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「女王陛下!」
抜き身の剣を手にした二人の衛兵が押し入って来る。ほっとしたのも束の間、ラザロに腕を引っ張られ背後から抱えるように拘束される。顎の下に冷たく鋭い物が突き付けられたのがわかった。
女王を人質に取られた衛兵が目に見えてうろたえる。
「――悪あがきはやめて、武器を捨てろ」
衛兵の後ろから、背の高い男がリネン室へと入って来る。
「ゼノス……!」
宰相が前に突き出した左手には、銀色の装飾がほどこされた筒状の黒い鉄の塊があった。ベルミカの腕半分よりも長いそれは、先端がラッパのようにわずかに反り返っている。選ばれた者にしか扱えぬその武器を、ベルミカは幼い頃にゼノスから見せてもらったことがある。
「竜火砲か……」
生まれつき魔力を兼ね備えた者でなければ扱えぬ武器。魔術の素養がある者がその脅威を知らぬはずはない。だが銃口が向けられているというのに、ラザロは焦る様子もなく軽く鼻で笑っただけだった。
「宰相閣下は戦時中に本来の利き手を損ねたと聞いています。私の前には女王陛下がいらっしゃるのですよ。確実に狙いが付けられるのですか? もしくはどうせ殺されるならと、女王陛下を道連れにするかもしれませんね」
嘲るような言葉にも、ゼノスは銃口の狙いを逸らさず黙したままだった。
「竜火砲の魔導回路を起動させてから初弾を放つまでの時間があれば、私が女王陛下に刃を突き立てる方が早いですよ」
ゼノスが初めて表情を変えた。それは冷ややかな笑みだった。
「……よくしゃべることだ。ついでに寸劇でもしてみるか? 隙ができるかもしれんぞ」
宰相が期待していた反応を示さなかったせいか、ラザロが鼻白むのがわかる。
「どうした、試さんのか?」
二人はしばらく微動だにしなかった。やがてラザロはつまらなそうに嘆息し、ベルミカを突き飛ばすように解放すると、短剣を床に落とした。すぐに衛兵たちが駆け寄り、ラザロの片手を捻り上げ床に膝を突かせる。
一時は確かに命の危機にあったというのに、それはあっけない幕切れだった。拘束されたままラザロが皮肉な笑みを浮かべる。
「……さすがは悪辣宰相。女王陛下に流れ弾が当たろうが、凶刃に倒れようがお構いなしということですか」
「それは違うわ」
答えたのはベルミカだった。
「あなたが臆病だから読み負けたのよ。宰相に比べたら悪役としても二流ね、メイズ伯爵」
ラザロがあそこでもう少し粘っていれば、さすがのゼノスも銃口を下げて一旦引いたはずだ。ラザロは女性を利用することも、盾にすることも厭わない。だから他人も――宰相も女王を犠牲にしてでも勝ちを取ると思い込んだのだろう。勝算が薄いこの状況でラザロが命を賭ける真似をしないことを、ゼノスに見抜かれていたのだ。
ラザロが何を言われたかわからないという顔で、いぶかしげにしている。意味が通じていなくても、ベルミカはもはやどうでもよかった。
「よくここがわかったわね」
ゼノスにすがり付きたい気持ちを堪え、ベルミカはまだ女王の顔を保ったまま告げる。ゼノスもまた慇懃に礼を取ったが、その眼差しは安堵に満ちているのがわかった。
「城内のことはすべて頭に入っております。ベッドメイクが一通り終わっているこの時間なら、リネン室が人目を避けるのにうってつけであることも。……おかげさまで、悪党の考えそうなことは一通りわかるのですよ」
皮肉めいた口調にベルミカも苦笑を返す。
「女王陛下!」
ゼノスの後ろから飛び出してきた少女が、ベルミカに飛びつくようにすがる。
「申し訳ありませんっ……やっぱりお傍を離れるべきじゃありませんでした!」
「マルダ、ありがとう。よくハイレル宰相を呼んでくれたわね。あなたなら気づくと思ったわ」
ベルミカは子供のようにわんわんと泣きじゃくるマルダを抱きしめた。
マルダと別れる前に、早春にまだ咲いているはずがない『白い百合』を取って来るように頼んだ。白百合はハイレル家の家紋だ。察しの良いマルダはベルミカの意図をきちんと汲み取り、ゼノスを呼びに行ってくれたのだ。
「ミラリスはどうしたの?」
「廊下で取り押さえてあります」
ゼノスが部屋の外を手で示す。ベルミカが廊下に出ると、ゼノスの秘書官と共にミラリスがいた。縛り上げられているのかと思いきや、肩と腕を押さえられているだけだった。この状況でミラリスが逃げ出すとは思えないので、問題はないだろう。
こうなった以上もはや助かる道はないと悟っているのか、ミラリスは小刻みに震えていた。顔は青ざめ、今にも倒れてしまいそうだ。ベルミカはその様子を一瞥すると、ゼノスに淡々と告げる。
「ハイレル宰相。彼らの件をあなたに一任すると伝えたけど、少しだけ意見させて」
「もちろんお伺いします、陛下」
「このミラリスは心神耗弱状態にあったところを、私や宰相の名誉を失墜させようとしたメイズ伯爵に付け込まれ利用されていたの。詐欺の実行犯である以上、無罪放免とすることは叶わないでしょうけど、情状酌量の余地はあるわ。罰を減じることも検討してちょうだい」
ゼノスは意外そうに片眉を上げたが、反論はしなかった。
「御意に」
「女王陛下……?」
「勘違いしないでね、ミラリス」
大きく見張られるハシバミ色の瞳を見据えながら、ベルミカは静かに告げた。
主人公からも悪党であることを否定されない宰相ですが、同じ原案からできた『元地下アイドルは~』のあの人とは真逆で、本質はわりと情にほだされやすいタイプだと思います。戦時中のトラウマとか義務感と使命感で吹っ切れた結果こんな感じに仕上がりました。ラザロはわかりやすく自己愛が肥大化したタイプ。
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2023年8月3日、8月7日 誤字修正