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20【終】




「単刀直入に言うけど、私妊娠していると思うわ……多分」


 紺の地に金糸の刺繍が施された大礼服姿のゼノスが現れると、前置きもなしにベルミカはそう告げた。


 ゼノスからも、火急の要件ほど結果から簡潔に伝えるよう言われているのでそうしたが、我ながらもっと他に言いようがあったのではと、直後に思った。




 ゼノスはしばらく表情を固まらせた後、口元を押さえ長く息をついた。その反応に不安が込み上げてきたが、口元が弧を描くのが見えた。


「ゼノス?」


「ああ……最近妙に塞ぎ込んだり、落ち着かないご様子でしたが、そういうわけだったのですね。結婚式が間近になると気鬱になる女性は多いと聞いていたので、てっきりそういうものかと」


「おかしいとは思ってたのね……」


 かすかな落胆と共にベルミカは肩を落とす。周りから不審に思われないよう、いつも通りの振る舞いを心掛けていたつもりだったが、あまり上手くいっていなかったようだ。幸いにも、いわゆるマリッジブルーだと思われていたらしいが。




 ゼノスはふいに表情を険しくして、考え込む。


「そういうことでしたら、今日の工程を見直さないと。――いや、その前に侍医を呼ばなくては」


「待って、それは駄目! 侍医を呼ぶのも後にして。今日を迎えるためにどれほどの人が心血を注いでくれたと思っているの!」


「そんなことよりも御身を第一にお考え下さい。今日は長丁場になりますし、緊張を強いられる状況はご負担になるはずです」


「体調は悪くないの、本当よ。式の最中はゆっくり歩いて、立っているだけだからなんとかなるわ。それに妊娠したのかもって気づいてから、式典のことを考えるのは二の次で、緊張するのも後回しになっていたくらいなの。……お願い、ゼノス。絶対に無理はしないと約束するから」


 すがるように訴えると、険しかった眼光がやわらいだ。ゼノスはしばらく考え込む素振りを見せた後、ベルミカへ問いかける。


「本当に無理はしないと、何か違和感があればすぐに私に伝えると約束しますか?」


「約束する! だからお願いっ!」


 ベルミカも譲る気はないと察したのか、ゼノスはしぶしぶといったていで頷いた。


「……では当初の予定通りに。ただし、いざという時のために侍女頭のロッサム夫人にだけは正直に伝えてください」


「わかったわ……」


 女王にも容赦のない、侍女頭からの叱責を想像して気が重くなったが、これ以上の我がままは言えなかった。




「陛下」

 

 ふと視線を上げると、隠し切れない愛おしさをにじませた金色の瞳に見入られ、どきりとする。


「おめでとうございます。そして――ありがとうございます、ベル」


「それはお互い様でしょう。私一人でどうにかできることではないもの」


 ベルミカは言うべきか迷ったが、結局秘めていた本音を告げることにした。


「実はね、私は子供を儲けられる体じゃないのかもって自信がなかったの……。こちらこそお礼を言うべきね」


「そちらの務めについては、お礼を言われるのも気が咎めるほど、私にとっては幸福のひと時だったのですが」


「……だから、わざわざそういうことを口にしないで」




 ベルミカが真っ赤になって睨んでいると、大股で歩み寄って来たゼノスに抱きしめられた。その遠慮のない力加減にベルミカは慌てる。


「ドレスが皺になっちゃう! せっかく苦労して、侍女たちに着付けてもらったのよ」


「ああ、すみません。まいったな……信じられないくらい幸せで」


 ゼノスはいつもの余裕ぶった笑みではなく朗らかに破願していた。力を緩められた腕の中でベルミカは目を丸くする。


「……そこまで喜ぶなんて少し意外だったわ」


「愛する人が自分の子供を宿してくれたのです。うれしくないわけがないでしょう」


「だって……正直あなた、幼い子供が得意そうには見えないもの」


 ゼノスは理知的な人間で合理性を好む。常識や道理が通じない子供は苦手なのではと勝手に思い込んでいた。そう告げると、今度はいつもの澄ました表情で片眉を上げた。


「見くびってもらっては困りますね。ご存じのはずです、 私が初対面のはにかみ屋の少女ともすぐに仲良くなれたことを」


 その言い分にベルミカは少し考えてから、くすりと笑う。


「確かにそうだったわね」




 子供というのは案外、大人の嘘や誤魔化しを見抜くものだ。十年前のゼノスは、まだ子供だったベルミカにも一個人として敬意を払い、常に同じ目線で接してくれた。だからベルミカはすぐに心を許し、そしていつしか淡い恋心を抱いた。


 思えば、幼く無力な少女と若き士官に過ぎなかった自分たちが、ずいぶん遠くまで来てしまった。淡い初恋は深い愛情へと姿を変えたが、同時に清さや美しさだけで語れる関係ではなくなった。だがどんな形であれ、確かに自分とゼノスは今この時共にある。


