笑い声を立てながら、体を密着させ、腰を振る真似までされた。修道院育ちとはいえ、ベルミカにもそれが意味することくらいはわかる。


 あまりの不敬と侮辱に目の前が真っ赤になった。周囲は青年の行為をほんの戯れとばかりに、平然と笑って見ているだけで、助けてはくれなかった。それどころか、恐怖と羞恥から子供のように泣きじゃくるベルミカこそ無粋とでも言うように、冷ややかな視線を向けた。


 女王とは名ばかりの、自分の立場と力の無さを、改めて思い知らされた出来事だった。圧倒的な力にねじ伏せられ、公の場で辱められる恐怖はこの先も忘れられないだろう。






 対して、こうして腹を割って話すゼノスに不快感はない。自分よりも圧倒的に強大な存在でありながら、強引に己を押し付けるのではなく、ベルミカの意志を尊重してくれているのがわかる。これが大人の余裕というものだろうか。


「陛下がもし私を本気で疎んじられているなら、潔く身を引きます。――お嫌ですか?」


「嫌、ではないけど……」

 

 ここまで迫っておいて、最後の決定権を委ねてくる辺りはずるいと思った。そもそも、寝室に呼びつけたのはベルミカの方だ。今更後に引けないことなどわかっているだろう。




「ならば私に、陛下の愛を乞うことをお許しください」


 はっきりと自覚していたわけではないが、多分ベルミカの初恋はリオル中尉だった。子供相手にも礼儀正しく見目の良い青年士官は、少女だった自分の憧れだった。


 そして初恋の人は、年齢を重ねても美しさを損なうどころか、深みのある優雅さを身に着け、一層魅力を増している。


 正直、宰相としての彼の言動に物申したいことは山ほどある。ただ困ったことに、ゼノス個人を忌避する理由は見つからなかった。かすかな悔しさと共に、ベルミカはむっと口ごもった。




「……愛しています、ベル」


 彼が士官だった頃は気さくに呼びかけられていた愛称を、十年越しに低く艶のある響きでささやかれ、心がざわめく。


 誰にもまつろわぬはずの『悪辣宰相』が、唯一自分だけを求めようとしている。その事実に、感情を動かされるなという方が難しい。




 ふいにゼノスが手を伸ばす。指先があごをかすめ、頬に手が寄せられる。直に伝わる熱に、ベルミカは思わず身じろいだ。むず痒かったが、払い除ける気にはなれなかった。


 そういえば彼が手袋を脱いでいたことを思い出す。いや、手袋どころかそもそも――ベルミカはそっと視線を外す。




「……宰相、風邪をひくわよ。そろそろ服をちゃんと着なさい」

 咳払いをし、わざとそっけなく言うと、吐息で笑われた。


「それは二度手間になる可能性が高いのでは?」


 服を着る二度手間、その言葉が意味することを悟り、顔が火傷するのではというくらい火照る。目の前がぐるぐるしてきた。




 肌の薄い首元に触れるか触れないか位置で、ゼノスはベルミカの後れ毛に指を絡ませ、その感触を楽しんでいる。指先の熱と、彼のまとうフゼアの香りが鼻先をかすめた。くすぐったかったが、嫌な気分ではなかった。


 いっそこの焦燥に身を委ねれば、身のやり場のない不安が消え、満たされるのでは――。

 

 ぼんやりとそう思った瞬間、ゼノスが身を乗り出した。大きな手が髪をかき分け、うなじへ回る。顔を引き寄せられ、思わず目を閉ざし身を固くするが、彼はベルミカから取り立てるような真似はしなかった。




 前髪をたどたどしく指で掻き分けられ、傷痕がある場所に一瞬だけ唇が触れた。恐る恐る目を開けると、労わるようにベルミカをうかがう金色の双眸があった。そしてもう一度、額へと唇が寄せられる。


 それは無理に暴くことのない、ただ寄り添うことを伝えるだけの優しい行為だった。こんなふうにベルミカを扱ってくれる人など、ずっといなかった。


 ――自分にも大切にされる価値がある。そうと信じさせてくれる、壊れ物に触れるような手つきに、ベルミカの唇が震える。また泣きそうになった。




 涙の浮かぶ目元に、頬に、顎にと、ゆっくり落されていく口づけは、まるで番いを慈しみ毛繕いする猫のような、ただただ愛おしむだけの仕草だった。ベルミカは胸元をぎゅっと握る。胸が締め付けられ、苦しいくらいドキドキしていた。


 やがて唇同士が触れ合う寸前、ついにめまいに耐えられなくなり、ベルミカの体が傾いだ。椅子から落ちる前に、しっかりとゼノスの腕に抱き留められる。


「陛下!?」


 ベルミカを抱きかかえたゼノスが狼狽した声で呼ぶ。ベルミカは荒く息をつくのが精一杯で、返事は返せなかった。




 ぐるぐると回る視界の中で、ゼノスが「……あっ」と気まずそうな表情を浮かべる。


「まさかワイン二杯でここまで酔われるとは……どおりで様子がおかしいと思った」


 意識が落ちる寸前に、どこか悔し気な声を聞いたような気がした。








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