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「――再会したらまた遊ぼうとは言いましたが、まさか夜の方の伽に呼ばれるとは思いませんでした」
「だから、それは……悪かったわよ……」
しれっとした顔で薄く笑うゼノスに、ベルミカは真っ赤になって口ごもる。
空いたグラスにワインを注がれ、恥ずかしさを誤魔化すため一気に飲み干す。鼻の奥を突き抜ける芳香に、少し咳き込んだ。
気を取り直してベルミカは問う。
「そんなことより、どうして名乗り出てくれなかったの? あの頃から私がセベク家の娘だと知っていたでしょう。いくらでも機会はあったはずよ」
「友人となった少女に国を守るなどと豪語しておきながら、結局約束を果たせなかったのです。戦場でまた怪我を負い、今度は利き手をやられました。情けないことに、その後は終戦まで本営でお偉い方のお茶汲みです」
ゼノスは自嘲しながら、ベルミカの前で右手を何度か握ってみせる。薬指と小指の動きが確かに悪い。
「あなたのことずっと左利きだと思っていたわ……」
ゼノスは厳格な性格が反映された、癖のない綺麗な字を書くのでまったく気がつかなかった。
「必死で訓練をしました。今では日常生活に不自由はありませんよ。ただ戦場で利き手の機能を損なうのは、竜騎兵として致命的です。……私は無駄に若者の命を散らせた挙句、その弔い合戦にも挑めなかった。そんな男がどうして過酷な環境を生き延びた女王に、ぬけぬけと名乗れましょう」
ベルミカは唇を噛む。
「私は何もしていないわ。……先王陛下の崩御があと十年、いえ五年も遅かったら、あなたが国王になっていたはずだわ」
息子と妻が敵国縁の人間であったため、先代ハイレル家当主は王位を辞退した。
ディル王国と停戦協定が結ばれた後は、外交のため特使が互いの国を行き来し、国民の間にあった敵対感情は徐々に解消されつつある。
ゼノスも父の跡目を継ぐまで、外交官として尽力していたことは有名だ。あと数年もすれば、正常な国交が始まるだろう。そうなれば、ゼノスが王位を継ぐのに何の問題もなかったはずだ。
「たまたまあの時期に、王位継承権を持つ人たちが亡くなったから、私にお鉢が回って来ただけ。私は父の影に怯え、修道院で息を潜めてただ生きていただけよ」
「そうです。他の王位継承者が息絶える中、陛下はご自分を守って生き抜かれた。そして、この悪意に満ちた世界の中で、一番大切な物までは奪わせなかった。……これがどれほど素晴らしいことかわかりますか?」
「どういう意味?」と問おうとしたところで、その前にある事実に気づいた。
「……そうだわ! 考えたら今からでも遅くないじゃない。あなたが王位を継げばいいのよ。譲位したら、私は修道院に戻って一生結婚はしない。それならこの先も、あなたや子孫の邪魔にはならないでしょ?」
「修道院に戻る……?」
一際低い唸るような声音に、ベルミカは身を竦ませる。
「そんなことは認めない! やっと……やっと私はあなたの前に立つ覚悟を決めたんだ!」
まるで年若い少年のような食い下がり方に、ベルミカが困惑する。いや、むしろこれが彼の本性なのかもしれない。堪えきれない感情に涙を流していた、リオル中尉の姿を思い出す。
「あなたがいないのなら、私がここに存在する意味もありません」
忌々しいほど冷静な『悪辣宰相』の言葉とは思えなかった。熱に浮かされたような訴えに、ベルミカの頬が赤くなる。これでは本気で言い寄られているようだ。
「私、あなたがわからない……。そこまで気にかけてくれていたなら、やっぱり名乗り出てほしかったわ。即位してすぐに私の元に来られなかったのは、あなたに大切な役目があったからだとわかるけど」
ディル王国との和平を進めるのに、あちら側の王家の血を引くゼノスの存在は重要だった。きっとベルミカ以上に、彼の代わりは誰にも務まらなかっただろう。戦場に後悔を残してきたゼノスだからこそ、和平にかける意気込みも人一倍だったはずだ。
それでも手紙の一つくらいは欲しかった。もし即位間もない不安の日々の中、ハイレル家の子息がかつての友人だと名乗り出てくれていたら。いずれ宮廷に参じると知らせてくれていれば。それを心の支えにできたはずだ。
「それにあなたは宰相になってすぐに、私の味方をことごとく宮廷から追い出したじゃない。……私のことも疎んじていて、いつか自分が玉座に座るために、都合の悪い人たちを追い出したのだと思っていたわ」
「目障りな人間を消したことは否定しません。そして陛下の元に参じるのが遅かったことも事実。……それについては、お詫びのしようがありません」
「そうよ……私はずっと、一人きりだったんだから」
ベルミカは膝の上で、ナイトドレスのスカートをぎゅっと握った。