 これからも自分たちを取り巻く状況は、時代と共に変わっていくのだろう。それでも変わらない絆は確かにある。そう思えた瞬間、心を蝕んでいた物がするりと解けていくような気がした。




 ベルミカはゼノスの胸に手を添えると、大礼服に取り付けられた飾章を乱さぬよう静かに身を預けた。ゼノスの両腕が背と腰に回り、今度はドレスが皺にならぬよう気を遣ってくれたのか、ゆっくりと力が込められる。


「本当はね、少し不安だったの。子供ができたら、私なんて用済みになってしまうんじゃないかって」


「……とんでもない」


 見上げると、ゼノスは眉をしかめ呆れたような表情を浮かべていた。


「陛下以外の誰が、この『悪辣宰相』の手綱を取れると言うのです」


「え?」


「言っておきますが、私がこれ以上の悪事に走らないのはベルの存在があるからです。あなたの善性が私をかろうじて人の道に留めているのですよ。その責務を放棄するなど、世の混乱を招くも同然です」


「まったく……何を言ってるのよ」


 真面目くさった、とんでもない主張に呆気に取られた後、ベルミカは笑う。確かにこんないまいち頼りない女王では、ゼノスも寿命を縮める無謀はできないだろう。そう思えば、自分も多少は世の中の役に立っているのかもと思えた。




「ねえ、ゼノス。せっかくの結婚式の日なのに、忙しさで忘れないよう今のうちに言っておきたいの。――愛してるわ」


「私もです。あなたを愛しています、ベル。もし思い出したら、式典の途中だろうと大主教の説法の最中だろうと、何度でも聞かせてください」


 どちらともなく笑い合うと、ベルミカは少し踵を浮かせた。互いに吸い寄せられるように口づけを交わす。一瞬だけのつもりだったが、結局は何度か角度を変え、唇を重ねていた。


 しばらくして身を離すと、ゼノスが少し気まずそうな表情を浮かべる。


「……失礼。口紅を乱しました」


「もういいわ。どのみちロッサム夫人に怒られるのは確定だもの」


 肩をすくめるベルミカに、ゼノスもまた悪戯っぽく笑う。


「確かに。では二人で一緒に怒られましょう」


 あっさりと開き直ったゼノスは、再びベルミカの頬に手を添える。苦笑しながらも、ベルミカは今日何度目かになる口づけを受け入れた。






 ――数刻後、婚礼の成立を告げる大聖堂の鐘が王都に響き渡った。


 国内のみならず周辺諸国の和平に貢献し、後の世にヴィレシアで最も愛された君主と言われる女王ベルミカの結婚式は、天が祝福するように三日三晩続いた雨が上がり、雲一つない青空の元でつつがなく執り行われたと伝えられている。


 女王の夫であり、その治世を生涯に渡って支えたハイレル宰相については、亡国の危機を立て直した敏腕の政治家とも、冷徹無慈悲な影の支配者とも、長く歴史家の間でその評価が論争の的となっている。


 ただ当時の人々の記録によれば、四人の子供に恵まれた女王と宰相の夫婦関係は大変良好であったとされている。史実として、幾多の危機を乗り越えながらも、夫婦共に天寿をまっとうしたことは確かだった。










 



 完結までお読みいただきありがとうございました。ブックマーク、評価、拍手していただいた方、誤字脱字の報告をくださった方、大変感謝しております。もしよろしければ、改めて感想や評価いただけると今後の励みになります。ぜひよろしくお願いいたします。


 勢いで一章を書き終わり、改めて自分で読み直したとき、この主人公は可哀想なご令嬢で終らせるのではなく、ちゃんと自分で困難に切り込める女王様の面も書き切りたいなと思いました。宰相に関しても、正義感や情の深さが変異したダーディーな部分も含めてもう少し掘り下げたいと思い二章と、せっかくの恋愛物なので後日談を書き足しました。


 一章とは少々テイストが違うので読者様の反応が心配ではありましたが、想像以上の反応をいただけてうれしかったです。自分でも書いてよかったと思える作品でした。改めてありがとうございました。


 以下今後の予定と宣伝になります。現在新連載として全二十話ほどの予定になる異世界ガールズラブ物『天使の顔した暴君は、なぜか私に懐いています』を掲載しております。ガールズですがこちらも型破り系×真面目系の組み合わせです。もしよろしかったら覗いてやってください。


 その他『元地下アイドルは、皇帝を目指す!』の第二部と、また別の異世界恋愛物を執筆中です。気が多くて申し訳ありませんが、お付き合いいただけるとうれしいです。


 ここまでお読みいただきありがとうございました。また別作品でよろしくお願いいたします。




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